| 赤く染まった地面に転がる人間達、正に死屍累々の光景にタナトスはわざとらしく溜息をついて傍らの軍神を見遣った。 「随分と派手にやらかしたものだな」 「おうよ。これは遊びじゃねーんだ、軍神アレス様主催の実践訓練だぜ。本気でやらないとな!」 「訓練で兵士を死なせていては肝心な時に困るのではないか?」 「どこぞの優等生みたいなド正論で突っ込むなよ。洒落と冗談が分かる頭のヤワさがお前のいいところなんだからよー」 焦げ茶の髪から返り血の雫をポタポタ垂らし、肌も鎧も真っ赤に染めて軍神アレスは無邪気な子供のように笑った。 …戦死の理由が本物の戦争だろうが、軍神のお遊びだろうが、人間が死者となれば魂を冥府に連れて行くのがタナトスの仕事だ。仕事をこなす過程で否応なくアレスに関わるうちに、ふたりの間には奇妙な友情のようなものが生まれていた。 軍神の名を持ちながら戦の才覚も戦闘力もぱっとせず、妹である戦女神アテナと何かにつけ比較されては『うつけ者』『馬鹿息子』と言われ、優等生の妹に 劣等感や対抗心を持つことすら最早諦めて、開き直ったように積極的に愚か者を演じては戦ごっこでストレスを発散している事をタナトスは薄々気付いていた。 皆が言うほどアレスは馬鹿ではないし、本気で真剣に行動を起こせばそれなりの結果は出せるだろうに。…いや、『それなりの』結果では周囲を納得させる事が出来ないから努力すら放棄してしまったのかもしれないが…。 口には出さねどタナトスがそんな事を考えていると、アレスはあっけらかんと言葉を続けた。 「それにな、地上じゃ人間がどんどん増えてんだよ。ガイア曾祖母様の負担を減らすためにも、こーやって頭数を減らした方がいいのさ」 「俺は別に、説明や言い訳を求めていた訳ではないぞ。ついでにお前の戦ごっこを批判する気も無い。…もろ手を挙げて賛成する気もないがな」 「マジでお前はいい奴だなー、タナトス。説明を求める癖に結局最後はうるさく文句言うアテナや親父とは大違いだぜ。ったくムカツクよな、どっちにしても文 句言うなら最初っから説明なんてさせんなっつーの。じゃ、俺は先に戻って着替えてっから、仕事終わったら茶ぁしばきにこいよ!」 言うだけ行ってアレスは鼻歌を歌いながら神殿に帰っていった。傷つき、血を流してうめき声を上げる人間達を道端の石ころのように足で無造作にどけながら。 …タナトスはひとつ溜息をついて軍神の戯れの後始末を始めた。 アレスの『戦争ごっこ』に狩りだされて不運にも命を落とす羽目になった人間達の間を回り、タナトスが彼らの髪を切って死を与えていると。 モコモコッ。 足元の地面が盛り上がってモグラが顔を出した。 地上がドタバタと騒がしいから何事かと様子を見に来たのだろうか。戦ごっこが終わってから来たのでは無駄足だったが…まぁ、踏み潰されずに済んだから結果的に幸運だったと言えるか。 タナトスがそんな事を思った時、モグラが不意に喋った。 「タナトス殿」 「!?」 「そう驚かれるな。儂じゃ、ゼウスじゃ」 「……大神?どうなさったのです、そのようなお姿で」 「ちょっとな、そなたに内密に頼みたい仕事があるのじゃ。話はすぐに終わる故、冥府に帰る前に儂の部屋に寄ってくれるか」 「………。畏まりました」 ゼウスが内密に仕事の依頼?オリンポスの神殿内でわざわざモグラに姿を変えてまで?しかも冥王ハーデスではなく死神の俺に?? 何もかも不思議でならなかったが、大神の依頼なら受けない訳には行くまい。アレスから解放されたら話を聞きに行くか、とタナトスは思った。 顔を出す程度にアレスの茶会に付き合ってからタナトスはゼウスの部屋を訪ねた。 ゼウスは畏まらずとも良いぞと声をかけてタナトスに椅子を勧めた。 大神自ら内密に呼び出して依頼したい仕事とは一体どのような要件か…と怪訝そうな顔をする死神に、ゼウスは厳かな顔で言った。 「そなたに頼みたい仕事だが…人間をひとり、通常の死者に紛れ込ませて冥府に連れて行って欲しいのじゃ」 「…と、おっしゃいますと…その人間とやらはまだ寿命を迎えていないのですか?」 「さよう。そなたの妹君が与えた寿命はまだ数十年残っておる」 「………」 「その人間の名はシジフォス。テッサリアの先の国王アイオロスの息子で、現在はコリントス国の王なのだが…この男、私利私欲の為なら神や血縁を蔑ろにすることも厭わぬ愚か者なのだ」 シジフォスは己の領地に枯れない泉を湧かせるためにアーソーポスやゼウスを利用した。更に祖国テッサリアを兄弟が継いだ事を逆恨みし、恨みを晴らすには どうすべきかデルポイの信託所に伺いを立て、そこで得られたお告げに従って愛してもいない姪のテューローを誘惑して子を生ませた。しかしその後、テュー ローは自分はシジフォスの逆恨みを晴らす『道具』を生む為に利用されたのだと知り、生まれたわが子を己の手で殺したのだ…と、ゼウスは事情を話した。 妙に言い訳がましいゼウスの説明を不思議に感じつつも、タナトスは疑問を口にした。 「そのような罪深い人間なら、他の人間への戒めも兼ねて大神自ら裁きをお与えになればよろしいのでは?」 「それが、その…少しばかり訳があってな。