| 轟音と共に城門の前に降り立った馬車から出て来た軍神の姿に、門番の兵士達は目を丸くした。 血生臭い戦が大好きなことで知られる軍神アレスの訪問を受けたという事は、この国が戦の標的になったのかと慌てたが。 アレスは子供のように爽やかな笑顔を浮かべて片手を上げて彼らを制した。 「俺は喧嘩売りに来たわけじゃねーよ。ちょいとダチを探してるんだ」 「お友達、ですか?」 「ああ。死の神タナトスっつーイイ男なんだけど、何か心当たりねーか?」 タナトスの名を聞いた途端、兵士達の顔色が変わった。 やはり死神はここで何かしらのトラブルに巻き込まれたらしい…確信を持ったアレスは腰に携えた剣をわざとらしく抜きながら笑顔で尋ねた。 「そいつ、俺の大事なダチなんだけど、この国を訪ねるって言い残して行方不明になっちまってさ。大神と冥王が顔突き合わせて大騒ぎしてんだよ。…という訳で、知ってる事があったら大人しく吐きやがれ」 「………」 バシュッ。 アレスは近くにいた兵士の喉笛を無造作に剣で切り裂いた。 次の瞬間、鮮血を吹き出しながら兵士が地面に倒れた。見る見る間に紅い液体が水たまりを造ってアレスの靴を汚した。 悲鳴を上げたくとも喉を切られて声を出せず、死ぬことも出来ず、涙と涎を垂らしてビクビクと痙攣する兵士の姿に他の兵士達が凍りついた。 アレスは血に濡れた剣をくるくる回してあくまでも笑顔を浮かべたまま言った。 「言い忘れてたけど、俺、気ィ短いからな?」 「あ、あ、あの、タナトス様でしたら、すすす数日前に確かにお見えになりました」 「国王を訪ねてききききたと、仰せでした」 「で?訪ねてきたタナトスが出て行くのを誰か見たか?」 兵士達が首を激しく横に振った。 その反応にアレスは鷹揚に頷いて兵士の一人に剣の切っ先を向けた。 「んじゃお前、俺を王のとこに案内しろや」 「はっ!?あ、は、はい、畏まりまままました」 指名された兵士は、滝のように汗をかきながらぎくしゃくと歩き始めた。 …軍神アレスの荒っぽい訪問の報告を受けたシジフォス王は流石に驚き慌てふためいた。 人間が死ななくなれば騒ぎにはなるだろうが、死を望む人間などいないのだし人間はみな大喜び、人間が喜べば神々とて忌まわしい死神が行方不明になった事など気にしないだろうと思っていた。 いくら悪知恵が働こうとも、所詮人間に過ぎないシジフォスは、神々も死の神を疎んじていると信じて疑わなかったのだ。 どうやって軍神を追い返したものか、それとも一旦ここは逃げるべきか…などと考えているうちに王の間の扉が乱暴に蹴り開けられた。 「邪魔するぜ、王様よ」 姿を見せた軍神は真新しい返り血で真っ赤に塗れていた。無造作に右手に提げた剣は鮮血でつやつやと輝いている。 アレスはずかずかとシジフォスの目の前まで歩み寄ると、真っ赤に濡れた剣を肩に担いでニヤリと笑った。 「あんたのとこの兵士、頭が固い奴ばっかだな。『許可がないと陛下にお目通りは出来ません』とか何とか小難しいこと言ってくれちゃって、その都度その場にいる奴殺さねーと動いてくれねーんだぜ。臨機応変って言葉を教えといた方がいいんじゃねーの?」 「あ、あ、有りがたきお言葉、痛み入ります…」 「まぁそれはいいんだよ。で、タナトスはどこにいるんだ?」 「………」 「さっさと吐いた方がいいぞ?治療も出来ないほどの八つ裂きにされても死ねないっつーのは相当苦しいみたいだからなァ」 「………!」 今すぐ死の神を開放しないと、すんなり死んだ方がマシという苦痛を味わう事になる。一瞬で察したシジフォスは震える声を押し出した。 「城の庭に設えた犬小屋に…」 ドガッ!! アレスは血に濡れた靴でシジフォスを蹴り飛ばし、ついでに剣の柄で頭を殴って気絶させると、部屋の入口でビクビクしている兵士を振り返った。 「この大馬鹿野郎を簀巻きにして牢屋に放り込んでおけ。オリンポスからの使いが来るまで絶対に出すんじゃねーぞ。俺様の命令に背いたらお前達もシジフォスと同罪だからな。