拝謁の時
EPISODE 5

「俺、ホットコーヒーな!牛乳たっぷりで!」
「私は紅茶をお願いね。今日はアッサムのストレートが良いわ」

 巨蟹宮のリビングのソファに(勧められてもいないのに)腰を降ろしたハービンジャーとパラドクスは、当たり前のような顔でシラーに飲み物のリクエストをした。
 リビングの一角、ぎっしりと紅茶やコーヒーを収めた戸棚を開けて器具を準備しながらシラーはあからさまに顔をしかめて見せた。

「…あのね君達。何度も言ってるけど僕の宮は喫茶店じゃないんだよ、分かってる?」
「勿論分かってるぜ。喫茶店は金を払わなくちゃいけねーが、ここはタダだかんな!」
「私も分かってるわよ。そこらへんの喫茶店じゃ、あなたが淹れるような美味しい紅茶は飲めないもの」
「ここで淹れるコーヒーでお金を取る気はないけど、昨日僕が立て替えてあげた飲み代はちゃんと返してよ、ハービンジャー。それからパラドクス、僕をおだてても出てくるのは教皇に頂いたパウンドケーキくらいだからね?」
「あらっ、それは楽しみだわ」
「お金持ちの御曹司の癖にケチくせーなぁ、シラー」
「貸したお金は利子をつけてきっちり取り返すから金持ちは金持ちでいられるんだよ。…あ、玄武もミケーネも適当に座って。玄武は砂糖を入れるコーヒーでいいのかな?ミケーネは?紅茶?コーヒー?ハーブティーとかもあるけど」

 図々しいにも程があるハービンジャーとパラドクスに呆れて突っ立っている玄武とミケーネに気付いたシラーが、にこりと笑ってソファを勧めた。声をかけられてハッと我に返った常識人コンビはソファに腰を降ろしながら言葉を返した。

「あ…ああ、俺はコーヒーを貰う」
「私もコーヒーで。特に拘りはないのでな、お任せしよう」
「OK」

 皆のリクエストを聞いたシラーは、ミネラルウォーターのペットボトルを何本か取り出して別々に湯を沸かし始めた。そして、科学者が薬品を調合するような手つきでコーヒー豆や紅茶の茶葉を取り出しては器具にセットしている。
 たかが…いや、『たかが』と言っては失礼かもしれないが、コーヒーや紅茶を淹れる程度のことで一体何をそんなにアレコレしているのかと怪訝そうな顔をしている玄武とミケーネに気付いたのか、パラドクスがにこりと笑って口を開いた。

「紅茶とコーヒーで軟水と硬水を使い分けてるの。あとはミルクをたっぷり入れて美味しいコーヒーと砂糖を入れて甘くして美味しいコーヒーは豆も抽出する濃さも違うから、全部別々に準備してるのよ」
「それはまた凄い拘りだな」
「養父がコーヒーや紅茶に煩い人でね、自然と覚えたんだ。まぁ、趣味みたいなものさ」
「しっかし、お前の淹れるコーヒーや紅茶は文句なく美味いが、待ってる時間は本当に暇だなぁ」
「あらっ。こうして待ってる時間も美味しく飲むための要素の一つよ?」
「つまり何もしないで座ってるだけって事だな。…まぁ、俺も人のことは言えないが」
「はいはい、じゃあお手伝いするとしますかね」

 流石に居心地が悪くなったのか、ソファから立ち上がったハービンジャーが勝手に戸棚を開けて茶菓子を物色し始めた。パウンドケーキの入った箱やクッキーの入っ た瓶を出してきてテーブルに置き、ざらざらと皿にあけるなり早速食べ始めた。私も頂くわ、と言ってパラドクスもクッキーを口に入れた時、皆のコー ヒーや紅茶を用意し終わったシラーがやってきた。彼がカップの載ったトレイをテーブルに置くと同時にハービンジャーは自分用のコーヒーを取って味見も せずにドバドバとミルクを注ぎ始めた。パラドクスも口に入れたクッキーを咀嚼しながら紅茶のカップに手を伸ばしている。
 絶句状態のミケーネを横目で見て、玄武はシラーを見遣った。

