| …その日。 冥王臣下の双子神は、タナトス神殿の一室で琴と横笛を奏でていた。 今日はいよいよベルセフォネーが冥王の妃として輿入れする日。歓迎の宴で楽器演奏でも披露しようと言う話になり、どのような曲を演奏すべきか相談していたのだ。 いつになく明るく弾むような曲を奏でていたタナトスは、ひとつ溜息をついて琴を傍らに置いた。 「いよいよハーデス様に妃が…と思うと、気持ちが落ち付かずどうにも身が入らぬな」 「そうだな。まさかこんなに早く縁談がまとまるとは思っていなかった故…頭で理解していても感覚がついて来ないのだろう」 横笛を唇から離してヒュプノスも頷いた。 長期戦を覚悟していたハーデスとベルセフォネーの縁談は呆気ないほど簡単に纏まったらしい。ハーデスが結婚の了解を貰いに天界に赴いてしばらくもしないうちに、冥王は『ベルセフォネーを迎えに行ってくる』と緊張で強張った顔で宣言して出て行ったのだ。 随分といきなりだが、ゼウスからデメテルへの話はうまく行ったのかハーデスは確認したのだろうか…という疑問がちらりとヒュプノスの頭をかすめたが、確認もせずに行動を起こすとは思えないし、何らかの形で確認したのだろう、と考えて深く追求はしなかった。 その点が引っかかっていない訳ではないのだが…。 似たような違和感は双子の兄も感じていたらしく、手に顎を載せて複雑な顔になった。 「…何であろうな、このむず痒い感覚は。うまい言葉が見つからぬのだが、何というか、すっきりしないというか…」 「難航を予想していたらあまりにも呆気なく話がまとまって拍子抜けしているのだろうかと思っていたが、どうも違う気がしてならぬ」 「その点は俺も同感だ。気持ち悪いほどあっさりと話が纏まったとは思わぬか、ヒュプノス?」 「うむ…お前が言っていた通り、ひと悶着は有るだろうと覚悟はしていたのだがな…」 「しかしハーデス様のお言葉に嘘があるとは思えぬ。大神ゼウスは本当に快く協力を約束されたのだろうと思う」 「そうなると…大神ゼウスが嘘を…嘘と言っては語弊があるかも知れぬが、デメテル様が渋い反応をしたのを正直に言えず、『手応えは上々だ』と見栄を張ったのをハーデス様が鵜呑みにされたとか…」 「しかしきちんと結果が出る前にベルセフォネー様を迎えになど行かぬであろう」 「そう…だな…」 ふたりは合わせ鏡のように眉間に皺を寄せて黙り込んだが、タナトスが軽く頭を振って努めてあっけらかんと口を開いた。 「漠然とした違和感などを追いかけても何にもならぬ。ハーデス様に妃が来るのなら、これからの事を考えようではないか。主に、我々の役割などな」 「役割と言ってもな…。おふたりの時間を邪魔しない以外に何がある?」 「そ、そう言われると思いつかぬな…。ハーデス様が何かお尋ねになったらお教えするが…」 「女性との付き合いも初めてのハーデス様の事だ、何を話題にすればいいのかとお尋ねになるやもしれぬ」 「ははは、有り得ぬとは言い切れぬな。ひょっとしたら『妃と寝所に入った後、どうすればよいのか分からぬから教えてくれ』とおっしゃるかもしれぬぞ」 「………」 弟神が口元から微笑を消して複雑な顔で沈黙したのを見て、兄神も笑みを引っ込めた。 「…何故そこで黙る」 「有り得ない話ではないと思ってな…」 「いや、まさか…。いくらハーデス様が惚れた女性へのアプローチの仕方も分からぬお方だとて、いくら何でもそのようなことは…ない、だろう?」 「………」 「ちょ、黙るなヒュプノス!」 「あ…うん、まぁ、そういうお尋ねがあった時はお前に任せる」 「なっ…何故俺なのだ!?」 「今回、ハーデス様は真っ先にお前に相談されたではないか。女性絡みの悩みはお前が適任であろう」 「嫌な役目をちゃっかり俺に押し付けるな!この手の話は、お前のような奴が無表情かつ淡々と手ほどきすれば良いのだ!」 