双子神・神話時代 …冥妃…
EPISODE 6


 アテナは廊下の角からそっと顔を出して客間の様子を見た。
 オリンポスの女神やニンフ達が不自然に部屋の入口あたりを行ったり来たりしている。
 あの中に入っていくのはちょっと躊躇うなぁ…。
 そんな事を思っていると、不意に背中から声がかけられた。

「アテナ?そんなとこで何をコソコソしてるんだ」
「っひゃぁ!?」

 思わず素っ頓狂な声を出して慌てて口を押さえて振り返ると、異母姉妹で処女神仲間のアルテミスが目を丸くしていた。
 恥ずかしさを隠そうとアテナは努めて怒った顔になった。

「ちょっと!気配を消して近づいてきて驚かすなんて酷いんじゃない?」
「私は驚かせたつもりはないけど。コソコソしてたお前が勝手に驚いただけじゃないか」
「コソコソなんてしてないわよ。私はただ、お客様を訪ねるタイミングを探していただけで…」
「客?」

 言われて初めて、アルテミスは客間の前を不自然に歩き回る女神やニンフの姿に気がついたらしい。怪訝そうに首を傾げた。

「何、あれ?」
「ハーデス伯父様がベルセフォネーを妃にするために冥界に攫った事が原因でデメテル伯母様がストを起こして、地上は大変な事になってるでしょ。その一件でお父様と話をするために、伯父様の臣下の神がオリンポスを訪ねてるらしいの」
「死の神タナトスと眠りの神ヒュプノスだっけ。で、それが?」
「その夜の神がすっごいカッコいいって噂で、一目見ようと女の子達が集まってるみたい」
「ふぅーん。つまりお前も噂の『カッコいい神』を一目見ようとここで様子をうかがっていた訳か」

 処女神の癖に。
 言外にそう言いたげなアルテミスの冷ややかな視線に、アテナは思わず顔を赤くして抗議した。

「ちっ…違うわよ!私はベルセフォネーが心配で、どうしてるか聞きたくて!でもあの中に突っ込んでいくのはちょっとなーと思って悩んでたのよ!」
「ああ…確かにベルセフォネーの事は私も心配だな。父上と伯父上と叔母上の話し合いがどうなっているのかも気になるし、確かに事情は聞いてみたいな」

 改めて客間の入口を見遣ったアルテミスは、門番のごとく部屋の両脇に立っている神の姿に軽く首を傾げた。

「なぁアテナ、部屋の入口に立っているのは誰だ?見覚えの無い顔だから冥界の神だろうが、彼らの見た目は…その、カッコいいと言うより男らしいタイプのようだけど」
「死と眠りの神のお供じゃないかと思うんだけど」
「ふーん…。ま、ここでぐずぐずしてても埒が明かないな。私達はやましい目的がある訳じゃないんだし、堂々と客人に面会を求めればいいじゃないか」
「そうね」

 コソコソと会話を交わした処女神達は、胸を張って堂々と客間に近づいた。
 アテナとアルテミスの登場に気付いた女神やニンフ達がさっと道を開けて、さりげない風を装いながらふたりの様子を伺い始めた。
 部屋の入り口で無表情に番をしていた二神は、『通行人』の様子で彼女らが只者でないと察したのか丁寧に会釈した。
 
「お初にお目にかかります。私はゼウスの娘、アルテミス」
「同じく私はアテナ」
「偉大なる大神ゼウスのご息女にお目にかかれる光栄に感謝いたします。私は冥王臣下の眠りの神ヒュプノスの従属神、造形者モルペウス」
「同じく我は幻夢イケロス」
「あの…単刀直入にいいますね。私達、ベルセフォネーの親友なんです。今回の一件で彼女がどうしているのか全く分からなくて、心配しているんです。差し支えなければお話を伺えないかと思ったのですが…取り次いで頂けますか?」
「…少々お待ちを」

 モルペウスと名乗った神が部屋と廊下を仕切る薄衣を少し開けてそっと中に声をかけると、乙女と見紛うばかりの柔和な顔立ちの美少年が顔をのぞかせた。
 事情を聞いた彼は、伝えて参りますと言って薄衣の向こうに姿を消した。
 …しばらくして、銀髪と濃い紫の透明な眼の男神が薄衣を開けて姿を見せた。
 彼は丁寧に一礼して口を開いた。