「おい…このふたり、いつもこんな調子なのか?」
「そうだよ。『セルフサービス』なんだってさ」
「抗議、しないのか?」
「僕は諦めが早いのが長所だからね。言っても無駄なことは言わないし、助けられそうにない奴は早々に見限る。…はい、コーヒー。熱いから気をつけて」
「あ、ああ…」
「頂こう」

 何だか色々と調子を狂わされっぱなしのまま玄武とミケーネはコーヒーを一口飲んで、思わずほうっと溜息をついた。自分達が今までコーヒーだと思って飲んでいたのは何だったんだ、と思うほど美味い。
 そんなふたりを見たハービンジャーが得意気に笑った。

「な?シラーの淹れるコーヒーは美味いだろ!」
「うむ」
「確かに美味いな。ハービンジャーが偉そうにしていることに突っ込むのがどうでもよくなるほどだ」
「それは良かった」

 玄武とミケーネの讃辞にシラーはにこりと微笑んで自分のコーヒーを口に含んだ。
 …………。
 会話はそこで途切れた。
 何せ今まで仲間らしい交流を碌にして来なかったメンバーだ。ハービンジャーの提案で茶会となったものの、何を話せばいいのか分からない。シラーが淹れた プロ並顔負けのコーヒーか、教皇から貰ったパウンドケーキか、シラーが眠っていた半年間の出来事か、それとも今後の任務の事か…この場に相応しい話題を決めあぐねた皆が無 言のまま飲み物や茶菓子を口に運び一分ほど沈黙が流れた時。

「っあ〜〜〜〜〜〜〜〜!!誰か何か喋れよ、何だよこの長ーい沈黙!いたたまれないだろ!皆を誘った俺が居心地悪いだろぉぉぉぉ!!」

 沈黙が耐え切れなくなったハービンジャーが喚いた。
 場に流れていた微妙な雰囲気が良い意味で壊されて、皆はふっと表情を和ませた。
 シラーは唇に淡く笑みを浮かべてハービンジャーを見遣った。

「じゃあ君が何か喋りなよ、ハービンジャー」
「ん?」
「そうだな、皆を誘ったお前が責任持って話題を提供すべきだな」
「話題って言われてもよ、俺はこれと言って面白いネタは持ってねぇし…。あ、そうだ!昨日、教皇に会いに行ったシラーがっ!!」

 ゲシッ!!
 テーブルの下で足を蹴られたハービンジャーが涙目でシラーに抗議しかけ、恐ろしく冷たい眼で睨まれて慌てて口を噤み、腕を組んで空を仰ぎ考えを巡らせてから口を開いた。

「んじゃーアレだ、お互いの事をよく知るための質問タイム!まずは本日の主役シラーちゃんを質問攻めにしちゃうぜ☆…ってことでどうだ?」
「あら、結構面白いんじゃない?」
「良いのか、シラー?」
「構わないよ。僕も答えられない事は答えないからね、何でも聞いて」
「じゃあシラーに質問ある人は挙手!はーい!」

 勢いよく右手を上げたハービンジャーは、玄武もミケーネも挙手しないのを見て怪訝そうな顔になった。

「あれ?何だよお前ら、何も聞きたい事ねーの?」
「急に言われてもな…」
「考える時間くらい寄越せよ。…まぁいい、お前が質問してる間に考えておく」
「君が僕に改めて質問したい事なんてあったんだ?」
「おうよ。前々から気になってたけど聞いちゃいけねーような気がして聞けなかった事があるんだ。こんな機会でもないと二度と聞けねーだろうから聞いておくぜ!」
「へぇ…。じゃあ質問どうぞ、ハービンジャー」
「お前さ、生きる為には何でもやってた時期に、『男の夜のお相手』した事あるのか?」
「……………」

 ガン!!
 ゴフッ!!
 ボトッ。
 ハービンジャーの質問にシラーはカップをソーサーに叩きつける勢いで置き、ミケーネは飲みかけたコーヒーで咽せ、玄武は齧りかけたパウンドケーキを落とした。
 ただ一人冷静にティーカップをソーサーに戻したパラドクスが冷静に口を開いた。

「シラー、怒っていいわよ」
「何で怒るんだよ。シラーが自分で『答えられない事は答えないから何でも聞いて』って言ったじゃねーか。それにさ、お前達だって気になるだろー?」
「……………」
「何故そこで俺達に振るんだ!」

