| ピピピ…と電子音が鳴り、シラーはデジタル体温計の数字に目をやった。 38.1。 水属性のシラーにとっては十分に高熱の範疇に入る数字だ。数日前から喉のいがらっぽさや軽い気だるさを感じていて、風邪をひきかけている自覚はあったから本格的にこじらせないよう気をつけていたのだが…。 シラーはずっしりと重い頭を押さえてのろのろとベッドを出た。 (とりあえず水分を取って…明日からの任務の予定はどうなっていたっけ…) リビングに置いてあったミネラルウォーターを飲みながら任務表に目を通したが、生憎と明日までの予定しか載っていない。教皇宮まで出向いて予定表を受け取らなければ明後日からの任務の予定は分からない。 …ああ、億劫だな。 そんな本音がちらりと頭を掠めた時、リビングのドアが勢い良く開いて満面の笑みのハービンジャーが姿を見せた。どうやら日課の十二宮一周早朝ジョギングの帰りらしい。 「ぐっもーにーん、シラー!明後日からのスケジュール予定表、届けに来たぜー!」 「ナイスタイミングだよ、ハービンジャー。…ゲホゴホッ」 「ん?どーしたシラー、ひでぇ声だな。風邪か?」 「多分ね」 心配そうな顔で近付いて来たハービンジャーは、スケジュール表を渡した手でシラーの額に触れた。 …明らかに普段より熱い。 よく見ればシラーの蒼い眼は熱に浮かされて微かに潤んでいるし、息苦しいのか微かに開いた唇からは吐息が漏れている。 ハービンジャーが心配そうに眉根を寄せると、スケジュール表を確認したシラーも微かに眉根を寄せた。 「ああ…明後日に君と組んで任務が入ってるね。何とか今日明日中に症状を軽くしておかないと…とにかく風邪薬を調達して…」 「無理すんな、任務なら他の誰かと変わってもらえばいいだろ。お前じゃなくちゃダメって内容でもねーんだしよ。事情を話せばお前と変わってくれそうな奴に声掛けて来るから、俺が戻るまで大人しく横になってろ。いいな!」 一方的に宣言してハービンジャーは巨蟹宮を飛び出して行った。 …薬で症状を誤魔化して任務に就くのは気が進まなかったので、ハービンジャーの申し出は正直言って有難かった。今日ばかりは素直に彼の好意に甘えることにしたシラーは、『遠慮なく入って構わないよ』の意思表示で寝室のドアは開けたままでベッドに戻った。 …眠気は感じなかったがいつの間にか微睡んでいたらしい。 ドタドタいう足音とバタンとドアが閉まる音で夢界に行きかけていた意識が引き戻されて、目を開けたシラーはゆるゆると寝室のドアに視線を遣った。恐らく静かに部屋に入ったつもりだったのだろう、タオルを持ったハービンジャーがガリガリと頭をかいた。 「あれ、起こしちまったか」 「…………。寝てたわけじゃないよ、目を閉じてただけ」 「なら良かったぜ。明後日の任務だけどな、玄武が変わってやるってよ」 「そう。後で玄武にお礼を言っておかないとね」 「ったく玄武の野郎、着々とお前の好感度上げてきやがって…絶対あいつ、お前の相方ポジ狙ってるだろ。しかしそうは問屋と俺が降ろさねーぞ」 「だから相方ポジって何」 「相方ポジは相方ポジだよ。ったくよー、俺はお前とここまで仲良くなるのにスッゲー時間かかったし苦労も努力もしたのにさー、何でアイツは簡単にお前と仲 良くなってるワケぇ?『シラーと仲良しオンリーワン黄金』が俺の自慢だったのに、アイツまでお前と仲良くなったら俺はもうオンリーワンじゃないじゃねー か!いや、分かってるぜ、仲間は多い方が良いに決まってるよ。けどさぁ…」 ハービンジャーはシラーの額に冷たいタオルを乗せながらブツブツ言った。 …シラーは目元を和ませて微かに唇に笑みを浮かべた。多少なりとも素直な心情を吐露しようと思ったのは熱のせいだろうか。 「オンリーワンじゃなくても、ナンバーワンならそれでいいんじゃない?」 