「お初にお目にかかります、私は眠りの神ヒュプノスの従属神・夢神オネイロス」
「初めまして。それで…」
「アテナ様、アルテミス様のお言葉を兄達にお伝えしましたところ、お話しすることに吝かではないと。ただ、処女神で有られるお二方と人目の無い部屋の中で お話しして良いものかどうか分かりかねる。問題なければお通しするように、場所を移動した方が良ければそのように…と申しております」

 いい加減『初めまして』の挨拶続きに辟易してきた女神達の胸中を察したのか、オネイロスは簡潔に結論を伝えた。

「部屋の中でお話する程度の事、何も問題は…」
「問題は無いけれど、せっかくだから父自慢の中庭でお話しませんかとお伝えください」
「畏まりました」

 アテナの言葉を途中で遮ってアルテミスが言うと、オネイロスは軽く一礼して部屋に戻った。
 怪訝そうなアテナの視線を受けたアルテミスが、周囲で様子を見ている乙女達をちらりと見てアテナの耳元に唇を寄せた。

「皆、噂の冥王臣下を一目見たくて集まっているんだろう?」
「ああ、そういうこと」

 冥王臣下の神々を中庭まで案内すれば、皆は『カッコいいと噂の神』を一目見る事が出来るわけだ。
 アルテミスの意外な心遣いに感心していると、薄衣を開けて長身の二人組が姿を見せた。
 …乙女達が一目見たいと部屋を訪れるのも頷けるほど、二神は見目麗しく端正な容姿だった。淡く光を放つ銀と金の髪は絹糸のように背に流れ、髪と同じ色の 瞳は不可思議な色を孕んでどこまでも透き通り、長く濃い睫毛がその瞳を彩っている。貌の輪郭も鼻筋も、甘く整った唇も全てが完璧な造作だ。冥界の神だから なのか、その白磁の肌も溜息が出るほど滑らかで纏う小宇宙もひんやりと繊細だ。
 カッコいいカッコいいと言うけど大袈裟なんじゃないの、と思っていた処女神達は予想外の美貌…男神に美貌と言う言葉は不適切かもしれないが、そうとしか言いようがない…の双子の登場にしばし言葉を失ってポカーンとしていた。
 女性にしてはかなりの長身のアルテミスより更に長身の銀髪の神が、軽く会釈して控え目に口を開いた。

「此度の一件で姫君方にはご心配をおかけして心苦しく存じます。死を司る神タナトス、主君ハーデスに代わってお詫びを申し上げます」
「いえ、そんな、お詫びなんて!ねぇアルテミス」
「ええ、そうです、お詫びなんてとんでもないです!」
「痛み入ります。…お話できる事はあまり多くは無いかと存じますが、とにかく場所を変えましょうか」
「そうですね、行きましょうか」
「…処女神で有られる姫様方には、男神のエスコートは差し支えがありましょうか?」
「いいえ、何も差し支えありません」
「では…」

 銀色の神が差し出した腕に、アルテミスは堂々と腕を絡めた。
 男嫌いのアルテミスの意外な行動にアテナは一瞬あっけにとられて、金色の神が腕を差し出してくれた事に気付いて慌ててその腕をとった。
 
(男性に大真面目にエスコートされるなんて初めてかも…)

 少しばかりの照れ臭さと妙な嬉しさがないまぜになった複雑な感情を胸に、アテナは銀の神にエスコートされて先を行くアルテミスの背中を見遣った。




 オリンポス神殿の中庭は、外界の荒廃がまさに別世界の出来事に思えるほど優美に整えられていた。
 緻密な彫刻が施された噴水からは清らかな水が惜しみなく溢れ、花壇には色とりどりの花が美しさを競うように咲き乱れている。
 大神の威信にかけても神殿内は美しく保っておかねばならぬと言う事か。
 
(つまらぬ見栄だ)

