幻朧の時
EPISODE  2

 青白い月の光が照らす森の中を、光牙とユナが駆けていた。
 女神パラスの本拠地を探す任務の途中で不審な建物が見つかったという情報が入り、その調査に派遣されたのだが…。
 鬱蒼と茂る木々を見回してユナは油断のない眼で呟いた。

「建物らしきものは全然見えないわね」
「情報が間違っていたんだろうか…。……危ない、ユナ!」
「!?」

 突如現れた強大な小宇宙と殺意に気付いた光牙がユナを抱えてその場から飛びのいた次の瞬間。
 ザン!!!
 地面が抉れ、周囲の木々が根こそぎ倒れ、二人の鼻先を掠めてかまいたちのような衝撃が走り抜けた。

「パラサイト!?」
「くそ、罠か!」
「おや?ネズミが入りこんだと聞いて来てみれば、君達だったのか。久しぶりだねぇ」
「!!」

 月明かりの中、巨大な鎌を携えてゆっくりと歩み寄る敵の姿を認めた光牙とユナは驚愕に目を見開いた。
 緩く波打つ長い赤毛、褐色の肌、スティールブルーの眼。甲冑とローブが融合したような鎧…クロノテクターを纏い、死神を思わせる大鎌を持ったその男に、二人は見覚えがあった。

「お前…蟹座のシラー!?」
「生きていたの!?」
「女神パラス様の偉大なお力で危ういところを助けられてねぇ…蟹座の聖衣と言う甲羅を脱いで生まれ変わったんだよ。…ああ失敬、自己紹介がまだだったね?」

 シラーはクックッと笑いながら慇懃に大鎌を構えて会釈して見せた。

「僕は女神パラス様のしもべ、『デスサイス・万死ヲ刻ム影』のシラー。改めてよろしく、アテナの聖闘士達」
「パラスのしもべ?…まさかあなた、パラサイトに!?」
「デスサイス・万死ヲ刻ム影…だと!?」
「その通り。女神パラス様より賜ったこの大鎌『万死ヲ刻ム影』は死の神が人間の魂を刈り取るそれをモチーフにしたもの。死と創造を司る僕に相応しい得物だとは思わないかい?ククッ…」
「…………」
「そう言えば、君達には借りがあったねぇ?あの時の借りを返してもらうよ…君達の命でね!」

 余りの事に呆然とするふたりに、シラーは大鎌を振り被って一閃した。

「環伐弐閃!!!!」
「きゃぁぁぁっ!!」
「うわぁぁーーーーーーーー!!」

 シラーを中心に風が巻き起こり地面が抉れ、驚き戸惑い完全に不意をつかれた光牙とユナは呆気なく吹っ飛ばされて大木に叩きつけられた。
 …大鎌を肩に担いだシラーは、あからさまに落胆した顔になって溜息をついた。

「まぐれとは言え黄金だった僕を圧倒した君達のこと、聖衣も新しくなって一体どれほど強くなったのかと思えばこの程度…所詮青銅は青銅ってことか。まぁいい、今回は油断も手加減もしないよ。僕自身の手で確実に息の根を止めてあげよう」

 鎌を携えてゆっくりと近づいてくるシラーを見遣り、ユナは傍らの光牙に尋ねた。

「これは一体、どういう事なの?パラスの目的はアテナを破滅させる事でしょう、『争いの無い平和な世界を創造したかった』シラーがどうしてパラスに従っているの?」
「分からない。分からないけど、アイツが俺達を今度こそ殺そうとしているのは確かだ。逃げ切れる相手じゃない、戦わないと!」
「光牙!」
「分かってるさ、ユナ。俺は殺す気も殺される気もない。だけど、俺がアイツの相手をしてる間に話をすることくらいは出来るだろ?」
「光牙…」

 ユナににこりと笑って見せて、光牙はすっくと立ち上がってシラーに指をつきつけた。

「さっきはアンタが生きてた事に驚いて技を食らったが、次はそう簡単にはいかないぜ!行くぞ、シラー!」
「へぇ…じゃあお手並み拝見と行こうか」
「ペガサス――流星拳!!!」

 ガガガガッ!!!
 光牙が渾身の力で繰り出したペガサス流星拳はシラーが構えた大鎌の柄で難なく受け止められていた。
 芝居がかった仕草で溜息をついたシラーは、流星拳の一瞬の隙をつき、光牙の拳を受け止めた大鎌で彼を殴り飛ばした。

「うああぁっ!!」
「全く…タイタンは何を思って僕を派遣したんだろう。こんな屑相手なら三級の奴でも充分だろうに…それともネズミが君達だと知っていたから気を利かせてくれたのかなぁ?」
「シラー!」
「君の相手はこいつを倒した後でしてあげるよ、アクィラ」
「私も光牙も降参してパラスに投降する、と言ったらどうするの?それでも殺す?」
「…何?」

