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個室に向かう皆にちらりと目をやって厨房に入りながらシラーはタナトスを見遣った。 「タナトス様、大丈夫ですか?面白いオチを用意しろって言われちゃいましたけど」 「むう…椅子だけでは少々弱いだろうか…」 「試作のケーキは…ああ、これだな。さすが秋乃、皆の好みに合わせていろんな種類のケーキを作ってるよ」 「…………」 シラーがワゴンの上に並べていくケーキをじっと見ていたタナトスが、ふと何かを思いついた顔でにっこりと笑った。 「シラー。面白いオチのためにもうひとつ悪戯をするぞ!」 「?」 「この、苺がたくさん乗ったケーキがタナトス用であろう?」 「ええ、そうでしょうね。タナトス様は苺のショートケーキがお好きですから」 「ならば…」 タナトスはケーキにたっぷり乗った苺を一粒つまんで口に放り込んだ。 「!?!?」 「苺を食べてしまうのだ!」 「ええっ?タナトス様のケーキの苺を、ですか!?」 「そうだ!さぁ、お前も食べろ!」 「え?いえ、そんな、神様への供物を食べるなんて…」 「小難しく考えるのが悪い癖だ、とお前はさっき自分で言っていたではないか。考えるな、行動しろ!」 「あの、でも、タナトス様に怒られるのでは…」 「怒られるまでが悪戯だっ!それともシラー、お前は『苺を食べたのはタナトス様だけです』と言って逃げる気か?」 「い、いえ」 「なら食べろ食べろ!ほら!」 タナトス少年にケーキを差し出されて、シラーは恐る恐る苺をひとつ口に入れた。 最高に美味しい苺のはずなのに、全く味が分からない。 石でも食べるようにシラーがどうにかこうにか苺を飲み込むまでの間に、残り全部の苺を食べたタナトス少年は満足げに頷いた。 「これでよし!タナトスがどんな顔をするか楽しみだな!」 「タナトス様…僕、胃がキリキリしてきました…」 「大丈夫だ!この悪戯をしようと言い出したのは俺だと言えば、タナトスはお前を怒ったりしないからな。さぁ、行くぞ!」 意気揚々と厨房を出て個室に向かうタナトスの後ろを、ケーキを乗せたワゴンを押してシラーがついて行った。 一方その頃。 普段使っている個室のドアを開けたタナトスは、テーブルの上に椅子が逆さに乗せられているのを見て怪訝そうに目を瞬いた。 「ん?秋乃様、この部屋は準備中でしたか?」 「えっ?そんなはず…。…………」 部屋の中を見た秋乃は言葉を切った。 …恐ろしいほど不気味な沈黙。 一気に背筋が寒くなるのを感じながら、タナトスは恐る恐る秋乃の顔を見て、ビクッと体を震わせ、ヒュプノスに視線を送ると不自然に明るい声で言った。 「き…きっと、あのチビの悪戯でしょう。仕方の無い奴だ」 「事あるごとに悪戯を仕掛けるお前が言うか、タナトス」 ヒュプノスも妙に焦った様子で部屋に入ると、兄神と一緒に椅子を降ろし始めた。 何だか色々とよろしくない状況らしい、ということは察したマニゴルドが椅子を降ろすのを手伝い始めると、秋乃が抑揚の無い声で言った。 「…この椅子を、タナトスさんひとりでテーブルの上に乗せられるとは思えません」 「シラーにやらせたんじゃねーの?あの馬鹿、タナトス様の言うことだったらハイハイって聞くからよ」 「もっと悪いです」 「…………」 秋乃の静かな声にマニゴルドは椅子を降ろす手を一瞬止めてタナトスに目顔で尋ねた。 ひょっとしてスゲーやばい状況か、コレ? …マニゴルドの視線の意味に気付かないはずが無いタナトスが無言でスーッと視線を逸らした。 スゲーやばい状況らしい。 ………… 先ほどふたりが悪戯をした部屋は廊下の突き当りの角を曲がった先にある。 タナトス少年とシラーは曲がり角の壁に隠れるようにしてそおっと皆の様子を伺った。 …タナトスとヒュプノスがせっせと椅子を降ろして、マニゴルドも椅子を降ろすのを手伝っている。