 突然ハービンジャーに尋ねられたミケーネは思わず視線を逸らし、玄武は妙に焦った顔で叫んだ。
 そんなふたりの反応を見たシラーはこれ以上ないほど不機嫌な表情になっていたが、ハービンジャーはお構いなしで続けた。

「玄武とミケーネも気になるってよ。で、どうなんだ本当のところは?」
「…………。無い、って言ったら信じるわけ?」
「ああ、信じるぜ」
「……………」

 拍子抜けするほどあっさり首肯されて、シラーは毒気を吸いとられたような顔でハービンジャーをまじまじと見て、そして。
 はぁ…と気の抜けたような溜息をついて投げ出すように答えた。

「…無いよ」
「…………。マジで?」
「『無い』って言ったら信じるんじゃなかったっけ」
「勿論信じるさ。信じるけどよ、『ある』って言われるかもしれねーと思ってドキドキしてたんだよ。へー、そっちの経験は無いのか。お前は男の癖に綺麗なツラしてるから山ほどお誘いがあったんじゃねーかと思ったんだけどよ」
「確かに『そっちの趣味』を持っている男性からのお誘いはあったよ。だけど応じた事は一度もない、ガニュメデスのコスプレしてお酌係をした事はあるけどね。男性からのお誘い以上に女性からのお誘いがあったから、わざわざ男性の相手をする理由はないだろ?」
「なるほど、言われてみりゃ確かにそうだな!あー、今まで『聞いてみたいけど聞いちゃいけないよなー』って悩んでたのが馬鹿みたいだぜ!」

 シラーの呆れ顔とパラドクスの突き刺さるような視線とミケーネと玄武のジト目などどこ吹く風で豪快に笑ったハービンジャーは、ケロッとした顔で身を乗り出した。

「じゃあ次、質問のある人〜?」
「…はい」
「お、玄武か!何だ何だ?」
「そこの脳筋がしょっぱなからブチかましてくれたからな、色々とリセットを兼ねて超王道の質問をしようと思う。…好きな女の子のタイプは?」
「これはまた王道の質問だねぇ」

 玄武の質問にシラーは穏やかに笑い、緩く小首を傾げた。

「じゃあ僕も王道の答えを返しておこうかな。『僕の彼女』」
「へぇ、彼女がいるのか」
「玄武、『いるのか』という言い方は失礼ではないか?」
「あ…ミケーネの言う通りだな、すまない。何かと忙しいだろうに恋愛に割く時間があったのか、と言う意味だと思ってくれ」
「いいよ、気にしてないから。…パライストラに入る前の学生時代から交際している彼女がいるんだよ。特に別れる理由がないから付き合ってる程度の気楽な関係なんだけど、双方の親が勝手に先走っちゃってすっかり結婚させる気でいるのがちょっと面倒かな」
「そーいやシラー、その彼女に連絡は取ったのか?」

 ピッチャーに直接口をつけてミルクを飲み干したハービンジャーが思い出したように尋ねると、シラーは彼に咎めるような目を向けながら頷いた。

「今日の朝一番で電話したよ。元々遠距離恋愛だし半年も音信不通だったからね、別れ話をされる覚悟をしてたんだけど…。『5年以上付き合ってるんだから半年くらいじゃ心変わりはしない』って言われたよ」
「あらあら、御馳走さま」
「へーぇ。そこまで自慢されたら写真の一枚くらい見せてもらわないとな?」

 ニヤリと笑った玄武がお約束の台詞を芝居がかった口調で言うと、シラーはどこか気恥かしそうに苦笑しながらポケットからスマホを取り出して、画面を操作してから玄武に差し出した。
 …シラーの身の上話を聞いた時は心底驚いたが、こうして話をしてみれば彼は至って普通の男ではないか。少なくともハービンジャーやパラドクスよりずっと常識人の範疇だろう。いくら第一印象が最悪だったとは言え、浅い付き合いで人間性を決めつけてはいけないな。
 そんな事を思いながらスマホを受け取って画面を見た玄武は数回目を瞬いた。画面に映っているのは至って普通の(むしろ可愛い部類に入る)女性だが、何と なく見覚えがあるような気がする。芸能人に似ているとかではなく、十二宮か任務先で何度か姿を見たことがあるような、そんな既視感だ。
 横から画面を覗きこんだミケーネも同じ事を思ったらしく、記憶の糸を手繰るような思案顔になった。

