| シジフォスがヘルメスに連れられて冥府を訪れた…とアケローン河の渡し守カロンから連絡を受けた冥界の神々は、数日間タナトスの代わりに働いてくれた伝令神を労うために冥王の謁見の間ジュデッカに集まった。 ヘルメスが普段と変わりない笑みを浮かべて恭しく傅くと、ハーデスは柔らかな笑みを浮かべて口を開いた。 「数日間、御苦労であったなヘルメス。我が臣下タナトスに代わって礼を言うぞ。そなたのおかげでタナトスも十分に休養できた故、明日からは復帰する予定だ」 「それは良かった。オリンポスの皆もタナトス殿の身を案じていましたのでそのお話を聞けば安心するでしょう」 「うむ。よろしく言っておいてくれ」 「ありがとね、ヘルメス」 冥王夫妻の言葉ににこりと笑って立ち上がったヘルメスは、ふと笑みを消して、冥王と傍に控えた神々を見回した。 「お暇する前に、シジフォスの件で気になる事があったので冥王のお耳に入れておきたいのですが」 「何?」 「あの狡賢い愚か者がまた何かつまらぬ事を企んでいるのか?」 「ええ、恐らく。…私が彼を迎えに行った時、シジフォスは『冥府に行く前に妻のメロペと話がしたい』と言ったのです」 「なーんか怪しいわね」 「私もそう思いまして、侍女に頼んで話の内容を盗み聞くよう命じたのです。侍女の話によると、シジフォスは妻に『自分の葬式を決して出すな』と何度も念押ししていたそうですよ」 「………」 「情報は確かにお耳に入れましたよ。では、私はこれで」 ヘルメスは薄く微笑んで丁寧に会釈した。 …伝令神が謁見の間を出て行くと、冥界の神々は複雑な顔を見合わせた。 寿命を迎えて死者となった者は神への聖なる捧げ物となる。死者は冥府の神々に属する浄い者であるから、その遺体に敬意を払い、しかるべき礼をもってこれ を弔うべし…俗に言う『死者尊崇の掟』を仮にも王であるシジフォスが知らないはずはない。掟を知った上で、妃に神々の掟に反する行動を取るよう命じてくる とは…。 タナトスは眉間に皺を寄せた。 「また何か碌でもない事を画策しているとしか思えませんね」 「うむ…」 「『私の死を嘆き悲しんだ妻が私の死を受け入れられずに葬儀を出せずにいる。一度戻って妻を説得したい』とかお涙頂戴でハーデスを丸めこむ気じゃないのか?」 「十分あり得る話ですね。オルフェウスとエウリュディケ、アドメトスとアルケスティス…悲劇的に引き離された夫婦を気の毒に想ったハーデス様とベルセフォネー様が死者が地上に帰る事を許可した前例もありますし、同じ手で自分も死から逃れられると考えているかもしれません」 「最初から素直に冥府に来てれば同情もしてあげたけど、タナトスにあんな事しておいてお涙頂戴が通じるとでも思ってるのかしら?」 「そもそも、オルフェウスとアドメトスは夫婦の間に深い絆と愛情があったからハーデス様やベルセフォネー様はお心を動かされたのであって、命惜しさのデマカセだとバレればますます重い罰が下ると分かりそうなものですが…」 オネイロスの言葉に皆はうーんと唸った。 タナトスを拘束した件といい、妻に葬式を出すなと厳命した件といい、奸智に長けると言われている割にシジフォスの作戦は肝心なところが綻びている気がするのだが…。 しばしの沈黙の後ハーデスは臣下の神々を見回した。 「シジフォスの裁きは余と妃で行う故、そなたらは裏で様子を見ていてくれるか。まずあり得ないとは思うが、シジフォスの口車に全員が乗せられ騙されては流石にコトだからな。様子がおかしいと思ったら声をかけてくれ」 「畏まりました」 冥王の言葉に頷いて、双子神と夢の四神とヘカーテは玉座の後ろに垂らされた豪華な緞帳の裏に下がった。光の角度と明るさの関係で冥王に謁見する者からは裏に下がった神々の姿は見えない。皆は緞帳の隙間から謁見の間の様子を観察することにした。 …間もなく、冥界の雑兵に連れられてシジフォスが引っ立てられて来た。 冥王夫妻を前にした男は、平伏しながらも油断なく目を光らせてさっと周囲を見回した。