双子神2012・再会
EPISODE 2


 神々と元聖闘士を乗せたワンボックスが街の大通りをゆっくりと走っている。
 向かい合わせの座席に腰掛けた双子神は、特に何を話すでもなく外の風景を眺めていた。車窓から差し込む陽の光がふたりの髪と睫毛を柔らかく輝かせ、完璧なラインを描く輪郭を淡く彩っている。
 芸術品を見るような感覚でその端正な横顔を眺めていると、ヒュプノスが一度瞬きして顔を星矢に向けた。
 …何か?
 言外に尋ねられ、そろそろ限界に近付いてきた空腹も紛らわせたくて、星矢は口を開いた。

「久々に見た地上はどうだ?すげー変わったなーって思うだろ?」
「…ああ、そうだな。我々が地上から眼を離していたのはほんの三百年程度だが、ここまで急激な変化が起きているとは予想外だった。エリスや母上が『地上の様子を見てこい』と勧めたのも納得できる」
「三百年が『ほんの』かよ…」
「本当に神が消滅したり異世界に移住しているのだな…」
「へっ?」
「神が消滅…だと?」
「どういうことですか、それ!?」

 タナトスが独り言のように呟いた言葉に、星矢達は目を丸くした。
 銀色の神は星矢達に視線を向けると、気付いていなかったのか?と子供のように首を傾げて見せた。

「これは受け売りなのだが…人間が神を信仰しなくなったことで、力を失った神が消えているのだそうだ。実際に地上を見るまで半信半疑だったのだが…」
「三百年ほど前にこの国を訪ねた時は至るところに神がいて、なるほど八百万の神の国と言うだけの事はあると思ったのだが…こうして神の消えた地上を見ると虚しくなるな」
「え?え?日本人が神を信仰しなくなったって…そんなことないだろ?神社だってあちこちにあるし、初詣とか、受験とか、安産とか、何かにつけてお参りに行ってるじゃないか。『苦しい時の神頼み』って諺もあるし」
「んー…でも、それって逆を言えば、神様に頼み事がある時しかお参りに行かない、神様を信じないってことじゃない?現代では自然現象や病気を何とかするために神様に頼ったりはしないもの」
「いや、まー、そりゃさ、三百年前に比べたら色んな事が科学で説明できるようにはなったけど。でも人間が神様を信じなくなった訳じゃないんだし、日本の神様達は煩い都会を離れて田舎に引っ込んでるだけだよ、きっと」

 星矢の言葉に双子神は微かに唇を綻ばせた。

「…そうだと良いな」
「いきなり異国から訪れた我々をこの国の神々は手厚くもてなしてくれた故、彼らが消えてしまったなどと思いたくないのは私も同じだ」

 厭味か皮肉が来るだろうと身構えていた星矢達は、予想外に素直で優しい言葉を返されて面食らった。
 神話時代の彼らを知っているアテナだけは驚く様子も見せず微笑んでいる。
 …沙織さんが驚いてないって事は、この双子の神様の素直な優しさは本来の姿なんだな。
 そう思った途端、星矢は妙に嬉しくなった。

「俺、あんた達は邪悪な神だってずっと思ってたけど違うんだな。本当は結構いい奴じゃないか!ギリシア神話では冥界の神は悪い奴みたいに言われてたけど、あれって案外嘘っぱちなんだな」
「………」
「ちょっ…星矢、もう少し言葉を慎みなさい!いくらなんでも失礼ですよ!大体、神話でも冥界の神はそんな悪しざまに言われていません!」
「え、そーなの?」
「そーなのって星矢…アテナから『冥界と和解するから話し合いの席に同席してくれ』なんて依頼を受けたのに、相手方に関する資料の一つも調べてないの?まさか本当に何も言わずにただボケーッと座ってるつもりだったとか?」
「そんなことはないぞ!いや、だって、アテナとハーデスは神話の時代から地上を巡って争ってたって事だけ知ってれば十分だと思ってさ。なぁ一輝?」
「…俺も自分なりに色々と資料を漁って情報は集めたぞ。今までの先入観がブチ壊される情報ばかりで驚いたが」
「へ…へぇ。どんな事が書いてあったんだ?話し合いの前に教えてくれよ」

