幻朧の時
EPISODE 3

 …手を伸ばす。
 目の前にいるのにひどく遠い妹に向かって手を伸ばす。必死に手を伸ばしているのに届かなくて、愛しい妹の儚い笑顔は銀色の光の中に消えていく。

(ウエンディ!!!)

 声も枯れよと妹の名を叫んで無我夢中で手を伸ばした。
 ――小さな手が彼の手を握り締めた。
 確かなぬくもりを感じたその瞬間、彼の…シラーの意識は覚醒した。

「――!?」
「あっ!目が覚めたのか!?」
「…………」

 最初に目に入ったのは薄暗い天井だった。
 状況が飲み込めないまま視線を動かすと、寝台の傍らにいる濃い赤毛の女の子がシラーの手を握っていた。
 女の子はとても心配そうな顔でシラーを見つめた。

「大丈夫か?やっぱり、傷が痛いのか?」
「…傷……?」

 オウム返しに呟いて瞬きをすると、頬を雫が伝い落ちた。
 赤毛の少女は幼い顔に真剣な色を浮かべて、サイドテーブルに置いてあったタオルでシラーの涙をそっと拭いた。

「痛くて泣いてしまっても仕方がないのだ。貴鬼様もびっくりするくらい酷い怪我だったのだ!」
「貴鬼…?」
「ここは聖衣の眠る聖なる場所、貴鬼様の館だ。悪い奴が来ても貴鬼様が追い返してくれるから何も心配ないのだ!ちょっと待つのだ、貴鬼様を呼んできてあげるのだ!」
「…………」

 小走りに部屋を出て行く少女を見送ったシラーは自分の身体に目をやった。
 包帯がぐるぐるに巻かれていて、少し動いただけで背中に激痛が走った。
 …痛みと同時に記憶が甦る。
 パラスに命を救われ、パラサイトを名乗り、ペガサスとアクィラの青銅と対決し、彼らの言葉に揺さぶられ、そして、シラーと行動を共にしていたパラサイトに裏切り者とし て始末されかけた。瀕死の重傷を負った自分をここまで運んで治療してくれたのは、敵だったはずの青銅聖闘士と言う訳か…。
 シラーの唇が皮肉に歪んだ時、部屋の扉を開けて貴鬼が入って来た。
 貴鬼とシラーは数秒間無言のまま視線を交わし、先に口を開いたのはシラーだった。

「…生き恥を晒す、ってこういう事を言うんだろうね」
「恥を晒している自覚があるならまだ救い様があります」
「相変わらずキッツイね、君」
「…………。あなたには聞きたい事があります」
「パラス軍の内情に関して知ってる事は少ないよ。僕は新参者だったからね、中枢に近づく事はほとんど出来なかったから」
「あなたがパラスに与したのは内情を探るためですか?」
「まさか!この僕が、そんな殊勝なことをすると思うかい?」

 シラーはスティールブルーの眼を細めて自虐的に嗤った。
 彼の眼が強い痛みと寂寥に染まっている事を見抜きながら、貴鬼は静かに質問を重ねた。

「では何故?」
「ペガサスとアクィラに話した通りさ。命を救われた恩もあるけど、何よりも、永遠の命を与えてくれると言う餌に釣られたんだよ」
「その動機は嘘だろうと二人は言っていました。あなたはパラスに記憶を封じられたか改竄されたかして、生きる事こそが目的だと思い込まされていたに違いな い。本当の理由はきっと別にあるはずだ、と。本当の理由はもう思い出しているでしょう。もう一度聞きます。あなたは何故、パラスに与したのです?」
「…そんな事を聞いてどうするのさ」
「理由の如何によっては、私はあなたを殺さなくてはならないからです」
「…………」
「あなたの力と能力は味方につければ心強いが敵に回せば厄介だ。『永遠の命』などという胡散臭い餌に釣られて安易に邪神に与するような愚か者なら、アテナの為に今のうちに消しておかねばなりません」
「…………。本当の事を言ったところで君は信用しないよ」
「あなたの話を信じるか否か、それを決めるのはあなたではありません。私です」

 話をはぐらかすシラーに、貴鬼は辛抱強く対話を続けた。
 複雑に沈黙して曖昧に視線を逸らしたままのシラーをしばらく見つめ、貴鬼は彼の口を開かせるために最適と思われる単語を口にした。

「ウエンディという人に関係があるのですか?」
「…どうしてその名を」
「あなたがうわ言のように呼んでいました。何度も、何度も」
「…………」
「平和な世界を作ると約束した相手の方ですか?」
「…妹だよ。もう十年以上も前に、戦災で天に召されてしまったけど」

