| 「今夜はここに泊めてくれ、マニゴルド!」 「はぁっ!?」 日本某所の2DKアパートに住む元蟹座の黄金聖闘士マニゴルドを青天の霹靂が襲ったのは、七夕を翌々日に控えた7月5日のことだった。 …マニゴルドは腕を組み、空を仰ぎ、足元に視線を落とし、宇宙の真理などという壮大なテーマについて一瞬考え、目の前にいる人物(神物?)に視線を戻した。 事前のアポもなくマニゴルドのアパートに突撃訪問してきたのは、絹糸のような黒髪と黒曜石の瞳、五芒星の徴を額に頂き、神々しいばかりの清廉な小宇宙を纏った…大人の女性だった。外見は非常にタナトスによく似ているのだが…。 「つかぬ事をお伺いしますがね、あなたどちら様?パンタソス様ッスか?」 「馬鹿を言え。姿と小宇宙で分かるであろう、タナトスだ。お前から見れば異世界の、な」 「いやいや分かんねーよ!俺の知ってるタナトス様はこっちの世界でもあっちの世界でも野郎神だし!アンタどう見ても女神じゃねーか!!」 「そんな些細なことは気にするな!」 「些細なことなのか…。まぁ、玄関先で立ち話もナンだしとりあえず入れよ。録なもてなしも出来ねーと思うけど」 「うむ、邪魔するぞ」 「あーあ、記念すべき『俺の部屋に入った初めての女の子』がタナトス様になるとは夢にも思ってなかったぜ」 ぼやきながらタナトスを部屋に招き入れたマニゴルドは、冷蔵庫を開けてペットボトルのアイスコーヒーとパックの牛乳を取り出した。 リビングと言うより茶の間という感じの六畳間に通されたタナトスは座布団の上にちょこんと座って待っていた。 「ミルクやガムシロなんてしゃれたもん俺の家にはねーから、飲み物はこれで我慢してくれや」 「急に押しかけたのは俺だからな、贅沢は言わぬ」 「で?何がどうなって俺の部屋に押しかけてきたんだよ、タナトス様?そもそも何で女神になってんだよ」 「我々の世界のゼウスの悪戯だ。この世界のヒュプノスから小宇宙を分けてもらえば大人になれる、という話をしたら『ならば大人の姿を見せてくれ』と言われてな。そのくらいならお安い御用だ、と大人の姿でオリンポスを訪ねたら女神にされてしまったのだ」 「突っ込みどころが多すぎて何処から突っ込めば良いのか分からねーな…。で?」 アイスコーヒーを啜りながらマニゴルドが続きを促すと、タナトスは『コーヒー風味の牛乳』になるくらい牛乳をグラスに注ぎつつ答えた。 「この姿でオリンポスに滞在しては要らぬトラブルが起きるし、冥界に戻ればヘカーテ様とペルセフォネー様に何を言われるか分からぬし、かと言って星矢の家 に戻るのもまずい気がしてな。ハーデス様と相談してこちらの世界の冥界で世話になることにしたのだ。あ、勿論ヒュプノスも一緒だぞ」 「それが何でタナトス様だけが俺の部屋に転がり込んでくることになったんだ?」 「俺がタナトスの神殿に長々と滞在していたら、タナトスはヘカーテ様とふたりでゆっくりすることも出来ぬ。二・三日ならともかくそれ以上部外者がいては迷惑だろうと思ってな。とりあえず泊めてくれそうなお前を訪ねてきたというわけだ」 「ちょっと待て、何でそうなるんだよ。タナトス様のところに居づらいならヒュプノス様のところでも良いじゃねーか」 「ヒュプノスはヒュプノス同士で楽しくやっている。邪魔は出来ぬ」 「じゃあタナトス様、あちこちに要らねぇ気を使って誰にも何も言わずに冥界を出てきたのか?」 「出て行く理由を説明したら、引き止めてもらうのを期待しているようでイヤラシイではないか」 「そりゃ、まぁ、確かにそうなんだけど…でも、俺の家に泊めるのはダメだぜ。アテナに頼んでホテルを手配してもらうから…」 マニゴルドの言葉に、異世界のタナトスは大きな目をきょとんと見開いた。 「え?何故ダメなのだ?」 「いやダメだろ普通に考えて!アンタ今女神なんだぜ!?