タナトスの姿が見えない事を確認してニヤリと笑うのが、緞帳の裏からでもはっきりと見えた。 タナトスがまだうっすらと痣の残る手をギリギリと握り締めると、ヘカーテが彼の腕に自身の腕を絡ませてその耳元に囁いた。 「そう怒るな、タナトスよ。あの男がまた良からぬ事を企んでいるのは明白、ならばその企みを実行させてやれば良い。中途半端に阻止するよりその方が面白いぞ」 「…と、おっしゃいますと」 「犯した罪が大きければ与える罰も大きくなる。幸福を味わってから突き落とした方が絶望はより深くなる。中途半端な高さから落とすより天高くから落とした方が激しく壊れ痛みもより大きくなる…だろう?」 「………」 「それにな、タナトス。あの男が今まで犯した罪を全て足しても、タルタロスでの永劫の罰を与えるには少々足りない。お前に働いた無礼だけで十分な理由になる、と冥界の神である私達は思うがそれは感情論だ。冥王が感情論で罪を采配するなどと他の神に思われても問題だろう」 「…つまり、冥界以外の神々もあの男のタルタロス行きに納得するだけの罪を犯してもらった方が色々と都合が良い、と?」 タナトスの問いに、ヘカーテはふふ…と甘やかに微笑んだ。ますます腕を絡めて体を密着させながら、美しい瞳を妖艶に細めて唇が触れるような間近から言葉を囁く。 「大神ゼウスだけでなく冥王ハーデスとその妃も騙したとなれば、最早シジフォスのタルタロス行きに異を唱える奴はいないだろう。晴れてあの男も永劫の罰を受ける罪人の仲間入り、という訳だ」 「良く分かりました。分かりましたので少し離れて頂けませんか。あらぬ誤解を招きかねませんので」 「ん?お前に惚れた私がアプローチしているだけではないか。この場にはお前の弟しかいないし、一体どこに誤解を招く要素があるのだ?」 「弟達が事実だけを話しても、間にエリスとアレスが挟まると冥界から天界に飛躍するレベルで話が飛ぶのですよ」 またやってるよ、と半ば呆れた顔で死神と美貌の女神のやり取りを見ていたヒュプノスと夢の四神が怪訝そうな顔になった。 アレスの不快な発言を思い出したタナトスが眉間に皺を寄せると、目を丸くしてきょとんとしていたヘカーテが不思議そうに首を傾げた。 「アレスが何かおかしなことを言っていたのか?」 「ええ、まぁ…女性の耳に入れるには躊躇われるような事を…。詳細についてはご容赦ください、アレスのようにヘカーテ様の顔面キックを食らうのは遠慮したいので」 「………」 「顔面キック?」 「ヘカーテ様、アレスに顔面キックかました事があるんですか?」 「アレスの言う事だから信憑性の保障は出来ないが、ヘカーテ様を口説いた時に顔面キックで返事をされたと言っていたぞ」 「………」 飛躍した話の内容には触れて欲しくなかったタナトスがさらっと話題をすり替えると、ヒュプノスと夢の四神が何とも言えないジト目でヘカーテを見た。美貌の女神は顔を赤くして決まり悪そうに釈明した。 「だ…だって、あの男、品がないにも程がある台詞で私を口説こうとしたんだぞ。私だって最初はちゃんと言葉で拒否したんだ、でも引き下がらないから…」 「だからと言ってその格好で顔面キックは…」 「蹴るなとは言いませんが、せめてローキックにした方が…」 「って言うか、一体どうやったらアレスの顔面に蹴りを入れられるんです?椅子の上にでも登ってから蹴ったんですか?」 「椅子なんて足場が不安定なところで蹴りなんか入れられるか!卓の上だ!」 そこ、威張って言うところか? …と、全員が思ったものの。 これ以上話を脇道に逸らす必要もなかったし、ハーデスがシジフォスの罪を読み上げ確認するのが丁度良く終わったので、脱線した話はそこで終了となった。 緞帳の裏の会話は聞こえていたらしいハーデスが大袈裟に咳払いをして(笑いそうになったのを誤魔化したのだろう)、厳かに口を開いた。 「シジフォスよ。余が読み上げたそなたの罪に関して唱えたい異は有るか?」 「ございません。全て事実でございます。…ですが、ひとつ心残りがございます」 「…と言うと?」 