邂 逅の時
EPISODE 2


西暦2010年5月23日
 教皇宮での通達と向こう一週間分の予定表を受け取った黄金聖闘士がぞろぞろと宮を出て行く。
 予定表をポケットに押し込んで足早に階段を下りて行くシラーを追ってハービンジャーは至って気さくに声をかけた。

「なぁなぁシラー。つかぬ事聞くけどよー」
「つかぬ事なら聞かないでくれるかな」

 冷ややかな言葉が返って来てもこれっぽっちもへこたれる様子を見せず、ハービンジャーはシラーの顔を下から覗きこむようにして尋ねた。

「お前さ、なんで聖闘士になったワケ?」
「そんな事を聞いてどうするのさ」
「知的好奇心を満たす!」
「なら、僕の志望動機を聞くより教皇の書斎で本の一冊でも読んだ方がずっと有意義だよ」

 ハービンジャーの顔を見もせずに言い捨ててシラーは巨蟹宮に入って行った。
 つれねぇなぁ。
 芝居がかった仕草で肩をすくめて苦笑して、全く堪えた様子もなくハービンジャーは自分の宮に帰って行った。


西暦2010年5月28日
 所要の為に外出していたシラーは、自宮の扉の前で床に大の字に寝転がっている大男の姿を認めて顔をしかめた。
 平和な寝息を立てている牡牛座につかつかと歩み寄って蟹座は冷ややかな視線と声を落とす。

「どいてくれるかなハービンジャー」
「…んあ?お、漸く帰って来たか。お帰り!」
「どいて欲しいんだけど」
「えー?その前に言うことあるだろ、『こんなところで何してるんだ』とかさー」
「見れば分かるよ、僕の邪魔だ」
「……………」

 ハービンジャーは情けない顔で眉を下げ、しおしおとドアの前からどいた。
 …腕を組んでブツブツ何か呟きながら自宮に帰っていく大きな背中を双児宮の窓から見送ったパラドクスは、心底呆れた溜息をついた。

「めげずに頑張るわねぇ、ハービンジャーさんったら」

西暦2010年5月29日
 巨蟹宮の扉の前を通ったシラーは、扉の隙間に手紙らしきものが挟まっている事に気付いた。数枚の便箋が無造作に折られたままで封筒にすら入っていない。
 なんだろう?と首を傾げながら便箋を広げると、辛うじて解読できる程度の文字がのたくっていた。
『俺がお前の志望動機にキョーミ持った理由だけどな、良いとこのお坊ちゃまなのにどん底の世界も知ってるくさいお前が何で聖闘士になろうと思ったのかマジ 不思議だったからなんだよ。俺みてーにスラム育ちで命がけの喧嘩が大好きとか言うイカレ野郎なら納得すっけど、お前はそんな感じじゃないしな。あ、人にモ ノを尋ねるならまず自分からだろって言われそうだから俺が聖闘士になった経緯を告白するぜ!ガキの頃、俺は…』
 ハービンジャーの身の上話など最後まで読まず、シラーは強張った顔で便箋を握り潰した。

(どうして彼は、僕のプライベートを知っているんだ…何故?どこまで?彼が知っている情報によっては…)

西暦2010年5月30日
 恒例の通達を受けた黄金聖闘士達が教皇宮を出て行く。
 珍しく皆が出て行くのを待ってゆっくりと宮を出て行くシラーにハービンジャーがいそいそと近づいた。

「なぁなぁ!昨日俺が入れといた手紙、読んでくれたか?」
「その件で君に聞きたい事があるんだけど」
「おっ!なになに?何でも聞いてくれよ!!」

 漸くシラーから反応らしい反応が返って来たので、ハービンジャーはパッと顔を輝かせて身を乗り出した。

「僕のプライベートを何故知ってる?」
「プライベート?…って、何?」
「僕が良いとこのお坊ちゃまだとか、どん底の世界を知ってるとか」
「良いとこのお坊ちゃんだって話はアモールから聞いたぜ。アイツ、甥のエデンと姪のソニアがパライストラの学生だったりしてるから、学園で噂になってる事 には結構詳しいんだよなー。イオニアが言うにはお前はパライストラに入る時からちょっとした有名人だったらしいしよ、エデンやソニアがお前の噂を聞いてて もおかしかないだろ。んで、お前の物腰っつーの?が結構お上品だからその話は本当なんだろうなーって」
「じゃあどん底を知ってる情報はどこから?」
「勘」