「ん?」 「僕は、僕の一番の友人は君だと思ってるよ」 「え、マジ!?」 「こんなことで嘘を言ってどうするのさ」 「おー、そうか!オンリーワンじゃなくてナンバーワンか!!オッケーオッケー、それなら文句ねーわ!あ、ちょっと待ってろよ、飲み物取って来るから!」 途端にゴキゲンになったハービンジャーは『オンリーワンにならなくても良い、俺は特別なナンバーワン♪』と鼻歌を歌いながら寝室を出て行って、しばらくするとマグカップを二つ持って戻って来た。どうやら中身はホットミルクのようだが、シナモンの甘い香りも漂っている。 何それ?と目顔で尋ねると、ハービンジャーは得意気な顔でカップを差し出した。 「蜂蜜とシナモン入りのホットミルクだ。まずは身体をあっためて栄養を取らねーとな!」 「ありがとう、頂くよ」 ベッドに身体を起こしてカップを受け取ったシラーは、十分すぎるほど熱いミルクに慎重に口をつけた。ハービンジャーはベッドの横に引っ張って来た椅子に腰を降ろして自分のミルクを飲みながらシラーに尋ねた。 「で、食欲はあるか?」 「んー…空腹感は無くはないけど、あんまり口に物を入れたい気分じゃないなぁ。このミルクでとりあえずは十分だよ」 「ミルクだけじゃ治る風邪も治んねーぞ。パラドクスあたりに頼んで何か作ってもらうか?スープくらいなら食えるだろ」 「そんなこと頼んじゃ悪いよ」 「何も悪くねーだろ、アイツだってしょっちゅう茶ぁ飲みに来てんだし。風邪でダウンした『弟』のためにメシ作って下さいお姉様☆って甘えればいいんだよ。頼りにされて悪い気分になる奴なんかいねーんだから、水臭い事言ってねーでこんな時くらい頼れ頼れ!」 「…………」 そんな事、思いもよらなかった。 シラーが目を見開いた時、リビングのドアが開く音がした。 誰か見舞いに来たか?と首を傾げながらリビングを見に行ったハービンジャーが、寝室のドアの隙間から複雑な顔を覗かせた。 「玄武とパラドクスが食い物持って見舞いに来たんだけどよ、どうする?寝室に入れてやるか?風邪がうつるとまずいから追い返すか?」 「水臭い事言ってないで頼れ、って言ったのは君だろ?有難く好意に甘えるよ」 「ちぇ。せっかく久々に親友シラーちゃんと二人きりだと思ったのになぁ。…おい二人とも、寝室に入って良いってよ」 君がナンバーワンだよと言われてもオンリーワンの時間があっという間に終わってしまったのは残念だったらしく、ハービンジャーはガッカリ顔でリビングにいるパラドクスと玄武を呼んだ。 「こんにちわ、シラー。風邪だって聞いたけど具合はどう?」 「熱があってちょっと体がだるいけど、逆を言えばそれだけだよ。ああ玄武、任務の件はありがとう。恩に着る」 「気にするな、俺が風邪でダウンした時はお前に変わってもらうから。…で、何か口に入れられそうか?お前の事だから『大して腹が減ってないし口に物を入れて咀嚼するのが面倒だから飲み物で十分』とか言うんじゃないかと思ってな、老師直伝の薬膳中華粥を作って来たぞ」 当たらずとも遠からずの推測を言いながら、玄武が持参した土鍋をサイドテーブルに置いて蓋を開けた。胡麻油の香ばしい匂いがふわりと漂い、ネギや松の実を散らして卵でとじた中華粥にハービンジャーが目を輝かせた。 「お?病人用のメシかと思ったら普通に美味そうじゃねーか!玄武お前、意外に器用なんだな」 「飯屋の一件もない山奥で修業してればこの程度は出来るようになるさ。で、食べるか?」 「そうだね、美味しそうだし有難く頂くよ」 「じゃあ私は器を取って来るわ。溶ける物を持って来たからちょっと冷凍庫も借りるわね」 …パラドクスは当たり前の顔をして四人分の器を持ってきて、最初から皆で食べるつもりだったのか玄武も特に文句も言わず、最後はハービンジャーが土鍋を抱えて平らげると言う大方の予想通りの結果になった。 