「ん?この女性、会った事があるような…」
「ミケーネもか?俺もどこかで見たような気がするんだが、思い出せなくてな…」
「彼女なら、この半年で何度かシラーのお見舞いに来てたわよ。その時にアテナ様や教皇にも会ってたはずだし、十二宮のどこかですれ違ったりしたんじゃないかしら?」
「ああ、そうか、それか!どうして十二宮に聖闘士以外の人間が来ているのかと不思議に思ったから記憶に引っかかっていたんだな」
「私も思い出した。確か、ご両親らしき方と一緒に巨蟹宮を訪ねていたな。…………」

 恐らく何気なくだろう、記憶していた事実を口にしたミケーネが自分の言葉にハッとした。何かに気付いたらしい彼は写真を凝視し、何かを考える表情になり、ちらりとシラーに視線を向けて慌てて逸らした。
 その不自然な行動に玄武は怪訝そうな表情になり、シラーは何かを察したように眼を瞬き、パラドクスは素知らぬ顔のままティーカップを口に運び、ハービンジャーはビシッとミケーネに指を突き付けた。

「はい、ミケーネ。質問どうぞ!」
「あ、いや、私は別に…」
「おいおい、あんな反応しておいてそれはないだろう。余計に気になるじゃないか」
「…君が疑問に思った事が何なのかは大体察しがつくよ、ミケーネ」

 ソーサーに置いたコーヒーカップを両手で包んで、飲みかけのコーヒーに視線を落としてシラーが静かに言った。

「彼女の『ご両親らしき人』の父親の方が僕の養父だった事も思い出したんだろ?僕の養父が彼女の父だったら、僕は『自分の姉妹』と恋人付き合いをしていることになるって気付いて、疑問を感じた…ってところかな」
「え…あ…うむ…」
「それのどこがおかしいんだ?ミケーネには『彼女の両親』に見えたのがシラーの両親だったってことじゃないのか?」
「ああ、そうだな。きっとそうだろう」

 玄武の言葉に、ミケーネは酷く気まずそうに口を噤んだ。
 …玄武の言葉には全く納得していない表情で。
 そんな獅子の煮え切らない態度を見たパラドクスが静かにカップをソーサーに置いてシラーを見た。

「ねぇシラー。『彼女』の事、二人にもきちんと話しておいたら?あなたもさっき言っていたけど、勝手に事情を推測して変な気を使われるくらいなら話せる範 囲で話しておいた方が良いんじゃないかしら。私はともかくハービンジャーさんは中途半端に事実をぽろっと喋って話をややこしくしそうだもの」
「失礼だなパラドクス。俺は中途半端に喋ったりしねーよ」
「あら、そう?」
「おうよ。シラーと彼女の関係はややこしすぎて俺の脳味噌じゃ把握できなかったからな!」
「…そんなにややこしいかなぁ。さっきも言ったけど、彼女は僕の『血の繋がらない妹』ってだけなんだけど」

 唇の端に淡く笑みを浮かべたまま、シラーは緩く小首を傾げてさらりと言った。
 その言葉にミケーネは表情を固くして、玄武は茶菓子に伸ばしかけた手を止めてシラーを見つめた。
 …彼女が『血の繋がらない妹』だと?
 そう言えば確か、先程の身の上話でシラーは『血の繋がらない妹と関係があった』と言っていた。では、シラーの『学生時代から交際している彼女』と 『血の繋がらない妹』は同一人物なのか?いや待て、血縁的にはどうであれ法的に『妹』であったら結婚の話が出るどころか堂々と交際することもできないので はないか。そもそもシラーが引き取られた理由は『富豪夫妻に子供がいなかったから』ではないのか。ではその『血の繋がらない妹』はどこから出て来たんだ?
 その疑問を口にしかけて、ミケーネが引っ掛かったのはここかと玄武が漸く理解すると、シラーは視線を皆から逸らしたまま茶菓子を取り出してテーブルに並べた。プレーンのケーキの隣にチョコのケーキを置いて、その間にクッキーを一つ置いてそれを指差した。