「お前も兄なら、嫌な役目を弟の私に押し付けるな!」 「………」 「………」 双子神は子供のような顔で互いを睨みつけ、互いに相手が口を開くのを待っていたが。 先に口を開いたのは気短なタナトスだった。 「…分かった」 「何をだ」 「ハーデス様が俺にお尋ねになったのなら諦めて夜伽の手ほどきをする。しかし!お前にお尋ねになったその時はお前が責任を持て!絶対に、絶対に俺に投げるなよ!」 「…いいだろう。私にお尋ねになったら、私も腹を括ろう」 「その言葉、忘れるなよヒュプノス。ハーデス様は女性の口説き方を聞きたかったから今回は俺を訪ねて来られたが、子供の作り方を知りたいとなったら子供のいるお前を訪ねる可能性も大いに有りうる故な!」 「………」 兄の指摘に内心ギクリとしたが、これ以上の言い合いは不毛なだけなのでヒュプノスがすっと視線を逸らしたその時。 酷く遠慮がちに扉がノックされた。 怪訝そうに首を傾げてヒュプノスが扉を開けると、妹神のエリスが何とも微妙な顔を覗かせた。 ハーデスが妃を迎えると言う事で、エリスも妃の歓迎の為に冥府を訪れていたのだ。確か彼女は、ハーデスの神殿で妃となる女神ベルセフォネーを待ち構えていたはずだが…。 「あー、兄貴…、あのー、ハーデス様が、呼んでるよ」 「ん?」 「何だその歯切れの悪い物言いは」 「ん〜…あのさぁ、ベルセフォネー様が到着したんだけど、何か、様子がおかしいんだよね…。んで、ハーデス様も何かすっごい困った顔してて、『急いでタナトスとヒュプノスを呼んできてくれ』って」 「………」 双子神は顔を見合わせた。 夜の一族の長兄と次兄が仕える主君が妃を娶るのだから兄弟姉妹全員で歓迎すべきではないかという話が一度は出たが、ふたりとも何となく気が進まず、『お妃様をどうしても見たい!』という妹神のエリスとネメシスだけを冥府に呼んでいたのだ。 あの時、妃を歓迎するために兄弟姉妹を呼ぶのは気が進まないと思ったのは何か予感めいたものがあったからだろうか。ハーデスがゼウスへの相談を終えて笑顔で帰って来たあの日からずっと心にあった掴みどころのない違和感…。 とにかくハーデスが呼んでいるのなら行かねばなるまい。 双子神は嫌な予感をビシビシと感じながら急ぎ足にハーデスの神殿に向かった。 そわそわと落ち着きなく部屋の中を歩き回っていたハーデスは、頼りの兄達の姿を見てほっと安心した顔になった。 双子神は軽く会釈をして口を開いた。 「死の神タナトス、眠りの神ヒュプノス、只今御前に参上致しました」 「あ…うん、御苦労。そう堅苦しくしなくて良い、個人的な話をしたいのでな」 「ベルセフォネー様をお迎えしたもののお困りのようだ、とエリスから話は聞きましたが…」 「うむ、困っておる」 冥王は心底困った顔で眉間に皺を寄せた。 「ベルセフォネーが泣いて暴れて、近づくなと余を罵るのだ。これはいったいどういう事なのか…」 「………」 双子神は顔を見合わせ、ふーっと溜息をついて何とも言えない目でハーデスを見た。 「ハーデス様。花嫁をお迎えした馬車の中で彼女にナニをなさったのです?口付けですか?抱き締めたのですか?それとも、それ以上のことですか?」 「馬鹿を言え!妃として迎えると決まったとはいえ、正式な婚礼を済まさぬうちからそのような不埒な真似などせぬわ!」 タナトスのジト目に真っ赤になって抗議した冥王は、まだ信用していない様子の双子神を見て、ますます顔を赤くした。 「余だってそのような分かりやすい心当たりがあれば正直に告白しておる!大体、余とそなたらは今更そのような事を隠すような水臭い間柄ではあるまい!!」 「………」 言い募る弟分に半信半疑の眼差しを向ける金の神を、銀の神が軽く制した。 「ヒュプノスよ。お前はまだハーデス様のお言葉を疑っているようだが、俺は『分かりやすい心当たりはない』というお言葉に嘘は無いと思うぞ」 「何を根拠に」 「考えても見ろ。