ヒュプノス少年は妙に居心地が悪そうな顔で三人を見ていて、秋乃はそんな彼らを見ているのかピクリとも動かずに立ったままだ。 タナトス少年とシラーは怪訝そうな顔を見合わせた。 明らかに様子がおかしい。 テーブルに逆さに置かれた椅子を降ろすなど、普段のタナトスなら当たり前のような顔をしてマニゴルドにやらせるはずなのに。 「あの…タナトス様。何だか様子がおかしくないですか?」 「む…コレは予想外の展開だぞ」 「このまま出て行っていいでしょうか?」 「うーん…」 タナトス少年が返答に詰まった時、所在なさげにしていたヒュプノス少年が壁から顔を出して様子を伺っているふたりに気付いた。 「あ」 「ん?」 「?」 「お、タナトス様にシラー。何こそこそしてんだよ」 「…………」 マニゴルドの言葉に秋乃が振り返って、タナトス少年と目が合った。 次の瞬間、本能的な恐怖を感じたタナトスはシラーの腕を掴んで全力ダッシュした。 「見つかった!逃げるぞ、シラー!!」 「えっ?えっ?えっ??」 廊下の角の向こうに走っていくふたりの姿を野郎共はただ眺めているしか出来なかった。椅子をテーブルに逆さに置いた犯人はタナトス少年とシラーだということは分かっていたが、秋乃が放つ怒りのオーラに圧倒されて足が動かなかったのである。 ふたりが逃げるのを不気味な沈黙で見届けた秋乃は、ポケットに入れていた携帯を取り出して電話をかけ始めた。 シラーの手を引いて逃げ出したタナトス少年は、その勢いで店を飛び出した。建物の裏手に回って、誰も追いかけてこないのを確認して小さな死神はほっと息を吐いた。 「むう…困ったことになったな。面白いオチを用意するどころかスベってしまったようだぞ」 「どうしてタナトス様とヒュプノス様が椅子を降ろしていたんでしょう?普段なら先輩にやらせるのに」 「秋乃が怒っていたのかも知れぬ。秋乃がめちゃくちゃ怒っていたから、何かしないと怖くてたまらないから椅子を降ろしていたのかも知れぬぞ」 「秋乃?秋乃が怒るとそんなに怖いんですか?」 「うむ。タナトスから以前聞いたことがあるのだがな、秋乃が怒るとそれはもうとんでもなく怖いらしい。秋乃というかベルセフォネーが本気で怒った事は神話 時代にハーデス様が浮気した時くらいしかないそうだが、その怒りっぷりはタナトスのトラウマになるくらい怖かったらしいぞ」 「ええっ?そ、そんなに怖いんですか!?」 「怖いらしい、ぞ…」 「えっと、じゃあ、つまり…その、『タナトス様がトラウマになるほど怖い、怒った秋乃』に、僕達は、これから、怒られるってことですか?」 「そ、そうなる、な…」 今更ながらタナトス少年が怖くなってきた時、シラーのポケットで携帯が鳴り出した。 シラーは飛び上がるほどビクッとして、震える手で携帯を取り出し、着信画面を見てサッと青ざめた。 「たたたたタナトス様、秋乃から電話です、とっ、取った方がいいですか?」 「う、うむ、取った方が良いな。無視したらもっと怖い」 「わ…分かりました。…はい、シラーです」 『秋乃です。タナトスさんも一緒ですか』 「あ、ああ、一緒だけど」 『では今すぐ戻ってきてください。ふたり一緒に』 返事も聞かず、用件だけ一方的に告げて電話が切れた。 シラーはぎくしゃくと携帯をポケットに戻してタナトス少年を見遣った。 「今すぐふたり一緒に戻って来いって言われました…」 「そ、そうか。仕方ない、戻ろう。逃げたらもっと大変だからな」 「や、やっぱり怒られるんでしょうか」 「さっき言ったであろう、怒られるまでが悪戯だ。だっ…大丈夫だ、素直にごめんなさいと言えば秋乃だって許してくれる!きっと大丈夫だ。た、多分…な」 「僕もそう思うんですけど…謝罪して反省すれば秋乃は許してくれると思うんですけど…。でも、タナトス様…お恥ずかしい話ですが、僕、正直言って秋乃に怒られるのが怖いです」 「う…まぁ、俺も怖いのだが…」 思わず本音を呟いてしまったタナトス少年は、シラーが半べそ顔になるのを見て慌てて言った。 