 フォローしてもらうつもりがますます立場が悪くなった星矢は急いで話題をすり替えた。
 一輝と瞬はジト目で星矢を見たものの、『あくまで自分が調べた内容だけど』と前置きして口を開いた。

「神話の時代は『地上で生きる事が最高の幸せで、死ぬと言う事はその幸せを全て失う事』と考えられたらしいね。だから人間に死を与える神タナトスや冥界の 王ハーデスは人々から恐れられ、嫌われた訳だけど、彼らが人間に理不尽な害を為した記述は無かったよ。神に対する不敬を働いた人間に罰を与えた事はあるけ ど、至極真っ当な理由だったしね。無茶苦茶な理由で人間に罰を与えてるのはむしろオリンポスの神々なんだ」
「ハーデスは穏やかで優しくお人好し、ついでに恋愛事に関してはいわゆる草食系男子だったらしいな。死に対する恐怖や嫌悪のせいで冥界の神には悪いイメー ジが定着していたが、近代では死に対する認識も変化して、それに伴って冥界の神々に対する好感度も上がっているという印象だったぞ。ハーデス達を扱った ファンサイトもあったしな。………」

 一輝は言葉を切って微妙な顔でタナトスを見遣った。
 怪訝そうな顔をする死神の無言の促しで一輝は微妙な面持ちのまま言葉を続けた。

「死神タナトスの外見に関する説は複数あってな。地上の人間は死の間際にしか彼に会わないのだから想像するしかなかったのかもしれないが、何と言うか、バラエティに富みすぎだった」
「例えば?」
「死が恐ろしく忌まわしいだけのものだった時代は陰気な老人、極楽浄土へ旅立つ儀式と認識される比較的近代では美青年、他はキューピッドに似た小さな子供 の姿という説もある。どこかのファンサイトには、少年神タナトスが『戦争で死者が多すぎて過労死する〜』とべそをいて、ヒュプノスに『死神が過労死なんて するの?』と突っ込みを入れられると言う絵があって妙に印象に残ってたんだが、こうして実物を前にすると、色々とギャップがな…」
「………」

 皆が思わずタナトスを見つめて、しばしの沈黙が流れ、妙な間が空いた後。

「……ぶっ」

 星矢が盛大に吹き出して、腹を抱えて笑いだした。

「ぶわははははは!キューピッド…タナトスサマがキューピッド…ダメだ、想像しただけで笑い死ぬー!!一体どこからキューピッドみたいな子供なんて話が出てきたんだよ!?人間の想像力ってすげぇー!!」
「死神が過労死するなんてそんな発想、良く出てくるねぇ」
「なっ…何がおかしい!お前達、笑いすぎだろうが!ヒュプノス、お前もだ!人間が神の姿を勝手に想像しているのだぞ、一緒になって笑うなど何事だ!」

 星矢と瞬の爆笑に一瞬遅れてタナトスが怒鳴ったが、子供のように頬を染めているせいで気の毒なほど威厳も迫力も無かった。八つ当たりの的にされたヒュプノスは動じた風もなく笑っている。

「お前に対して好意的な印象を持っているからこそ幼子や美少年という姿で描かれるのだろう。良いではないか、兄上」
「どこが良いのだ!全く良くないぞ!大体、『兄上』と言えば無条件に俺が黙ると思ったら大間違いだぞ!」
「ああ、ならば言葉を変えよう。所詮はちっぽけな人間の貧弱な想像、神であるお前がいちいち気にかける必要はあるまい?」
「そーそー。神様だったらこのくらい笑って流さないと。人間のやる事にいちいちギャーギャー言ってちゃダメだぜ!器のちっちぇー奴だと思われちまうぞ?一応さ、若いイケメンって正しい説もあるんだし問題ねーだろ?」
「う…。………」