女が家族でも恋人でもない男の家に泊まるなんてダメだろうよ!」 「今は女神でも普段は男神だぞ」 「普段は男でも今は女だろ!俺がトチ狂ってアンタを襲ったりしたらどーすんだよ!」 「マニがそんなことをするとは思えぬが…仮にそんなことがあっても余裕で返り討ちにしてやるから心配は要らぬ!」 「いやいやいやいや!」 …泊めろ無理だの押し問答をすること数分。 どうやら異世界のタナトスは『気心知れた誰かの居る場所』にしか泊まれないが、冥界に戻るのは嫌らしい。相変わらず変なところで頑固である。龍神秋乃のいるエルミタージュ洋菓子店はどう か、シラーやハービンジャーのいる十二宮はどうか、と勧めたが全て却下され、『そんなに俺が嫌いか!』と半べそで言われて頭を抱えたマニゴル ドは、重要なことを思い出した。 「そう言やタナトス様、誰にも何も言わずに冥界を出てきたんだよな?姿が急に見えなくなったらタナトス様も心配するんじゃねーか?今頃心配してあちこち探し回っているかもしれないし、とりあえず電話の一本くらい入れて事情を話しておいたらどうだ?」 「む…それもそうか」 「ほれ、俺の携帯使えよ」 タナトスが素直に携帯を受け取ったのでマニゴルドはホッとした。 黙って冥界を出て行ったことはともかく、人間のマニゴルドの部屋に泊まるなどタナトスは了承しないだろう。タナトス様の介入でこの『青天の霹靂』も一件落着だぜ。 …と、マニゴルドは思ったのだが。 「タナトスか。俺だ。…今か?マニゴルドの家にいる。俺が長々とタナトスの神殿に滞在していては迷惑かと思って、今日はマニゴルドの部屋に泊めてもらおう と思ったのだ。…ああ、黙って飛び出したのは悪かった。事情を話したら余計に気を使わせてしまうかと思ってな。…うん、そうか。分かった、マニゴルドに代 わる。マニゴルド、タナトスが話があるそうだ」 「はいよ。…もしもーし」 『俺だ。チビの姿が見えなくなって心配していたのだが、お前のところにいるなら一安心だ』 「一体何事かと思ったけどな。…で、タナトス様だけど。アンタが迎えに来るのか?それとも俺が送ってけば良いのか?」 『明日、俺が迎えに行こうと思っている』 「…明日?」 『急な仕事が入ってな…ああ、城戸財閥ではなく冥界の方だが、チビを迎えに行く時間がどうにも取れそうにないのだ。と言うわけで一晩そいつを頼む』 「ちょっと待てやクソ神!!!」 マニゴルドは思わず死神を怒鳴りつけた。 よほど驚いたのか、普段なら怒鳴り返してくるタナトスが電話の向こうで絶句している。 「『一晩そいつを頼む』って何だよオイ!今のタナトス様は女神じゃねーか!俺の部屋に泊めてナニかあったらどーする気なんだよ!」 『大丈夫だ、ナニもない。その状況でナニか起こせるようならお前にはとっくに恋人が出来ているわ』 「…………」 『む、ヒュプ子がお前に言いたいことがあるそうだぞ』 何か気の利いた台詞で言い返したいのに何も浮かばないマニゴルドが口をパクパクさせていると、『ヒュプ子と言うな!』という女性の声が聞こえて電話を変わる気配があった。 『私だ。タナトスから大体の事情は聞いた。タナトスがお前の部屋にいるのなら、仕事より迎えを優先しろとは私も言わぬ』 「いや言ってくれよ」 『貴様を信用していないわけではないが…兄様に何かしたら、貴様の運命を『女運ゼロ』から『オカマに好かれる』に変更してもらう…』 「ちょぉぉぉぉ!!!」 『やかましいぞカニゴルド。タナトスに変われ』 もうやだ。俺、逃げたい。 そんなことを思いながらマニゴルドが携帯をタナトスに差し出すと、タナトスは自分の片割れと二言三言会話を交わして、『ではまた明日』と言って電話を切った。 …………… レンタルしていた映画のDVDを夢中で見ているタナトスを視界の端に捕らえながら、マニゴルドは真剣に悩んでいた。 (女神タナトス様が俺の部屋に一泊するのはどうしようもない。けど、タナトス様をここに泊めて俺はホテルに泊まるのは無責任すぎるし、そんなことしたら神々から どんな罰を与えられるか考えたくもねぇ。でも、この状況で何をどうしたらいいのか見当もつかねーよ。布団は一組しかないし、冷蔵庫には碌な食材が入ってな いし、菓子もなければ気の利いた飲み物もないし、そもそも明日まで何してろってんだよ) …布団などレンタルするか沙織に頼んで借りればいいし、食事は外食すればいいし、菓子や飲み物など近所のコンビニかスーパーで調達すれば済む話なのだが、あまりの出来事に思考回路がパニックを起こしていたマニゴルドはそんな簡単なことすら思いつかなかった。 (誰か頼りになる奴に相談するか…誰かいたか?冥界の神様以外でこういう時に頼りになりそうな奴…。星矢…はダメだな、女運の悪さは俺といい勝負だ。…シ オンと童虎…も無理だ、女相手にうまく立ち回れるとは思えねぇ。サガ…も無理だな、このタナトス様とは交流がほとんど無い。誰か、誰かいないか…このタナ トス様と仲が良くて、女の相手を無難に出来て、この手のトラブル対処法に詳しそうな、そんな都合のいい奴が、俺の交友範囲に…) (…………) (…いるじゃねーか) マニゴルドは『ちょっと電話をしてくる』とタナトスに声をかけて部屋を出ると、『タナトス様と仲が良くて、女の相手を無難に出来て、この手のトラブル対処法に詳しそうな、都合のいい奴』に電話をかけた。頼むから繋がってくれよ、と願うこと数秒。 『もしもし?』 「おっ!良かった、繋がった!今暇か?」 『暇といえば暇だけど…何か用?』 「あー良かった!任務中だとか言われたらどうしようと思ったぜ!ものすげぇ困った事が起きてんだ。助けてくれ、シラー!頼れるのがお前しかいねーんだ!」 『困ったこと?』 「知り合いの女が突然俺の部屋に転がり込んできて、泊まっていくことになったんだよ!」 『あっそ。頑張ってね。じゃ』 「ちょ」 プツッ。 マニゴルドが言いかけた言葉も聞かずに電話は切れた。 あの野郎、先輩の俺が『困ってるから助けてくれ』って言ってるのに話も聞かずに切りやがって! マニゴルドはこめかみに青筋を立てながら猛然と電話をかけなおした。無視しやがったらタダじゃすまねぇ、十二宮に乗り込んでやる!と思っていたら相手が出た。 『しつこいね、先輩。一体何なのさ』 「俺の部屋に来てんのはタナトス様なんだよ!」 『は?え??ちょっと、それって、どういう…』 「いいから来い!俺とタナトス様を助けに来い!最悪泊まる気で来い!今すぐ!!」 『…分かったよ。確かに電話で事情を聞くより直接行った方が早そうだ』 至って冷静なシラーの声が返ってきて、マニゴルドはほっと安堵の息をついた。 小さなボストンバッグを提げてマニゴルドのアパートにやってきたシラーは、女神タナトスの姿を見て少し驚いた顔をしたものの、にこりと笑って会釈した。 「ご無沙汰しております、異世界のタナトス様。女性の姿でお出ましになるなど初めてですね」 「あ…うん。その、色々あってな」 「冷静だなシラー。全然驚かねーのかよ」 「タナトス様が女性の姿をしてるのには多少驚いたけど、女性に変身するくらいパンタソス様がいつもやってるじゃないか。大体、姿かたちを変えるなんて神様なら誰でも出来ることなのに、先輩は大袈裟に驚きすぎだよ。何処まで女の子に縁が無いのさ」 「…普段は男の子供の姿してる奴が大人の女の姿で急に押しかけてきたら普通は驚くと思うんだけどな…」 「そもそも女に変身するなど普通は出来ぬのだが…」 「普通では出来ないことができるなんて、さすがはタナトス様!そこに痺れる憧れる!ってやつですね!」 「え、あ、いや、その、まぁ、うん…」 シラーが眼をキラキラさせて色々と誤解したまま納得してしまったので、タナトスも詳しい経緯を説明するタイミングをなんとなく逃してしまったらしい。 