 あっけらかんと一言で返されてシラーは一瞬絶句した。

「…………。…勘?」
「そ、勘。強いて言うなら『俺に似た匂いを感じた』ってところかね」
「…………」
「ま、お前がどん底の世界にいたのかいなかったのかはどーでもいいんだよ。聖闘士になる奴はその手の経歴持ってる奴も多いしな。俺が気になるのは、いいとこのお坊ちゃんで命の取り合いが特別好きそうでもないお前が何で聖闘士なんかになったのかっつーことだ」
「…確かに命を『取り合う』のは好きじゃないね」
「やっぱり?」
「でも、命を『取る』のは嫌いじゃない」
「へ?」
「だから君も発言には気をつけた方が良いよ」

 薄く妖艶な笑みを唇に淡く乗せて、シラーは階段を下りて行った。

西暦2010年6月13日
 通達が行われた後の教皇の間には、いつになく張り詰めた空気が流れていた。
 シラーが前日までに遂行した任務の内容を教皇シオンに報告したのだが、それに関してソニアがシラーに対して苦言を呈したのだ。いや、彼女が口にしたのは苦言とも言えないほどのささやかな抗議だった。

「敵を皆殺しにしたって…敵の中には子供もいたじゃないか、子供まで殺さなくても…!」
「子供じゃない、兵士だ」
「兵士と言っても子供だろう!」
「…何を甘い事言ってるの、君。そんな甘ったるい考えの持ち主で良く黄金聖闘士になれたね?」
「『子供まで殺さなくても』って考えのどこが甘いんだ!」
「兵士が子供の姿をしてるだけで見逃す事を甘いと言わずに何て言うんだい?見逃せばその子供はより強くて厄介な大人の兵士になって帰って来る、自分を兵士 にした大人と同じように、何人もの子供を少年兵に仕立て上げてね。危険分子の芽を摘んでおくことに抗議されるいわれはないよ」
「子供が自分の意思で兵士になんてなるものか、進んで人を殺そうとするものか!見逃してもらえればきっと、兵士なんてやめて…」
「やめないよ」

 恐ろしく冷たい声でシラーはソニアの抗議を切り捨てた。
 思わず絶句するソニアにきつい目を向けてシラーは続けた。

「何も知らない癖に憶測だけでモノを言わないでくれるかな。…心底腹立たしいんだよ、腐りきったドブ川の世界も知らずにぬくぬくと生きて来た人間が、自分では責任を取らない癖に綺麗事だけを振りかざすのは」
「わ…私は、綺麗事なんか…」
「君がそこまで言うなら僕も言わせてもらうけどね、今回の敵は…」
「シラー」

 サッと近づいて来たアモールがシラーの二の腕を掴んだ。

「世間知らずの小娘の妄言だと思って、その辺で勘弁してやって下さい。ソニアには私からきちんと話をしておきますから。ね?この通り、お願いします」
「……………」

 片目を瞑って拝む真似をするアモールの態度はいつものようにおちゃらけているが、シラーの腕を掴む手にはしっかりと力がこもっている。シラーは苦虫を噛み潰したような顔で大きく息を吐き、分かったよ…と呟いてソニアから視線を逸らしてアモールの手を振り払った。

「見逃された子供は兵士をやめたりしない。もっと強くならないと次こそ殺されるという恐怖に駆られて更に強さを求める。…僕がそうだったようにね」
「!!」

 一方的に言い捨ててシラーは大股に教皇宮を出て行った。ワンテンポ遅れてハービンジャーとパラドクスが出て行く。
 驚愕で目を見開き呆然と突っ立っているソニアにアモールが歩み寄って、様子を見ている皆にも聞こえる声で話しかけた。

「ソニア。あなたは先月、任務の為に某国の戦地に行きましたね。そしてその時、テロ組織に所属していた少年兵を保護して難民キャンプの住人に預けた。そうですね?」
「そう、ですけど…」
「シラーが今回任務で向かったのは、先月あなたが赴いた戦地にほど近い場所です。そこに本拠地を構えていたテロ集団が彼の任務のターゲットだったのです が、そのテロ集団に所属していた少年兵がシラーを見てこう言ったそうですよ。『あいつは俺達を難民キャンプに捨てた女戦士と同じ鎧を着ている。きっとあの女戦士の仲間だ。殺してやる、皆の仇を取ってやる!』と」
「難民キャンプに『捨てた』!?私が?あの子達を!?本当に?本当にそう言っていたんですか!?」
「少なくとも、その少年兵やシラーが嘘を言う理由は思いつきませんね」
「じゃあ、じゃあ、『仇を取る』って言うのは…」
「あなたは知らない方が良いでしょう」