 星矢の言葉にタナトスはぐっと詰まり、ものすごく不満そうな顔をしながら渋々口を閉じて、不貞腐れたまま窓の外に顔を向けた。
 なんて分かりやすくて愛すべき神様なんだろう、と思いながら星矢は爆笑の名残の涙をぬぐった。
 もう少しいじってやりたかったが本気で臍を曲げられても困るので話題を変えることにした。

「…で?ヒュプノスサマはどんなこと書かれてたんだ?」
「うーん…外見に関しては美青年一択かな。で、普段は寝てばかりで、誰かに用事を頼まれた時だけ起きて、用事が済んだらまた寝ちゃうんだって」
「酷い時は子供に仕事を丸投げして寝ていたぞ」
「眠りの神と言うより怠け神だな」
「その言われようは心外だな。これでも私はタナトスと共に死者を迎えに行く仕事をこなしているのだが」

 ヒュプノスは穏やかな顔のままやんわりと抗議したが、特に気を悪くした様子はない。
 これなら多少不躾な質問をしても大丈夫かなと思った瞬は身を乗り出した。

「ところでヒュプノス神。あなたに関してびっくりするような記述があったんですけど、それが本当か嘘か教えてもらえませんか?」
「ほう。それはどのような?」
「子供が千人もいるって本当ですか?」
「………」
「せ…せんにん!?」
「色ボケ神ゼウスも真っ青だな」

 タナトスがキューピッドでどうこうという話は『千人の子供』のインパクトでどこかに吹き飛んでしまった。
 当のヒュプノスも表情の薄い貌に驚きの色を浮かべて絶句しているので、瞬は質問を続けた。

「あと、女神ヘラに頼まれて主神ゼウスを眠らせたら彼の怒りを買ってしまって、あなたに罰を与えようとしたゼウスがあまりにしつこいからお母様のところに 駆け込んで助けてもらったとか、そんな散々な目にあったのに、『以前から片思いしていた女神と結婚させてあげる』とヘラに言われてまたゼウスを眠らせる仕 事を引き受けたとか、あなたの子供の母は妻パテシアではなくお母様である女神ニュクスだとか、それって本当なんですか?」
「………」
「はっ?母親との間に子供??」
「いや、まぁ、原初の時代は神々が母子で結婚したり子供を産んだりと言うのは特別おかしなことではなかった、はずだが…千人は……」
「あんた、純情なのか色ボケなのかどっちなんだよ。つかどんだけマザコンなんだよ」
「で、本当なんですか?誇張されてるんですか?」
「………」

 ヒュプノスは曖昧に口を噤んだまま物言いたげな視線を兄に向けたが、タナトスは素知らぬ顔でそっぽを向いて何も発言する様子はない。
 元聖闘士達は沙織を見たが、スーッと視線を逸らされた。
 否定しないと言う事は事実なんだろうか。
 気になる事は解決しないと気が済まない星矢は我慢できず、一番簡単に口を割ってくれそうな神様をロックオンした。

「なぁなぁタナトス…サマ。今瞬が言った事、本当なのか?嘘なのか?」
「そんな事を何故俺に聞く?」
「お心の広ーいオニイサマなら教えてくれるかなって思ってさ」
「そんな口車には乗らんぞ…と言いたいところだが、教えないとうるさそうだからな。ひとつだけ答えてやる」

 タナトスは短く息を吐いて目線だけを星矢に向けた。
 何を言ってくれるかと期待する星矢達と不安げなヒュプノスをちらりと見て銀の神は淡々と告げた。

「ヒュプノスの子供は千人もおらぬ、息子が四人だけだ。ただ、いずれも夢を司る神ゆえ、自在に己の姿を変えられる。だからヒュプノスの子供は千人もいるなどと人間は勘違いしたのだろうな」
「へぇ。…で、その息子さん達の母さんは奥さんじゃなくお母さんなのか?」
「答えるのは一つだけと言ったであろう。強欲は身を滅ぼすぞ、人間よ」
「何だ、残念。…仕方ない、あとで妹さんのエリスでも捕まえて聞くとするか」
「連絡先の交換もしてないのにどうやって?」
「え?えーと…」

