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天界…大神ゼウスの住まうオリンポス神殿。 双子神と夢の四神は大神ゼウスに謁見するために彼の部屋に向かっていた。 デメテル懐柔が全くうまくいかない事、地上の荒廃で人間のゼウスに対する信仰心が薄れつつある事、更に他の神々からの風当たりも強くなっているらしく、ゼウスの『困った発言』は真実味を帯びて来ていた。 彼が白旗を上げる日も近いかもしれない。 そんな事を思いながら冥界の神々がゼウスの部屋の近くまで来た時、不意に周囲の気温が下がった。 涼しいとか肌寒いとかそんな生易しいものではない。コキュートスよりも寒いのではないかと思うほどの異常な冷気に双子神の睫毛に氷の粒がついた。 イケロスとパンタソスは両手で自分の体を抱いてぶるっと震えた。 「何だこの寒さ?」 「うわっ、寒っ!」 「何かあったのでしょうか?」 「何かあったのは間違いないだろうが…」 「冷気の源は大神の部屋のようだぞ」 突然の異常事態に驚いて冥界の神々が発した言葉が白い息になった。 何があったか確認しなければと思ったその時。 バン!ガン! 凍りついた部屋の扉が内側から叩かれているように揺れて、誰か閉じ込められているのかと神々が扉に駆け寄ろうとした次の瞬間。 バァン!!ガラガラガシャーン!! ひときわ大きな音と主に扉が乱暴に開けられて、扉を覆っていた厚い氷が割れて床に落ち砕け散り、派手な音が廊下に響いた。 「………」 「ん?これはこれは、夜のご兄弟ではないか」 凍りついた扉を乱暴に開けて出て来たのは月と氷の女神ヘカーテ。 両手を腰に当てつつ踵の高い華奢なサンダルを履いた片足で立ち、もう片方の足はハイキック直後の位置で固定したままにっこり笑うと言う別の意味で凄い芸当をして見せた。 相も変わらず目のやり場に困る格好で、しかも美しいラインを描く脚を惜しげもなく全部晒しているのでますますもってどこを見れば良いのか分からない。 どこを見れば良いのかは分からないが、状況から見てこの冷気の原因はゼウスの部屋の中にいたヘカーテで、彼女が自身の力で凍らせた扉を蹴り開けて出て来た事は冥界の神々全員が分かった。 さて、どこからどう話をしたものか。 双子神と夢の四神が微妙な視線を交わした時、異常な冷気と物音に気付いたらしいニンフ達がざわめき集まってくる気配がした。 ヘカーテは蹴り開けた扉に隠れるようにして廊下の先の様子を伺った。 「ん、野次馬が集まり始めたか」 「そのようですね」 「………。夜のご兄弟」 「はい?」 ヘカーテは何かとても楽しい悪戯を思いついたと言う顔で、紅い唇をうっそりと微笑ませて目眩がするほど蠱惑的な笑みを浮かべた。 「今から一芝居打つから、適当に調子を合わせてくれ」 「は?」 「一芝居?」 「頼んだぞ」 双子神の返事も待たずにヘカーテはサッと扉を閉めた。 彼女の言葉の意味を掴みかねた冥界の神々が怪訝そうな顔を見合わせた途端。 「キャーーーーーーー!!!」 「!!??」 ゼウスの部屋から耳をつんざくようなヘカーテの悲鳴が聞こえ、『一芝居打つ』と聞いていたにも関わらず冥界の神々は演技抜きで驚き、異常事態の様子を見に来たらしい野次馬のニンフ達も何事かと騒ぎ出し、ひとを呼ぼうとその場を離れる者もいた。 直後、ヘカーテが勢いよくドアを開けて廊下に飛び出してきた。 「あっ、夜のご兄弟、ちょうどいいところに!お願いです、助けて下さい!!」 野次馬に聞かせようとしているとしか思えない大声を出して、ヘカーテはタナトスに駆け寄るなり勢いよく抱きついた。 