 アモールの言葉に目を見開き絶句するばかりのソニアをじっと見ながら彼は続けた。

「少年兵から詳しい経緯を聞いたシラーは、あなたに何も言わず私にだけ事実を伝えた。…何故だか分かりますね?」
「はい…」
「よろしい。…ソニア」
「はい」
「あなたの信念は決して間違ってはいません。むしろ理想的で素晴らしいものです。ですが、シラーのやり方を批判したあなたの行動は間違っていました。何故 なら、シラーも間違ってはいないからです。彼の考えや行動は、合理的・現実的に判断すると間違いではないのです、残念ながらね。シラーはあなたの信念を尊重して 口を噤んでくれた。だから、あなたもシラーを尊重して下さい。それがお互いの為です」
「…分かりました」

 ソニアは俯いたままポツリと答えた。
 アモールの言葉は穏やかで遠回しだったが、彼の言わんとする事をソニアは正しく理解していた。
 次にソニアがシラーのやり方を批判すれば、彼は情け容赦なく『現実』をソニアに突き付けるだろう。彼が突き付ける『現実』はきっと、理想を思い描くことすらできなくなるほど の深い傷をソニアの心に刻むだろう。そうならないために、自分の心を守るために、シラーに関しては見て見ぬ振りをして口を噤め、とアモールは言っているのだ。
 …今の私の理想では、力では、彼の見て来た現実を変える事は出来ない。
 ソニアは唇を噛んでギュッと拳を握りしめた。




「なーなーなーシラー!!」
「…………」

 ドタドタと足音を立てて階段を駆け降りたハービンジャーは、シラーの隣に陣取ると歩調を合わせて歩き始めた。無視されてもすげなくされてもへこたれずに 話しかけた結果、『身を屈めて下から視線を合わせて話しかけると割と反応が返って来る』と学習したので巨体を折り曲げるようにして彼の顔を覗き込むように して尋ねた。

「任務先で何があったんだ?」
「アモールに聞きなよ、彼には全部話したから」
「えー?ここまで来て教皇宮まで戻るなんてかったるいからヤだぜー?それに又聞きじゃ何かが間違って伝わるかもしれねーじゃん」
「…………」
「今回のシラーの任務先って、確かちょっと前にソニアが任務で行った場所に近かったわよね。それと何か関係があるのかしら?」

 二人の数歩後ろを歩いていたパラドクスがサッとシラーの隣に来て尋ねた。牡牛座と双子座と言う面倒臭いコンビに挟まれてシラーも観念したのか、渋々口を開いた。

「殲滅対象だったテロ組織に少年兵がいたんだけどね。その子達が僕を見るなりこう言ったんだよ。『あいつは俺達を難民キャンプに捨てた女戦士と同じ鎧を着ている。きっとあの女戦士の仲間だ。殺してやる、皆の仇を取ってやる!』」
「へ?」
「ソニアが保護したはずの子供達がまた別のテロ組織に兵隊として所属していたって事?」
「経緯は把握しておいた方が良いと思って話を聞いたけど、結果的にはそう言う事だね」
「仇を討つって何のこっちゃ?」
「ソニアが『保護』して難民キャンプに預けた子供の半分くらいは大人達の玩具にされて殺されたり売り飛ばされたりしたそうだよ。僕が出会った少年兵はキャンプを脱走したんだそうだ。まぁ、ああいう状況ではありふれた話だけどね」

 シラーは表情一つ変えず淡々と言葉を吐き出し、ハービンジャーもケロリとしたまま言葉を返した。

「ふーん。で、お前はその話をソニアでなくアモールにしたんだ」
「僕からソニアに話したところで揉めるだけだと思ったからね。アモールに話しておけば折を見て上手く伝えてくれるんじゃないかと思ったんだけど」
「へーぇ。何だかんだ言って優しいところあるじゃねーか、シラー」
「え?……」

 ハービンジャーの言葉にシラーは蒼い目を見開いて、何を言ってるんだ…と戸惑ったように呟きながら足早に巨蟹宮に入って行った。
 長い赤毛を見送ってハービンジャーとパラドクスは顔を見合わせた。

