| 何とも複雑な仏頂面で戻って来たアレスとタナトスを見て、オリンポスと冥界の神々はほっと顔を綻ばせた。 ハーデスとヒュプノスはタナトスの姿を見るなり椅子から立ち上がって駆け寄った。 「タナトス!無事であったか!」 「御迷惑とご心配をおかけして申し訳ありませんでした、ハーデス様」 「タナトス…怪我はないか?」 「ああ、問題ない」 「タナトス殿、無事で何よりじゃ。アレス、お前も良くやった。見直したぞ」 「はいはい、お褒めにあずかりまして、どーも」 「…その様子だと、やっぱりシジフォス王がタナトスさんを騙して拘束でもしていたの?」 アテナの言葉にタナトスとアレスは複雑な顔を見合わせ、自分達の不機嫌の理由はそれではないのだが、そういう事にしておいた方がいいだろうと無言のまま意思疎通し、頷いた。 タナトスは手枷の跡が残った手首をちらりと見せて口を開いた。 「王ともなれば英雄クラスの者が身辺を警護しているかもしれぬと思ってヘパイストスの手枷を持って行ったのですが、それが裏目に出まして」 「ツイてなかったねぇ、兄貴。ま、それ以外は無事そうだから安心したけど」 「シジフォスを締め上げた時は『タナトス様を犬小屋に押し込んだ』なんて抜かしやがったからびっくりしたんだけどよ、俺の部屋より立派な犬小屋でそれなりの調度品と美味そうな飯出されてワンコと遊んでたんだぜ、コイツ」 「別に遊んでいた訳では…」 「そーかいそーかい。じゃあそーゆー事にしておいてやるよ」 「それはそうとして、シジフォスはどうしたのじゃ?」 「ぐっるぐるの簀巻きにして城の地下牢に放り込んであるぜ。兵士も見張ってるし、逃げ出すなんて出来ないと思うけどな」 「そうかしら?王が自分を助けろって命令したら、兵士は逆らえないんじゃ?」 アテナが首を傾げたが、タナトスがその疑問を否定した。 「コリントスの兵士達は神を冒涜した王に神罰が下る事を予測していました。王の巻き添えを食って自分達まで罰を食らってはたまらない、という意味合いの事 を言っていましたし、俺を押し込めた犬小屋に家具やまともな食事を運んで来たのもその言葉が嘘ではないとアピールするためのようでした。ですから、神の機 嫌を損ねてまで冥府行きが確定している王を庇ったりはしないでしょう」 「なるほどな。此度の事はあくまでもシジフォスの独断という事じゃな」 鷹揚に頷いたゼウスが冥界の神々を見遣った。 「なんにせよタナトス殿が無事帰られて何よりじゃ。シジフォスや他の死者を冥府に導く仕事はしばらくヘルメスに任せる故、タナトス殿はゆっくり休まれよ。いやはや、軽い気持ちで仕事を頼んだがこんなことになってしまって申し訳なかったのう」 「いえ…」 「…………」 タナトスは複雑な顔のまま曖昧に答え、ヒュプノスはゼウスに目も向けず無言で兄に寄り添いつつハーデスの傍らに控えた。 …銀と金の神を左右に従えたハーデスは、先ほどまでの柔らかな表情を消して厳しい顔つきでゼウスを見た。 「…ゼウスよ」 「な、何だ兄上。そのような怖い顔をして」 「先に言っておく。これは忠告でも警告でもない。最後通告だ」 「………」 ハーデスの冷たい口調にゼウスは笑みを消して冷や汗をかき、オリンポスの神々もハーデスが何を言うのか固唾を飲んで見つめた。 冥王はあくまでも静かな口調で言葉を紡いだ。 「アテの件、ヘラクレスに絡んだヒュプノスの件、キュクロプスの件、ヘラクレスによるタナトスへの無礼、そして今回の一件。お前やお前の息子達が我が家族である夜の一族に為した非礼の数々、目に余る。いくら寛容な余でも我慢の限界というものがある」 「兄上、…」 「お前にどんな意図や意思があったのかはどうでもよい。為された結果が全てだ」 「………」 「ゼウス、お前に次は無い」 ハーデスはきゅっと眼差しをきつくして弟を睨んだ。 「故意か過失かは関係ない。お前やお前の子供達が余の家族に害を為したその時は、その行為を、余はお前から冥界への宣戦布告と受け取り、全力で受けて立つ」 「………」 「良く良く肝に銘じておけ、ゼウス。これは余からの最後通告だ。もう一度言うぞ。お前に次は無い」 言うだけ言ってハーデスは後ろに控えた臣下を振り返った。 「では冥府に戻るとするか、タナトス、ヒュプノス。皆が心配しているだろう」 「は」 ふたりは浅く顎を引き、オリンポスの神々に礼に叶った会釈をすると、大神ゼウスには目を向ける事も無く冥王と共にオリンポス神殿をあとにした。 