「妻のメロペが私の葬式を出してくれぬのです」 「………」 ハーデスはピクリと眉を動かし、ベルセフォネーは微かに唇をへの字にし、緞帳の裏から様子を見ていた神々は何と続けるつもりかシジフォスの言葉を待った。 神々が黙っているのを見てシジフォスは殊更に哀れな夫を演じながら訴えた。 「私は冥府の住人となる運命を拒むつもりは有りません。ですが神々の掟を破って夫の葬儀も出さぬ薄情な妻を持った哀れな王などと後世に伝えられては死んでも死にきれません。どうか冥王様、私が妻に葬儀を出すよう頼みに行くのを赦しては頂けませんか」 「む……」 わざとらしく悩むふりをするハーデスに、冥妃がわざとらしく真摯な顔をして言葉をかけた。 「シジフォスは、神の掟をきちんと守りなさいってメロペを諭しに行くのでしょう?それなら地上への一時帰還を認めてあげてもいいんじゃないかしら」 「ふむ、確かに。メロペが葬儀を出さないのを放置していたら、冥王である余が死者尊崇の掟に反した人間を赦したと思われるやもしれぬしな。…よかろう。シジフォスよ、そなたの地上への一時帰還を許可しよう」 「ありがとうございます!冥王ご夫妻のお慈悲に心より感謝いたします!」 シジフォスは涙ながらに礼を言い、引きとめられるのを恐れるように急ぎ足に謁見の間を出て行った。 …緞帳を開けて双子神と夢の四神、ヘカーテが出てくると、ベルセフォネーは呆れ半分面白がっているの半分の顔で彼らを見た。 「概ね予想通りの事を言って来たわね」 「妻との愛情を強調するかと思ったら悪者に仕立て上げるとは…とことん呆れ果てた奴だな」 「さーてと…あの男は戻ってくるかな?」 「むむ…。律儀に戻って来られたら、タルタロスで永久の罰を与える口実が無くなって余が困るぞ」 ハーデスが冗談半分に眉間に皺を寄せると、真面目にオネイロスが眉間に皺を寄せた。 「まさかとは思いますが、あの男の狙いは最初からそれだったのでしょうか?妃の不敬を糺すために一度は地上に戻ったが、本来の寿命より早く冥府に行く理不尽を受け入れて律儀に冥府に戻ってきたのだから、大神やタナトス様に働いた無礼については酌量してくれと…」 「だったら厄介だが、そこまで頭が回るなら最初から俺に無礼など働かずに素直に冥府に来てベルセフォネー様の同情を惹こうとしたのではないか?」 「まぁ、妻に葬式を出せと頼みに行くだけなら一週間も有れば充分であろう。いつまでたっても戻って来なければ、奴は余と妃を謀ったと判断して問題あるまい」 「律儀に戻ってきてもカロンに追い返してもらえばいいんじゃない?渡し賃が足りないとか、適当な口実つけて」 「ナイスアイデアだぞ、ベルセフォネー」 でしょー、と談笑する女神達を苦笑交じりに眺めながら、男神達もシジフォスは戻って来ないだろうなと思っていた。 そして。 神々が予想した通り、地上に戻ったシジフォスが冥府に戻ってくる事は無かった。 それから数十年後…。 |
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繋ぎの回なので、ネタをちょいちょい入れました。「一度希望を与えてから絶望に堕とした方がより残酷だ」と囁くヘカーテの元ネタは、.hackのモルガナ
です。何となくなのですが、冥界の神々は人間に対して非情そうなイメージがあります。いや、大半の神様はそうなんでしょうけど。そして4話でのタナトスと
アレスの漫才はここで引っ張って消化。 そして2話か3話で触れた、「タナトスを嵌められなかった時のシジフォスの次の策」が今回の話でやった「葬式を出してくれない妻に葬式を出してくれるよ うに頼みに行く」と言う口実で地上に帰る、という手段です。つーか、そんな嘘ついて地上に帰っても即座に連れ戻されるとか考えなかったんでしょうか。シジ フォスは人間の中でも一番狡賢いとか言われてますが、その割に作戦は穴だらけな気がするのですが。 そして落とし所に悩みつつ「知将」は次回第7話で完結です。 |