 タナトスは冷ややかな一瞥を完璧に手入れされた庭にやって、アルテミスの為に椅子を引いた。
 …ゼウスとの話し合いの結果は何の実りもなかった。
 デメテルが大神に対する抗議の意思として自身の職務を放棄したことで地上を大飢饉が襲い、人間も獣も植物も、ありとあらゆる命あるものがどんどん死んで いると言うのに、彼は『伝令神イリスをデメテルの元に遣わしたが、説得できずに帰って来てなぁ…いやはや困った困った』と深刻さの欠片もない呑気さでぼや くのみ。真剣にデメテルと向き合おうとか、自身の言動や行動を振り返ろうかなどとは露ほども思わないらしい。
 まぁ確かに、ゼウスが即座に適切な英断を下して『ベルセフォネーを一旦返せ』などと命じては困るから、彼の危機感の無さはむしろ歓迎すべき事と言えなくもないのだが。
 実際こうしてベルセフォネーの親友である処女神と直接話をする機会も出来た事だし…。
 遠巻きに様子を伺っている娘達に飲み物と茶菓子を用意するようにアルテミスが命じると、娘達は我先にと神殿に戻って行った。
 そんな娘達の姿を呆れ交じりの顔で見送ったアルテミスが遠慮がちに口を開いた。

「それで、あの…ベルセフォネーはどうしているんでしょうか。無事で…あ、いえ、元気でいるんでしょうか」
「ハーデス様に強引に冥府に連れてこられた直後は驚きとショックで相当戸惑っておいででしたが、事情をご説明したところ理解を頂けまして、現在は落ち着いておられます。ああ、勿論お怪我や病気などはなさっておりませぬ」
「そっか、ベルセフォネーは元気なのですね。良かった」
「ところで、伯父様はベルセフォネーが友達と遊んでいるところを強引に攫ったと聞きましたけど…本当なんですか?以前お会いした時は、とてもそんな乱暴をなさる方には見えなかったのですけど」
「…ええ、本当です」
「………」
「ゼウス様にベルセフォネー様との結婚を相談した時に、『女は強引な男に弱いのだから攫えば良い』と冗談を言われて、恋愛経験豊富な弟が言うのならそういうものなのだろうとお言葉を信じて行動に移してしまったのです」
「恋愛経験豊富、ね」

 単に女癖が悪いだけじゃない、と言いたげなアルテミスをアテナが卓の下でそっと突つくのが見えた。
 ハーデスの臣下が言葉を選んで話しているのだからそんな皮肉は言うな、ということなのだろう。
 分かっているわよ、と言いたげな視線をアテナに向けたアルテミスが質問を重ねた。

「それで…デメテル伯母様は父に対して酷くお怒りだったそうですけど…それはやっぱり、ベルセフォネーを嫁がせる話を父が撤回しなかったからですか?」
「我々がお話を伺った時はそのように仰せでした」

 タナトスは浅く顎を引いてアルテミスの言葉を肯定した。
 実際はもっと色々な事柄に怒っていたが、突き詰めればデメテルの怒りの理由はそこに帰着する。
 …それまでほとんど口を開かなかったアテナが言いにくそうに口を開いた。

「ところで、ハーデス伯父様は…?ベルセフォネーの事、何とおっしゃってるんですか?」
「…ご自身の行動が姫君を怖がらせ戸惑わせた事に大変驚き、申し訳無い事をしたと姫君に謝罪されていました。その上で、姫君を愛する気持ちに嘘は無いか ら、どうかしばらく冥府に留まって欲しいと。自分に会いたくないと姫君がお望みならそのようにするから、手の届かぬ地上に帰るのはしばし待ってくれ…と」
「………」
「我々も一度姫君をお返しして話を仕切り直した方が良い、とハーデス様に進言はしたのですが、姫君と離れたくないとおっしゃるハーデス様に余り強くも言え ず…。ゼウス様もベルセフォネー様を母君にお帰しする必要はないと仰せですし、ゼウス様のお言葉に反する行動をとるのも…」
「そう…ですよね…」

 処女神達は複雑な顔で口を噤んだ。
 ベルセフォネーの事は心配だが、ハーデスの恋心や双子神の立場を考えると何も言えないのだろう。
 どちらも話す事が無いまま沈黙が落ちた時、不意に声をかけられた。