「…おうパラドクス。俺さ、俄然あいつと仲良くなりたくなって来たぜ」
「私も彼とお近づきになりたくなって来たわ」
「…………」
「…………」

 無言のまま目と目で意思疎通した二人は、ガシッと固く握手したのだった。

西暦2010年6月26日
 教皇宮での連絡事項通達の後、ハービンジャーはスケジュール表に目を通した。数日後にシラーと組んで任務の予定が入っている。
 ハービンジャーは珍しく真顔でシオンの執務室に向かった。
 …牡牛座の訪問を受けたシオンは多少驚いた顔で彼を迎え入れた。

「お前が私を訪ねてくるなど珍しいな。何かあったか?」
「この、俺とシラーが組む任務の内容を詳しく教えて頂けませんかね」
「…………。何か悪い物でも食べたのか、ハービンジャー」
「ちょ、教皇!いくらなんでもそれはひでーよ!!…いやね、俺、シラーと仲良くなりたいと思ってるんですよ。で、仲良くなるにはまずお喋りして互いの事を 良く知るべきだと思うんだけど、雑談振ってもあいつは碌に相手してくれねーんですよ。でも、『任務の事で相談があるんだけど』って言えば足止めて話を聞く し、少しは雑談することが判明しましてね」
「ああ、なるほど。要するに話のきっかけが欲しい訳か」

 シラーが仲間達と関わろうとしない事を心配していたシオンは、嬉しそうに目元を和ませながら任務に関わる資料を戸棚から出して来た。

西暦2010年8月12日
 シラーは苛々と爪を噛みながら通信機の電源を入れ直した。が、耳に入って来るのは不快な雑音ばかりで一向に部下との通信は回復しない。タブレットに表示される部下の位置を表す光点も不規則に動いていて、隊列が乱れているとかそういうレベルの話ではない。

「ああもう…どうなってるんだ、一体!」
「答えは簡単。あなたの作戦が敵に見抜かれ対策を立てられたのでしょう」
「有り得ない…有り得ない!有ってたまるかそんな事!聖闘士が、聖闘士が何をやってるんだ!!」

 普段の飄々とした態度からは想像もできないような取り乱し方をするシラーに一瞥を投げて、乙女座のフドウはそっと息を吐いた。
 …シラーとフドウが組んで任務に赴いた地は比較的新しい軍備を整えたテロ組織が活動する場所だった。軍隊式に機械を活用する作戦を立てたシラーに、フド ウは『機械を使った通信は敵に傍受されるのではないか?』と懸念を口にしたが、シラーは『傍受されてもその上を行けば問題ないよ』と取り合わなかった。部 下の聖闘士達が装備した通信機や発信機が敵に奪われ逆手に取られる可能性を全く考慮していないらしい。フドウはその点が心配だったが、自分に与えられた役 目は『先輩としてシラーをサポートする事』だったのでそれ以上は何も言わず彼のやりたいようにさせたのである。
 その結果がこれだ。
 シラーがデジタル機器に重きを置くと言う情報が漏れていたのか、敵は真っ先にデジタル機器の無効化を仕掛けて来た。作戦を開始して間もなくひとりの聖闘 士から『発信機を敵に奪われました』という報告が入り、その報告とほぼ同時に通信機が機能しなくなった。自信満々で立てた計画をいきなり崩されたシラーは 動揺して冷静さを欠き、司令官としての役目を果たせないほど混乱していた。
 いくら天才とは言え、所詮は経験不足の若造ということですか。
 フドウは結跏趺坐を解いて立ち上がった。

「こうなった以上は仕方ありませんね。部下はいなかったものと考えて私達でケリをつけましょう。その方が手っ取り早いし被害も広がりません」
「…ちく、しょう…」
「敵の頭目を発見したら私の判断で対処します。よろしいですね」
「…………」

 ギリ、とシラーが歯軋りする音を聞きながらフドウは戦場に降り立った。



 フドウは部下の聖闘士達の小宇宙を追って合流し、『通信機が使えずに指揮系統が混乱しているから』という口実できびきびと彼らに指示を出した。ベテラン のフドウが的確に指揮を取り出した途端、元々機械に頼らない戦いをしていた聖闘士達は即座に本来の実力を発揮し始め順調に敵を追い詰め始めた。



 フドウの指揮のもと聖闘士達がきちんと動きだした事はシラーにも伝わり、彼はますます焦りを募らせていた。じっとりと汗ばんだ手を握り締めてシラーは唇を噛んだ。

(失敗するわけにはいかない。成功は出来なくても、僕が原因で任務に失敗するわけにはいかない…失敗したら僕の評価が落とされる、この程度の任務ひとつ遂 行できない無能なのかと思われる。そんなことあってはならない。僕は優秀でなければならない。使えない奴だと思われて格下げされたりしたら僕は終わり だ…!何としても、頭目の首は僕自身が取らなくては…!)