食器を片づけたパラドクスは『私はとっておきのデザートを持って来たのよ』と自慢げに言いながらバニラアイスと褐色のジャムをトレイに乗せて戻って来た。 ハービンジャーはジャムの入った瓶をしげしげと見て首を傾げた。 「タダの林檎のキャラメリゼじゃねーか。一体どこが『とっておき』なんだ?」 「ハービンジャーさんじゃ分からなくても無理はないわ。でもシラー、あなたなら分かるでしょ?」 「風邪をひいたタナトス様の為にヘカーテ様が差し入れしたメニューだよね」 「流石シラー、正解よ。あなたが風邪をひいたって聞いて、ヘカーテ様に頼んでキャラメリゼのレシピを教えて頂いたの」 「あのお色気女神といつの間にそんな仲良くなったんだパラドクス」 「エルミタージュ洋菓子店のお菓子が美味しくて、足繁く通ううちに自然と…よ。はいどうぞ、召し上がれ」 「…お、うめぇ!」 「本当だ、美味しいねぇ」 「…………」 野郎どもが子供のようにニコニコしながらキャラメリゼを乗せたアイスを口に入れる姿にパラドクスが微笑んだ時、寝室のドアがノックされた。 「なんだなんだ、また見舞いか?」 「ミケーネさんかしら?」 「開いてるよ、どうぞ」 シラーが声をかけると、寝室のドアが勢い良く開いて魚座のアモールが輝くような笑顔をのぞかせた。彼は白い頬を赤く染め、恍惚の表情を浮かべ、豪華な果物の籠を持った両手を掲げた。 「お見舞いに来ましたよ、マイスイートハ二―☆寝室に招き入れて頂けるなんて何と言う光栄。有難くご好意に甘えさせて頂きますよ!さぁ、私と一緒に甘いひと時を過ごして魚介類同士親睦を深めようじゃ…」 「「帰れ」」 ドゲシッ!! 見事に同じタイミングで同じセリフを言ってハービンジャーと玄武が同時にアモールをシラーの寝室から蹴り出した。即座に後ろ手にドアを閉めてから、ハービンジャーは床に落ちた果物籠を拾って中身をひっくり返した。 「パッと見たところ妙なもんは入ってねーな。玄武、お前もちょっと匂い嗅いでおかしなところがねーか確認しろよ」 「言われずとも。…と言うか、アモールが持って来たものをシラーの口に入れるのは危険なんじゃないか?」 「あ、そっか。言われてみりゃその通りだ。おいアモール、この高そうな果物は持って帰ってソニアにでも食わせてやれや。妙なもん仕込んだなら自分で食えよ」 「ちょ…あなた達は私を信用してないんですか!私が見舞いの果物に妙な仕込みをするような人間だと思ってるんですか!!」 「「思ってるぞ」」 「ひどっ!あなた達、普段シラーを取りあう時は喧嘩ばかりなのに、私がシラーに近づこうとすると結託して妨害して!私に何の恨みがあるんですかっ!」 「恨みは特にねーけど、お前がシラーに絡むと碌なことにならない予感がバシバシするんだよなー」 「お前絶対、シラーを自分のものにするためにあいつを不幸の道に引きずり込むだろ?」 「どこの世界の話ですか、それ!無印でもLCでもNDでも蟹座は牡牛とも天秤とも絡んでないのに、何であなた達ばっかり!ずるいじゃないですか!私はただ、先代や先々代のように魚介類同士仲良くしたいだけなのにぃぃぃ!!」 「会うなり後ろから抱きついて尻を撫でる事を『仲良くする』とは言わん。セクハラだ」 「あれはスキンシップと言うんです!」 「はいはい、双方の価値観の相違は埋められない、と。今のシラーは価値観の相違について議論するほど元気はねーから、今日のところは大人しく帰れや」 「じゃあせめてお見舞いの果物を渡すくらいさせて下さいよぉぉ!!」 ハービンジャーと玄武は涙目で抗議するアモールの腕を掴んで引きずって行った。 …巨蟹宮の入口まで引きずられてきてもアモールはまだ往生際悪く肉体派の二人に抵抗していた。 「良いじゃないですかちょっとくらいお見舞いしたってぇぇぇぇ!