実はシラーは、自分が思っている以上に大物なのかもしれない…などと考えながら、マニゴルドは後輩を部屋に通した。 マニゴルドから『女神タナトスがここに泊まることになった経緯』を聞いたシラーは、実に冷静な眼で首を傾げた。 「で、僕を呼ぶほど先輩が困ってることって何?」 「女神状態のタナトス様がここに泊まることだよ」 「それの何がどう困る の?タナトス様もヒュプノス様もその件については了解されてるし、先輩がタナトス様に無礼を働く心配はされてない。勿論先輩にもその気は無い。タナトス様 がここに泊まったことに関して下衆の勘繰りをする人間がいるわけでもないし、いたところで誰かが困るわけでもない。何がどう問題なわけ?」 「布団が一組しかない」 「借りれば良いじゃないか。布団をレンタルしてる業者なんてネットですぐ調べられるだろ」 「冷蔵庫にろくな食材が入ってないからメシも作れねぇ」 「買い物に行くか外食すれば済む話だと思うけど」 「気の利いた飲み物も菓子もねーし」 「買ってくれば?」 「大体、明日までタナトス様とふたりきりで何してろってんだよ!」 「好きなことしてれば良いじゃない」 「それが出来りゃ苦労しねーよ!一番の問題がここだよ!!」 「…先輩に恋人が出来ない理由が良く分かる気がするよ」 シラーは呆れた顔で息を吐いて、タナトスに眼を向けた。 「タナトス様。先輩だけにタナトス様をお任せするのは心配で仕方が無いので、僕もここに泊まろうかと思うのですが…構いませんか?」 「俺は構わんぞ。合宿みたいで楽しいしな!」 「そういうわけで先輩。ここから先は僕が仕切るけど良いかな」 「おう、任せるわ」 「じゃあ布団の手配を先に済ませておくよ。業者は何 処が良いのかな…秋乃に相談してみるか。…もしもし秋乃?僕だけど、ちょっと聞きたいことがあって。マニゴルド先輩の部屋で合宿することになってね、布団 をレンタルしたいんだけど…え?エルミタージュ洋菓子店に客用の布団なんてあるの?じゃあ閉店後に受け取りに行くよ。…ああ、そうだね。じゃあ皆で一緒に 夕食も食べようか。大勢の方が楽しいしね」 テキパキと問題を片付けていく後輩を、マニゴルドが複雑な面持ちと気持ちで、タナトスは感心して眺めていた。 夕食は龍神秋乃と一緒に食べることにしたタナトスと蟹座コンビは、少々早いが夕食前に入浴を済ませてしまうことにした。 普段よりは丁寧に掃除をして風呂を入れたマニゴルドは、居間でシラーとゲームをしていたタナトスに声をかけた。 「おいタナトス様、風呂が入ったぜ。アンタが最初に入れよ」 「分かった。ではマニゴルド、髪を洗ってくれ」 「…は?」 座布団に座りかけてマニゴルドは中途半端な姿勢で固まった。 マニゴルドがハニワのような顔でフリーズしているのを見て、タナトスは『言葉が足りなかったか?』と思いながらもう一度言った。 「以前は小宇宙で髪を洗っていたのだが、小宇宙をなくしてからは髪を洗うのも一苦労でな。いつもは星矢に洗ってもらうのだが、ここに星矢はいないから、お前に頼もうと思って」 「いやいやいやいやいやいや、気にするのそこじゃねーし。アンタが男のガキなら俺もハイハイって引き受けるけど、今は女神じゃねーか」 「普段は男神だぞ」 「いやだから普段がどうでも今がだな…」 「マニゴルド、お前はそんなに俺の相手をするのが嫌か!」 「ンなこと言ってねーだろ!アンタが男だったら引き受けるって言ってるだろーが!」 「タナトス様。僕でよければお手伝いをさせて頂きますが」 「ん?シラーには恋人がいるのだろう?お前が今の俺と風呂に入るのはまずいのではないか?」 「何でそんなとこだけ常識的なんだよ!」 「それは大丈夫です。