 視界に入る者が何者なのか確認もせず葬りながらシラーが乱暴な足取りで歩いていると、部下の白銀聖闘士が彼の姿に気付いて駆け寄って来た。

「シラー様!」
「お前…、」
「テロ組織の頭目らしき者を発見しました!」
「!」

 何をしていた、と理不尽な怒号を浴びせかけたシラーは喉まで出かかった言葉を飲みこみ別の言葉を吐き出した。

「そいつは、どこだ」
「あちら側からフドウ様のグループが来ているので、フドウ様のいる方に追い込んでいます」
「…僕が行く。お前はこの周辺の住民を保護して安全なところへ避難させてくれ」
「畏まりました」

 足手纏いを連れて行きたくはなかったので尤もらしい口実で部下を追い払い、シラーは部下が指示した方向に急いだ。
 何としても、フドウより先に頭目を始末しなければ。
 何としても!



 …激しい小宇宙の揺らぎを感じる。恐らく、フドウが近くにいる。彼がここまで激しく小宇宙を燃やすと言う事は頭目との直接戦闘に入ったと言う事だろうか。フドウが頭目と一騎打ちでも始められたらもう、自分が割り込む隙はない。
 背中を冷たい汗が流れるのを感じた時、ひときわ強い小宇宙を纏った者が誰かに追い立てられるようにシラーのいる方に走って来る姿が見えた。
 …アイツが頭目だ。
 そう思った瞬間、シラーは右手を掲げ小宇宙を集めていた。頭目を追いたてて敵のすぐ後ろを走って来る部下が叫ぶ声など、完全に余裕を無くした彼の耳には入っていなかった。
 自分が頭目を倒さなくては。自分が。自分が…
 
「――積尸気冥界波!!!」

 ドォォォオオオォォン!!!!
 天をつくほど巨大な闇の柱が聳え立った。敵の頭目と、頭目を追っていた聖闘士を巻き込んだまま。

西暦2010年8月14日
 任務を終えてフドウと共に教皇宮を訪れたシラーは、固く強張った顔で事務的に任務の報告を始め、苦々しい表情で締めの言葉を吐き出した。

「…殉職者は二名。僕が頭目を攻撃した際に巻き込んだものと思われます」
「シラーよ…敵組織の頭目とは部下を巻き添えにしなくてはならないほど手強い相手だったのか?」
「いえ、その…こちらの作戦が敵に逆手に取られたことで状況の正確な把握が出来無い状況になっていて…とにかく頭目を始末しなければとそればかりに気を取られていたもので、部下の安全まで配慮する余裕が無く」
「…………」

 不快感と忌々しさと苛立ちがないまぜになった表情でシラーが低く答えると、シオンは眉根を寄せて視線をフドウに向けた。

「…フドウ。シラーの報告に補足する事はあるか?」
「殲滅対象だったテロ組織の構成員の話では、彼らの後ろに黒幕的な組織があるそうです。しかしその黒幕に関する情報を持っていたのは頭目だけだったようで、黒幕に関する情報は頭目が冥界まで持って行ってしまった形に」
「要するに、僕が悪いってこと?」

 フドウの発言の途中でシラーが言葉を被せた。
 キリキリと眉を吊り上げきつい視線を向けて来る赤毛の男をちらりと見てフドウは淡々と答えた。

「私は事実を述べているに過ぎません。頭目が情報を冥界まで持って行ったのも、部下が殉職したのも全ては運命。運命に良し悪しは無く、抗う事は不毛。ただ、為された事実があるのみ」
「それはそれは…ご高説だね」
「珍しく噛みついて来ますね、シラー。何か後ろめたい事でもあるのですか」
「!」