私だってシラーと仲良くなって『紅白ブイヤベースコンビ』とかあだ名を付けられてみたいのにぃぃぃ!」 「駄目なものは駄目だ!」 「微妙に面白い名前を主張するところがまた腹立つな…」 「おー?なんだなんだ、今日はまた奇妙な取り合わせで揉めてんな」 「!」 周囲を全く見ていなかった三人は不意にかけられた声に驚いて声の主を見て、更に驚いて目を見開いた。 蒼い髪をワイルドに逆立てた若い男…先々代蟹座のマニゴルドと、その後ろには銀色の死神が面白そうな顔で彼らを見つめている。 三人は慌てて姿勢を正して丁寧に会釈し、ハービンジャーと玄武が驚きと緊張で黙り込んでいるのを見てアモールがおずおずと口を開いた。 「…これはこれはタナトス様。お出ましに気付かず大変お見苦しい姿を」 「気にするな、なかなか面白い見せ物だったぞ。紅白ブイヤベースコンビか…ククッ…。ああ、ところで」 「ハ」 「シラーは風邪だと聞いていたのだが、黄金聖闘士の見舞いも拒否せねばならぬほどひどいのか?」 「いえ、そのぉ…酷いのはシラーの風邪ではなくてコイツです」 「コイツが見舞いに来ては回復する風邪も悪化しかねませんので」 ハービンジャーと玄武の説明に、タナトスは銀色の睫毛を瞬いて不思議そうにマニゴルドに尋ねた。 「そんなに酷いのか、この魚は?」 「アンタにも分かるように乱暴に例えるとだな、コイツは『聖域のゼウス』だ。自称紳士だからセクハラ以上の事はしないが、見てくれさえ良ければ相手が男だろうが姪だろうが尻を触るし胸を揉む」 「…なるほど、分かりやすい」 マニゴルドの言葉にタナトスが真顔で頷いたので、ハービンジャーと玄武は思わず噴き出し、アモールはますます情けない顔になったのだった。 「遅いわねぇ、ハービンジャーさんと玄武は。アモールさんを摘まみだすだけでいつまでかかってるのかしら」 持参した林檎の皮をむき、芯を取って切り分けながらパラドクスは首を傾げた。 お一つどうぞ、とシラーの口に林檎を一切れ入れながら彼女は自分の口にも林檎を入れた。もぐもぐと咀嚼しながら残りの林檎の芯を取っていると、寝室のドアが静かに開いてハービンジャーが複雑な顔を見せた。 「あらハービンジャーさん、遅かったじゃないの」 「あー…シラー。その、結論から言うとアモールは追い返せなかったんだが、プラマイすればプラスだと思うからここはひとつ我慢してやってくれや」 「は?何言ってるのさハービンジャー…」 満面の笑みで寝室に入って来るアモールの姿に一瞬眉根を寄せたシラーは、彼に続いてマニゴルドと死神が入って来るのを見てガバッと身体を起こした。 「たたたたた、タナトス様!なぜこのような場所へ!?ああ、このような格好で申し訳ございません、今すぐ着替えてお茶をご用意いたします!!」 「それには及ばぬ。この後すぐ仕事が入っている故、用件だけ済ませたら暇するのでな」 風邪熱で寝込んでいたことなど忘れたようにベッドから出ようとするシラーを片手で制して、タナトスはにこやかに笑んだ。 パラドクスが椅子を勧めたが銀の神はそれも辞退した。本当にすぐに立ち去るつもりらしい。 「ヘカーテ様経由でお前が風邪をひいたと聞いてな。丁度アテナに会う予定があった故、ならばお前の様子見をしつつ皆からの差し入れも渡しておこうと思ったのだ。まずドリュアスのルコから…」 タナトスはポケットをごそごそやって眼薬ほどの大きさの瓶を取りだした。中にはシロップのような液体が入っている。 「どうしても薬に頼る必要があった時はこれを飲むと良い。副作用が極端に少ない風邪薬だそうだ」 「あ、ありがとうございます」 「それからこれはヘカーテ様から、お手製のスコーンと薔薇のジャム」 「頂きます」 タナトスはズボンのポケットからジャムの瓶とスコーンの入った大きめの瓶を取りだした。 