「だ、大丈夫だ!悪戯の主犯は俺だからな、シラーはおまけ程度に怒られるだけであろう。大丈夫だ、俺がついてる!だから一緒に怒られて一緒に謝ろうではないか!」 「は…はい」 「さぁ、行くぞ!」 小刻みに震えるシラーの手をぎゅっと握って、タナトス少年はおっかなびっくり大股でエルミタージュ洋菓子店の中に戻っていった。 タナトスとシラーが一番奥の部屋まで戻ってくると、部屋の入り口で秋乃が待っていた。普段は表情豊かな彼女が無表情になると、なまじ愛くるしい顔立ちなだけに怖さ倍率ドンである。 大人の双子神は秋乃の数歩後ろで曖昧な表情で突っ立っていて、フォローは期待できそうに無い空気をビシビシ感じる。 これはさっさと謝った方がいい。 タナトスはシラーの手をしっかりと握り直し、彼の手を引いて秋乃の前まで来るとぴょこんと頭を下げた。ワンテンポ遅れてシラーも日本式の謝罪をした。 「秋乃、ごめんなさい!」 「ご…ごめんなさい」 「謝ったということは、この悪戯をしたのが自分達だと認めるんですね。椅子をテーブルの上に乗せよう、って言い出したのはどちらですか?」 静かな声がとんでもなく怖い。どうやら『ごめんなさい』だけでは済みそうにない。 後ずさりそうになる足を叱咤して、タナトスはシラーを庇うように半歩前に出た。 「お…俺だ。シラーは俺に付き合ったのだ」 「…………。タナトスさんが『悪戯をしよう』って言った時、シラーさんは何か言いましたか?」 「え?いや、特に何も…」 「じゃあ、タナトスさんよりシラーさんが悪いです」 「え?何故だ、秋乃?悪戯をしよう、とシラーを誘ったのは俺だぞ」 「…私は、おふたりが悪戯をしたことに怒っているんじゃありません。私が何に怒っているか分かりますか?それが分からなくてただ謝っているのでは何の意味もないです」 秋乃の言葉の後半はシラーに向けられていた。 内心かなりびくびくしながら、それでもシラーは必死に頭を巡らせて思い当たる節を恐る恐る答えた。 「タナトス様を止めなかった事、かな」 「そう思う理由は?」 「タナトス様達がお戻りになる前に、別のお客さんがこの部屋を使いたいって言ったら、困るから…」 「そうですね。こんな、『いかにも準備中』なお部屋にお客様をご案内なんて出来ません。…シラーさん」 「!!」 秋乃の表情も声も厳しいままで、シラーは思わずビクッと体を震わせた。 そんなシラーを横目でちらりと見て、タナトス少年は彼の手をぎゅっと握った。 …大丈夫だ、俺がついてる。 小さな手は、小刻みに震える手でぎゅうっと握り返された。 「今の状況では、あなたはお店のスタッフで、タナトスさんはお客様です。あなたは『お客様をおもてなしする』という仕事中なんです。お客様が、そうとは知 らずに他のお客様の迷惑になるようなことをしようとしたら、きちんと理由を説明して止めるのがあなたの仕事です。少なくとも他のお客様の迷惑にならないよ うに対策を立てるべきです。タナトスさんの悪戯に加担するのなら、私や他のスタッフに『一番奥の部屋にはお客様を案内しないで』と頼んでおくべきでした。分 かりますか?私はあなたが悪戯に加担したことを怒っているんじゃありません。勤務時間中にきちんと仕事をしなかったこと、『お客様に迷惑をかけない』とい う基本的なルールを守らなかったことに怒っているんです。シラーさんがプライベートでお店に来た時に悪戯をしたのなら私はここまで怒りませんでした」 「………、………」 「シラーさんがタナトスさんを敬愛する気持ちはよく分かっているつもりです。タナトスさんに誘われたら断りにくいだろうなってことも。でも、タナトスさん は聞き分けのない子供じゃありません。『それは他のお客さんの迷惑になるから他の悪戯を考えましょう』とシラーさんが言えば、きっと分かってくれたはずで す。タナトスさんの悪戯が関係ない他の人の迷惑になるかも、と分かっていて黙っていたことに私は怒っているんです」 「…ごめん」 しゅーんとうなだれたシラーがポツリと謝罪の言葉を口にした。 