シジフォスは『通常の死者』と同じ扱いにしてさりげなーく冥界に送り込みたいのじゃ。それができるのは冥王であ る兄上とそなただけじゃが、生真面目な兄上に頼んでも『寿命が残っている人間は悪人であっても運命を捻じ曲げてはならぬ』と拒絶するであろう。故にそなた しか頼める相手がおらぬのだ。…そういう訳でタナトス殿、ここはひとつ余り突っ込まずに依頼を受けてくれぬか?」 「………」 タナトスは銀色の睫毛を一度瞬いた。 ゼウスが『シジフォスが神を蔑ろにした』具体的な内容に触れなかったところから察するに、正妃ヘラに知られたくない事情で女性が絡んでいるのだろうと想像がつく。 正直あまり気は進まなかったが、冥王の臣下に過ぎない自分が大神直々の依頼を断るのは問題だ。ハーデスには折を見て事後報告すれば特に問題は無いだろうし、大神に恩を売っておいて損になる事もないだろう。 そう考えたタナトスは浅く首肯した。 「畏まりました。あなたは大神であり同時に我が主ハーデス様の弟君であるお方。依頼とあらばお受けしましょう。詮索するなと仰せならそのお言葉に従いましょう」 「おお、引き受けてくれるか。恩に着るぞ」 「有難いお言葉、痛み入ります。…では、仕事の途中でしたので俺はこれで」 パッと笑顔を見せたゼウスに一礼してタナトスは大神の部屋を辞した。 オリンポス神殿を出たタナトスは、さてどうするか…と思案した。 たかが人間ひとり、冥府への帰り道のついでに魂を刈り取って行ってもいいだろうかと思ったが、コリントスは冥府を挟んでオリンポスの反対側に位置する国 だ。シジフォス王ひとりを迎えるためだけにわざわざ冥府を素通りするのも無駄な気がする。それに、国王となれば英雄レベルの傭兵を護衛に置いていても不思 議ではない…。 そう思った途端、ヘラクレスにしてやられた苦い記憶が蘇ってタナトスは顔をしかめた。 万が一という事もあるし、一度冥府に帰還して、ヘパイストス製の手枷を持って出直した方が良いだろう。 …彼らしくもない慎重な判断が裏目に出る事を、タナトスはこの時点で予想すらしていなかった。 冥府に帰還したタナトスは連れて来た死者の名簿とその証拠品である髪の一房をハーデスに渡して自身の神殿に足を向けた。 神殿を掃除していた『弟子』のオルフェウスがタナトスの姿を認めてパッと顔を輝かせた。 「タナトス様、おかえりなさいませ!お仕事お疲れ様でございました!」 「ん?ああ…」 「お茶をご用意しましょうか?それともおやすみになりますか?」 「いや、それには及ばん。必要な物を取りに戻っただけだ、今からまた地上に仕事をしに行く」 「え…お帰りになったばかりなのに、ですか?」 オルフェウスの残念そうな顔を見て、タナトスは柔らかく口元を綻ばせた。 「大神ゼウスから直々に仕事を頼まれたのでな、後回しにするわけにはいかないだろう」 「ゼウス様から直々に仕事の依頼ですか!大神に頼りにされるなんて、流石はタナトス様ですね!」 「別に頼りにされた訳ではない気がするが…。ああ、それからこれは内密の依頼ゆえ、俺が大神から仕事を頼まれた事は黙っているのだぞ。エウリュディケにも言ってはならぬ。良いな?」 「承知しました!お気をつけて行ってらっしゃいませ!」 秘密の話を打ち明けられた事が余程嬉しかったのだろう。愚直なオルフェウスはきらきらと目を輝かせて頷いた。 そんな可愛らしい反応に銀色の眼を眇めて、タナトスは彼の頭にポンと手を置いた。 |
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| 「冥妃」に続き、ギリシア神話にエピソードがあるネタを元にしたシリーズです。…と言っても、私はきちんと神話の本でこの話を読んだ事がなく、ネットで拾った情報のツギハギなので、例によって原典との矛盾?ナニソレ美味しいの?状態で突っ走ります。 サブタイはアンケを設置していた時も語尾に(仮)をつけておくほど最後まで悩みました。サブタイは漢字二文字で、言葉の響きがカッコいい物を…と思って いたのですが、テーマに沿ってタイトル向きな漢字二文字がなかなか見つからず。「受難」とか「拘束」じゃタイトル向きじゃないですからねぇ(==;)結 局、シジフォスは「狡賢い+国王」ということで「知将」としました。「冥妃」が10話以上もかかってしまったので、今回はさっくりと4話か5話で纏めたいとこ ろです。 んで、いざ話を書き始めてみると感じた疑問…「何でゼウスはシジフォスの始末をタナトスに頼んだん?」。アスクレピオスを殺した時みたいに神の雷ドカー ンでOKなはずなのに、何でまたタナトスに頼んだのか。色々考えて、「自分の浮気がヘラにばれるのが嫌で、こっそり片をつけたかったのかな」って解釈で行 きました。 さて。このエピソードの最後でタナトスが話したのはオルフェウスですが、当初はヒュプノスの予定でした。ですが、冥府に一時帰還したタナトスがヒュプノ スとさりげなく会う状況が想像できなかったので(ヒュプノスは仕事の詳細を突っ込みそうですし)時系列的な事も考えてオルフェウスに出て来て貰いました。 便利だな、コイツ(笑)。 |