 瞬の突っ込みに星矢が真剣に悩み始めた時。

「あのう、皆様方。目的地に到着しております…」

 完璧な運転技術で店の駐車場に車を停めていた辰巳の遠慮がちな声がした。




 沙織が和解交渉の場に選んだのは、いわゆる「一般庶民」でも肩肘張らずに入れなくもない程度に高級な店だった。
 何せ神様をご招待するのだから、超がつく高級料亭か三ツ星レストランに違いないと思っていたのに。
 …と言う意味合いの事を沙織に言うと。

「常にスタッフが席の近くで待機してて、あなた達が緊張して話し合いや食事に集中できないほど高級すぎるお店は逆にふさわしくないと思って。タナトス殿とヒュプノス殿も『人間界基準で高級と言われる店でなくても良い』って言って下さったし、お言葉に甘えたのよ」

 柔らかな笑顔と共に女神らしいお心遣いの言葉が返ってきた。
 緊張していた星矢達はホッとすると同時に少々拍子抜けしつつ、神々の後をくっついて店に入った。



 例によって客やらスタッフやらの視線をくぎ付けにしつつ奥まった個室に案内された彼らは、準備されていたワインで乾杯をすることにした。

「聖域と冥界のより良い未来に繋がる話し合いになる事を願って…」

 沙織の言葉に軽くグラスを合わせると、タイミングを見計らったようにオードブルが運ばれてきた。
 …供された料理やワインや近況報告などの無難な会話が一区切りした時、タナトスがワインを一口含んでから改まった表情で口を開いた。

「アテナよ」
「はい?」
「我々は冥王ハーデスの正式な代理として交渉に来ている。即ちこの場における我々の返答は冥王の返答、冥界の最終決定に等しい」
「…はい」

 タナトスの言葉を受けた沙織の顔がはっきりと緊張した。
 星矢達も食事の手を止めて次の言葉を待った。

「俺は回りくどい話は好かぬのでな、結論から言わせてもらう」
「………」
「聖域が冥妃ベルセフォネー様を探し出すのに有益な情報を出してくれるのなら、我々は今後一切地上に手を出さぬと約束する。夜の女神ニュクスの子、死を司る神タナトス、スティクスにかけて誓おう」
「同じく眠りを司る神ヒュプノス、私もスティクスにかけて誓う」
「……!」

 タナトスの銀色の眼差しは真剣で、アテナは声こそ出さなかったが驚きで眼を丸くした。
 …スティクスにかけて誓うって何だ?
 こそっと星矢が尋ねると。
 …神々の誓いの大いなる証人にステュクスっていう河の女神がいるんだけど、彼女の名にかけて誓った者は何があろうとその誓いを破ってはならないって掟があるんだよ。誓いを破ったら厳しい罰が科せられるんだ。
 そっと瞬が囁き返した。
 つまりそれほど双子神は本気で真剣で、『冥妃ベルセフォネーに関する情報』を冥界は重視していると言う事だ。神話の時代から幾度となく聖戦を起こして手に入れようとした地上からあっさり手を引くほどに。
 沙織は水を一口含んで気持ちを落ち着かせると、深呼吸して真摯な眼差しを冥王の代理神に向けた。

「…確かに私は冥妃ベルセフォネーと『思しき』人物の消息を掴んでいます」
「………。『思しき』か」
「ええ、『思しき』です」
「断言できぬ根拠は」
「確証がありません」

 短い言葉の応酬は、料理が運ばれてきたことで一時中断した。
 十分すぎるほど熱いスープを上品な仕草で混ぜながら沙織は言葉をつづけた。

「私が最後にベルセフォネーに会ったのは二回目の聖戦の時期でした。あれから長い長い時が流れ、私は何度も転生を繰り返し、神話時代の記憶すら薄れていま した。とあるきっかけで当時の事を鮮明に思い出したけれど、私がベルセフォネーだと信じているあの方が本人だと証明する客観的な証拠はありません。他の証 人もいません。ですから、人違いの可能性も否定できないのです。99%の確信があっても100%の確証がない情報を、和解と言う重要な事柄の条件に出す事 は出来ません。地上を守る戦女神として1%の可能性も軽視する事は出来ないのです」
「…その1%とは、貴女の言う『冥妃ベルセフォネーと思しき人物』が人違いだった場合、和平交渉が決裂する可能性の事か?」
「和平交渉が決裂し、数百年後に始まる聖戦に夜の一族が介入する可能性です」
「………」