「お話し中に失礼。冥王ハーデス殿の臣下、タナトス殿とヒュプノス殿とお見受けしたが」
「?」

 …何だか目のやり場に困る格好だな。
 それが第一印象だった。
 声の主は、淡く長い藤色の髪を宝石飾りで留め、豊かな胸元や美しい脚を惜しげも無く晒して身体の線を際立たせるような漆黒のローブを纏った女神だった。
 放つ小宇宙は甘く妖艶な色香に彩られているが、オリンポス十二神であるアテナやアルテミスにも勝るとも劣らない。
 アテナやアルテミスは彼女と面識があるらしく、意外そうな顔をしながら目顔で挨拶を交わすのが見えた。
 タナトスは意識して彼女の胸元から視線を逸らして尋ねた。

「おっしゃる通り、我々は冥王臣下の死と眠りを司る神ですが…失礼ですが、貴女は?」
「ガイアの孫であるペルセスとアステリアの一人娘、月と氷の神ヘカーテ。…と、血筋で名乗るよりも…」

 ヘカーテは紅い唇を妖艶に微笑ませて蕩けるような流し目で双子神を見た。

「今は『ハーデス殿がベルセフォネーを攫う現場を目撃していて、それをデメテル殿に告げ口した神』と言った方が適切かな」
「!」
「この一件に関して少しばかりお話をしたいのだけれど。よろしいかな?」
「…伺いましょう」

 椅子から腰を上げかけたヒュプノスを軽く制してタナトスは立ち上がり、ヘカーテの為に椅子を引いた。
 月と氷の女神ヘカーテ。
 ギガントマキアにおいてギガスの一人を倒すほどの戦闘力を持ち、大神ゼウスに重んじられ天界にも海界にも絶大な影響力を持つ、オリンポス十二神に勝るとも劣らぬ高い神格を持つ神だ。

(ハーデス様がベルセフォネー様を攫う現場を見ていた女神がいるとアレスが言っていたが…まさかそれがヘカーテ様だったとは…。デメテル様は我々の味方だが、ヘカーテ様はどうであろう?大神に重用されている彼女は『ゼウス側』かもしれぬ、迂闊な事は言えぬな…)

 丁度タイミングよくニンフ達が飲み物と茶菓子を持ってきたので、双子神はカップや菓子を受け取りながらサッと視線を交わらせ意思の確認をした。
 ヘカーテは双子神と話をしたそうな雰囲気だったが、アテナは我慢できない様子で身を乗り出した。

「ヘカーテさん、ハーデス伯父様がベルセフォネーを攫う現場を見ていたって…一体どうして?」
「偶然、所用でシケリア島に滞在していたのだが…。部屋の外からベルセフォネーや乙女達が遊ぶ楽しそうな声が聞こえて来て、気分転換がてら私も仲間に入れ てもらおうかと思って外に出たんだが、声は聞こえても皆の姿は見えなくてな。どこにいるのかと探していたら、皆からはぐれたらしいベルセフォネー殿が切り 立った崖から断崖絶壁に手を伸ばして崖の途中に咲いている水仙…それはそれは荘厳で、とても自然に咲いたとは思えぬ美しい花だった…を、摘もうとしている のが見えた」
「………」
「一歩間違えば崖から転がり落ちそうな体勢で、私が思わず『危ない!』と叫んでベルセフォネーに駆け寄ったのとほぼ同時だったかな。突然地面が割れて馬 車に乗ったハーデス殿が現れて、その直後だ…水仙に手を伸ばしていたベルセフォネー殿を抱きかかえて馬車に押し込んで、彼女が驚いて悲鳴を上げるのも構わ ず地底に姿を消した」

 沈黙が落ちる中、ヘカーテは紅茶で唇を湿らせて話を続けた。

「余りの事に私は呆然として、今自分が見た事は現実だったのかと疑いすらした。ベルセフォネーが摘もうとしていた水仙の咲いていた周辺を見ても、あの素晴らしい水仙の花も、地割れの形跡も無かったのだから」
「花も、地割れの後も無かった?」
「え…一体、どういう…」
「………」

 驚く処女神達とは反対に、双子神はすぐに『犯人』が誰か察する事が出来た。
 ハーデスがベルセフォネーを攫いに行ったその時その場所で、花の女神をおびき寄せるほどの美しい花を咲かせ、地割れの跡ごと誘拐の証拠を消し去れる神…。
 僅かに顔を強張らせた双子神に、ヘカーテが甘やかに尋ねた。