 無表情でありながら嘲笑しているようにも見える貌でフドウが問うと、シラーは一瞬目を見開いて視線を逸らし、攻撃的な眼をフドウに向けた。

「…僕は完璧を好む。しかし今回の作戦遂行は完璧ではなかった、故にその事実に不快感を覚えている。それを『後ろめたいと感じている』と君が表現するのなら好きにしたらいい」
「…………。あなたが『今回の作戦遂行は完璧ではなかった』と断じる根拠は、部下を死なせた事ですか」
「頭目から情報を引き出せなかったことだ」

 間髪入れずに返ってきた言葉にフドウは一度目を瞬いた。
 感情が見えない、冷たく煌めくオッドアイを睨みつけてシラーは言葉を続けた。

「もう一度言う。僕は完璧を好む、しかし今回の作戦は完璧ではなかった。だから、頭目が握っていた黒幕に関する情報は必ず調べ上げる。必ずだ!」
「…………」
「では教皇。僕は情報収集に取りかかりますので失礼させて頂きます」

 シオンの返事も待たずに一方的に言い放ち、シラーは雑な所作で一礼すると乱暴な足取りで教皇宮を出て行った。
 長い赤毛を見送ったシオンは細く長く息を吐き出し、フドウに目を向けた。

「…で、シラーに一体何があったのだ?」
「自信満々で立てた作戦がいきなり敵に看破され突き崩されたことで動揺し、冷静さを失い取り乱したのです。功を焦るあまり…いえ、自分の作戦が失敗した事 実など絶対に認めたくなかったからでしょうね、部下を巻き込むのもお構いなしで頭目に積尸気冥界波を撃ったのは。彼にとっては部下の命より自身の矜持や功 績の方が大切なのでしょう」
「そうか…。…………」

 抑揚も感情もないフドウの言葉にシオンはもう一度深々と溜息をついた。
 全てにおいて達観しているフドウだから淡々と自身の分析を述べるだけで済んでいるが、シラーに同行していたのが他の黄金聖闘士だったら…。

「…フドウ。お前の忌憚のない意見を聞きたい」
「ハ」
「私はシラーを叱責すべきだったろうか?部下を巻き添えにするなどとんでもない、と」
「教皇がそう叱責したならば、間違いなく彼は『では、頭目を逃しても良いから部下を巻き込むなと仰せになるのですか』と反論するでしょう。そこで躊躇わずに『その通りだ』とお答えになるのなら叱責されればよろしいかと存じます」
「…悩ましい問題だな」
「……………」

 フドウは無言のまま佇んでいる。
 場を辞さずに乙女座がそこにいる意味を正しく解釈したシオンは、苦悩に染まった顔で苦笑した。

「お前の言いたい事は分かる。問題の本質はシラーの価値観やスタンスではない。彼が皆を仲間だと思っていないこと、心を開いて交流しようとしないことだ」
「…………」
「被害を最小限に抑えるためには仲間を切り捨てる非情な割り切りが必要な場合もあることくらい、私も黄金聖闘士達も理屈では分かっている。しかし、皆が 皆、すっぱりと理屈で割り切れる訳ではない。目的の為に仲間を切り捨てるなど、感情では納得できない者もいよう。その、『理屈では分かる』と『納得できな い感情』に折り合いをつけるのが仲間意識だ。強い絆で結ばれた仲間なればこそ、納得できない感情も押さえることが出来るのだ。それなのに、シラー自身が仲 間と関わり合おうとせずに心を閉ざしたままでは、彼のやり方に批判的な聖闘士の感情は納得しないどころか反発するばかりだ。先日のソニアのようにな。いざ という時に命を預け合う仲間と打ち解けるどころか反感を買うような真似をして、シラーの身に万が一が起きたら…」
「……………」
「…ああ、すまない、話が逸れたな。シラーだが、想定外の事態が起きた時に酷く動揺して冷静な判断が出来なくなるのは重大な問題だ。それとなく皆に伝えて、イレギュラーが起きた時のフォロー策を立てておくよう話をしておくとしよう」
「…………。…そう、ですか。では、私もこれで」