 アテナの言葉に双子神の手が一瞬止まった。
 優雅な仕草でパンをちぎって飲み下した死神はらしくもなく静かな声で答えた。

「聖戦はあくまでも冥王ハーデスが起こし、臣下である俺とヒュプノスが主君に従ったに過ぎない。夜の一族とは無関係だし、いかなる理由があろうとも聖戦に介入させる気はない。最初に伝えたと記憶しているが?」
「では言葉を変えましょう。夜の一族が『個人的事情』で聖域に宣戦布告する可能性です」
「………?」
「エリスが何か言ったのか?」
「『言わなくても分かってると思うけど、夜の兄弟達は仲が良くて兄貴達の事も大好きなんだよ。前回と今回の聖戦であんた達がやらかしてくれたおかげで私達 の堪忍袋の緒はブチ切れ寸前なんだ。絶対にお前達は聖戦に関わるなってクドいほど兄貴達が言うから今まで我慢してやってたけど、次にウチの大事な兄貴達に 何かやらかしてみな。その時は聖戦もハーデスも知ったこっちゃない、夜の一族が全力であんたを潰しに行くよ。例え天界を敵に回してもね』…彼女の眼は本気 でした」

 重苦しい沈黙が落ちた。
 タナトスとヒュプノスは驚きの混じった複雑な視線を交わらせた。
 アテナが双子神に害を為す事があれば夜の一族が動く…そんな重大な事をエリスが独断で言うはずがない。兄弟姉妹の意思は一致していて、母ニュクスもそれを容認しているという事だろう。
 母は言った、『ハーデスとアテナの聖戦に夜の一族は関わらない』と。それは裏を返せば、聖戦と関わりの無い事でアテナと戦う可能性があると言う事だ。夜の一族が総力を挙げれば戦女神の一柱くらい容易く討ち取れるだろうが、それを天界の神々が黙って見過ごすだろうか。
 沙織がそっと言葉を続けた。

「私は、数百年後に起こるかもしれない聖戦がきっかけで大地の一族と夜の一族の全面戦争が勃発する可能性を危惧しているのです。それは何としても避けねばなりません」
「…同感だな」
「ですから、『次の聖戦』を起こさないためにも、『冥妃ベルセフォネーと思しき人物』が人違いだった時の保険をかけたいのです」
「貴女がベルセフォネー様ではないかと思っている人物が別人だった場合、どのような条件で和平協定を結ぶか決めておきたい、と言う意味か?」
「そのように解釈して下さって結構です」

 凛とした態度で沙織が答えると、双子神は浅く顎を引いた。
 アテナの提案に異議は無い、と言う意味だろう。
 その反応に僅かに緊張を解いた沙織は、それでは…と続けた。

「冥王ハーデスが聖戦を起こした本当の理由を教えて頂けますか。冥王の側近であり、聖戦を始めた当事者であるあなた方から、証人のいる前で」
「………」

 タナトスは銀色の眼差しを眇め、ヒュプノスはゆっくり瞬きした。
 アテナはハーデスが聖戦を起こした本当の理由を確信に近いレベルで察しているはずだ。しかし『察している』というあやふやな土台の上で和平交渉をするのは危険だろう。万が一、聖域と冥界の間に認識の齟齬があったら後々問題になるし、アテナの要請は尤もだ。
 眠りの神は視線を兄神に向けて金色の睫毛をそっと伏せた。
 その仕草の意味を正しく理解した死神はワインで唇を湿らせて口を開いた。
 
「結論から言おう。我々が聖戦を起こしたのは、地上のどこかで暮らしている冥妃ベルセフォネー様をお探しするため。人類滅亡や地上掌握が目的ではない。…と言ったところで、途中の経緯を知らねば何の事か分からぬだろうな」
「…ですね」
「だな」
「つかベルセフォネーって誰?メーヒってことはハーデスの奥さんなのかな程度は分かるけど」
「そこからか…」