 ポツリとシラーが答えた。
 …貴鬼は何も言わず口を閉じ、短くない沈黙が流れた後、シラーは独り言のようにポツポツと話し始めた。

「女神パラスが覚醒したから君も謁見すると良い、と言われてパラスに会って僕は驚いた。彼女は僕の妹にそっくりだった。顔立ちも、声も、いつも大事に抱え ていた人形まで。時を操る能力を持っているパラサイトが過去の世界からウエンディを連れて来て寄り代にしたんじゃないかと馬鹿なことを考えるくら いに良く似ていた」
「…………」
「アクィラにやられた傷が治ったらさっさとサヨナラしようと思っていたのに、パラスに会うたびウエンディが生きて帰って来たような錯覚を覚えて、日に日に 成長していくパラスの姿を見ていると、妹が生きていたらこんな少女に成長したんだろうかとか、そんな事を思ってズルズルしていたら抜け出すタイミングを見 つけられなくなってね。パラスの目的は妹が望んだそれとは真逆のもの、どれだけ似ていても彼女はウエンディじゃない、僕の妹はとっくに死んだんだと…頭で は理解していても、パラスに妹を重ねるのは止められなかった。『あなたも私に協力してくれるでしょう?』と妹と同じ顔と声で言われて、僕は…。いや、何を言っても言い訳だね」
「…………」

 半ば目を伏せてシラーの話を聞いていた貴鬼は、無言のまま手を差し出した。
 貴鬼が手の中に何かを握りこんでいる事に気付いたシラーは、怪訝そうな顔をしつつ手のひらを上にして差し出して。
 渡されたものを見て目を見開いた。
 …蟹座の聖衣石だ。
 驚きと戸惑いと猜疑が複雑に混じり合った目を向けて来るシラーと視線を合わせて貴鬼は静かに言った。

「蟹座の黄金聖闘士は不在のままです」
「だから何?僕にどうしろって言うんだ、君は?まさかとは思うけど、僕にアテナの黄金聖闘士として戦えとでも言うつもり?マルスやパラスに与してアテナに敵対した僕にそんな資格があるとでも?」
「あなたにアテナの黄金聖闘士としての資格があるか否か、それを決めるのは私ではありません。アテナと、そして聖衣です」
「…………」

 貴鬼は淡々と告げて椅子から立ち上がり、部屋を出ようと扉に手をかけてふと立ち止まった。

「…それから。妹と姿形が似ているだけの邪神に与して使い捨てられるか、妹との約束を果たすためにアテナに膝を折り聖闘士として戦うか…どちらの道を選ぶか決めるのはあなた自身です」
「…その言い方はずるいよ」
「あなたがアテナの聖闘士として戦うと言うのなら、私は心から歓迎しますよ。シラー」

 シラーに背を向けたままそれだけを告げて、振り向きもせずに貴鬼は部屋を出て行った。
 ひとり残されたシラーは手の中にある黄金の輝きに目を落とした。
 それは不老不死の象徴、地上の愛と平和を守るアテナの聖闘士の象徴。

(…ウエンディ)

 もう記憶の中にしかいない愛しい妹にシラーはそっと語りかけた。

(随分と遠回りしてしまったけど、僕は必ず、お前との約束を守るよ。…だから)
(だから)
(僕はもう、迷わない)

 スティールブルーの眼に確かな意思を宿したシラーは、蟹座の聖衣石を手の中に握り込んだ。
 強く強く握りしめられた聖衣石は熱く燃え、彼の決意に呼応するように黄金色の輝きを放ち始めた…。


NEXT



星矢部屋
総合目次
SS・2012時代
SS・神話時代
SS・蟹座達


 貴鬼とシラーさんの会話は、「(シラーさんの聖闘士復帰の是非を決めるのは)私ではなくアテナと聖衣」という発言を入れたうえで、貴鬼が蟹座の聖衣石を渡して「どちらを選ぶか決めるのはあなた自身です」「その言い方はずるいよ」で締めよう!と決めていま した。
 話を書きながら無印星矢を読んでいたのですが、Ωの貴鬼は本当に立派な大人になったなぁ…と感慨深いものがありました。何人もの黄金を見て来て、何人も の聖闘士を見て来て、聖闘士の戦いを自分の身で経験してきたからこそ、ズシリと重い言葉も言えるんだろうな…と思いながら彼の台詞を考えてました。
 んで。シラーさんがパラスに与した理由は、少年モノにありそうな「死んだ妹にパラスが生き写しだった」にしました。メンタル面の強い一輝とかだったら何 も動じないのでしょうが、元々メンタルが脆い上に命を救われた恩とか感じてたシラーさんが迷うには十分な理由になるかなと。シラーさんとパラスは髪の色も 目の色も違いますが、そこは父親似・母親似・隔世遺伝などの理由で納得して頂ければ。流れとしては、パラサイト達がシラーさん救出→パラスに協力を求めら れたシラーさんが妹との約束とパラスの間で悩む→タイタンあたりが独断でシラーさんの記憶を操作、と言う感じかなと漠然と考えています。
 そしてシラーさんが妹の事を「記憶の中にしかいない」と言ったのは、「妹はもうこの世にはいない=どんなに似ていてもパラスは妹ではない」という当たり 前の事実と漸く向き合い、受け入れられたと言う表現です。マルスについたりパラスについたりあっちフラフラこっちフラフラして遠回りしたけど、やっと自分 のいるべき場所を見つけて、本当の目的を思い出した。その目的の為に「もう迷わない」と決めたから、蟹座の聖衣もその心に呼応して甦った…と言う感じで す。