いや、それは抱きつくと言うよりむしろ体当たりやタックルに近い勢いで、完全に不意をつかれたタナトスは思わず後ろに数歩よろけてモルペウスに支えられる羽目になった。 自分達が何もしなくてもヘカーテからぶつかってくる気がする、とは思ったが、本当に文字通りの意味でぶつかってくるとは…。 思わず遠い目でそんな事を考えていると、ヘカーテに軽く胸元を叩かれた。 「え…何か?」 「何か?じゃないだろう。女の私に抱きつかれたくらいでよろけるなんてそれでも男か!」 「あ…失礼しました、この展開は全く予想していなかったもので」 「…これでもダイエットはしてるんだが…そんなに重たかったか?…」 何だかへこんだ顔で呟くヘカーテに多少申し訳ない気持ちになったタナトスは、形ばかり彼女を抱き留めてそっと囁いた。 「それで、我々は何をすれば?」 「さっき言っただろう、私の芝居に適当に合わせてくれれば良い」 「はぁ…適当に、ですか」 さりげなく難しい事を要求して来たな。 諸々の状況から、部屋の中で何があってこの展開になったのかは薄々察しがつくが、野次馬が集まってきたので下手に会話は出来ないな…。 冥界の神々が無言のまま視線を交わして意思の確認をしていると、ニンフ達が呼んで来たらしいオリンポスの神々が姿を見せた。 興味と不安が半々の顔をしているのはアテナとアルテミス、面白そうな顔をしているのはアレス、そして全く余裕の無い顔をしているのはゼウスの正妻ヘラだ。 …恐らく演技の一環なのだろう、タナトスの肩に顔をうずめていたヘカーテが、ヘラに気付いて微かににやりと笑うのが見えた。 半ば小走りに近づいてきたヘラは前置きも無しに尋ねた。 「一体何があったのです!?」 「ああ…ヘラ様…。あの、………」 「………。我々が大神にお会いしようとここまで来た時、部屋の中から女性の悲鳴が聞こえまして。何事かと思った直後にヘカーテ様が助けを求めて部屋から飛び出して来られたのです」 ヘカーテがわざとらしく目を伏せて言葉を切ったので、タナトスが(一部を省略して)事実を伝えると、オリンポスの神からは見えない角度でヘカーテがOKサインを出すのが見えた。 アドリブの台詞だったがこれで良かったらしい。 タナトスの言葉に処女神達と軍神は半信半疑な顔になり、ヘラは美しい顔を怒りに引き攣らせた。 「助け、ですって?…と言う事は、ウチのロクデナシが貴女に何かしたのね!?」 「それは…。その…。………」 「いいのよ、ありのままおっしゃって頂戴。誰も貴女の話を疑ったりしないから」 ヘラの言葉に、ヘカーテは長い睫毛を伏せて自分の体を抱くようにしながら小さな声で言った。 「…此度のデメテル様の一件に関してお話を伺っていたのですけど…大神が、いきなり私を長椅子に押し倒して…」 「んなっ!!」 「私、怖くて、驚いて、ただもう無我夢中で抵抗して…」 嘘だ。 ゼウスに押し倒されたと言う前半部分はともかく、『怖くて』抵抗したという後半部分は絶っっ対に嘘だ。 …と、ヘカーテのキャラを知る神々は思ったが、ヘラはヘカーテの話の全てを信じたらしい。 眉を吊り上げ、持っていた豪華な羽飾りのついた扇をへし折るほどの勢いで握り締め、ギリギリと歯ぎしりして異様な冷気が流れだすゼウスの部屋を睨みつけた。 「な、な、な…。あの馬鹿ときたら、この大変な時に何て恥知らずな真似を!…ヘカーテ様」 「はい…?」 「もう二度とこんなふざけた真似が出来ないように私があの男をきつく諭しておくから、お気を強く持って。ね?」 「…はい…」 ヘラの言葉に、ヘカーテは俯いて顔を両手で覆って身体を震わせていた。 そんな氷女神の肩を優しく抱いてから、ヘラは鬼の形相でずかずかと凍りついた部屋に入って行った。 