僕がタナトス様を敬愛していることは彼女も良く知っていますから、入浴のお手伝いをしたくらいで怒ったりはしませんよ」 「そうか。ならシラーに頼むとしよう」 「畏まりました」 「…………」 タナトスの後について風呂場に行くシラーを見送って、こいつは実は大物ではなくただの馬鹿なのかもしれない…とマニゴルドは思った。 シラーは大物なのか馬鹿なのかその両方なのか、答えの出ない難問をマニゴルドが考えているうちにふたりは風呂から出てきた。 扇風機の前に座り込んだタナトスがスイッチを『強』に切り替えて風を受けていると、シラーが台所から顔をのぞかせた。 「タナトス様。ご用意できる飲み物がアイスコーヒーと牛乳と水道水しかないのですが、如何なさいますか?しばらくお待ちいただければ買いに行って参りますが」 「とりあえず牛乳でいいぞ!」 「畏まりました」 氷入りのグラスに牛乳を入れて持ってきたシラーは、早速グラスに口をつけたタナトスの黒髪をタオルで丁寧に拭き始めた。 「タナトス様、髪はドライヤーですぐ乾かしますか?それとも自然乾燥ですか?」 「普段は星矢がさっさとドライヤーで乾かしてくれるが、星矢がいない時はほったらかしだな」 「そうですか。ではドライヤーで乾かしますね」 「何から何まですまぬな。きっとお前は良いお嫁さんになるぞ、シラー!」 「うわぁ…タナトス様に褒めていただけるなんて光栄です!」 「…………」 もはや、突っ込みどころ満載の会話に突っ込む気力も沸いて来ない。 マニゴルドは無言で風呂場に向かった。 …洗い髪をタオルでごしごし拭きながらマニゴルドが居間に戻ると、シラーの姿が消えていた。 あのタナトス様馬鹿がタナトス様をほったらかしてどっか行くなんて有り得ないが…と思いながらマニゴルドは座布団に腰を下ろした。 「おいタナトス様、シラーはどうした?」 「菓子と飲み物と、あと何か必要なものを買ってくると言って出掛けたぞ。すぐそこのドラッグストアだからもう帰ってくるのではないか?」 「はぁ…マメと言うか甲斐甲斐しいと言うかフットワークが軽いと言うか…。それが女にモテる秘訣かねぇ」 「只今帰りました」 「お帰り、シラー」 「おう、お帰り」 「あ、先輩お風呂から出てたんだ。ちょうど良かった」 部屋に入るなり台所に直行したシラーは、グラスを三つ持って居間に戻ってきた。 グラスをタナトスとマニゴルドの前にも置いたシラーは、傍らの袋から菓子とペットボトルの飲み物、氷やストローまで取り出した。更にタナトスに飲み物の 希望を聞いてペットボトルを開けてグラスに注いでやっている。ここまで来ると気が利くを通り越して過保護のレベルである。 呆れるのを通り越して感心したマニゴルドが無言でジュースを飲んでいると、シラーはにやりと笑って飲み物や菓子が入っていたのとは別の袋を開けた。 「先輩にお土産を買ってきたんだけど」 「土産?」 「そう。男を上げて女の子にモテるための秘密兵器」 「へぇ〜一体何だ?」 興味を引かれたマニゴルドが身を乗り出すと、シラーは笑顔で袋の中身をドンとちゃぶ台に置いた。 「まず洗顔料」 「待て待て、ボトルに『お風呂のルック』って書いてあんぞ!」 「次にクレンジング剤」 「カビキラーだ!」 「それから化粧水」 「風呂釜洗浄剤じゃねーか!」 「あとは保湿液」 「消毒用アルコールだろ!!」 「忘れちゃいけないね、ブラシとパフとコットン」 「掃除用タワシと風呂用スポンジと拭くピカじゃねーか!」 「最後に香水」 「それはトイレの芳香剤だぁぁぁぁぁ!!」 ちゃぶ台の上にずらりと並べられたお掃除グッズにマニゴルドは思わず絶叫した。隣ではタナトスが腹を抱えて爆笑している。 マニゴルドは風呂掃除用のスポンジを引っつかんでシラーに投げつけた。ぶつかっても痛くないものを選んだのはせめてもの情けである。 「畜生!お前の言葉を一瞬でも信じた俺が馬鹿だったぜ!