幻朧の時
序章

 …けたたましく警報が鳴っている。
 村のそこかしこから火の手が上がり、人々が着の身着のまま逃げていく中を赤毛の少年が全力で走っていた。
 既に半壊して火の手が回りかけている家の前に駆けつけた少年は一瞬呆然とし、周囲を見回して声を張り上げた。

「ウエンディ!どこにいる、返事をしろ!ウエンディ、ウエンディーーーーッ!!!」
「…お…お兄ちゃん…?」
「!!」

 微かに聞こえた小さな女の子の声に少年は顔を跳ね上げた。

「ウエンディ?どこだ、どこにいる??」
「お兄ちゃん、お兄ちゃん!!」
「ウエンディ!」

 妹の声は半ば崩れかけた家の中から聞こえた。少年は地面に膝をつき、倒れた柱や梁の隙間から中を覗き込んだ。
 …薄暗く狭い空間には何故か銀色の光が差し込んでいて、その光の中に金色の髪をおかっぱにした女の子…妹の顔が見えた。
 大きな目に一杯の涙を浮かべた妹は、兄の顔を見て嬉しそうに微笑んだ。
 少年はほっと安堵の息を吐いて、狭い隙間に潜り込むようにして妹に手を差し伸べた。

「掴まれ、ウエンディ!すぐに引っ張り出してやるから!」
「来てくれたんだね、お兄ちゃん。良かった、最後にお兄ちゃんに会えて」
「最後って…何を言ってるんだ!一緒に逃げるんだ、早く手を伸ばせ!!」
「あのね、今、私の隣に死の神様がいるの」
「…………」

 妹が静かに言った言葉に少年は蒼い眼を見開いた。
 …妹の傍らに見えるのは神々しく眩い銀色の光、その光の中に死の神がいるのだと少年は直感的に信じた。銀色の死神が今、妹を冥界に連れて行こうとしているのだと。
 少年は銀色の光に向かって必死に訴えた。

「神様!ウエンディは僕の大事な、たった一人の妹なんです!冥界になんて連れていかないで!お願いします!お願いだから、連れていかないで…!」

 少年の必死の懇願に銀色の光が揺れた。
 その願いは聞き届ける事は出来ない、と言うように。
 愕然とする兄の手を金髪の妹がそっと握った。

「神様は待ってくれたの。お兄ちゃんが来てくれるから、最後に話をする時間くらいは私を連れて行くのを待ってやるって言ってくれたの」
「最後なんて言うな、ウエンディ!一緒に来い!!」

 涙がどっと溢れた。
 少年は頬を涙で濡らしながら懸命に手を伸ばして妹の手を掴んで引っ張ったが、彼女の身体はびくとも動かなかった。
 妹は聖母のように穏やかな顔で言った。

「ねぇお兄ちゃん。私の最後のお願い、聞いて?」
「最後なんて言うな!最後なんて…」
「お兄ちゃんは死んじゃダメだよ。私の分まで生きてね。絶対に、絶対に生きて、そして、いつかきっと、こんな悲しいことが起こらない平和な世界を作って。きっとお兄ちゃんならできる。私、信じてるから」
「ウエンディ…」
「お願いね、お兄ちゃん」

 最後の力を振り絞るようにして妹が兄の手を握り締めた時、地面に這いつくばって家の中に手を伸ばしている少年に気付いた大人が数人駆け寄って来た。

「こんなところで何をやってるんだ、坊主!死にたいのか!!」
「敵が近くまで来てる、逃げるぞ!」
「待って!待って、中にまだ、妹が!!」
「かわいそうだが引っ張り出してる時間は無い!運が良ければ助かる、お前だけでも逃げるんだ!!」

 大人達に身体を掴まれ腕を引っ張られ、一度は繋がった兄妹の手は呆気なく引き離された。大人達に強引に引きずられながらそれでも少年は必死に手を伸ばして妹の名を呼んだ。

「ウエンディ、ウエンディ、ウエンディーーーーーーッ!!!!」

 釘で止めつけられたような少年の視線の先には、青白い炎を携えた銀色の光があった…
 





 …粗末な避難所の壁に背を預けて膝を抱えたまま、少年はピクリとも動かなかった。傍らに置かれたスープは一口も手をつけられないまま冷めきっている。
 避難所に誰かが入って来る度に、はぐれた家族や友人知人が来たかと人々がハッと顔を上げるが、少年は視線すら動かさなかった。
 彼は、自分の家族がここに来る事は無いと知っているから。
 大人達に引きずられ妹と引き離されたあの時に見た銀色の光と、銀色の光が携えていた青白い炎。あれは死の神が刈り取った自分の家族の魂だと分かってしまったから。
 だから、自分の家族がここに来る事は無い。決して。

(お兄ちゃんは死んじゃダメだよ。私の分まで生きてね。絶対に、絶対に生きて、そして)

 お兄ちゃんは生きて。
 それは、たった一人の妹が最後に願った事。それは、兄妹の最後の約束。
 …だから。

(僕は生きる)
(僕は絶対に生きる、ウエンディの分まで)
(僕は死なない)
(僕は絶対に死なない、生きるんだ)
(ウエンディの為にも、僕は、生きる)

 生きる。
 蒼い目に暗い光を孕んで膝を抱えたまま、少年は…シラーは、ただそれだけを心に刻み続けた。


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星矢部屋
総合目次
SS・2012時代
SS・神話時代
SS・蟹座達


 Ω二期でシラーさん再登場があるとしたら…をコンセプトに、予想と理想と願望と妄想をフル稼働して書いたSSです。例によって本編(Ω二期3話目のユナ合流回)放送前に予想先行で話を作っています。
 解説など。
 シラーさんが生に執着する理由は本編中では特に語られなかったのですが、少年作品的に『赦される』理由づけとしては『家族や愛する人との約束』が定番か なと思ってこんな感じに。シラーさんの妹の名前ですが、私が以前好きだった格ゲーにソニアとウエンディーという姉妹がいまして。で、Ωにはソニアと言うお 姉さんが出て来たのでじゃあ妹キャラでウエンディにしようかなと。語尾を伸ばさない(ディーではなくディ)のは、私の周囲にいたウエンディー好きな人は皆 『ウエンディ』と呼んでいたからというこまか理由だったり。
 で、銀色の光(タナトス)や魂が見えるのは、蟹座特有の特殊能力です。シラーさんは子供のころからそういう能力に目覚めていたみたいな感じで。