分かったか!!」 軍神の言葉に兵士はただ平伏して頷くしかなかった。 ガチャリ、と音がして犬小屋の扉が開いた。 外が騒がしかったようだが何かあったのだろうか…と犬にパンをやりながらタナトスが怪訝に思った時、見覚えのある男が犬小屋に入ってきた。 「…アレス?何故お前がここに?」 「そりゃこっちの台詞だぜ、タナトス。とっつかまって犬小屋に押し込められたって聞いたから一体どんな大変な状況なのかと思ったら…家具付き飯付きワンコ付きかよ」 軽口を叩きながら近づいて来たアレスは、タナトスの両手に填められた手枷に気付いて首を傾げた。 「ん?それは確か、アフロディーテの旦那が造った特製の手錠じゃねーか?何でお前が填めてんだよ」 「………。少しばかり、人間相手に不覚を取ってな」 「そりゃまた災難だったな。で、どーやったら外せんだ、それ?お前をハメたあの人間が鍵を持ってんのか?」 「いや、鍵はハーデス様が管理されている。故に冥界に戻らねば外せない」 「…伯父貴なら、お前が行方不明になった事にブチ切れて優等生連れて親父んとこに怒鳴りこんできてるけど。鍵なんて持って来てるか?」 「持っていないだろうな…」 タナトスは何とも言えない顔で自身の両手に填まった手枷に視線を落とした。 手枷を外すには鍵がいる。しかしオリンポスにいるハーデスが鍵を持っているとは思えない。かと言って、タナトスの身を案じてオリンポスに出向いたハーデスを 差し置いて自分が冥界に戻って手枷を外すのも失礼だろう。そうなると、手枷をつけたままオリンポスに行き、ゼウスに事の次第を報告して、ハーデス達と一緒に冥界に戻って漸く解放さ れると言う事か…。アレスは『災難だったな』の一言で済ませてくれたが、オリンポスの神々が手枷で拘束された自分の姿を見たら何と言うか…。 暗澹と溜息をつくタナトスの姿にアレスはしばらく何か考えていたが。 やおらタナトスの手首を掴んで手枷をじろじろと観察し始めた。 「な…何だ?」 「この手枷だけどよ…別に鍵がなくても、蝶番とかネジとか外せば外れるんじゃね?」 「理屈ではそうだろうが、鍛冶の神ヘパイストスが造った手枷だぞ。人間やお前が簡単に分解できるとは…」 「いや、だからよ。ヘパイストス本人なら鍵がなくても外せんじゃねーの?」 「………」 「どーせダメもとだ、行くだけ行ってみようぜ」 「しかしシジフォスは…」 「あの馬鹿なら今頃は地下牢で簀巻きになってるだろーよ。きちんと見張るように兵士達にもよーく言っといたから逃げる心配もねーだろ。逃げたところでまたとっ捕まえればいいだけだし、今はお前の手枷を外すのが先だろ」 な!と言って二カッと笑うと、アレスは目を見開いて驚くタナトスを引っ張るようにして馬車に乗せ、ヘパイストスの鍛冶屋を目指して飛び立った。 ヘパイストスの自宅を兼ねた鍛冶場に到着したアレスは、遠慮の欠片も無く扉をガンガンと叩いた。 …返事は無い。 留守かァ?と呟いて扉に手をかけて開けてみようとした時、扉が開いてヘパイストスが顔を覗かせた。 鍛冶の神はアレスの顔を見るなり嫌悪に顔を歪めた。 「何の用だ、間男め。アフロディーテなら外出中だぞ」 「俺が用があるのはアンタの女房じゃねーよ、アンタだよ」 「お前の要件など聞く耳持たぬわ」 「アンタの元弟子のキュクロプスの兄貴が滅茶苦茶困ってるから手ェ貸してほしーんだよ」 「………」 門前払いの勢いで扉を閉めかけたヘパイストスが、アレスの後ろにいるタナトスに気付いて僅かに表情を変えた。 「タナトス殿?…その手枷は確か、冥王の命で私が造った物…何故あなたが?」 「クソ親父がタナトスに無茶な仕事を頼んで、そのとばっちり食らっちまったんだよ。色々と訳ありで、鍵で外すっつー正攻法は出来れば使いたくねーんだ。何とかならねーかな?あ、ついでに風呂も貸してくれねーか?」 「……入れ」 ヘパイストスは渋々と言った様子で扉を開けてふたりを中に入れた。 …部屋は鍛冶の作業場を兼ねているらしく、あちこちに高熱の炎が燃えて製作途中らしい武器や装飾品や家具などが並び、工具も仕事道具も所狭しと散らばっている。 アレスは作業場を見回して不思議そうな顔になった。 「酷い散らかりようだな。余計なお世話だろうけどよ、ちったぁ小奇麗にしたらどうなんだ?」 「どこぞの愚弟が大事な大事な弟子を訳の分らん逆恨みで殺してくれたおかげでな、そこまで手が回らんのだ」 「あー。俺もアレはねーだろうと思ったわ。息子のアスクレピオスが親父に殺されて悲しいのも親父に抗議が出来ないのも分かるけどよ、『雷霆なんて造ったお前達が悪いんだ!だから死んじゃえ!』って実行に移す奴がいるかっつーの。なぁタナトス」 「…そうだな」 タナトスは曖昧に頷いた。 アポロンの息子、天才医師アスクレピオスは死者を蘇らせた咎でゼウスに天罰を与えられて死んだ。その結果、怒りと悲しみで我を忘れたアポロンが無茶苦茶 な理屈でヘパイストスに弟子入りしていたキュクロプス達を殺してしまったのだが、事情はどうあれ彼らが冥界に戻ってきた事については冥界の神々は嬉しく 思っているのだ。 複雑な顔をしているタナトスのところにヘパイストスが工具箱を持ってやってくると、無言のままタナトスの手を引っ張って卓に乗せ、手枷を繋ぐ部品をひとつずつ外し始めた。 少しばかり時間がかかると踏んだのか、アレスは勝手知ったる様子で風呂場に向かった。 …死の神の両手を拘束していた手枷が二つとも外れた頃、タイミングを見計らったようにアレスが風呂から戻ってきた。わざとらしくアレスを無視したまま、ヘパイストスはバラバラになった手枷を袋に入れてぞんざいにタナトスに差し出した。 「この手枷を元通りに直す義理は私にはない。冥界のキュクロプス達に直してもらうが良い」 「恩に着る」 タナトスが微かな笑みと共に袋を受け取って片手を差し出したが、ヘパイストスはふいっとそっぽを向いてしまった。 宙に浮いた死神の手を、風呂から戻って来た軍神がグイッと引っ張ってしげしげと眺めた。 白い肌にはくっきりと、手枷の跡が赤い痣になって残っている。 「こりゃーすぐには消えねーな。ま、冥界に戻ったらあの色っぽい姐さんに舐めて貰えよ。案外すぐ治るかもしれないぞ?」 「………。何故そこでヘカーテ様が出てくる?」 「あん?だってあの姐さん、お前の女なんだろ?」 「はぁ?」 タナトスは思わず素っ頓狂な声を出し、工具を片づけ始めていたヘパイストスの背中がぴくっと動いた。 それには気付かず、タナトスは思わずアレスに詰め寄った。 「ちょっと待て。一体どこからそんなトンチキな話が出て来た?」 「どこからって…間にエリスは挟まってるけど、一応姐さん本人だぞ。タナトスとは一線を越えた仲だから、それを『私があいつの女になった』と定 義するならそういうことになるだろう、みたいなこと言ってたらしいけど。あーでも、酒飲んで酔っぱらった姐さんがぽろっと言ったとか言ってたっけ?じゃ あ何か、一線を越えた仲になったっつー話自体がガセなのか?」 「………。待て。ちょっと待て。話が飛躍しすぎてるぞ」 「否定しないって事は事実なんじゃねーか。何だよ畜生、羨ましいなこの野郎。いつもいつも手の届くとこにイイ女がいてやりたい時にやりたい放題かよ。あのご立派なおっぱいを堪能してんのかよ。あームカツク、マジムカつく。こんな恵まれた奴、助けてやるんじゃなかったぜ」 「待て待て待て待て!勝手に話を大きくするな!」 タナトスが真っ赤になって怒鳴ると、アレスが半ば涙目になりつつ怒鳴り返して来た。 「っ たく何だよ、何なんだよあの女!このアレス様が口説いてやったのに顔面キックで返事してきやがったくせに、何でオメーにはベッタリなんだよ!おかしいじゃ ねーか!俺だって一族の嫡男だし、顔だってイケてるし、洒落の分かるやわい思考回路だって―のに!俺とお前とどこが違うんだよ!!世の中間違ってるだ ろ!?」 