 タナトスは深々と溜息をついた。
 沙織は軽く額を押さえ、瞬と一輝は呆れた顔で星矢を見て、ヒュプノスはもう何か達観したように微笑んでいた。

「面倒だから一番最初からかいつまんで話すぞ。疑問があったらその都度質問しろ。それでいいな?」
「お手数おかけしますわ…」
「まず原初の女神カオスがいて、そのカオスは複数の神を産んだ。今回の話に絡むのは大地母神ガイアとその妹、夜の女神ニュクスだ。ガイアの一族には天空や 山や海がいて、奴らは地上で暮らしていた。我々ニュクスの一族は地底タルタロスで暮らしていたが、しばしば互いを訪ねて交流する程度の親しい付き合いはし ていた。…あの事件が起きるまではな」

 死の神は銀色の眼に嫌悪を孕んで吐き捨てた。
 …兄に代わってヒュプノスが話を引き取り口を開いた。

「地母神ガイアは息子の天空神ウラノスと恋をして結婚し、子供を身籠った。新しく従兄弟が産まれると聞いて、幼かった私達は大喜びしたものだ。…しかし産 まれてきた彼らの息子達…ギガース…は、化け物のような姿をしていた。ウラノスは『こんな醜い奴が自分の子であるはずがない』と言って産まれたばかりの我 が子を地底タルタロスに突き落としたのだ」
「ひでぇ…」
「タルタロスに堕とされた彼らを最初に見つけた私とタナトスは、泣きじゃくる彼らを家に連れて帰り、新しい夜の一族として受け入れた。その出来事がきっか けで私達の心にはウラノス達大地の一族に対する嫌悪と軽蔑の感情が生まれ、交流を絶ったのだ。しばらくしてウラノスの末の息子クロノスがガイアの助力で王 位を奪い取ったが、父と同じ理由で、一度は地上に呼び戻したギガース達をタルタロスに追い返した。『こんな醜くて力のある者を傍においていたら自分の王位 を奪われる』と言ってな」
「最低だな」
「そのクロノスの行いに腹を立てたガイアは、『お前もまた我が子によって王位を奪われる』と予言した。その予言が的中することを恐れたクロノスは、産まれ た子供達を片っ端から呑みこんだ。しかし、最後に産まれたゼウスだけはレアが機転を利かせてクロノスの眼から隠したのだ。そのゼウスが成長し、兄と姉を助 け出し、父クロノスを討つために起こした戦がティタノマキアだ。戦は十年の長きに亘ったが、タルタロスにいたギガース達がゼウス側についたことで拮抗が崩 れ、ゼウスが勝利した。その後の籤引きで三兄弟が納める世界を決めた話は有名であろう?」
「あなた方はティタノマキアには参加しなかったのですね」

 熱心に話を聞いていた瞬がそこで初めて口を挟むと、タナトスが嫌悪を隠しもしない顔で鼻を鳴らした。

「我が子を蔑ろにしてまで覇権を巡って争う馬鹿どもに関わる理由がどこにある?ゼウスがギガースに協力要請に来た時には無関係な俺達を巻き込むなと本気で思ったぞ」
「そのギガース達がゼウスに協力するのは止めなかったんですか?」
「奴らが『クロノスに復讐してくるだけだ、カタがついたらちゃんと帰ってくる。我々の家はここで、兄弟はお前達だから』と言ったから黙って送り出しただけ だ。…結果、ヘカトンケイル達がハーデス様を連れて帰ってきたがな。ゼウスやアポロンが色々やらかしてくれたおかげでキュクロプス達も帰ってきたが…それ は今回の一件とは関係ない」
「え?えーと…ちょっと待って下さい、つまりあなた達はガイアの一族に良い印象を持ってなかった訳ですよね。なのにガイアの一族であるハーデスを冥王として受け入れたんですか?」
「なかなか良い質問だ、アンドロメダ」