「誰が関与していたのか心当たりがあるようだな、夜のご兄弟?」
「………。恐らく、ですが…ガイア様かと」
「曾祖母様が!?」
「何故そんなことを?」
「ハーデス様が妻を娶らぬ事を、ガイア様も心配なさっていたと伺いました。あくまでも推測に過ぎませぬが、ゼウス様の『攫えば良い』という御冗談をガイア様も信じてしまい、ハーデス様の行動に手をお貸しになったのではないかと…」
「ま、それが正解だろうな。デメテル殿も同じような事をおっしゃっていた。『お祖母様は昔から、ひとつの事に気を取られるとそれ以外の全てが見えなくなる癖がおありでした。今回もハーデスの結婚だけに気を取られて先走ってしまったのでしょう』とか何とか」

 深刻極まりない貌をする双子神とは対照的に、ヘカーテはあっけらかんと頷いて茶菓子を頬張った。
 処女神達は諦めの混じった溜息を同時についた。

「お父様もお父様だし伯父様も伯父様だけど、曾祖母様も相当ね…」
「先走ってやらかしたはいいけど、騒ぎになったら顔も出さず、地上を大飢饉が襲っても知らんぷりって…。それでも神々の王を生み出してきた大地母神なの?」
「下手に首を突っ込まれたらますます話がややこしくなるだろうし、今以上にひっかきまわされるくらいなら知らん顔された方がずっとマシだろう」
「あ、それは同感」
「私も」
「………」

 ヘカーテが歯に衣着せずズバズバ本音を言うので、思わず釣られて頷きかけた双子神は慌ててカップに口をつけて誤魔化した。
 必要最低限しか言葉を発しない冥王の臣下にちらりと目をやり、それにな…とヘカーテは続けた。

「今回のデメテル様の職務放棄、レア様も容認している気がするんだよな」
「え?あ…言われてみれば、地上がこんなに大変なのにレア様は何もしていないわね」
「地母神としての力はデメテル様よりレア様が上だから、枯れてしまった植物や穀物を蘇らせようと思えばできるはずなのに…」
「あと、もうひとつ気になる事があるんだ」

 ヘカーテが二杯目の紅茶に砂糖を溶かしながら艶っぽい仕草で首を傾げた。
 なになに?と身を乗り出すアテナとアルテミスをたっぷりと焦らしてから彼女は口を開いた。

「ストを起こす前のデメテル様と話をしたんだがな、職務放棄の目的は娘を取り返す事ではなくて大神にひと泡吹かせる事じゃないかと思えてならないんだ」
「………」
「ええ?」
「父上の『ベルセフォネーはハーデスの嫁にやる』発言を撤回させてベルセフォネーを取り戻す事じゃないの?」
「でも、大神が一度認めた結婚を撤回すると言うのは、『ひと泡吹かされた』と言えるわよ」
「だろう?」

 一体デメテルはヘカーテに何を話したのか。
 話の内容とヘカーテの立ち位置によっては作戦を練り直さなくてはいけない。
 処女神達が突っ込んで聞いてくれないかと待っていたが、アテナもアルテミスもうーんと唸ったまま質問してくれる様子はない。
 仕方なくタナトスが口を開いた。

「デメテル様とはどのようなお話を?」
「ん?気になるのか?」
「…此度の一件、我々も無関係ではありませんから」

 無難に曖昧な言葉を返すと、ヘカーテは何か含むところがありそうな微笑を浮かべて、いいだろう…と頷いた。

「オリンポスから怒り心頭で帰ってきたデメテル様に話を聞いたら、大神と冥王の文句と言うか愚痴を怒涛のごとくまくしたてた後こう言ったのだ。『私が神と しての職務を放棄して地上が滅亡の危機に晒されれば、ゼウスも折れて娘を帰すでしょう。目に物見せてやるわ!』と。それを聞いて私は驚いてな。娘を取り戻 したいのなら地上を滅亡の危機にさらさなくとも、冥府に行ってハーデス殿に直談判すれば良いだろう。道中が危険なら私が護衛について行く、どうせ乗り掛 かった船だし…とこう申し出たのだ」
「現実的な提案ね」
「しかしデメテル様は私の申し出を拒否された。『ゼウスを差し置いて私とハーデスの間でこの一件に決着をつけても根本的な解決にはなりません。女を軽んじたらどうなるか何が何でもゼウスに思い知らせてやらねば気が済ま ないわ!』と、こうおっしゃるのだ」