直後、氷を叩き割る音とヘラが夫を責め立てる金切り声が聞こえてきた。 廊下に残された神々の微妙な沈黙を最初に破ったのはアレスだった。 「姐さんよ、観客は行っちまったし茶番劇は終わっていいぜ。アンタが顔隠してんのもプルプルしてんのも笑ってるからだって事はここにいる全員が分かってんだからよ」 「ん、馬鹿のお前にもバレていたか?迫真の演技のつもりだったんだがな」 笑いを堪える余り涙目になっていたヘカーテが浮かんだ涙をぬぐいながら尋ねると、アレスはますます呆れた顔になった。 「馬鹿は余計だっつーの。…大体な、アンタが襲われかけて悲鳴あげるような可愛いタマじゃねーって事、知らないのはオフクロくらいだぜ」 「夜のご兄弟も知らないかもしれないぞ」 「知らなかったら演技と分かった時点でちったぁ驚くだろ。少なくともジト目でアンタを見たりしねーよ」 「………」 「我々はヘカーテ様が一芝居打つ事を予め聞いていたのでな」 アレスの毒舌にむくれて唇を尖らせたヘカーテを見てタナトスは毒にも薬にもならないフォローをした。 それで…とアテナが首を傾げた。 「本当は何があったの?お父様がヘカーテに何かしたって部分まで嘘だとは思えないけど」 「そうね。父上が何もしてないならヘカーテだって何もしないでしょ」 「ゼウスの物言いがどうにも奥歯に物が挟まったようではっきりしなくてな。色仕掛けで聞き出そうとしたら、口を割るどころか馴れ馴れしく腰に手を回して口説いて来たから、腹が立って氷漬けにしてやったんだ。勢い余って部屋まで凍らせてしまったがな」 ヘカーテは悪びれた様子も見せずあっけらかんと言ったが、彼女に苦言を呈する者は誰もいなかった。…ヘカーテを心配する者もいなかったが。 誰も自分を心配してくれない事が不満らしいヘカーテが唇を尖らせた。 「皆、納得するのは良いが少しは私を心配したらどうなんだ!」 「アンタの何をだよ」 「父上に何かされた訳じゃないのに?」 「えっと…寒いからそんな薄着でいて風邪をひかないようにね、とか?」 「お前達な…。…ちょっと、タナトス殿、ヒュプノス殿」 「はい?」 「こう言う時はどんな言葉をかけるべきか、お手本になる名言をこの若造達に伝授してやってくれ。大人として!」 「手本…ですか?」 双子神は顔を見合わせ、ヘカーテの何を心配すべきかわざとらしく悩み、大袈裟にポンと手を打った。 「ああそうだ。足は大丈夫ですか?痛くないですか?」 「足?」 「あの凍りついた扉をそんな踵の高いサンダルで蹴り開けたのです、挫いていませんか?痛みは後から来ますよ」 「………」 「蹴り開けたのかよ。扉の氷を溶かすんじゃなくて蹴り開けたのかよ」 「ああなるほど!蹴り開けた時にちょうど夜のご兄弟が近くにいたからお芝居する事にしたのか。扉を蹴り開けた現場を見られてたんじゃ、お父様に襲われたか弱い女の子の振りは出来ないもんね」 「まぁ良かったじゃないの、タナトスさんとヒュプノスさんに心配してもらえて。せっかくだから足を挫いたったってことにして肩でも借りたら?」 双子神のフォローはご希望に沿うものではなかったらしく、更にそれを処女神達にネタにされてヘカーテはますます拗ねたように頬を膨らませて見せた。 「結構だ!そもそも私は抱きついた時にタナトス殿をよろけさせるほど重いらしいからな、肩を借りて転ばれでもしたら流石の私もショックで立ち直れなくなる!」 「タナトスをよろけさせるって…アンタ、どんな勢いで体当たりしたんだよ…」 「いや、あれは、予想外の展開で咄嗟に対処が出来なかったからで、ヘカーテ様が重かった訳では…」 「そう言えばヘカーテ、ダイエット中とか言ってたっけ」 「言ってたわね、お菓子食べながら」 「………」 タナトスのフォローを台無しにするようなアテナとアルテミスの突っ込みにヘカーテがきまり悪そうな顔でモニョると、意外にもアレスが真顔で彼女をフォローした。 