どこにどうやって入れてたんだよそんなもん…というツッコミは、神様相手にはするだけ無駄である(トンデモ神様パワーを初めて間近で見る黄金聖闘士達は目を丸くしていたが)。 そして死の神は、ナチュラルに反対側のポケットからアイスノンを取りだした。 「それからこれは、俺とヒュプノスから。ヘカーテ様の加護付きアイスノンで、冷凍庫に入れずともいつまでも冷たいままというスグレモノだ」 「有難く使わせて頂きます」 目を輝かせて恭しくアイスノンを受け取るシラーを満足げに見降ろしながらタナトスが口を開いた。 「それからな、お前にひとつ頼みたい事があるのだ」 「なんなりと」 「おいタナトス様、シラーは風邪ひいてんだぞ。どんな急ぎの用事かしらねーが、風邪が治ってからじゃダメなのかよ?」 見舞いに来ていた黄金聖闘士達の内心の突っ込みをマニゴルドが代弁すると、タナトスはあからさまに馬鹿にした顔でマニゴルドを見た。 「風邪をひいている今しか頼めぬ要件だから、時間が押しているのにわざわざ寄り道したのだ。そんなことも言われぬと分からんとは、お前の頭蓋骨の中には蟹味噌が詰まっているのかカニゴルド?」 「うっせ!アンタが人間の健康まで配慮するご立派な神様とは今の今まで知らなかっただけだよ、カニゴルド言うな!一体何なんだよ、風邪をひいてる今でねーと頼めない用事って!」 「その前に重要なことをひとつ確認したい」 タナトスが真顔で黄金聖闘士達を見回したので、皆は真剣な顔になって死神の言葉を待った。 …銀の神は至って真剣な顔で尋ねた。 「今ここにいるメンツの中で、正真正銘掛け値なしで馬鹿なのは誰だ?」 「え?ええっと…」 「彼です」 「彼ね」 「コイツだな」 「彼でしょう」 「牛だろ」 ハービンジャーが腕を組んで考えると同時に、彼以外の全員が迷うことなく牡牛座を指差した。指差されたハービンジャーはギョッとして皆を見回した。 「え!?ちょっと何だよお前ら、何で満場一致で俺な訳!?」 「ふむ、コイツか。なるほど、シラーの相棒が一番の馬鹿…好都合だな」 「へ?」 「ではシラー、お前に命ずる」 「ハ」 タナトス神に『シラーの相棒』と認識されていると知って満更でも無い顔になるハービンジャーを指差して、タナトスは言った。 「コイツに風邪をうつせ。手段は問わぬ、どんな手を使っても構わん。但し不正はしてはならぬぞ」 「……………。はい?」 「…タナトス様。仕事に遅れてでもシラーに頼みたい事ってそれか?」 「ああ、そうだ」 「だったらちゃんと、そんなこと頼む理由を説明しとけよ。下手したら話に変な尾鰭が付いて『冥界のタナトス神が聖域に風邪を流行させろと蟹座の黄金聖闘士に命じた』なんて噂になるぞ」 「む、それは困るな。ならばこの場にいる黄金達にも簡単に事情を説明しておこう。…お前達、『馬鹿は風邪をひかない』という都市伝説を知っているか?」 「おいタナトス様。まさかとは思うが、その都市伝説が嘘か本当か兄弟間で揉めたからシラーと牛で実証しようとか、そーゆー脱力する理由じゃねーだろーな」 マニゴルドがジト目で突っ込むと、タナトスは驚いたように銀色の睫毛を瞬いた。 「一体どうしたのだマニゴルド、妙に察しが良いではないか。シラーが風邪をひいたせいで、コイツの脳味噌がお前の中に移動でもしたか?」 「アンタと付き合ってればこの程度の察しくらいつくっつーの!つーかタナトス様、この間風邪ひいた時に散々兄弟や星矢達から『馬鹿は風邪ひかないのに』っ て言われて切れてたよな?この実験で牛が風邪ひいたらどうすんだよ、アンタ自分が馬鹿だって認めるようなもんじゃねーか!」 実にゴモットモなマニゴルドの指摘に、タナトスは眉を吊り上げて声を荒げた。 「やかましいわ!