 双子神は無言のまま目を合わせた。
 デメテルの話がそれで全てか否かは分からないが、ゼウスに知られてまずい情報がヘカーテに漏れていなければ…仮に漏れていたとしても彼女がゼウスの味方で無いのなら計画に差し障りはない。問題はヘカーテがデメテルとゼウスどちらの味方なのか、あるいは中立なのか…だ。
 彼女の立ち位置次第で自分達の立ち回りも変わってくるのだが…。
 どうやって探りを入れようかと考えていると、ヘカーテ自身があっさりと答えを口にした。

「その決意表明を聞いて、私は思わず『応援します、頑張って!!』と言ってしまったんだ。言っては悪いがお前達の父上は女をナメすぎだからな」
 「あははっ」
 「いいんじゃないですか?私でもきっと同じ事言うもの」
 「…あ、夜のご兄弟。念のため言っておくが、今の発言はここだけの話ということでお願いしたいのだが…」
 「心得ております」
 
 女神達がデメテルの味方と分かっただけで十分な収穫と言えよう。
 タナトスは淡い笑みを唇に浮かべ、ヒュプノスはあくまでも真面目な顔のままで頷いた、その時。
 客間に残してきたオネイロス達が中庭に入ってくるのが見えた。
 オネイロス達は女神がひとり増えている事に少しだけ怪訝そうな顔をしつつ、控え目に膝を付いた。
 
「お話し中失礼致します。お願いしておいた品の準備が出来たそうです」
「意外に時間がかかったのだな」
「やはり地上の荒廃の影響を少なからず受けているとかで」
「そうか。まあ無理もないな」
 
 オリンポス神殿はあまり長居をしたい場所ではなかったし、暇するちょうど良い口実が出来たと双子神はカップをソーサーに戻した。
 それが『この辺で失礼する』という冥界の神々の意思表示だと正しく察したらしい女神達は少しだけ名残惜しそうな顔になった。

「もうお帰りですか?もう少しベルセフォネーの事を伺いたかったのですが…」
「慌しくて申し訳ありません。デメテル様の手紙もお預かりしておりますし、ベルセフォネー様が我々の帰還をお待ちですし、あまり姫君をお待たせする訳にもいきませんので」
「そっか、残念…。あ、じゃあ次にオリンポスにいらした時はお声をかけてくれませんか。ベルセフォネーに手紙を書いたり、お土産を用意したりしておきますから」
「畏まりました。ベルセフォネー様にもお伝えしておきます」
「きっとお喜びになられましょう」

 アテナの申し出を双子神がにこやかに承諾すると、アルテミスが遠慮がちに口を開いた。

「あのぅ…こんなことお尋ねするのも失礼かなとは思うんですけど。地上の荒廃に影響を受けて準備に時間がかかった品って何なんですか?」
「ああ、地上の食べ物ですよ。ベルセフォネー様に冥界の食べ物をお出しするわけにはいきませんので」
「??どうして冥界の食べ物は出せないんですか?ベルセフォネーの口に全然合わなかったんですか?」
「姫様方は掟を御存知ないのですか?」
「ベルセフォネー様も御存知なかった故、若い方々は古き掟など御存知ないのやも知れぬな」
「掟?」
「あなた方の言う掟とはあれか?『一度でも冥府の食物を口にした者は以後冥府の住人とならねばならない』という、大いなる神々の掟…」

 流石はゼウスに重用される女神と言う事か、ヘカーテは冥界に関わる掟を知っていたらしい。
 双子神は浅く頷いて、初めて知る厳しい掟に目を丸くする処女神達に目をやった。

「ベルセフォネー様が冥府の食物を口にされてしまったら、デメテル様が何をなさっても、地上が滅亡しても、姫君は母君の元に帰る事はできなくなってしまう」
「姫君の御食事を用意するために地上の食物を分けてもらっているのですが…デメテル様の猛抗議の影響はオリンポスにまで及び始めているようですね」
「そんな厳しい掟があるなんて知らなかったわ」
「冥界の食物を食べたら冥界から帰れないなんて…。………」

 アテナとアルテミスはふと何かに思い当たった様子で双子神に何かを尋ねようと口を開きかけ、ハッとした様子で口を噤み、しかし一度気になったら聞きたくてたまらない…と言いたげな複雑な顔で互いに相手を見遣った。
 彼女達の聞きたい事を察したヘカーテはケロリとした顔で尋ねた。