ハーデス様は一目惚れした女性へのアプローチの仕方も分からず、兄弟に頼るような恋愛音痴だぞ。いくら妃として迎えるとはいえ、初対面に等しい女性にヤヤコシイ事が出来る勇気や器用さを持っているとは到底思えぬ」 「ふむ…言われてみれば確かに」 「………」 ハーデスは双子神の歯に衣着せぬ言葉に内心かなりムッとしていたが、今の状況で頼れるのは彼らしかいないので仕方なく口を噤んでいた。 タナトスの言葉にヒュプノスも不思議そうな顔で首を傾げた。 「そうなると…いざとなったら母上と離れる事が耐え難くなったのだろうか」 「かも知れぬな。ひょっとしたら、ハーデス様と結婚する決心が固まりきっていなかったのかもしれぬ」 この時点ではまだ『常識的な』想像しかしていなかったふたりは、花嫁が泣いて暴れる理由などありふれたものだろうと思っていた。あれこれ推測をしたとこ ろで所詮は男神の考える事、乙女心の機微など察しろという方が無理だろう…と早々に結論を出したふたりは仏頂面のハーデスを見遣った。 「ハーデス様。どちらにせよ、女性の事は女性に任せた方が話が早いのではないかと思いますが。エリスかネメシスをやってお話を伺っては?」 「それが…余が頼む前に彼女らはベルセフォネーに話を聞きに行ってくれたのだがな。『あなた方は事情を説明できるのか』と尋ねられて、部外者の自分達では迂闊な事は言えぬと戻ってきたのだ」 「はぁ…それでは仕方ありませぬな」 「女性に突っ込んだ質問をするなど気が進みませんが…」 双子神はもう一度顔を見合わせて溜息をつくと、重い足を引きずるようにしてハーデス神殿の奥に向かった。 ハーデス神殿の最奥、冥王の私的な部屋が並ぶ一角でもひときわ豪奢な部屋に、冥妃となるベルセフォネーは連れて来られていた。 双子神は部屋の前で戸惑った表情を浮かべたまま所在なげにしているニンフに声をかけ、冥王臣下が謁見を求めている事をベルセフォネーに伝えるように命じた。 …ほどなくして、謁見を了解する返事を貰ったとニンフが戻ってきた。 ふたりは部屋を仕切る薄衣をそっと開け、入口に膝をつき傅いた。 「失礼致します、大神ゼウスと地母神デメテルの娘で有られるベルセフォネー様」 タナトスの声に、寝台に突っ伏していた娘が顔を上げた。 泣き崩れていなければ息をのむほど美しかったであろう彼女は、涙の跡がくっきりと残る顔を上げた。その愛くるしい貌には怒りと恐怖が浮かび、可憐な唇はきつく引き結ばれている。 予想以上に状況は深刻らしいと気付き、双子神は慎重に言葉を選びながら口を開いた。 「お初にお目にかかります、我は冥王ハーデス臣下双子神の片割れ、死を司る神タナトス」 「同じく眠りを司る神ヒュプノス」 「我々は、ベルセフォネー様が冥王の妃として御輿入れされるこの日を心待ちにしておりました。しかしベルセフォネー様は酷くお嘆きと伺い、戸惑っている次第」 「差し支えなければお心を痛めておられる理由をお聞かせ願えませぬか」 「妃として、輿入れ?」 双子神の言葉を反芻した彼女は、眼差しをきつくして彼らが想像もしなかった言葉を返してきた。 「それは一体、何のお話です?」 「えっ?」「はっ?」 ベルセフォネーの言葉に思わず間抜けな声が出た。 一体何の話です、だと? 想定外の更に外を行くような返答にヒュプノスは思考が停止して絶句し、タナトスも混乱した頭で基本的な事を確認しようと口を開いた。 「ええ…と、ここ半月ほどの間に、お父上かお母上から、冥王ハーデスとの縁談の話がありませんでしたか?」 「ありません。初耳です」 「え…ええっ?」 ただ驚いて目を丸くするばかりの双子神に、ベルセフォネーは何かを察したようにきゅっと眼差しをきつくした。 「そうか、分かった。お父様ですね?