「僕の養父母には子供がいなかった。だから僕が養子として引き取られた。だけど」

 シラーはチョコのケーキの隣にマーブルのケーキを置き、その間にもクッキーを一つ置いてケーキとクッキーを順番に指した。

「養父には妻以外に恋人がいた。身も蓋も無い言い方をすれば愛人だね。そして養父と愛人の間には女の子が生まれている。ただ、養父はその女の子を認知して いないから、遺伝子的には親子だけど法的には他人。そして僕は養子だから、養父とは遺伝子的には他人だけど法的には親子。そして僕と女の子は遺伝子的にも 法的にも他人。…で、もう分かってると思うけど、その女の子が僕の彼女な訳。双方の親が僕と彼女を結婚させたがる理由が分かるだろ?僕と彼女が結婚すれ ば、養父は血の繋がった自分の娘を堂々と『自分の娘』にできるからさ」
「…なるほど、そういう事情か」
「養子の恋人が愛人の子供って…確かに昼ドラな人間関係だな。それを表面上だけでも許容して一緒に見舞いに来るなんて、お前の『母親』は随分と寛大…」

 日常と常識の範疇を超えた話題が飛び交っていたせいで色々な諸々が麻痺していた玄武が正直すぎる感想を漏らした瞬間、カップに添えられていたシラーの指 がビクリと震えた。同時にハービンジャーとパラドクスの顔から表情が消えて、玄武は触れてはいけない話題に触れてしまった事に気付いてハッとした。

「あ、いや、今のは失言だった。すまない」
「謝る事じゃないよ。…あの人は、僕と彼女の交際を積極的ではないけど容認していたよ。仮に結婚することになっても反対はしなかったんじゃないかな」
「………、………」
「さっき言ったろ?『勝手に事情を推測して変な気遣いされるくらいなら差し障りの無い範囲で話しておいた方が良い』って。ちょっと調べればすぐに分かる事 なんだし話しておくよ。…でも、そうだね。僕に深入りすると面倒なことになるのは確かだから、君達がこれ以上僕と関わる気がないなら僕も当たり障りのない 情報しか話さないけど…どうする?聞く?」

 シラーの声は落ち着いて淡々としているが、伏せられた蒼い眼には微かな怯えが見え隠れしている。
 きっと、『当たり障りのある情報』を話して玄武やミケーネに自分を拒絶されるのが怖いのだろう。そして同時に、『深入りして面倒に巻き込まれるのは御免』と距離を取られるのも怖いのだろう。
 …そんなシラーの心情を察せてしまう時点で自分はもう十分に彼に深入りしている。乗りかかった船と言う奴だ。
 腹を括った玄武は背筋を伸ばして真っ直ぐにシラーを見た。

「深入りも何も、俺達は仲間じゃないか。とことんまで関わってやるさ。…まぁ、話を聞いて驚きはするかもしれないが、お前を嫌ったり拒絶したりは絶対にしない。天秤座の黄金聖闘士として約束する」
「私も伺おう。玄武も言ったが我々は仲間だ。仲間に事情があるのなら、その事情ごと受け入れられなくて何がアテナの聖闘士か」
「……………」

 シラーは顔を上げて二人を交互に見て、何度も瞬きをしながら泣き笑いのような表情を浮かべた。

「何、ふたりしてそのカッコいいセリフ。不覚にもグッときちゃったじゃないか」
「フッ…カッコいいだろう?」
「ははは、あなたの話を聞いた後に『な、何だってー!!』とカッコ悪く驚いたら台無しだがな」
「ありがと、ちょっと気持ちが軽くなったよ。…じゃあ僕の身の上話第二弾と行こうか」
「よし、来い」
「僕を引き取った夫婦の妻の方はね、もうこの世にはいないんだ。だから君達が見た『夫婦』の女性の方は養父の愛人、僕の彼女の母親だよ。だからミケーネの『彼女の両親』という感想は正解だね」
「…そう、だったのか」
「先程あなたが全て過去系で話していたからもしやとは思っていたが…。母上は、事故か病気で亡くなられたのか?それとも…」

 自殺、か?
 シラーの養母はもうこの世にはいない…その事実は今までの話の流れで薄々察しがついていたから、玄武もミケーネも特に驚く事はなかった。問題はその『死因』だが…。
 ミケーネがそっと口にした問いに、シラーは機械的に首を横に振った。