 タナトスは浅く頷いて唇をワインで湿らせた。

「ウラノスやクロノスは三界…つまり天、海、冥だな…の王を名乗っていたが、奴らは冥界に一切関わらなかった。故に長らく夜の一族が冥界を管理していたの だが、事前の打診も相談もなく『ハーデスが冥王になるのでよろしくやってくれ』と通達が来て、我が兄弟達は猛反発していた。今まで争いもなく平和に過ごし ていた冥府にガイアの一族は争いを持ち込もうと言うのか、とな」
「何だか他人事みたいな言い方だな。あんた…あ、いや、タナトスサマが一番そーゆーのに腹立てそうなイメージあるけど」
「それは私も同感だった。ハーデスが冥王を名乗った事にどう対処するか家族会議を開いたのだが、怒り狂う兄弟姉妹を一番冷静に眺めていたのがタナトスだった」
「腹を立てる理由が分からなかったからな」

 ケロリとした顔でタナトスは言って、ヒュプノスは兄神の言葉に何とも言えない微妙な顔になった。
 その部分は端折らずに説明した方が良いと思ったのか、ヒュプノスが話を引き取った。

「我々の了解もなく冥王を名乗った事も不快だったが、不快だから無視すればよい、ハーデスが冥王を名乗っても関わらなければ良いと割りきれぬ事が一番の問 題だった。なにしろ一族の長兄であるタナトスは死を司る神、冥王と無関係ではいられぬ。しかし冥王と関わる事は即ち冥王の臣下となることと同じ。一族の長 兄がハーデスの臣下となれば、夜の一族が大地の一族の支配下に入ったと見做されるのではないか。そんな屈辱が受け入れられるはずがない…皆の考えは概ねこ んなところであった」
「まぁ当然の反応だな」
「しかしタナトスまでが冥王に仕える事を拒絶すれば、それもまた問題だ。悪くすれば夜の一族と大地の一族が争う事になるかも知れぬ。それは避けたい、い や、一族の誇りを守るためなら戦も辞さぬ、と兄弟達の間で意見が対立して会議が紛糾した時、タナトスが言ったのだ。『俺一人が冥王に使えれば済む話であろ う?適当な理由を付けて俺を一族から追放すれば良い』…この発言で家族会議は大騒ぎだ。流石の私も思わず『寝言は寝てから言わぬか馬鹿兄貴!』と怒鳴った ぞ」

 ヒュプノスは盛大な溜息をついてタナトスを見たが、本人は素知らぬ顔で料理を口に運んでいる。


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星矢部屋
総合目次
SS・2012時代
SS・神話時代
SS・蟹座達


 星矢達 と双子神が結構仲良く…というか割と気さくに話が出来る雰囲気になったことと、「神が消滅している」話も消化。日本の神が消滅してるとか何とかの話に関し ては悩んで書いたり消したり、「神様が消えてると言われれば思い当たる節が…」とか、「神が消えて守りが薄くなったから異世界の死神の介入を許したのでは ないか?」とデスノとリンクさせる会話を入れようかとか散々試行錯誤して結局カットしました。デスノの事件については作中で触れたいのですが…どのタイミ ングにするか悩むところです。
 原典のギリシア神話を読んで「ある日突然ハーデスが冥王を名乗ってやってきたのに、夜の一族は反発しなかったんだろうか?」と言う疑問に対する答えを自分 なりに考えてみたり。そしてタナトスの兄弟想いの一面や彼の性格の一端なども紹介する感じで。後ヒュプノスが隠れブラコンってことも(笑)。
 星矢が何だかお馬鹿キャラになってますが、私が彼を嫌いとかではなく、話を進めるためのワトソン的なポジションに立ってもらったためです。
あと、本文内で説明できなかった部分の補足など。「眠りの神は視線を兄神に向けて金色の睫毛をそっと伏せた。」これは、ヒュプが経緯の説明を兄のタナトスに任せる、という意思表示です。
 それと、この話の最後には当サイトオリジナルのキャラが出てきます。どういう設定、立ち位置のキャラかはバレバレだと思いますが、オリキャラが苦手な方はご注意ください。