黄金聖闘士になってから…いや、養父に引き取られてから、常に人並み以上の成果を挙げ続けてきたシラーは失敗らしい失敗をしたことがない。ましてや、そ の失敗を叱責された経験など一度もないと言っていい。出した成果に苦言を呈されたことはあっても、全て『負け犬の遠吠え』『偽善者がのたまう綺麗事』と碌に耳も貸さずに来たのだ。 言い訳の余地のない『仕事上の失敗』も、その失敗で叱責されるのも初めての経験で、皆が『何もそこまでへこまなくても』と思うほどシラーは必要以上にショックを受けていた。 ベッコベコにへこんだシラーを見上げたタナトスが心配そうに手を握り直したが無反応で、小さな死神はますます心配そうな顔になって繋いだ手を引っ張った。 「そうへこむな、シラー。次から迷惑をかけないように気をつければよい話ではないか。言ったであろう、『怒られるまでが悪戯だ』と」 「それは違いますよ、タナトスさん」 「え?」 「やったことの後始末をするまでが悪戯です」 「…………?」 「シラーさんと、主犯のタナトスさん。お茶を飲み終わった後でいいですから、悪戯の罰ゲームとして部屋の掃除をしてください。今回は『初犯』ですから、それでチャラにしてあげます」 秋乃の怒りオーラが消えたので、ほっと緊張を解いたシラーとタナトス少年が頷くと、ただし…と彼女は続けた。 「次にお客様に迷惑をかけるような悪戯をしたら、掃除じゃ済まないですよ。よーく覚えておいてくださいね」 「「わ…分かった」」 ビクゥッと震え上がりながらふたりがコクコクと頷くと、秋乃はいつもの表情に戻ってにこりと笑った。 「分かればよろしい。じゃ、椅子の悪戯に関するお説教は終わりです」 「『椅子の悪戯に関する』?」 秋乃の言葉に首を傾げたタナトスは、部屋の前に置かれたワゴンを見て自分達が仕掛けたもうひとつの悪戯を思い出した。タナトス用に用意されていたケーキの苺を食べたのだった。 そのタナトスはと言えば、何とも言えない微妙な顔で苺を食べられてしまったケーキを見ている。 ちなみにタナトスは『秋乃様が仕掛けられた悪戯に比べれば誰にも迷惑をかけていない可愛いもの…目くじら立てて起こるほどの事ではないかも知れぬ…しか し神への供物を盗み食いしたことには怒るべきか…しかしチビも神だし、俺もヒュプノスのケーキの苺をしょっちゅう横取りするからそこを突かれると分が悪い な…』などと考えていたのだが、タナトス少年は『言いたい事はハッキリ言うタナトスが黙るなんて、そんなに怒っているんだろうか』と心配になってきた。 タナトス少年はシラーの手を引いたままおずおずとタナトスに近づいて声をかけた。 「…タナトス?」 「苺を食べたのはお前か?チビ助」 「そうだ、俺だ。シラーはダメだと言ったが、シラーにも一個食べさせて、残りは全部俺が食べた!」 「そうか。まぁそうだろうと思っていた。…あのな、チビ助」 「何だ?」 「苺の乗っていないケーキはケーキとは言えぬ。ただのパンだ。甘いパンなのだぞ」 「パン?」 「そうだ、パンだ」 「パンなのか…」 ふたりのタナトスは真顔で『パン』を連呼し、小さなタナトスは不思議そうに首を傾げた。 「…………。怒らないのか?」 「あまりにも馬鹿馬鹿しくて怒る気にもならぬわ。…ただし」 「ただし?」 「俺はやられたら倍にしてやり返す主義だぞ」 小さな自分自身をじろりと見てタナトスが言った。 タナトスとシラーがテーブルに乗せた椅子もきちんと元の場所に戻されて、テーブルクロスも元通りかけられたテーブルに皆のケーキと飲み物が並べられた。 苺を全部食べられた『甘いパン』状態のケーキを持って席についたタナトスは、隣に座ったタナトス少年とシラーにずいとケーキの皿を差し出した。 「さてお前達、先ほどの悪戯の代償を払ってもらおうか。…秋乃様、このケーキにはいくつ苺が乗っていたのですか?」 