冥府で冥王と双子神の帰還を今か今かと待っていたベルセフォネーとヘカーテ、夢の四神はタナトスの姿を見つけてパッと顔を輝かせた。 「タナトス!」 ベルセフォネーはドレスの裾を踏んで転ぶのではと心配になるほどの駆け足でタナトスに近付くと、そのままの勢いで死神に抱きついた。 「……!?」 「おかえりなさい!良かった、無事だったのね。あなたの身に何かあったかもしれないって聞いて、心配してたんだから!でも、元気そうで良かったわ」 「え…あ…、冥妃様に心配をおかけして、申し訳ありませんでした」 「そんな堅苦しい事言わないでよ、お義兄さん」 戸惑うタナトスの頬に両手で優しく触れて、ベルセフォネーはにっこりと微笑んだ。 妃が臣下に抱きつくのを見ても嬉しそうににこにこしているハーデスを見て、穏やかな笑みを浮かべるヒュプノスを見て、ベルセフォネーに先を越されて少 しだけ残念そうに笑みを浮かべるヘカーテを見て、タナトスの無事に安堵の笑顔を見せる夢の四神を見て、最後にもう一度、花が綻ぶような笑みを見せるベルセ フォネーを見て、タナトスは不覚にも感激で涙ぐみそうになりながら、ありがとうございます、とポツリと呟いた。 そんな死神を見遣ったヘカーテは小首を傾げてハーデスに目を向けた。 「…で、一体何があったんだ?」 「一言でいうと、『またゼウス』だ。あいつが河神アーソーポスの娘と浮気する現場を目撃した揚句、その情報を私欲の為に利用したシジフォスという人間がいた らしくてな。その事実に腹を立てたゼウスが、モイライが与えた寿命が尽きるのを待たず、こっそりと奴を冥府に送り込んでくれとタナトスに頼んだのだそうだ」 「またあの男が女がらみの問題を起こしたか…」 「またお父様?」 「またあのお方ですか…」 ハーデスが顔をしかめてざっくりと説明した内容に、冥府の神々は『またアイツか』とゲンナリした顔になった。 冥界の神々や死の運命に絡んで過去に何度かトラブルがあったが、元を辿っていくとコトの元凶はかなりの高確率でゼウスが絡んでいるのだ。 「…でも、相手は人間だったんでしょう?それが一体どうして、タナトスは死者を冥府に連れて来られないなんて事になったの…って、あ」 怪訝そうに尋ねたベルセフォネーは、タナトスの手首の痣に気付いた。 ギクリとしたタナトスが咄嗟に引っ込めようとしたその手を、冥妃は素早く捕まえてローブの袖をたくしあげた。 白い肌にくっきりと残る手枷の痕に彼女は眼差しをきつくして死神を見上げた。 「どうしたの、これ。そのシジフォスって人間はあなたに何をしたの?」 「それは、その…」 「ん?タナトスお前、何を持っているんだ?」 「あ…」 シジフォスに嵌められた一件についてはあまり触れて欲しくないタナトスが口籠ると、ヘカーテが分解された手枷の入った袋を目敏く見つけた。 女神二柱にじぃーっと見つめられて、助けを求めるようにハーデスとヒュプノスに視線を向けると、彼らからも『そう言えば何があったか聞いてなかったぞ』と言いたげな眼を向けられ、ウヤムヤと誤魔化すのは無理だと悟ったタナトスは渋々事の経緯を告白した。 『人間に歓迎されたと思って油断して自分で手枷をかけて見せたら本当に手枷をかけられて神の力を封じられてしまった』などと正直に話したら呆れられるかと思ったが、誰も呆れたり笑ったりしなかった。 ベルセフォネーはタナトスの手首の痣を両手で包み込むようにして神妙な顔で頷いた。 「…そっか。そんな経緯があったのね」 「オルフェウスの前例があったからな、死の神を恐れぬ風変りな人間もいると知っていたのがアダになってしまったわけだ」 「死を拒む人間が暴れる事は予想できても、タナトス様を騙して拘束するかも…なんて考えもしませんよね」 「全くだ。余も今更ながら不思議になってきたが、そのシジフォスは一体何を根拠に『タナトスを拘束すれば死から逃れられる』などと考えたのだ?」 「タナトスを人質に取って大神かハーデス様に交渉でもする気だったのでしょうか?」 「バッカじゃないの?そんなふざけたこと言ったら、私とヘカーテが本気で蹴っ飛ばしてやるわ!」 ヒュプノスの言葉をベルセフォネーが真っ二つに一刀両断した。 冥妃の言葉にうんうんとヘカーテが頷き、女性達の血の気に男神達が若干引いているのに気付く様子もなくベルセフォネーは可愛らしい眉を吊り上げた。 「とにかく!