 短く答えて目を伏せ、フドウは踵を返した。
 その背中にシオンは静かに声をかけた。

「随分とシラーに対して甘い、と思うだろう?」
「…………」
「シラーはな、良く似ているのだよ。生い立ちも境遇も価値観も、先の聖戦を私と共に戦った蟹座の黄金聖闘士マニゴルド…私の従兄弟子に」
「…………」
「先代の教皇セージ様はマニゴルドを立派に導かれた。追い剥ぎをして日々の糧を得ていた彼を見つけ、手を差し伸べ、荒んだ生活から救いだし、正しき道を教 え諭して。…私はシラーを見つけることが出来なかった。手を差し伸べることも、救い出す事も出来なかった。そんな私が『正しい道』を説いたところで彼の心 に響くのか?導くことが出来るのだろうか?」
「…………。差し出がましい事を申し上げますが」

 足を止めて振り返ったフドウは冷ややかな双眸をシオンに向けた。

「かつての教皇達の命を奪ったのは、あなたのその甘く優しい躊躇いではないかと私は考えています」
「!…………」
「…………、失礼しました」

 続けて何か言いかけて口を閉じ、一瞬の沈黙を挟んで、謝罪なのか挨拶なのか判別のつかない言葉を残してフドウは教皇宮を出て行った。
 彼が言いかけてやめた言葉を容易に察することが出来て、込み上げる苦い思いを押し戻すようにシオンはきつく唇を噛んだ。


 ――あなたが甘く優しい躊躇いを続けていれば、いずれまた誰かの命が奪われますよ。


NEXT


星矢部屋
総合目次
SS・2012時代
SS・神話時代
SS・蟹座達


 今回は、普段のSSではあまり出さないフドウさん+ソニアさんを前面に押し出してみました。新鮮な経験で楽しかったです。一話目に続いてハビさんはまだ シラーさんと仲良く出来ずに試行錯誤中、シラーさんも『仲間なんて要らないね』という一匹狼上等状態で皆とはギスギス続行中な感じです。ちなみに玄武君は このSSの時点ではまだ黄金に就任していません。玄武君黄金就任〜シラーさんとギスギスなエピは次の三話目でやりたいと思います。

 細かい解説など。
5月29〜30日→シラーさんは戦災孤児だった過去を特段隠すつもりもないですが、よろしくない事をやってきた自覚はあるので、それをネタに恐喝して来る ようなら同僚(仲間とは認識していない)ハビさんでも口を封じなければ、みたいな考えを持っています。ハビさんが深い事は何も考えてなかったので『いざと なったら口を封じないと』と身構えていたシラーさんは肩透かしを食らった形になりましたが、『妙な真似をしたり妙なことを言ったりしたら僕は君の命を奪う よ』と遠回しに警告した訳です。で、鈍いハビさんもシラーさんの言わんとする事は察していますが、『こえーなオイ(笑)』程度にしか思っていません。

6月13日→Ω黄金の中でも優等生と言うか常識の枠に収まっているソニアさんをちょっと前面に押し出してみました。ソニアさんは理想を夢見られる程度には 経験が浅いし若いので、シラーさんのやり方に苦言を呈するなら彼女かなと。ミケ+時貞+貴鬼もソニアさんに近い『常識的な』価値観を持っていますが、彼ら はそれなりに戦闘の経験を重ねて現実と理想のギャップと言うのも身にしみて分かっているので、シラーさんに表立って抗議する事はしていません。SS『拝 謁』4話でミケさんが言っていましたが、『シラーさんのやり方は気に入らないが間違っているわけではないし、ケチのつけようのない数字や結果を出している から文句を言いにくい』と言うのもあります。
 前回はただのギャグ要因になってしまったアモさんもちょっといいところ見せてもらいました。アモさんはフドウさんとは別の意味で達観してると言うか割り 切ってると言うか、良くも悪くも理想と現実の両方を理解し、その齟齬を分かってる人だと思うのです。それから、シラーさんがただ非情なだけな人ではない、 と言うのを表現したかったのもこのエピを書いた理由です。自分が見て来た『現実』をソニアに伝えたら彼女がショックを受けるだろうから叔父のアモールにだ け伝えておく、という心遣いが出来る。そして、ハビさんに素直に褒められるとどう反応していいか分からなくて戸惑う程度には純情。

8月12日→『シラーさんがテンパるとエヴァ初号機になる』ネタを消化するために書いたエピです。相方をフドウさんにしたのは…あれ?理由が思い出せないぞ(笑)。
 座禅(結跏趺坐?)を組んでいない乙女座って不思議な感じだなぁ、と思いながら話を書きました。シラーさんは自信満々な半面、酷く臆病な一面があるよう に思えまして。ミケさんが指摘していましたが『何かに追い立てられている感じ』ですね。人並み外れた実力はあるのに、人一倍失敗を怖がる。いっそ失敗し ちゃった方が悪影響は小さいかもしれないのに本人はそうは思えなくて、とにかく失敗=あってはならないこと、みたいな脅迫観念に囚われているシラーさんを 書こうと思いました。『こんなことやってたら、そら仲間からも嫌われるわ』と思って頂ければ成功かなと思います。

