| ――天秤宮。 日課である起床後の鍛錬を終えてシャワーを浴びていた玄武は、天秤宮に来客の気配があることに気付いてシャワーを止めた。小宇宙から察するに来客はシラーのよ うだ。朝が弱い彼がこんな時間から玄武を訪ねてくるなど珍しい…と言うより初めてだ。しきりに玄武の名を呼びながら宮を探し回っている物音がする。玄武は少し迷ってから、 男同士だから問題ないだろうと下着だけを身に着けるとタオルで髪を拭きながら脱衣所を出た。 リビングのドアを開けると、妙に焦った様子のシラーが天秤宮の中庭から戻ってきたところに出くわした。 「やっぱりシラーか。どうしたんだ、こんな朝っぱらから」 「――玄武!!」 「!?!?!?」 不意に軽い衝撃に襲われた玄武は思わずよろめいて、片脚を半歩下げて踏みとどまった。目の前に見えるのは長い赤毛。シラーの両腕は玄武の背に回されている。 …抱きつかれた。 その事実を脳味噌が理解し認識するまで数秒かかったが、途端に心臓が鼓動を早めた。頬が熱くなるのが自分でも分かる。 さて、どうすべきか。 抱きしめ返すべきか優しく体を離して事情を聞くべきかその両方にすべきか。対応を決めかねて中途半端に両腕を宙に浮かせたまま玄武が固まっていると、シ ラーが膝を屈めて玄武の左胸に耳を当てた。柔らかな赤毛が素肌を撫でて、そのくすぐったさに玄武は思わず素っ頓狂な声を出した。 「どひゃぁっ!?」 「…ああ、心臓の鼓動が聞こえる…それに、あたたかい…」 玄武の胸から耳を離したシラーは真っ赤になっている玄武の頬に手を伸ばし、せわしなく短い呼吸を繰り返す鼻と口元に触れ、蒼い目を眇めて安堵の笑みを浮かべた。 「息もしてる。…生きてる」 「??」 「ああ、よかったぁ。安心したよ」 「そ、そうか」 「…………」 「…………」 「えっと、じゃあ、僕はこれで。邪魔したね、玄武」 「ちょっと待て、シラー」 不意にぎこちなく目を逸らしてそそくさと出て行こうとしたシラーの腕を、玄武はガシッと掴まえた。捕まったシラーは逃げ腰のまま半分振り返ったが、明らかに目が泳いでいる。 「な…何?」 「何じゃないだろう。今の一連の行動にはどんな意味があったのか説明くらいして行け」 「…君の生存確認」 「それは分かる」 シラーはさりげなく玄武の腕を振り払ったが、すかさず玄武は反対側の手でシラーの腕を掴んで逃げようとする彼を引きずり戻した。総合的な実力はシラーが上だが、純粋な腕力では玄武に分がある。 逃げるに逃げられず、あからさまに視線を逸らすシラーの顔をジーッと見つめながら玄武は尋ねた。 「一体どんな理由があって、朝に弱いお前がこんな朝っぱらから、わざわざ天秤宮まで来て、俺の生存を確認する必要があったんだ?と聞いているんだ」 「べ…別に理由なんかどうでもいいだろ。君が生きてるんだから」 「どうでも良くない。冥界に通じる力を持つ蟹座の黄金聖闘士が、わざわざ三つ離れた宮まで足を運んでまで生存を確認しに来たんだぞ。それで『理由なんかどうでもいい』と言われて納得できるか」 「じゃあ『大した理由じゃない』と言い換えるよ」 「大した理由じゃないならどうしてわざわざここまで来たんだ」 「…………」 唇を結んでそっぽを向いていたシラーは、ちらりと玄武を見て、彼が絶対に引き下がりそうにないのを見てまた目を逸らし、恥ずかしさを押し隠す余り不貞腐れたような顔でボソッと言った。 「…理由を聞いたら君、きっと笑うよ。だから教えない」 「は?」 「本当に大した理由じゃないんだって。冷静になったら自分でも馬鹿みたいだって思うし…もういいだろ、今のことは忘れて」 視線を明後日の方に向けながら玄武の手を引き剥がそうとするシラーは顔を赤くしていて、彼が天秤宮を訪ねて来た理由は本当に『聞いたら笑ってしまうような理由』で、だから恥ずかしくて言いたくないのだろう。 …とは思ったが、気になるものは気になる。