「不躾な事をお尋ねするが、これは単なる好奇心からの質問であって他意はない。お気を悪くせず聞いて貰えるかな?」
「何でしょう」
「ベルセフォネーに冥界の食物で作った食事を食べさせれば、流石のデメテル様も娘を取り返す事を諦めざるを得ないだろう。掟を利用すればハーデス殿の結婚 はすんなりと成立するのに、何故あなた方は律儀に地上の食べ物を冥界に運んでいるんだ?まるでベルセフォネーを母君に帰す前提で行動しているように思えるが」
「………」

 タナトスとヒュプノスは一度目を合わせ、しばし沈黙し、タナトスは銀色の睫毛を伏せてポツリと呟いた。

「ベルセフォネー様やデメテル様の心を切り捨て、騙し打ちのような手段で成立させた結婚で、一体誰が幸せになれましょうか」
「……!」
「では、失礼します。皆様にお会いできて光栄でした」

 社交的な淡い笑みを浮かべて一礼して踵を返した冥界の神々を、女神達は沈黙で見送った。


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星矢部屋
総合目次
SS・2012時代
SS・神話時代
SS・蟹座達


 漸くアテナ・アルテミスの登場となりました。彼女達の初登場時のエピソードはかなり早くからイメージが固まっていたので迷わずに筆を進める事が出来ました。そしてこっそり夢の四神も登場です。彼らも今後のエピソードにちょっとだけ出てくる予定。 当初の予定では、この時点で双子神と話すのはアテナとアルテミスだけで、ヘカーテとの対面は別のエピソードにする予定でした。ヘカーテとの対面もアテナ達 と一緒の方が自然だし話も作りやすい、と思って彼女の登場となったのですが、2話分のエピソードを入れたせいで長い長い。双子神を見送った女神達がちょっ と話をして次のエピソードに行く予定だったのですが、ヘカーテが登場したせいもあって二分割する事に。
 この話で、双子神がゼウスとどんな話をしたのか、話は終わったのにオリンポスに留まっていた(客間で待っていた)理由も説明したり。以後、双子神はアテナやアルテミスがベルセフォネーに宛てた手紙も預かって冥界とオリンポスを行き来することになります。
 この話の最後にタナトスが女神達に言った、『騙し打ちのような手段で成立させた結婚で、一体誰が幸せになれましょうか』というセリフは、私がこのシリーズで一番書きたかったセリフです。
 作中で説明できなかったのですが、ベルセフォネーが攫われた時、デメテルは別の場所で仕事中でした。娘の悲鳴に驚いて飛んで帰って来たデメテルは、事の 一部始終を見ていたヘカーテから話を聞いてオリンポスに乗り込んだ訳です。多分、ヘカーテは心配半分好奇心半分でついて行って、ゼウスのアレな対応も見て いたんだと思います。
 原典のギリシア神話でも、娘を探すデメテルはヘカーテを訪ねています。神話のヘカーテはベルセフォネーの悲鳴を聞いただけで具体的な事は見ていな かったのですが、デメテルを心配して一緒にベルセフォネーを探してくれたそうです(良い人や)。ちなみにハーデスがベルセフォネーを誘拐したのを見た、と デメテルに教えたのは太陽の神ヘリオスだったそうです。ヘリオスは誘拐の一件をデメテルに教えた際、『ハーデス様は貴女の娘の夫として最高のお方ですよ』と 言って、デメテルの怒りをさらにあおってしまったとか…。そして、ストを起こす!と宣言したデメテルをヘカーテは制止しようとして振りきられたんだそうです。この 辺のエピソードをヘカーテ一人に纏めようかと思ったのですが、色々と話の方向転換があったので没となりました。
 それと、女神が三神出てくるので、『午睡』シリーズの時と同じようにそれぞれの口調に特徴が出るよう頑張りました。一番丁寧で女の子っぽい話し方がアテ ナ。ややボーイッシュで砕けた口調がアルテミス。姐御入ってるのがヘカーテ。アルテミスはお転婆、というイメージが強いので、口調も多少お転婆な感じに。 アテナもお転婆なイメージがあるのですが、アルテミスと差別化するために沙織さんよりサーシャをイメージして書いています。