お父様が、私をハーデス伯父様の妻にするなどと勝手に決めて、さも私やお母様がそれを了承したかのようにあなた方に伝 えたのでしょう。そして無責任な冗談で伯父様を唆して煽ったのでしょう?そうでなければ伯父様があんな乱暴をなさるはずはないし。…でも、あなた方は偉大 な夜と仲裁の女神ニュクス様の御子息であられるのでしょう。あのような乱暴を何故、止めなかったのです?」 「乱暴…と、おっしゃいますと」 「あなた方は知らないのですか?」 「も…申し訳ありません、どうやら連絡の行き違いや話の食い違いがあったらしいということしか、今の我々には分からぬのです」 ひたすら恐縮して申し訳なさそうに頭を垂れる双子神の姿に、ベルセフォネーは無理に感情を押さえたような静かな声で告げた。 「私が友達と一緒に花を摘んで遊んでいるところに馬車に乗った伯父様がいきなり現れて、何も言わず私を捕まえて馬車に押し込んでこの冥界まで強引に連れて来たのです。私が泣き叫んでも全く意に介さずに!」 「………」 双子神はあんぐりと口を開け、間抜け面を見合わせた。 あの日。 大神ゼウスに結婚の了解と縁談成立への協力を約束されたと上機嫌で帰ってきたハーデスは言っていた。 『女性は少々強引な男が好きなのだから、強引に攫って冥府に連れて行けばよいではないか』とゼウスに言われた、と。 その言葉を冗談だと判断した自分達は、当然ハーデスも冗談だと分かっていると思い込んだまま気軽にその言葉を肯定して。 そして冥王は何と言っていた? そうだ、確か…『準備が出来たらベルセフォネーを攫ってくるとしよう』とか……。 ここしばらくの違和感と不安の原因が最悪の形で判明したと気付き、双子神は背筋がスーッと冷たくなるのを感じた。 謝罪の言葉もそこそこに、とにかく冥王から事情を聞いてくると言い残してふたりは大急ぎでハーデスのいる部屋に戻って行った。 眉を吊り上げ、血相を変えて半ば小走りに戻ってきた臣下の姿に、ハーデスはたちまち不安そうな顔になった。 彼らがああいう顔をしている時は十中八九お説教が来る前触れである。 冥王はおずおずと尋ねた。 「ど…どうであった?ベルセフォネーが嘆いている理由は分かったか?」 「ハーデス様。あまりにも当たり前すぎて今までお尋ねしなかったことを確認したいのですが」 「な…何だ?」 自分の質問を無視したタナトスの苛立ち交じりの口調にますます不安を募らせつつ、ハーデスが恐る恐る尋ねると。 「此度の結婚の話、デメテル様とベルセフォネー様が了解されたか否か、きちんと確認されましたか」 「え…」 「まさかとは思いますが。弟君の『攫えば良い』発言を鵜呑みにして、当人の返答も待たず意思も確認せずいきなり姫君を攫って来た訳ではないでしょうね?」 「あ、いや、だって、その、そなたらも言ったではないか、『攫うくらいでちょうどいい』と…」 バコッ!! 「!!??」 いきなり拳で頭を殴られたハーデスが状況を把握できずに混乱した顔を上げると、タナトスはその胸倉を捕まえて怒鳴りつけた。 「馬鹿かお前は!!」 「え…え…??」 「俺達の話を聞いていなかったのか!?相手が相手だから礼儀正しく誠実に話を進めろと言っただろうが!『攫えばいい』発言は冗談に決まっているだろう、そんなこともいちいち言われないと分からんのか!!」 「え…でも…」 「話も通さぬうちからいきなり攫えば泣いて当たり前だ!『何故嘆いているのか分からぬ』だと?『分かりやすい心当たりがあれば正直に告白している』だと!?一体どこをどうすれば心当たりが無いなどと寝言が出てくるのだ!本当に…ほんっっっとうに、馬鹿かお前は!!!!!」 「………」 馬鹿って…二度も言わなくたって…。 とは思ったものの、タナトスの剣幕に圧倒されてハーデスが口をパクパクさせていると。 地の底まで届くような溜息をついて、ヒュプノスがハーデスの胸倉をつかみ上げた兄の手を軽く掴んで制した。 