8月14日→自分の立てた作戦が思い通りにいかなかったことで苛々していて、『任務の成功>部下の命』という考えに何も疑問を感じないシラーさんと、その シラーさんを否定はしないけど決して肯定していないフドウさんと、シラーさんとの接し方が分からなくて困っているシオンを書こうと思いました。フドウさん は『全ては運命。抗うのは不毛』という悟りきった、割り切ったスタンスなのでシラーさんのやり方を特に批判はしていません。けど、『部下を死なせても任務 が成功すれば何も問題ない』と言うシラーさんの考えには決して同意していないし、『部下を巻き込んでまで頭目を始末しなくても次善の策はあっただろうに』 と思っています。シラーさんに対する言葉に多少の棘があるのはそのためです。
 シオンが悩んでいる『シラーに同行したのが他の聖闘士だったら』というのは、ソニア・時貞・ミケ・貴鬼の『常識派』メンツが同行していたら、きっとシ ラーを猛批判していたのだろう、教皇からも厳しく言ってくれと言われたのだろう。その時、自分はシラーに何を言えばいいのだろうか…みたいな苦悩です。シ ラーさんの任務に同行するのはハビパラアモの『ぶっ飛んだ価値観が理解できる系メンツ』になることが多かった(シオンが彼らを指名していた)、という裏設 定があるのですが、その理由が今回の話です。シラーさんがテンパって仲間を巻きこんで敵を倒しても、その三人ならギャーギャー批判はせずに一定の理解をし てくれるのではないかな、とシオンは考えたわけです。
 フドウさんが『教皇がそう叱責したならば、間違いなく彼は『では、頭目を逃しても良いから部下を巻き込むなと仰せになるのですか』と反論するでしょう。 そこで躊躇わずに『その通りだ』とお答えになるのなら叱責されればよろしいかと存じます』と言って、シオンが『悩ましい』と答えたのは、シラーさんに反論 された時に『そうだ』と断言できないからです。頭目を逃がせば部下は助かる、しかし逃げた頭目はそれ以上の人間を殺し被害を拡大させるかもしれない。それ では本末転倒になってしまう。むしろ、味方を犠牲にしてでも被害拡大を防ぐのが人間を守る聖闘士と言うものだ、少なくとも聖域に仕事を依頼する者はそう考 えている…というジレンマがあるわけです。『そのジレンマは理解できるが、仲間を拒絶して我が道を行くシラーのやり方を、教皇としてどう考えているの か?』と言うのをフドウさんは聞きたかったのです。
 そして、シオン自身も言っていますが、シオンはシラーさんに対して(傍目から見てもはっきり分かるくらいには)甘いです。皆は『やっと見つかった蟹座の 黄金だから、きつい事を言って逃げられるのが嫌なんだろう』と思っています。シオンがシラーさんに対して甘いと言うかきつく出られない理由はこのSSや 『拝謁』2話目で言っていた通りです。
 SSを書きながら「黄金聖闘士ってどこまで教皇に物が言えるんだろう」と散々悩みました。今回、教皇シオンにモノ申したのはフドウさんで、乙女座 は割とズケズケ物を言いそうなイメージがあったのですが、でも聖域は結構明確な上下関係があるみたいだし、うーん…と考え考え、ギリギリのラインを模索し ていました。
 フドウさんがいう『かつての教皇達』とは、シオンとサガの事です。『あなたがそんな甘っちょろい事を言ってウダウダしてたから、あなたはサガに暗殺され てサガは二重人格こじらせた挙句に星矢達に殺されたんじゃないの?』と言っているわけです。そして『また誰かの命が奪われる』とは、シラーさんの非情な割 り切りと切り捨てでシラーさんの部下の聖闘士が命を落とすこと(このエピは3話目でも書きます)、そしてシラーさん自身が命を落としかけた事を指していま す。
 無印シオンはうろたえる小僧どもを窘められる立派な教皇だったようですが、どうも私はうろたえてる小僧だったLCシオンのイメージが強いようです(苦笑)。