邂 逅の時
EPISODE 4

西暦2010年11月9日
 恒例の教皇宮での伝達を終えたハービンジャーは、渡された任務予定表にざっと目を通した。一週間後にシラーと組んで任務がある。ついでにそのまた一週間後はパラドクスと組む任務が入っていた。
 以前、『任務について相談したい、と言う口実でシラーと仲良くなりたい』と教皇に直訴したことが功を奏しているらしい。シラーが扱いづらい性格なので彼と積極的に組みたがる者が少ないというのも事実だろうが、ハービンジャーにとってそれは願ったり叶ったりだった。
 解散を言い渡されると同時にハービンジャーはシラーに声をかけた。

「おーい、シラー」
「…任務の相談?」
「お、話が早いじゃねーか!で?作戦会議はいつがいい?」
「そうだね…三日もあれば必要な情報を集められるだろう。三日後以降で君の都合のいい時で構わないよ」
「その作戦会議、私も参加していいかしら?」
「へ?お前は関係ないだろ、パラドクス」
「関係あるわよぉ。あなた達コンビの任務の一週間後に私とハービンジャーさんで任務が入ってるでしょ。作戦立案に関してシラーの意見を聞きたいの」
「それは関係あるって言わねーだろ。俺とシラーちゃんの男同士の時間を邪魔するんじゃねーよ」

 冗談めかして言いながらハービンジャーがパラドクスに指を突きつけると、彼女はわざとらしく唇に指を当てて目をくるりと回した。

「そういえば先日、とても美味しいケーキのお店を見つけたのよねぇ。作戦会議に混ぜてもらえるならお土産に持っていこうかと思ったんだけど…」
「うっ…食い物で釣る気か。汚いぞパラドクス」
「人聞きの悪い事言わないで下さる?シラーに意見を聞くお礼の代わりよ」
「こう言ってるけど。どうするよ、シラー?」
「僕はどちらでも。彼女と任務に赴くのは君だからね、僕がどうこう言うことじゃないな」
「…………。ケーキは俺の分もあるんだろうな、パラドクス」
「ええ、勿論。私はそこまで意地悪じゃなくてよ?」
「そういうことなら仕方ねーな。お前も入れてやるよ」
「じゃあ決まりね。三日後の午後三時、双児宮まで来てちょうだい。美味しいお茶を淹れてお待ちしてるわ」

 パラドクスは可愛らしく両手を合わせてにこりと笑った。
 …ミーティングの予定を相談している三人に他の黄金聖闘士達は複雑な視線を向けながら教皇宮を出て行き、そんな皆の姿を教皇シオンは期待と不安の交じり合った顔で見つめていた。
 シラーがハービンジャーやパラドクスと交流を始めた事は喜ばしいが、逆を言えば二人以外の仲間との距離は広がり溝は深まっている気がする。
 それが悪い方に働かなければいいのだが…。
 縺れて絡まった糸玉のような心を感じながら、シオンは踵を返して宮を後にした。

西暦2010年12月17日
 書類を手に教皇宮に入ったシオンは、呼び出した黄金聖闘士が微妙な距離をあけて無言のまま控えているのを見て微かに嘆息した。
 蟹座のシラーと天秤座の玄武。
 理屈と合理性と数の論理を重視するスタンスで抜群の成績を上げ続けているシラーと、アテナの正義と心と想いに重きを置き聖闘士の善悪をはかる要 を自負する玄武。考え方もスタンスも信ずるものも真逆の二人は全く相容れることがない。玄武はシラーのやり方を『血も涙も無い』と批判しているし、シラー は玄武を『夢見るロマンティスト』と冷ややかに評している。いっそ、それぞれの主張をぶつけ合って殴り合いの喧嘩でもすれば新たな関係が生まれたかもしれ ないが、『価値観の相違について議論しても不毛なだけ、要らぬ確執を生まないためにも関わりを持つのは必要最低限にしておくのが得策』というのが双方に共 通する概ねの認識らしい。何もかも正反対だからこそ、自分に無いものに気付 き、良い部分を認め合い互いを高めあうことが出来るのでは…というシオンの期待は残念ながら外れたようだった。
 教皇の姿を認めて会釈する二人にねぎらいの笑みを浮かべて、シオンは穏やかに口を開いた。

「…数日前、各国政府と浅からぬ関わりがある経済界の大物から秘密裏に任務の依頼があった」
「…………」
「!………」

 シオンの言葉にシラーはピクリと眉を動かし、玄武は目を見開いた。
 そんな二人の反応を見ながら、シオンは慎重に言葉を選びながら話を続けた。

「本来なら任務の詳細を記した資料を渡すのだが、今回は依頼主が依頼主だ。『証拠になるものを残すわけにはいかないので、任務の通達は口頭で行ってくれ』と強く依頼されている」
「…その任務とは、一体どのようなものなのです?」
「それは私からではなくシラーから聞いてもらいたい」
「シラーから?一体何故?」
「言っただろう、依頼主が依頼主だと。色々と複雑な事情があるのだよ。話せる情報、話せない情報の判断は私よりシラーが適切に出来るだろう。すまないが、私が言えるのはここまでだ」
「…………。分かりました」