「その辺にしておけ、タナトス」 「ヒュプノス…」 「冥王として冥界に降りて来たあの日、ハーデス様は自らおっしゃったではないか。『余は世間知らずだ』と」 「…それが何だ?」 「世間知らずと言えば耳触りは悪くないが、はっきり言えば馬鹿ということだ。ハーデス様は『自分は馬鹿だ』と最初に告白されていたではないか。今更お前は 馬鹿かと確認せずとも良かろう。このお方が馬鹿だと言う事を忘れて、ハーデス様が冗談を真に受けた事を気付けなかった我々にも非はある。ハーデス様だけを 責めるのは酷というものだ。見ろ、お前が怒鳴りつけるから涙目になっておられるではないか」 「………」 「いや、ハーデス様が涙目になったのはお前がバカバカと連呼したからだと思うが…」 フォローしてくれると思ったヒュプノスからきつい厭味を言われたハーデスは半べそ顔で、無茶苦茶な理屈で気勢を削がれたタナトスは主君の胸倉から手を離して深々と溜息をついた。 「まあ確かに、色々と不自然だと思いながら確認を怠った我々にも非は有ろう。どちらにせよ、しでかしてしまった事はどうにもならぬ。これからの事を考えねば」 「そうだな」 「ハーデス様が相談に行かれて半月も経つのに縁談の話がベルセフォネー様の耳に入っていなかったという事は、大神ゼウスはまだこの話をおふたりに通していなかったのだろう」 「ゼウス様もデメテル様も何かと多忙なお方だ、予定が合わなかったとしても不思議ではない」 「ご本人に話を通す前に他の女神達に根回しをされていたのやも知れぬ」 「とにかく、最初から全てが食い違っていたのだ。ここは一旦仕切り直すべきであろうな」 「仕切り直す?」 それまで黙って双子神のやり取りを聞いていたハーデスが不安そうな顔で口を挟んだ。 「それはつまり、ベルセフォネーをデメテルの元に帰すという事か?」 「そうですね」 「姫君を地上にお返ししたうえで、改めて話を通すべきかと」 「…嫌だ」 「は?」 ハーデスの言葉に双子神は耳を疑った。 驚いて彼を見ると、ハーデスは強い決意を顔に滲ませてもう一度はっきりと言った。 「余はベルセフォネーを地上に帰したくない」 「何をおっしゃるのです、ハーデス様」 「ベルセフォネー様には縁談の話が通っていなかったのです、今のままではハーデス様は誘拐犯も同然ですよ?」 「それでも帰したくないのだ!デメテルが此度の一件を耳にすれば、娘を余の妻にする事など絶対に了承しないだろう。今ベルセフォネーを帰してしまったら、彼女はもう二度と冥府に来てくれぬ!」 「ですが、」 「頼む、兄上!何とかしてくれ。余は、余は…ベルセフォネーを手放したくない。帰したくない。お願いだ、余がそなたらに我儘を言った事など一度もないではないか!今回は、今回だけは余の我儘を叶えてくれ!」 「………」 双子神は弱り切った顔を見合わせた。 誤解や話の食い違いがあったとはいえ、ハーデスに明確な非が有る以上、一度ベルセフォネーを地上に帰してきちんと謝罪した後に改めて話をするのが本来のやり方であろう。 しかしハーデスの言う事も分からなくはなかった。 ベルセフォネーを誘拐まがいの方法で冥界に連れ去った事は、デメテルが縁談を拒否する絶好の口実になってしまう。母神が縁談を突っぱねて娘を遠ざけてしまったら、ハーデスの恋は実るどころか彼女に会う事も出来なくなるだろう。 彼らは思う。 兄として、弟の恋を応援してやりたい。 それは善悪も理屈も超えた絆と感情だった。 ふたりは細く長く溜息をついて可愛い弟分を見遣った。 「…分かりました。我々はあなたの臣下、ご命令とあらば仕方ありません」 「姫君が冥府に滞在する事を了解して頂けるよう、大神ゼウスと地母神デメテルに頼んで来ましょう」 「兄上…!」 ハーデスはぱぁっと顔を輝かせて双子神の手をきつく握った。 「ああ、ありがとう、ありがとう!!」 