大した理由じゃないから教えないとか忘れてくれとか言われたら余計に気になるのが人の性だ。 玄武はシラーの腕を掴んでいた手を離すと同時に彼の肩を両手で掴んだ。真っ直ぐに蒼い目を見ながらお約束の台詞を口にする。 「絶対に笑わない。だから教えてくれ」 「嘘。絶対笑うよ」 「嘘じゃない。教えてもらわないと、このままじゃ気になって夜も眠れん」 「昼寝したらいいじゃないか」 「俺は太陽が出ている時は眠れないんだ」 「厄介な体質だね」 「そうだな、自分でもそう思う。だから理由を教えてくれないと本当に困る」 「じゃあ困れば」 「困った挙句にハービンジャーやパラドクスやアモールに相談しにいくかもしれないがそれでもいいんだな?」 「…………」 「いいんだな?本当にいいんだな?」 「…………」 シラーの肩を掴んだ玄武が彼を壁に押し付けて顔を覗き込んで尋ねると、う〜〜と唸ってシラーがちらりと玄武を見た。 「笑わない?絶対に?」 「ああ、絶対だ」 「…………。夢を見たんだ」 「夢?」 「そう、夢。――君が、死んでしまう夢」 「…………」 シラーの肩を掴んだ手から力が抜ける。 赤毛の蟹座は蒼い目を伏せたまま低い声で続けた。 「恐ろしい敵がパライストラ学園を襲って来るんだ。学園の中には大勢の難民が避難していて、君はたった一人、難民を守るために戦って、そして」 「…………」 「敵が巨大な剣を振りかざして、パライストラごと難民を殺そうとして…君は、人々を守るために、その剣を自らの体で受けて…」 「…………」 「君は、殺されてしまうんだ」 シラーの声も握り締めた拳も小刻みに震えている。 玄武はただ、目を見開いて彼の話を聞くことしか出来なかった。 「僕が君に駆け寄って体を起こすと、君は優しく笑って目を閉じて、僕の腕の中で息を引き取るんだ。君の体温がなくなって硬くなっていく感覚が妙にリアルで、目が醒めてもそれが夢だったのか現実だったのか一瞬分からないくらい現実味があって…だから、その」 「俺の生存を確認しにここまで来た、と」 「…………。笑わないって約束したじゃないか」 頬を赤くしたシラーが真正面から睨みつけてきた。自分では笑っている自覚はないのだが…。 「え、俺、笑ってるか?」 「笑ってるよ!」 恐らくは照れ隠しだろう、殊更に怒った口調で言ってシラーは玄武の腕を払いのけた。もう帰る!と吐き捨てて部屋を出ようとしたシラーの背に玄武は慌てて声を掛けた。 「ちょっと待て!」 「断る。帰る!」 「じゃあ待たなくていいから言い訳を聞いてくれ」 「嫌だ」 「俺は笑ったつもりはなかったんだ。本当だ」 「…………」 ずんずん早足で歩くシラーの後を追いかけながら、玄武は言い訳を始めた。 「それでもお前には笑ってるように見えたのなら、それは、誓って言うが嘲笑じゃない。俺は嬉しかったんだ」 「…………」 シラーは一瞬足を止め、即座に再び歩き出した。が、その歩調は先程より遅くなっている。 玄武は彼の後ろを歩きながら言い訳を続けた。 「俺が死ぬと言う悪夢を見た、ただそれだけの理由で、わざわざお前が巨蟹宮から天秤宮まで俺の無事を確認しに来てくれた。それが嬉しくて嬉しくてたまらなかったんだ」 「…………」 「約束を破ったのは本当に悪かったと思ってる。すまない」 「…………」 「言い訳は以上だ。そのまま振り返らずに帰ってくれ」 「…何故」 「俺は現在進行形で約束を破っているからな。またお前を怒らせてしまう」 「…………」 シラーは足を止めて振り返った。 嬉しそうな笑みを浮かべている玄武を見て、彼は思いっきり機嫌を損ねた顔をして見せたが。 それも長くは続かず、柔らかく唇を綻ばせた。 「…笑ってる奴に怒ってもねぇ」 「すまん」 「もういいよ。君が喜んでくれたなら、朝っぱらから全力疾走した甲斐があったというものさ」 「ん」 「…と言うわけで、朝食をご馳走してくれたら赦してあげるよ」 「お安い御用だ。腕によりをかけて作ってやるぞ」 玄武はにっこりと笑って台所に足を向けた。 