 光牙に歩み寄っていたシラーが足を止めた。
 ユナが両手を挙げたが、シラーはあからさまな猜疑の眼をちらりと向けただけで再び光牙に向かって歩き出した。

「…その手には乗らないよ。『私が皆を助ける』とか『この命に代えても光牙を守る』とか、ジョークとしか思えない宣言を実現させた君が白旗を上げるなんて信用できないからね」
「じゃあせめて、冥土の土産に教えて頂戴。あなたは何故、パラスに与したの?」
「愚問だね。以前話しただろう?僕は死ぬ事が嫌いなんだよ。パラス様は僕を助けて下さった。そして、肉体の時の流れを止めることによって僕に永遠の生を与えると約束して下さったからさ」
「嘘よ」
「…………」

 光牙に足を向けかけたシラーが今度こそ足を止めてユナに向き直った。
 降参すると言われた時は苦し紛れの時間稼ぎだろうと思ったが、自分がパラスに与した理由を躊躇い無く『嘘』と断言された事は引っかかった。

「随分はっきりと言いきったね。何を根拠に?」
「あなたが死を嫌うのは、永遠に生きたいという願望は、手段であって目的じゃないからよ。パラスに与してもあなたの真の目的は遂げられない。目的を遂げる手段の為だけにパラスに与するとは思えないわ」
「知った風な口を…。じゃあ教えてくれるかな、僕の真の目的とやらを」
「『争いの無い平和な世界を創造する』という、大切な人との約束を果たす事よ」
「はぁ?大切な人との約束?馬鹿馬鹿しい、一体どこからそんな話が…。……………」

 ユナの言葉を切り捨てかけたシラーがふと言葉を切って眉根を寄せた。
 争いの無い平和な世界を作ると言う、大切な人との約束…
 …約束?
 いつ?
 誰と?
 思い出せない。
 そんなもの、記憶にない。
 …これは青銅の苦し紛れ、時間稼ぎの稚拙な揺さぶりだ。真面目に考える価値なんて無い。無視してさっさと殺せばいい。
 頭ではそう思いながら、シラーの足は動かなかった。
 彼の様子がおかしいことに気付いたユナは、光牙にそっと目配せして一歩前に出た。

「あなた、『女神パラス様の偉大なお力で危ういところを助けられた』って言ったわね。それってつまり、永遠の命を与えてやるなんて甘い言葉であなたを仲間 に引き込んだマルスは、あなたが命の危機に瀕していても助けてくれなかったってことでしょう?マルスと同じ言葉であなたを巻き込んだパラスが同じ事をしな いという保証があるかしら?」
「…黙れ」
「『争いの無い平和な世界を作る』という大事な人との約束はあなたの生きる目的だったはず。それを覚えていないなんて、どう考えても不自然よ。パラスが意図的に操作して消すか封印したとしか思えないわ」
「黙れ」
「パラスは何故、あなたの記憶を封じたのか。答えは簡単、争いの無い平和な世界を作る気なんて無いからよ。あなたを利用するためにその記憶が邪魔になるからよ!」
「黙れ、黙れ、黙れ!!」

 絶叫したシラーは力任せに大鎌を振りまわした。
 かまいたちが草を薙ぎ、木を切り裂き、大地を抉ったがその攻撃は明らかに精細さを欠いていた。
 …彼は迷っている。動揺している。躊躇っている。そして、怯えている。
 信じたもの、心の拠り所にしていた存在が不確かな幻だと気付いてしまったから。自分の居場所を見失ってしまったから。
 滅茶苦茶に振りまわされる大鎌を避けながら、ユナは必死に声を張り上げた。

「私の話を聞いて、シラー!」
「そんなもの、聞いてどうなる!綺麗事の理想論を並べ立てるしか出来ない、僕をけなすだけで代替案も出せない偽善者の君の話を聞いて、一体何がどうなるって言うんだ!僕がどうするべきか道を示す事も出来ない癖に!!」
「ちょっと待てよ、人の話は最後まで聞くのがマナーってもんだろ?『冥土の置き土産』にユナの話を聞いてやってもいいんじゃないか?」
「!!」

 完全にユナに気を取られていたシラーの死角から近づいた光牙が、彼が振りまわしていた大鎌を掴んで押さえつけていた。
 得物を押さえられたところで肉弾戦に持ち込めばいいだけ…とシラーが身構えると、光牙は不敵にニヤリと笑った。