何が『女の子にモテるための秘密兵器』だよ!」 パコン。 投げつけられた風呂掃除用スポンジを掃除用ブラシで打ち返したシラーは真顔になって言った。 「やだなぁ先輩。僕は大真面目に言ってるよ」 「はぁ?この掃除道具の何処が…」 「芳香剤も置いてないトイレを借りた後に湯垢とカビで汚れたお風呂を見たら、この部屋に来た女の子は一瞬でロマンチックな気持ちが冷めるんじゃないかなぁ。汚れたお風呂で恋人とイチャイチャしたい女の子は少数派じゃないかと思うけどね」 「……………………」 打ち返されたスポンジを受け止めたマニゴルドはうぐぐぐぐと唸って沈黙し、蟹座コンビのやり取りを涙ぐむほど笑いながら見ていたタナトスがふと何かを思い出したような顔になった。 「そういえば、タナトス神殿の風呂も汚れひとつ無いほど綺麗だったな。シャンプーも石鹸もいい香りのものが置いてあるし」 「それはそうでしょうね。タナトス様の恋人はあのヘカーテ様ですし、どんなに綺麗に豪華にしてもやりすぎということは無いでしょう」 「綺麗で豪華なものよりファンシーなアヒルとかの方が喜びそうだけどな、あのお色気女神様は」 「…ヘカーテ様か」 タナトスはふと顔から笑みを消して自分の胸に手をやり、真剣な表情で蟹座コンビを見つめた。 「お前達に聞きたいことがある。忌憚の無い意見を聞かせて欲しい」 「何だよ、改まって」 「何なりと」 「やはり、女性は胸が大きい方が良いか?」 「「……………。はい?」」 マニゴルドもシラーも眼を丸くして間の抜けた声を出した。 若い男が集まれば女性の胸に関する好みの話題が出るのはごく自然なことだろう。マニゴルドもシラーも仲間内でその手の話をしたことくらいあるし、下世話な話を自粛するほどタナトスと蟹座コンビはよそよそしい仲ではない。 ないのだが、二人は複雑な顔を見合わせ曖昧に口ごもった。タナトスは男性としてではなく女性としての立場で質問したような雰囲気を感じたからだ。ちなみに女神タナトスは貧乳である。 しばらくの沈黙が流れ、タナトスが返答を促すようにジーッと二人を見つめ、蟹座コンビは奥歯に物が挟まったような顔で口を開いた。 「ボンキュッボンとスレンダーどっちが好き?って聞かれたらボンキュだけど、惚れた相手なら胸の大きさなんてどーでもいいぜ」 「僕は女性の外見に関してアレコレ好みは言わない主義ですので…」 「お約束の返答だな」 「じゃあタナトス様はどーなんだよ」 「胸の大きな女性の方が好みなのではないか?ヘカーテ様もそうだし、ヘカーテ様以外で付き合っていたのも胸が大きい女性が多かったようだし」 「いや、俺が聞いたのはこっちの世界のタナトス様の好みじゃなくて…ガッ!」 テーブルの下でマニゴルドに肘鉄を入れたシラーはそつの無い淡い笑みを浮かべて口を開いた。 「それは結果論ではありませんか?仮にヘカーテ様がスレンダーな方だったとしても、タナトス様はヘカーテ様と恋仲になっておられたと思いますよ」 「エウプロシュネやカレも胸は大きい方だったらしいぞ」 「誰だ、それ?」 「典雅の女神カリスの二柱、ヒュプノス神の妻パシテアの姉妹だよ。…そのお二方とタナトス様のお付き合いはとても浅く短いものだったと伺っております。あまり参考にならないのでは」 「タナトスの『元カノ』のニンフも胸の大きい者が多かったらしいが」 「エリシオンのニンフ達はボンキュな方が多いですし、胸の大きさでお相手を選んだとは言い切れないかと」 「むー…」 シラーの『優等生』な返答に女神タナトスは再度自分の胸に手を当てて複雑な顔になった。理屈では納得できるが、自分の胸が小さいことが気にならないかと言われたらそうでもないらしい。 …まー確かに、仮に俺が神様の悪戯で女になった時に胸がペッタンコだったら微妙な気分になるよなー、などとマニゴルドが妙に納得していると、シラーも大体似たようなことを考えていたらしい。 