中華スープと万頭と数種類の点心で朝食を終えると、玄武は食後の中国茶を淹れ始めた。 腹が膨れてすっかり機嫌を直したシラーの前にカップを置いて、玄武は何でもないことを話すように口を開いた。 「シラー。前々から漠然と思っていたことなんだが、いい機会だから話しておこうと思うんだ」 「何、改まって」 「いわゆる『遺言』って奴だ」 「…やめてよ、縁起でもない」 「ならば『約束』と言い換えよう。お前より先に俺が死んだ時の約束」 「そんな不吉な『もしも』に『約束』なんてロマンチックな言葉は使わないで欲しいな」 「それなら『契約』でいい。言葉は何でも良いんだ」 「…………」 玄武の真剣な声色にシラーは口を噤んだ。 聖闘士である以上、任務で命を落とす危険は常に付き纏う。それは黄金とて例外ではない。その『もしも』が起きた時、起きた後、どうするか。どうして欲しいか。それを決めて誰かに託しておくことがある種の安心に繋がることはシラーも知っていた。 玄武は中国茶を匙で混ぜながら静かに言葉を吐き出した。 「俺が死んだ時、俺がまともな姿をしていたなら…お前のマリオネットにして欲しいんだ」 「な…」 「俺はお前と一緒に戦いたい。生きている間も、死んだ後も。お前にはその力がある。だから」 「…縁起でもないよ、玄武。本当、縁起でもない」 カップを両手で握り締め、茶に視線を落としたままシラーは低く呟いた。 …その手をしっかりと包み込み、蒼い目を真っ直ぐに見つめて、玄武は迷いなく言った。 「安心しろ、俺はお前を残して死ぬ気はない。だからこそ、この契約なんだ」 「……?」 「俺が死んだ時の約束があれば、死んでもまたお前と一緒に戦えるなら、一度立った死亡フラグも折れるのがお約束だろう?」 「…………。それって、フィクション限定の話じゃないの?」 「フ…ノンフィクションにも通用すると俺が証明してやる。アテナに誓ってもいい。俺はお前を残して死んだりしない」 「本当に?」 「ああ、俺は嘘はつかん。命を懸けてもいい」 「…じゃあ、約束」 シラーが小指を差し出すと、玄武は真摯な笑みを浮かべて自身の小指を絡めた。二人を繋ぐ約束の儀式。 繋がりあった小指を見つめてシラーは緩く首を傾げた。 「何だかこれってさ、お互いを縛っているように見えるね」 「お前…との約束に縛られるなら本望だ。いくらでも縛られてやるさ」 「ふふ、ありがとう。僕も、君との約束になら喜んで縛られるよ」 シラーは淡く笑んで自身の小指に絡まった玄武の手を握った。 ――絡み合った小指は強く強くシラーを縛る。それは、死しても消えない、死によって更に強固に永遠になる鎖の戒めに似ていた。 |
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「明るく甘めの前編+病んでて暗めの後編・前後編合わせて一話分の長さ・同じテーマでハビシラと玄シラを書く。ただしハビシラは友情物、玄シラはラブコメ
がコンセプト」というテーマと言うか縛りで書いたSSです。コッテコテのラブコメにするぜ!と思っていたのですが、いざ書いてみると結構恥ずかしくてこの
程度になってしまったり。 後編の展開を意識して書いていたせいか、玄武編もちょっと暗い要素が入ってしまったかなーという印象。「大切な人が死ぬ悪夢を見ただけで、わざわざ生存 を確認しに来る」ネタはリヴァイアスのブルユイでやったネタだったりします。ラスト、「死によって更に強くなる戒めの鎖」というのは、ハンターハンターの クラピカをイメージしました。強い強い想いを込めて交わした約束は、死で消滅するどころか、決して消えることなく更に強く対象者を縛ると言う。 後編ですが、「病んでて暗め」がテーマになるので苦手な方はご注意ください。多分、後編と言うほど長くはならないと思うのですが…。内容は、シラーの不吉な悪夢と万が一の約束が現実のものになるという感じです。 |