俺が馬鹿だと認めるのではない、『馬鹿は風邪をひかないという都市伝説は嘘だ』と実証するのだ!シラーが風邪をひいたと聞いた兄弟達はど んな反応をしたと思う?『風邪をひいたのはやっぱり頭脳派のシラーか』『だって馬鹿は風邪をひかないし』『でも馬鹿のタナトスは風邪をひいたな』『あの都 市伝説は人間にだけ通用するんだろう』『風邪をひいた弟と一緒に寝れば風邪もうつるわ、そんなことが分からない時点で兄貴はやっぱり馬鹿だよね』などと過 去の話を掘り返して俺をおちょくったのだぞ!『人間の馬鹿も風邪をひく』という事実をもって奴らを黙らせてやらねばおさまらん!」 「牛が風邪ひいたところでアンタの兄弟が黙るとは思えねーけどなぁ…まぁいいわ、兄弟喧嘩が理由なら俺も止めねーよ。童虎とシオンには俺から『タナトス様 の兄弟喧嘩に巻き込まれたシラーが牛に風邪をうつそうとしてる』って伝えとくから、お前達は他の聖闘士達に上手いこと伝えといてくれや。んじゃタナトス 様、いい加減に行こうぜ。マジで遅刻しちまう時間だ」 「む、そうか。…ではシラー、頑張るのだぞ。見事成功した暁には褒美を取らせる故な」 余りの無茶振りにポカーンとしている黄金聖闘士などお構いなしで、アクセサリーのモデルである銀色の死神とそのマネージャーである青い蟹は一方的に言うだけ言ってシラーの寝室を出て行った。 …残された皆は口を半開きにしたまま顔を見合わせた。 「…おい、あの死神様ってば、さりげにとんでもなく無茶な命令してかなかったか?」 「ハービンジャーさんに風邪をひかせろって…出来るの、そんなこと?」 「タナトス様の御命令だからね、何とかご期待にこたえたいんだけど」 「毎朝十二宮一周マラソンして身体を鍛えてる彼に、風邪??疫病をばらまく神のアポロンでも連れて来ないとダメなんじゃないですか?」 「それは『不正』の枠に入るだろう。…というかアモール、何故お前がナチュラルに話の輪に入っているんだ」 「いやだって、私にも出来る事があるはずですから」 「……………」 アモール以外の四人は顔を見合わせ、無言で意思疎通し、パラドクスと玄武が椅子から立ち上がってアモールの腕を掴んで寝室から引きずり出した。 「え?あれ?ちょ、何をするんです?まだ作戦会議の途中じゃありませんか!」 「作戦会議は一時中断よ。黄金屈指の頭脳派のあなたに風邪がうつったら『馬鹿は風邪をひかない』説を強化しちゃうもの」 「パラドクスの言う通りだ。ハービンジャーではなくお前が風邪をひいたら最悪の展開だからな、最悪を避ける為にシラーの風邪が治るまでお前は双魚宮に籠もっていろ。シラーの見舞いは脳筋の俺とハービンジャーとミケーネに任せておけ」 「ええええ?そんなぁぁぁ〜〜〜〜〜!!」 「達者でな〜〜〜」 ハービンジャーはハンカチをひらひら振ってアモールを見送ると、もう来るんじゃねーぞと念じながら寝室のドアをしっかりと閉めた。サイドテーブルに置いてあったタオルで差し入れのアイスノンを包み、シラーの頭の下に入れてやりながら牡牛座は至って真面目に尋ねた。 「…でよ、シラー。風邪ってどうやってひけばいいんだ?」 「風邪の予防法の逆を行ったらどうかな。手洗い・うがいをしない、ジャンクフードばっかり食べる、運動をしない、寒い時に薄着でいる、人ごみの中にマスクをしないで出て行く、風邪をひいた人間と一緒にいる…」 「じゃあとりあえず薄着で人ごみの中ぶらぶらしてきて、今夜はお前と一緒に寝るわ。馬鹿のタナトス神も頭脳派の弟と一緒に寝て風邪を貰ったんだろ?」 「『馬鹿の』は余計だよ。そもそもタナトス様は馬鹿じゃないってマニゴルド先輩も言ってるだろ。…ところでハービンジャー」 シラーはふと根本的な疑問を感じて、部屋を出ようとしたハービンジャーの背中に声をかけた。 「君、風邪をひいた事ってあるの?」 「ない!」 …タナトス様のご希望には添えないかもしれない、とても残念だけど。 シラーは盛大な溜息をついて、ずっしりと重くなった頭を冷たい枕にそっと預けた。 |