サイダーで唇を湿らせて、甘い顔立ちの美丈夫は微かに苦笑した。 「でも、もしも僕が女性になった時にメリハリの無い体にされたら複雑な気持ちになりますけど。せっかく女性になるならヘカーテ様のような『ナイスバディ』になってみたいですし」 「やはりお前もそう思うか」 「男の僕でも『どうせ女の子になるならボンキュボンが良いな』と思うんですから女の子はもっと思うんでしょうね。ソニアなんて豊胸体操を毎日やってるそうですから」 「よく知ってるなそんな事」 「自称『情報通』のアモールが、聞いてもいないのに教えてくれるんだよ」 「で、その体操は効果があるのか?」 「さぁ…」 シラーが首を傾げるとタナトスが残念そうな顔になった(効果があるなら詳細を聞きたかったのだろう)。 その反応にシラーはにこりと笑った。 「興味があるならタナトス様、ソニアに直接聞きましょうか?」 「ん?」 「おいおい、家族でも恋人でもねぇ女に豊胸体操のやり方聞くのかよ?セクハラだって言われるんじゃねーの?」 「そこは話の持って行き方ひとつでどうとでもなるよ」 「…では教えてもらおうかな」 「畏まりました、少々お待ちを」 シラーは携帯を取り出してソニアに電話をかけ始めた。 「…あ、ソニア?シラーだけど、今ちょっと良いかな?」 『ああ、大丈夫だ。あなたが私に電話など珍しいな。何かあったのか?』 「ちょっと聞きたいことがあって。…実はね、今、異世界のタナトス様が女性の姿でマニゴルド先輩の家にお出ましになってるんだよ」 『は!?タナトス神は男性ではなかったのか!?』 「何か色々あって一時的に女性になってるらしいけど、それはまぁいいんだ。些細な問題だからね」 『さ、些細なのか…』 「で、だ。詳しい経緯は端折るけど、女神タナトス様が君がやってる美容体操に興味を持たれてね。具体的な内容を知りたいって仰せなんだ。そういうわけで、体操のやり方を教えてもらえる?」 うまいな、とマニゴルドは思った。 異世界のタナトスが女性の姿で来ていると言うインパクト抜群の話でソニアを驚かせ、まともな感覚が麻痺したところに胸の話は出さず『美容体操』という単語で目的の情報を引き出すとは。 『具体的にと言われてもな…電話では説明のしようがないぞ』 「そうか…確かにそうだね。…ごめん、ちょっと待ってね。タナトス様、如何いたしましょう?ソニアの都合がつくならここか秋乃の店に来てもらいますか?」 「おい、シラー。タナトス様より俺の都合を聞けよ」 「来てくれるなら来て欲しいぞ」 「分かりました。…もしもし?君さえ良ければ直接レクチャーを受けたいってタナトス様が仰せなんだけど、今からマニゴルド先輩の家に来れる?」 「俺の都合を聞けっての!」 『私は別に構わんが、マニゴルド先輩の家は知らないぞ』 「そうか…じゃあエルミタージュ洋菓子店は分かる?」 『ああ、それならパラドクスと何度か行った事があるから大丈夫だ』 「じゃあエルミタージュ洋菓子店で待ってるよ。ありがとう、ソニア」 電話を終えたシラーは、ソニアを迎えるついでに布団も受け取ってきます、と言ってマニゴルドのアパートを出て行った。 |
| 星矢部屋 | 総合目次 | SS・2012時代 | SS・神話時代 | SS・蟹座達 |
| 例によっていつものごとく、蝶様とツイッターでお話しするうちに盛り上がって出来た話です。7月7日の七夕は蝶様のお誕生日と言うことで、去年に続いての蝶様おたおめSSです。蝶様双子神がゼウスの悪戯で女神になってしまったことがある、と言う
話はコラボSSでちらと触れましたが、今回は女神になってしまった蝶様タナ様メインでございます。と、言いつつ蟹座コンビの出番が多めですが…。ちなみに
蝶様タナ子様は女神になった時に胸が小さいのを気にしてるそうです(笑)。 |