「殺されたんだ」
「…え」
「海外留学中の僕を訪ねて来た時に…ね。表向きには『ホテルの従業員による金目当ての強盗殺人』ってことで片付けられてるけど」
「『表向きには』?」
「あの人はね、『養父が世間体を保つための綺麗なアクセサリー』でしかなかった。それが、それだけがあの人の存在意義だったのに、養子の僕と関係を持った 事でアクセサリーとしての価値すらなくしてしまった。彼女は存在意義の全てを無くしてしまったのに、僕と 養父を社会的に抹殺できる情報だけは持っていたから…口を封じられてしまったんだ。…本当に、愚かで、気の毒で…可愛そうな人だったと思うよ」

 シラーは視線を落としたままポツポツと呟き、ハービンジャーとパラドクスも一言も発せずただ黙っている。
 …短くない沈黙の後、玄武はそっと口を開いた。

「…最後に教えてくれ。お前はどうして、養母と関係があった事や彼女の亡くなった理由を馬鹿正直に話したんだ?」
「そうだね…あの人の事を変な形で知られるよりは僕の口から話しておいた方が良いと思ったのもあるし、それに…」

 シラーは冷めたコーヒーが半端に残ったカップを両手で包みこんだまま独り言のように続けた。

「僕とあの人の関係は間違いなく異常で歪なものではあったけど、それでもあの人は『正常』でありたいと願っていた。僕の『普通の母親』になりたいと望んで いた。僕の手を握ってあの人は言っていた、『あなたにこんな関係を求めた私が言うのもなんだけど、私はあなたのお母さんになりたいと思っているの。一緒に ご飯を食べて、成績のことでお小言を言って、時々けんかもして、あなたが彼女を連れてきたらその子にちょっと焼きもちを焼くような、そんな普通のお母さん になりたいと、本気で思っているのよ』って。彼女のあの言葉に嘘はなかったと今でも僕は思ってる。だから、あの人との異常な関係を隠して正常な部分だけを 伝えるのは、僕と関わり受け入れてくれると言ってくれた君達への裏切りになるような気がしてね」
「……………」
「だから…さ…ああ、『だから』じゃ繋がらないかもしれないけど」

 眼を上げたシラーは、無邪気な子供にも見える表情で人差し指を唇に当てた。他者に沈黙を要求する典型的なポーズだ。

「玄武もミケーネも、今の話は誰にも言わないでね?ああ勿論、君達の口の堅さを疑ってる訳じゃないよ。でも、もしも、万一にも君達の口から情報が漏れる様 な事があったら、僕は君達の口を封じなくちゃいけなくなるから。そんなのは…僕を受け入れてくれた誰かを殺さなくちゃいけないのは、もう…嫌だから、さ」
「…………。ああ、勿論だ。誰にも言わん、約束しよう」
「大体そんなクソ重たい話、誰にも出来ないだろう。墓場まで持って行く以外の選択肢はないぞ」
「そうか、良かった。本当に安心したよ」

 シラーは心底安堵したように笑った。自分の発言の異常性には全く気付いていない、何も疑問を持っていない顔で。
 …さっき話を聞いた時こそシラーは至って普通で常識人ではないかと思ったが、蓋を開けてみれば一番ぶっちぎりに 常識のタガが外れて心が壊れているのはコイツだったというオチか。ここまで深入りしてしまった以上は引き返す事は出来ないからとことん付き合ってやるが、それにしても 厄介な魔物と関わってしまったな。
 妙に冷静に玄武がそんな事を考えながらクッキーを齧っていると、シラーが立ち上がって皆のカップをトレイに乗せ始めた。

「おかわりを用意するよ。皆、改めてリクエストはある?」
「俺、いつものな!」
「私はレモンティーのお勧めで」
「次は砂糖とミルク入りのコーヒーを頂こうか」
「俺もミケーネと同じで頼む」
「玄武もミケーネも順応が早いねぇ…」