「『たかが青銅』相手に何を焦ってるんだよ?ひょっとしてユナの話を聞いてる間に逆転されるんじゃないかと思ってビビってるのか?」
「…………」

 …シラーは唇を噛んで光牙をひと睨みすると、忌々しく舌打ちして彼を振り払い鎌を肩に担いだ。

「そこまで言うならご高説を伺ってあげるよ。但し、パラス様は時間に厳しい方だから手短にね」
「代替え案ならあるわ。道を示すなんてご立派な事は出来ないけど、一つの選択肢を提案する事は出来る」
「…へぇ?」
「あなたは、アテナの元に戻ればいい」
「……………」

 ユナが迷い無く言い切った言葉にシラーは一瞬目を見開き、そして乾いた笑い声をあげた。

「…フッ…フハハハハハハ…何を言うかと思えば!『アテナの元に戻れ』だって?全く、本当に君達青銅はジョークのセンスだけは卓越しているね」
「私は本気よ」
「相変わらず甘いねぇ、君は。マルスが倒れて本物のアテナが帰って来た事くらい僕でも聞いているよ。マルスに与してアテナと敵対した僕が今更アテナの元に戻れるなんて本気で思っているのかい?」
「ええ、思ってるわ」
「…………」

 シラーの顔から笑みが消えて戸惑いが浮かんだ。
 …光牙は無言でユナとシラーの『対決』を見つめていた。
 きっとこれが、ユナが心に決めた『悔いの残らない戦い』なんだろう。命の奪い合いではなく、分かり合い歩み寄る努力をする事が。
 ユナは強い意志を宿した眼差しを真っ直ぐにシラーに向けて言葉を続けた。

「貴鬼さんが言ってたわ、『シラーも地上の平和のために戦ったアテナの聖闘士だ』って。アテナだってきっとそう思ってるはずよ。だから、あなたがアテナの元に戻る のならあの方は必ず受け入れてくれる。マルスに味方していたフドウやハービンジャーもアテナに赦されて彼女の元にいるんだから」
「…僕は彼らとは違う。僕はアテナの元を離れてパラスに与した。一度ならず二度もアテナに敵対する道を選んだ僕が赦されるはずが…」
「あなたは自分の意思でパラスに与したんじゃない、記憶を改竄されて操られていただけ。私と光牙が証人よ」
「……………。何故」

 シラーはひどく戸惑った目でユナを見た。

「何故、君はそんなことをする?何故、君や、君の友達を殺そうとした僕を助けようとする?」
「勘違いしないで、私はあなたを助けるつもりなんて無い。合理的に考えて、あなたとは命の取り合いをするよりも説得して味方に引き込んだ方が良いと判断し ただけよ。だってそうでしょ?あなたも私も『争いの無い平和な世界を作る』という目的は同じなんだもの、利害が一致している者同士が手を組むことに何も問題は無いわ」
「…………」
「あなた、本当は自分でも気付いているんでしょう?自分がパラスに都合よく利用されているだけだって事に」
「………!」
「パラスがアテナを倒せば自分の身は安全だと思ってるならそれは間違いよ。マルスは…メディアは、自分達の勝利を確信した途端に実の弟すら切り捨てて見殺しにしたわ。マルスと同じ言葉であなたを仲間にしたパラスもきっと同じ事をするでしょうね」
「な…!?」
「それでもあなたはパラスを信じる?フドウやハービンジャーを赦して受け入れたアテナよりも、パラスを信じて従うの?」
「…………」

 シラーは答えない。答えられない。
 ユナは強い決意を宿した目で一歩を踏み出し、迷いと戸惑いで一歩も動けなくなっているシラーに手を差し出した。
 自分の手で死なせてしまったと思っていた彼が生きていたと分かった今、死地に追いやるも同然と分かっていて彼をパラスの元には返したくはなかった。

「さぁ、私と一緒に来て。アテナならきっと、パラスが封印したあなたの記憶も甦らせてくれるはずよ。進む道を選ぶのは記憶を取り戻してからでも遅くないはずだわ」
「………、………」

 迷いながら躊躇いながら、それでもシラーは恐る恐る手を伸ばして、ユナがほっと安堵の息を吐いた、その時。
 ドシュッ…
 ユナの手に届きかけた手が不自然に宙に浮き、大鎌が地面に転がり、顔から表情が消え、虚空を見つめたままシラーはゆっくりと前のめりに倒れた。
 …その背には、先端が螺旋のようになった巨大な長槍が刺さっている。

「あーあ、全く…青銅二人を始末するのにいつまでかかってるんだと思って見に来て見れば、案の定だぜ。元黄金って言うからどれほどのものかと思えば、マルスの手駒は所詮この程度ってことか。それにしても、ここまで使えない奴だとはなぁ…」
「!?」