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ハビシラな雰囲気を目指しつつ、色んなキャラを出してワイワイとドタバタコメディやりたいな―と思って書いたSSです。そろそろタイトルが安直になってきました…。 私自身が数年ぶりに『38度の熱 を出して寝込む(但し症状は熱と倦怠感だけ)』という症状で寝込みまして、眠たくもないのに横になっているしか出来ず、ひたすら『シラーさんが風邪でダウ ンしたら』という妄想をして風邪と戦っている間に出来た話です。当初はオチが思いつかず妄想で終わる予定だったのですが、ツイッターで『熱が下がらなくて 参りましたよー』と呟きながら妄想を吐き出していたところ、個人的ハビシラの神の一柱から『ネギを尻の穴に入れると熱が下がりますよ』というコメントを頂 き、即座に『尻の穴にネギ』と『風邪のシラーさん』が繋がってこんなことになりました(笑)。ご本人の了解を頂けたので早速SSにしました。せっかくなの で(?)当サイトのアモールの立ち位置紹介も兼ねて登場して頂きました。公式からかけ離れず、かつ憧れの方々のアモさん像と被らないように…とキャラを考 えて行った結果、『シラーさんに片思いしているイマイチ報われないセクハラ変態紳士』になっていました。節分SSでのマトモっぷりは何だったんでしょう (笑)。彼は多分、シラーさんや時貞や玄武君のお尻を触ったり、パラさんやソニアさんに抱きついて胸を触ってるんだと思います。そして殴られても『あなた の怒った顔も魅力的です…』とか言っちゃうんだ。 話が長くなったので、ネギネタ部分は後半に。ネタがネタですが当サイトのハビシラはどこまで行っても友人関係なので色っぽい方向にはいかず、やっぱりドタバタコメディです。よろしければどうぞ。 細かい解説など。 ハビさんは、毎朝自宮から教皇宮までジョギングをするのが日課で、ついでに教皇宮にあるスケジュール表も皆に配って歩いています。で、巨蟹宮にシラーさ んがいて食事のタイミングが合ったら一緒に朝ご飯食べてます。シラーさんは任務が不規則って言うのもあるけど、生活そのものが不規則なイメージです。 シラーさんと最初に仲良くなったのはハビさんだろう(次はパラさん)と思っています。詳しくはコラボ第二弾で書こうと思うのですが、基本的に他人に心を 開かないシラーさんに『なぁなぁ…』と話しかけて、無視されても下から顔を覗きこんで返事を貰えるまでハビさんは話しかけて(但ししつこくはしない)、徐 々に徐々にシラーさんの心を開かせて仲良くなって行って、その過程でパラさんとも仲良くなったんじゃないかなーと思っています。なのでハビさんとシラーさ んの付き合いは数年あるので、シラーさんもハビさんを『一番の友達』と認識しています。ちなみにパラさんは『お姉様』、玄武君は『弟分』。あとは、SS 『拝謁』第3話でハビさんとシラーさんは私室のドアを掴んで攻防戦やってましたが、今は寝室にまで抵抗なく入れる程度に仲良くなってるよ、的な感じで。 そしてこちらも裏設定的なものではあるのですが、パラさんは龍神秋乃・ヘカーテ・エリスの冥界女神達と女性同士でそれなりに仲良くなっています。今回のシラーさんの風邪も、パラさん→ヘカーテ→タナトスという経路で話が伝わっています。 タナトスがシラーさんに『一番馬鹿の仲間に風邪をうつせ』と命じるネタは、思いついたものの説得力ある理由が思い浮かばず没にしようか悩みに悩んだのですが、タナトス様らしくイミフな理由にしてみました。マニさんの突っ込みが冴えわたるよ!(笑) |