「礼を言うのはまだ早いですよ、ハーデス様」 「頼んではみますが、馬鹿を言うな今すぐ娘を返せと言われたら我々はそれ以上食い下がる事は出来ませぬ。その点は承知しておいて下さらないと」 「分かっておる!ちゃんと分かっておるぞ!」 嬉しそうに頷くハーデスの姿に苦笑を浮かべ、双子神は一度深呼吸し、意を決してベルセフォネーのいる部屋に向かった。 ベルセフォネーの部屋を訪ねたふたりが事の経緯を説明すると、彼女は納得したように頷いた。 「そうですか。お父様だけが悪いわけではなく、色々と勘違いや話の行き違いがあったのですね」 「これも我々が話の確認を怠った故。姫君には多大なご迷惑をおかけしてお詫びの言葉もございません」 「お気になさらず、あなた方が悪いなんて私は思っていませんから。…それで」 ベルセフォネーは期待に目を輝かせて寝台から身を乗り出した。 「そういう事情なら、私はすぐに地上に帰してもらえるのでしょう?」 「……、我々もそうしたいし、そうすべきだとハーデス様に進言したのですが…」 「え?」 「ハーデス様が頑なにあなたをお帰しする事を拒んでおられるのです」 「何を言っても我々は冥王の臣下です。貴女を帰すなという冥王の命令に逆らうことはできません」 「そんな…」 一度笑いかけたベルセフォネーはたちまち半べそ顔になった。 「大変申し訳ございませんが、今しばらくお時間を頂きたく存じます」 「貴女が急にお姿を消したことでお父様もお母様も心配しておられましょう。ですから、我々が事情を説明しにオリンポスに参ります」 「そこでお父上が貴女を地上に帰すようハーデス様に話をして下されば、ハーデス様とて否とは言えぬはず。どうか、どうか…少しの間だけ、ご辛抱をお願いできませぬか」 「………」 ベルセフォネーは黙り込んだ。 何としても今すぐ地上に帰りたいと主張すれば、この双子神はこっそり逃がしてくれるかもしれない。でも、彼らが自分を逃がした事をハーデスに咎められるかもしれないと思うと、あまり無理を言っては申し訳ない気がした。 何しろ彼らは…今の立場こそ冥王の臣下だが、父である大神ゼウスが細心の配慮をもって接する夜の一族の長兄と次兄なのだ。 彼らがこうして頭を下げて頼んでいるのを突っぱねては大地と夜の関係に悪影響を及ぼすかもしれない。 (私の我儘でお父様に迷惑をかけるわけにはいかないわ。このふたりがオリンポスに行って、お父様の伝言を預かって帰ってくるまで辛抱すれば何も問題なく解決するんだもの、そのくらいは我慢しなくちゃ…) ベルセフォネーは自分の中で折り合いをつけると、分かりました、と頷いた。 「あなた方をこれ以上困らせるのは申し訳ありませんもの。お父様が判断されるまで大人しく待ちます」 「ありがとうございます」 双子神は深く一礼して立ち上がった。 すぐに地上に戻れると信じている彼女を糠喜びさせるかも知れぬと心苦しく思いながら、ふたりは久方ぶりに地上のオリンポス神殿へと向かった。 |
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| えーと…繋ぎの回だからか、特に解説すべき事もない…かな?双子神と、双子神+ハーデスの漫才ぽい会話はアイデアを練っていた時から入れたいと思っていました。 あと、ベルセフォネーの神殿はまだ着工してません。縁談を進める過程で、彼女の希望を聞いて造る予定だったためです。 最後はハッピーエンドなので、重くならないように明るくコメディぽく、時々イイ話を入れつつ行きたいなーと思っています。このシリーズで描きたいのはお兄 ちゃんしてる双子神なので!双子神とハーデスの仲良し兄弟ぷりとか書きたかったので結構満足です。プライベートでは礼儀もへったくれもないタナヒュプお兄 ちゃんズ。弟の恋路のために5話目からお兄ちゃん達がんばんよ! |