 状況が飲み込めず戸惑うばかりの光牙とユナの前に、青白く長い髪を頭の高いところで一つにまとめた若い男が姿を見せた。『好青年』と言う言葉が似合う顔立ちでありながらクロノテクターを纏っているのが酷く奇妙に見える。
 男はシラーの背に突き刺さった長槍を抜くと、たちまち足元に広がる血だまりなど意に介さぬ風で何かを確認する仕草を見せた。

「おっ、丁度定時になったか。今日の仕事は終了だな」

 うーん、と伸びをして踵を返した男の背中に光牙が叫んだ。

「ちょ…ちょっと待てよ!何なんだお前!?いきなり出て来て名乗りもあげずに俺達を無視して帰る気か!?」
「俺は時間外労働はしない主義なんだ。残業してでも倒す価値のある聖闘士なら戦うが、シラー如きに苦戦する雑魚相手じゃなぁ…名乗る時間も勿体ないぜ。お前達だって俺を相手に戦っても殺されるだけだって分かってるだろ?命拾いできてラッキーじゃないか」

 振り向いた青白い髪の男が笑いながら答えた時、彼の足元に倒れていたシラーが微かにうめき声を上げた。

「……う…」
「あれ?コイツ、まだ生きてたのか。ほんっと往生際が悪いっつーか、生き汚い奴だなぁ。ちょっと待ってろよ、今とどめを刺してやるから」
「あなた、時間外労働はしない主義じゃなかったの!」
「…………。ああ、そうだったそうだった。サンキュー、お譲ちゃん。うっかりサービス残業するところだったぜ」

 ユナの言葉に男はニヤリと笑い、振りかぶった長槍をくるりと回して肩に担いだ。

「礼と言っちゃなんだが良い事を教えてやるよ。中途半端に実力はあるくせに、目の前にニンジンぶら下げられて甘い言葉で揺さぶられるとホイホイと乗っちまうバカな蝙蝠の利用方法だ」
「…………」
「そいつが敵であるうちに首を取って自分のボスのところに持っていくんだ。出世への近道になるぜ」
「…素晴らしい処世術を教えてくれてありがとう。参考にさせて頂くわ」
「どういたしまして」

 あくまでも好青年の顔で笑みを浮かべて茶目っ気たっぷりの仕草で敬礼すると、男は満月が浮かぶ夜空に消えて行った。


NEXT



星矢部屋
総合目次
SS・2012時代
SS・神話時代
SS・蟹座達


 聖衣が貴鬼の元に帰ってきてるので、シラーさん復帰があればやっぱり敵組織の先兵というセンが妥当かと思います。パラサイトになったシラーさんや、オリ ジナルパラサイトの二つ名や武器の名前を考えるの、楽しかったです(笑)。「デスサイス」の元ネタは「黒執事」の死神さんたちが使う魂を刈り取る道具の名 前(作中で出て来る「正規の死神」が使う道具はチェーンソーや高枝切り鋏や芝刈り機ですが)、「万死ヲ刻ム影」は「.hack//G.U.」で主人公が使 う最強クラスの大鎌の名前です。SS「電脳世界」でもちょいと出てきましたが、タナトスがネトゲのキャラで使ってる武器の名前と同じです。
 新しい武器を得意気にお披露目するシラーさんですが、これは彼の精神的な幼さの表現として狙ってみました。ユナに対してマリオネットを自慢したり、光牙 に対して蟹座の聖衣を自慢したりしてたのは、子供がお気に入りの玩具を自慢する感覚なんじゃないかなと。身も蓋もない言い方をすれば、新しい玩具をのび太 に見せびらかして自慢するスネ夫みたいな感じ。
 んで、パラスに付くにしてもガチかつ正気で自分の意思で決めました!だと味方に戻るのは難しくなるので、「記憶を操作されて半分操られているような状態」という言い訳をしました。その他の理由は後編で明かします。

 仮にユナとシラーさんが再戦したら、「今度こそ息の根止めてやるわ!」になりそうな気がしなくもないですが、やっぱり和解の道を探って欲しいなと。シ ラーさんは精神的に脆そうだから、ちょっと揺さぶりかければすぐぐらつくんじゃないかな、と。マルスに見捨てられたと言う過去があるから、「まさか今回 も…?」みたいにすぐ動揺しそう。
 そして、シラーさんを始末しようとしたパラサイトは自然に名前を明かす事が出来なかったのですが、名前は「ハイぺリオン」です。二つ名や名前の由来は後 編の解説で。外見は「.hack//G.U.」のクーンをイメージしました。ゲーム本編のクーンは銃剣士でしたが、小説では槍使いだったので武器は槍にし ました。「時間外労働はしない」ネタは「黒執事」の死神さん達と時間を操るパラサイトのイメージから。