 遠慮なく飲み物をリクエストする二人に嬉しそうに目を眇めて、シラーはコーヒーと紅茶をずらりと並べた棚に足を向けた。

NEXT


星矢部屋
総合目次
SS・2012時代
SS・神話時代
SS・蟹座達

 こんなに書いても書いても終わらないとは思わなかった、流れは出来ていたのになかなか筆が進まず苦しんだ5話目です。そしてタナトス登場は7話目になり そうです。本当、これを書き始めた時の私は一体何をどうやって前後編で終わらせるつもりだったのか…3〜5話目は当初の予定にはありませんでしたが、それ にしても(==;)
 今回の5話は、シラーさん周辺の人間関係が出来上がるまでのエピだと思って頂ければ良いかと思います。あとはSS「逢魔」の補足的にシラーさん自身を紹 介する要素もあります。次の6話目はお茶会後半と、玄武+ミケさんコンビによるシラーさん評になる予定です。一体どこまで続くんでしょうこのシリーズ…。 最低でも9話まで行きそうですorz

などとぼやきながら解説。
・3話目で、シラーさんを誘ったハビさんが財布を忘れた(=シラーさんが立て替えた)一件をここで消化。
・既に仲良しのハビ+パラさんコンビにはあからさまに嫌な顔を見せるけど、あまり親しくない玄武+ミケさんコンビにはまだ他人行儀でにこやかなシラーさん。
・シラーさんがコーヒー紅茶に詳しい理由を「養父が拘ってるから」とサラッと言ってますが、「養父に気にいられたくて、捨てられたくない一心で必死に覚え た」が正解です。当初はシラーさんがそんな感じの台詞を言って天秤獅子コンビが複雑な気持ちになる描写だったのですが、くどくなるかなと思ってカット。
・「助けられる見込みのない奴はさっさと見限る諦めの良さが僕の長所」と素でサラッと言うシラーさんの姿で、彼の異常性の演出を狙ってみました。
・ハビさんが「昨日…」と話しかけたのは、「シラーが泣いて帰って来た(と、カマをかけたら逆切れされた)」一件です。
・ハビさんのシラーさんに対する「男性の夜の相手をしたことあるのか?」質問絡みのやり取りはいらないかなと悩んだのですが、その後の彼女や養母に絡む話 の流れに繋ぐ為と、ハビさんとシラーさんの関係を表現したかったのと、当サイトシラーさんの過去補足の意味もあって入れることにしました。当サイトシラー さんは男性の相手をした事はありません。実際に「経験」した子の話を聞いたら、その内容が怖すぎて「男性の相手をするのは最後の手段」と考えていたんだと 思います。その代わりと言っては何ですが、女性相手ではひと通り以上の経験をしています。
・「シラーの彼女」の設定はかなり詳細に決まっていますが、「彼女本人」が話に出てくる事はないと思います(「彼女の話題」は出てくるかと思いますが)。
・養母の話をしているシラーさんがカップを「両手で包んで持っている」のは、「養母が自分の手を包み込むように握っていた」事に鮮烈な記憶があるためで す。ひとつ目は「私はあなたのお母さんになりたいの」と話をした時、もうひとつは(「逢魔」で書きますが)彼が養母を殺害した時です。
・シラーさんが話の中で養母の事を一度も「母」と呼ばず、「あの人」とか「彼女」と呼んでいるのは、彼の養母に対する複雑な感情の現れです。
・玄武+ミケさんはそんなシラーさんの複雑な気持ちも、養母を殺したのが彼自身だと言う事も察しています。察した上で受け入れる覚悟を決めています。理由 は…養母殺害に至るまでのシラーさんの事情も心情も知らないのに、正論振りかざして糾弾しても不毛だし、糾弾したところで過去が変わるわけじゃないし、シ ラーさんを悪戯に追い詰めるだけで何もいい事はない、と分かっているから…でしょうか。もしもここで玄武君かミケさんがシラーさんを咎める様な事を言った ら、ハビさんパラさんが本気で怒ってシラーさんを庇っていました。玄武君とミケさんによるシラーさんの分析っぽい物は次回で。
・玄武君がシラーさんを「魔物」と評したのは、シラーさんの経歴紹介SSのタイトルが「逢魔」だったのにひっかけて。
・「秘密をばらしたら(玄武君とミケさんの)口を封じる」と言うシラーさんの発言はナチュラルに本気です。
・仲良くなれそうな玄武君ミケさんに嫌われるのは怖いという想いと、秘密を漏らして自分を「殺す」ようなら躊躇いなく二人を殺すという決意が、矛盾も疑問も無く存在する、そんな当サイトイチの天然系ぶっ壊れ非常識人がシラーさんです。