「お前には既にアフロディーテがいるだろうが!ひとりキープした状態で口説けば普通の女は怒って当たり前だろう!」 「うっせ!アフロディーテは人妻なんだよ!正確には俺の女じゃねーの!だから俺はフリーも同然だろーがよ!!」 「そんな理屈が通用するか!あっちもこっちも手を出しては玉砕する暇があったら、アフロディーテをきちんとお前の妻にする努力をしたらどうなんだ!!」 「大きなお世話だっつーの!なんだよ、どーのこーの言ってお前も自分の女に手ェ出されるのが嫌なんじゃねーかよ!!」 「どうしてそうなるこの馬鹿…」 ドズッ!! ものすごい勢いで飛んで来た巨大な戦斧が、睨みあって口論するふたりの文字通り鼻先を掠めて、鈍い音と共に石の壁に突き刺さった。銀色の髪と焦げ茶の髪が数本ふわりと宙に舞った。 あと数センチ、右か左にずれていたらどちらかの鼻が落とされていただろう。 ヒートアップしていた二神は急に背筋に寒い物を感じて戦斧が飛んで来た方をそぉっと見た。 …妻のアフロディーテをアレスに取られ、アテナに言い寄って見事に振られ、神々の中でもっとも醜いと言われる容姿が理由で女神達からは見向きもされない鍛冶の神ヘパイストスが、凄まじい恨みのこもった眼でふたりを睨みつけていた。 「…出て行け」 手近にあった斧や槌を手が震えるほど強く握り締めて振りかざしながら、こめかみに青筋を立てて、恐ろしく低い声で彼は言った。 「黙っていても女が寄ってくる端正な容姿に生まれて、極上の女を我がものにして、まだ我儘や贅沢を言うか?この欲張りどもが。今すぐ出て行けば先ほどの品の無い発言は忘れてやる。出て行け。…今すぐここから出て行けぇぇぇぇ!!」 ヘパイストスの本気の怒りの籠もった絶叫に、軍神と死神は最後にもう一度礼を言うとそそくさと鍛冶場を出て行った。 |
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原典のギリシア神話の展開を相変わらず好き勝手に脚色しました、軍神アレスによるタナトス救出です。アレスとタナトスのコンビ、書いてて予想以上に楽し
かったです。アレスは口は悪いけど頭は切れるし(でも基本バカ)友達思い、という設定なので自然にタナトスの為にあれこれと動いてくれました。後半のタナ
トスとの漫才…じゃない、口喧嘩は完全に私の趣味です。書いててほんとに楽しかった。 そして細かい解説など。 鍛冶の神ヘパイストスはゼウスとヘラの間に生まれた神、つまりアレスの同腹の弟です(ヘラがひとりで産んだ説もあり)。しかし生まれた時の容姿が醜かっ たために母ヘラに拒絶され、地上に落とされたのだとか。その後、ヘパイストスは鍛冶の腕を磨き職人として名を上げ、ゼウス夫妻に息子として認められオリン ポス十二神の地位と妻アフロディーテを与えられました。が、結婚はアフロディーテの意思を無視してゼウスが勝手に決めたもので、当然のことながらアフロ ディーテは不満タラタラ。あっという間に夫の兄アレスと不倫関係になってしまったとか。SS内でヘパイストスがアレスに「間男」とか言ってるのはこのため です。更にヘパイストスはゼウスに意見したことで父を怒らせてしまって天界から地上に落されて足を大怪我、この時の傷は結局完治せず。更に弟子に貰った キュクロプス達はアポロンに殺されて冥界に行ってしまい、しかもキュクロプス達は「大好きな兄達とまた一緒に暮せる」と殺された事をむしろ喜んでいるので ヘパイストスは踏んだり蹴ったり。タナトスに対してそっけないのもその辺に事情があります。 アテナに振られた件については割愛しますが、ヘパイストスは全くモテない男なので、女性にモテている(と、彼は思っている)アレスやタナトスにはいい印 象を持っていません。美貌の女神ヘカーテにもちょっと憧れていたので、ただでさえ好意を持っていなかったタナトスがヘカーテを「ゲットした」的な話を聞い てブチ切れてしまったと、そんな感じです。 |