「姐さんはダイエットする必要ねーだろ」 「あら。アレスがそんなフォローするなんて意外」 「大体な、アンタがダイエットしたってそのご立派なおっぱいがしぼむだけなんだから、そんな勿体ない事…」 ドゴッ!! 台詞の途中でアテナとアルテミスが同時にアレスの頭を殴り倒した。 「ってーな!何するんだよ!」 「それはこっちのセリフよ!何をいきなり馬鹿なこと言い出すのよ!」 「どこが馬鹿だよ!女がダイエットしたら脂肪の詰まってる所からしぼむのがお約束だろ!?自分が貧乳だからって姐さんの巨乳まで道連れにすんなよな…」 バキッ!! アテナ渾身の右ストレートがアレスの顔面ど真ん中に見事に決まり、軍神の名を持つ男は目を回して床に倒れた。 仮にも兄である神を殴り倒した戦女神はにっこりと笑って見せた。 「ごめんね、ヘカーテ。アレスが変なこと言って。気が済むまで踏んでいいわよ」 「ん、じゃあお言葉に甘えて」 「じゃあついでに私も」 ヘカーテとアルテミスに踏まれてもまだ絶賛気絶中の軍神に憐みのこもった一瞥を投げて、タナトスは一連の出来事など見ていなかったような顔で傍らのヒュプノスを見遣った。 「…ではヒュプノスよ。そろそろ大神に謁見しに行くとするか」 「ああ、そうだな。ヘラ様のお話が終わるのを待っていたら日が暮れてしまいそうだ」 「おや、ゼウスに会いに行くのか。ならば私も行くとしよう、皆様が一緒なら面白い話が聞けそうだしな」 ウキウキと先頭に立ったヘカーテの腕を、アテナが慌てて捕まえた。 「ちょっとヘカーテ。貴女はさっき、お父様に襲われかけたって設定でしょ?行くなとは言わないけど、せめてみんなの後ろに隠れてなくちゃ変よ」 「ああ、そうだったそうだった。…さ、行こうか」 そう言って、ヘカーテはタナトスとヒュプノスの間に割り込んで両手でふたりの腕を掴んで、にっこりと笑った。 |
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このエピソードは、例によって最初の予定には無く、話を作っている途中でアイデアが湧いて出来た1本です。ぶっちゃけ、ハーデスとベルセフォネーの結婚と
言う本筋に関係があるかと言ったらあんまりないんですけどね!(笑)要らん漫才の部分を削れば12、13話は纏めて1話に出来そうな気がしなくもないんで
すが、「冥妃」シリーズのメインテーマは『ハーデスとベルセフォネーの結婚』なんですが、サブは『ヘカーテ→双子神』なので。当サイトのSSを読んで下さ
る方に、「ああ、こう言う経緯があってヘカーテは双子神に好意を持って冥界に降りて来たんだ」と思って頂けるように頑張ります。 例によって例のごとく書きたいネタを詰め込んだら話が長くなったので、また二分割する羽目に…。以前タナトスが予感した『ヘカーテからぶつかってく る』発言はここで消化です。ちなみに、前回の最後〜今回の冒頭の間で、双子神と夢の四神は何度か冥界とオリンポスを行き来しています。初対面の時よ りもヘカーテと仲良くなっている…というか距離が縮んだイメージで話を作りました。 アレスを絡めた神々の漫才は楽しかったです。ヘカーテがタナトスに抱きついた(体当たりした)ネタで何か漫才をやりたいと思って書いては消し書いては消し。ちなみにアレスのモデルは、サイキックフォースのブラド(裏人格)です。 んで、いつかは出したいと思っていた正妃ヘラもここで出せて満足です。あとはアポロンとヘルメスを出したい! |