そのシジフォスとか言う人間はタルタロス行き決定ね。そうでしょ、ハーデス?」 「無論だ。ゼウスはともかく、我が兄タナトスにこれだけの事をしてくれたのだからな。タルタロス以外の選択肢はあり得ぬ故、どのような罰を与えるか考えておいてくれ」 「そういう事ならタナトス、シジフォスに罰を与える場所の下見をしにタルタロスに行かないか?久々に私とふたりで、ケルベロスに乗って。なっ!」 ヘカーテが笑顔でタナトスの腕に自身の腕を絡める姿にヒュプノスの顔が僅かに引き攣ったのを見て、話題を変えようとオネイロスがおずおずと口を挟んだ。 「あの…今、こんな事をお尋ねするのも心苦しいのですが…。この数日間で寿命を迎えた人間の対処はどうするのでしょう?」 「ああ、その件だが。ゼウスから既に話があって…」 「お父様は何て言ったの?まさかとは思うけど、タナトスに今すぐ仕事しに行け!なんて言ってないでしょうね?」 「そんなふざけた事を抜かしたのなら、私がオリンポスに乗り込んであの女たらしを氷漬けにしてから天界から地上にブチ落としてやるが」 「ちょ…おふたりとも落ち着いて下さい。今すぐ仕事復帰しろと命令されたのなら、俺は死者を連れて冥府に戻ってきてますよ。大神もそんな無体はおっしゃいませんでした」 自分の為に腹を立ててくれるのは嬉しいが、女神達の鼻息の荒さに流石に不安を感じたタナトスがふたりをなだめた。 そんな光景ににこりと笑ってハーデスがベルセフォネーとヘカーテを見た。 「死者を冥府に導く仕事はしばらくヘルメスが引き受ける故、タナトスは休んでくれ…と、ゼウスは言っていた」 「そうなんだ。じゃあタナトスはしばらくゆっくりできるわね」 「ゆっくりした後でシジフォスを迎えに行ってまた嵌められなければいいがな」 「ヘカーテ様…あなたは俺に学習能力がないとお思いなのですか?」 「そんなことはないぞ。ただ、お前はヒュプノスと違ってバ…純粋過ぎるから、泣いて謝って縋られたらまたあっさりと騙されるのではないかと心配なんだ」 「………」 「その心配はなかろう」 ヘカーテの言葉にムッとしたタナトスが何か抗議しかけた時、ハーデスがあっさりと言った。 何を根拠に?と言いたげな女神達と夢の四神の視線を受けた冥王は、穏やかな笑みを浮かべながら口を開いた。 「シジフォスを冥府に導くのもヘルメスがやってくれるし、余も今回の一件で我慢の限界が来たのでな。『故意過失に関わらず夜の一族にゼウス達が害を為したら、それを冥界への宣戦布告と受け取る』と申し渡して来た。故にゼウスも当分の間は迂闊な真似は出来まい」 「………。ハーデスお前、それ、本気で宣言して来たのか?」 「正真正銘の本気で宣言して来たぞ。だからヘカーテ、そなたが今すぐオリンポスに乗り込む必要は無い。万が一その時が来たならば思う存分ゼウスを叩きのめしてもらう故、力は温存しておいてくれ」 「ブラコンもやしっ子の癖に変なところで肝が据わってるな、ハーデス。冥王の名は伊達ではないという事か」 「お兄ちゃん達の教育の賜物ね」 とんでもなく物騒な内容を世間話をするような顔で話している大地の血筋の神々を見て、今後ゼウスが冥界に害を為す事は絶対にないだろうな、と夜の神々は妙な確信を持ったのだった。 …そして。 タナトスが帰還した翌日から通常通り死者が冥府を訪れるようになり、その数日後、伝令神ヘルメスがシジフォスを連れて冥府を訪れた。 |
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笑顔でタナトスに抱きついて「お帰り」と言う冥妃、数日間死ねずに苦しんでいた死者を冥府に導いたのがヘルメス、ハーデスからゼウスへの洒落にならない最
後通告などなど、別の(時間軸的にはこの話の次に来る)SSに繋ぐ事を考えながら書いていた5話目です。…とか言っていつになっても続きの話を書かなかっ
たらどうしようとか不安も感じなくもないですが…。 タナトスが戻ってきた時、ゼウスに「最後通告」をするハーデス、というのはかなり初期からアイデアがありました。あと、4話目の後半でアレスとタナトス がヘカーテの話題で漫才やってましたが、その話をここでも引っ張ろうかと思ったのですが色々悩んで没に。結局、捨てがたかったので6話目に回しました。 後は、冥界の皆に好かれてるタナトスと、実はタナトス以上に血の気の多い女神様達が書いてて楽しかったです。 |