「五個ですね」 「ふむ。ではチビ助は八個、シラーは二個苺を返してもらおう」 「…はい」 「タナトス、このケーキには五個しか苺が乗っていないのだが」 「仕方ないな。今日は初犯故、その五個で許してやろう」 「ガキのケーキの苺を全部取るのかよ。大人げねーな、アンタ」 「この悪戯に面白いオチを用意していたら四個で手を打ったのだがな、盛大に滑ったから容赦はせぬ」 しょんぼりした顔でケーキの苺をタナトスに差し出したタナトス少年は、苺の乗っていないケーキを一口食べてますますしょんぼりした。 「…確かに苺のないケーキは甘いパンだな…」 「あの、タナトス様。僕も悪戯の共犯ですし、僕の苺を召し上がってください。タナトス様相手の悪戯のけじめはつけたから構わないでしょう?」 シラーが自分のケーキを差し出したが、タナトス少年は首を横に振って皿を押し戻した。 「ダメだ。椅子の悪戯は『シラーが悪い』とシラーだけが秋乃に怒られたのだ。苺の件は俺が悪いのだから、お前から苺を貰ってはダメだ。けじめがつかぬ」 「そう、ですか…」 シラーもタナトスに釣られたようにしょんぼりしてケーキを口に入れた。 茶会を終えたタナトス少年とシラーは、椅子の悪戯のペナルティで部屋の掃除をしていた(ちなみにシラーはタダ働きである)。とは言え、毎日スタッフがき ちんと掃除しているので改めて念入りに掃除するところもない。隅々まで掃除を終えたが、掃除をやる気満々すぎて不完全燃焼気味のふたりは窓の拭き掃除を始 めた。 タナトスは窓の下段を、シラーは窓の上段を手分けして拭いたが、最上段の窓は長身のシラーが手を伸ばしても届かないほど高い位置にある。ならば、とタナトス少年はシラーに肩車してもらって窓掃除を始めた。 シラーに指示して雑巾やクリーナーを取ってもらいながら窓を拭いていたタナトス少年は、ふと重要なことを思い出した顔で口を開いた。 「ところでシラー。窓拭きが終わっても、俺を肩車したまま部屋を出ようとしてはならぬぞ」 「…と、おっしゃいますと?」 「お前が俺を肩車したまま部屋を出ようとすると、俺は鴨居にオデコをぶつけてしまうのだ。以前、星矢が俺を肩車したまま鴨居を通ったときにオデコをぶつけたのだが…」 当時の痛みを思い出して顔をしかめたタナトスは、星矢が意図的に自分の額を鴨居にぶつけたことも同時に思い出してぷんすかと小さな握りこぶしを振り回した。 「そうだ、星矢の奴!俺が鴨居にオデコをぶつけるのが分かっててわざと俺を肩車したまま鴨居を通ったのだ!凄く痛かったのだぞ!」 「そ、それはあんまりですね。…わ、わっわっ」 ![]() 「ではタナトス様、万一に備えてヘルメットをご用意しましょうか」 「え?あ、いや、そ…それはいい。カッコ悪いし」 「…でも、お言葉を返すようですがタナトス様。ご自身の安全の為には多少のカッコ悪さには目を瞑られては如何かと存じますが」 「いや、本当に要らぬ。大丈夫だ」 シラーが大真面目に提言したのでタナトスは慌ててフルフルと首を横に振り、にこりと笑って蟹座の顔を覗き込んだ。 「それに俺は、シラーを信用しているからな」 「!……………」 シラーが蒼い目を見開き、唇をへの字にして、涙を浮かるのを見てタナトスは驚いて窓を拭く手を止めた。 「どうした?急に腹でも痛くなったか?それとも俺が重たくなったか?」 「いえ…感激で…グスッ」 「感激??」 今の会話のどこに涙ぐむほど感激するフレーズがあったのだろう?と怪訝そうに首を傾げるタナトスを見上げて、シラーは笑顔で口を開いた。 「大好きな方に『信じてる』って言われたらタナトス様も嬉しくて感激なさいませんか?」 「それは勿論、嬉しいぞ!…あれ?と、言うことは、シラーは俺を好きなのか?」 「はい、大好きです」 「…………」 シラーらしくもない素直な言葉を躊躇うことなく告げられた幼い死神は、嬉しいやら恥ずかしいやらで頬を真っ赤に染めて黙々と窓を拭き始めた。 (あれ…ひょっとして僕、タナトス様に失礼なこと言っちゃった?) タナトスが急に黙ってしまったことに肝を冷やしてタナトスを見上げたシラーは、彼が顔を赤くしているのを見て小首を傾げた。 …神様相手にストレートすぎる物言いだったかな。人間ですら上流階級に属す者は仄かで遠回しな表現を好むんだ、神様ならもっとそうだろう。次からはもう少し上品な言い回しを使わなくちゃ。 微妙にズレた推測で納得してしまったシラーは、敬愛する神に好意を伝えるにはどのような言葉を選べばいいか真剣に考え始めた。 窓拭きを終えたふたりは戸棚に寄りかかるようにして床に座り込んだ。タナトス少年に倣って膝を抱えたシラーは、ぼそりと呟いた。 「あの、タナトス様。今更なんですけど」 「何だ?」 「…秋乃、怖かったですね」 「うむ、俺も怖かったぞ」 「黄泉比良坂で死に掛けたときより怖かったかもしれません」 「何を言っても冥界の王ハーデス様のお妃だからな、秋乃は。死ぬより怖くても不思議ではないな」 ああ…と溜息をついたシラーを見て、タナトスはにこりと笑ってぽんぽんと肩を叩いた。 「そうへこむな、シラー。次の悪戯を成功させればよいだけの話ではないか」 「次?」 「そう、次だ!次は誰にも迷惑をかけず、かつスベらない悪戯を仕掛けるのだ!…悪戯を仕掛ける相手は秋乃ではない別の誰かにした方がよいとは思うがな」 「…………」 初っ端からいきなり失敗して叱られたせいで『次』など思いもしなかったシラーは、タナトス少年の言葉に蒼い目を見開いてにこりと笑った。 ああ、そうだ。タナトス様のおっしゃる通りだ。失敗しても次に頑張ればいいんだ。失敗するのは悪いことじゃないんだ。 …失敗して怒られるのは少しばかり怖いけど。 仕事の途中で抜けてきたマニゴルドと本日の仕事を終えたシラーが帰った後、二組の双子神と龍神秋乃は先ほど茶会をしていた部屋に再集合していた。 皆を見回したタナトスは、最高の悪戯を企む子供の顔で皆を見回し高らかに宣言した。 「では!只今より『蟹座共の今年の誕生日パーティー』に関する作戦会議を開始する!」 |
| 星矢部屋 | 総合目次 | SS・2012時代 | SS・神話時代 | SS・蟹座達 |
| 例によっていつものごとく、蝶様とツイッターでお話しするうちに盛り上がって出来た話です。SS『生誕の時』の前日談的なエピです。当初の予定ではこの
エピが前編、『生誕』の本編部分を後編にする予定でした。が、締め切りに間に合いそうになかったので急遽『後編の前に前フリ』というハビさんとシラーさん
の話を入れて前後編になりました。ちみっこい蝶様タナ様とシラーさんのやり取りは書いてて楽しかったです。最初はかなり蝶様タナ様に遠慮と言うか『神様と
人間』という立場を過剰なほど意識していたシラーさんが段々普通に打ち解けていくところをうまく表現できたらいいなと思っています。 ちなみに最後の方に入れようとして没になった部分↓ シラーがにこりと笑って頷いた時、ノックもなしに部屋のドアが開いて双子神と異世界のヒュプノスとマニゴルドが姿を見せた。 「ん?何をサボっているのだお前達。罰ゲームの掃除はどうした、掃除は」 「とっくに終わったぞっ!」 「どれどれ?…ちょっとシラーさん、棚に埃が残ってるわよ!」 わざとらしく棚の上に人差し指を滑らせたマニゴルドがお約束のセリフを言うと、床に体育座りしたままシラーは冷ややかなジト目でマニゴルドを見た。 「そういう嫌味を言うから彼女が出来ないんだよ、マニゴルド先輩」 「シャレの分かんねぇ奴だな、お前は!お約束のギャグにマジレスしやがって!」 「お約束のギャグの中でも厭味ったらしいものが真っ先に出てくるのがダメだって言ってるんだよ」 「んなぁっ!」 「この勝負、シラーの勝ちだな」 「いや、シラーには婚約者がいるのだからこの勝負の前から勝敗は決まっていたであろう」 「ヒュプノス様達までシラーの味方かよっ!」 |