 その事情とやらを追求しても答えは得られないと察した玄武は不満そうにしながら頷いた。
 シオンが立ち去ると、シラーは玄武を促して教皇宮の別室に足を向けた。





 ティーバッグの中国茶を淹れて卓についたシラーは、玄武が椅子に座るのも待たずに苦々しい顔で口を開いた。

「本当は、依頼主が何者かってことも伏せておきたかったんだけどね。教皇様にも困ったものだよ。話してしまったことは仕方が無いけど、この情報も、これから話すことも、くれぐれも内密にね」
「…まるで『依頼を受けたのは聖域ではなく自分だ』とでも言いたげな口ぶりだな」
「そうだね、あながち間違ってもいないよ。今回の任務のパートナーに君を指名したのも僕だし」
「何だと?一体、どういうことだ?」
「その質問に答える前に聞きたいんだけど…君、ウォンズ・コーポレーションって会社を知ってる?」
「ああ、よく知ってるぜ」

 カップを差し出しながらシラーがさらりと言った言葉に玄武は顔をしかめて頷いた。

「『文房具から戦闘空母まで』でのフレーズで有名な、中国の巨大貿易会社だろう。各国政府とも裏で強い繋がりがあり、やってることのえげつなさとキナ臭さでは世界最大の武器製造メーカーヘキサクスと一・二を争うと悪名高い」
「知ってるなら話は早い。今回の任務の表向きの依頼主は、そのウォンズ・コーポレーションの社長なんだよ。無論、社長の後ろには彼と繋がりのある某国政府 が存在するけど…とにかく、依頼主の『危険性』を君がきちんと認識しているならそれでいい。じゃあ本題に入っていいかな」
「ちょっと待て。その前に俺の質問に答えろ」
「質問?」
「『依頼を受けたのは聖域ではなく自分だ』というのが『あながち間違いでもない』とは一体どういうことだ」
「…それ、重要?」
「俺に知られると都合の悪い事情でもあるのか」
「ただでさえ僕を良く思ってない君に、これ以上無駄な悪印象を与えたくないんだよねぇ。依頼内容とは無関係の情報で任務に悪影響は出したくないし」

 玄武から視線を逸らしてシラーはボソリと呟き、中国茶を一口含んで、玄武が引き下がる様子を見せないのを見て溜息をついた。

「…僕の父は、『やってることのえげつなさとキナ臭さでは一・二を争うと悪名高い世界最大の武器製造メーカーヘキサクス』の子会社『製薬会社グリーンX』の某国支 社長なんだよ。ついでにウォンズ・コーポレーションの社長であるリチャード・ウォン氏と懇意にしていて、僕もウォン氏とは面識がある」
「あ…、悪かったな、お前の親父さんの会社を悪く言って」
「構わないよ。そういう噂があることは事実だしね」
「とりあず、教皇の歯切れの悪さや、お前が『内密に』を連呼する理由はよく分かったぜ」

 知らず乾いていた喉を潤す為に玄武はカップに口をつけた。
 ウォンズ・コーポレーションとヘキサクスは各国政府ともグラード財団とも強い繋がりがある巨大企業だ。女神アテナを要する聖域とは言え、連中を敵に回す のは賢い選択とは言えない。彼らの依頼が真っ当なものとはとても思えないが、連中と浅からぬ繋がりのある黄金聖闘士の一人を名指ししてきた以上、依頼を拒 否することは難しかったのだろう。
 半分ほど中身を飲んだカップを卓に置いて、玄武は本題に入った。

「で?内密に依頼された任務の内容は一体どんなものなんだ?」
「簡単に言うと、ヘキサクスからウォンズ・コーポレーションに移送される荷物の護衛」
「荷物?たかが荷物の護衛に聖域の黄金聖闘士を二人も呼びつけるのか??」
「正確には、僕と君とあと数名の部下で任務に当たる。…移送される荷物を奪うためにテロリストが襲ってくるという情報が入っているんだよ。しかも、依頼主 の情報によるとテロ組織の幹部の戦闘力は黄金聖闘士にも匹敵するらしい。『たかが荷物の護衛』と舐めてかかると痛い目を見るよ。それから、念のために言っ ておくけど荷物の中身は国家機密レベルの代物だ。間違っても詮索しちゃダメだよ?死ぬより辛い後悔をする羽目になるからね。部下には『国家機密レベルの荷 物をテロリストから守る任務』とだけ伝えておくから、君も、部下から何か聞かれても『国家機密だから詳細は言えない』で押し通して」
「…………」
「じゃあ、詳細はまた後日」

 シラーの言葉は静かで淡々としていて、玄武は背筋が薄ら寒くなるのを感じていた。
 荷物の中身は国家機密レベルの代物で、それを詮索した時は死ぬより辛い後悔をする羽目になる…彼の言葉は事実だろう。だが。
 何故あいつは、そんな事実を顔色ひとつ変えず、天気の話題でもするような自然な表情で口にできるんだ?
 …一体何者なんだ、あいつは。

西暦2010年12月28日
 風呂から出た玄武は、髪も乾かさずにベッドに倒れこんだ。自宮のそれよりも寝心地がいいそれに疲労で重たくなった体を預け、ごろりと大の字に仰向けになる。ベッドの傍らにある大きな窓から外を見ると、彼らが『護衛』した荷物を積んだ船が港に停泊しているのが見えた。
 燃料と必要物資の補給の為に香港の港に立ち寄った時には既に日が暮れていて、依頼主の計らいで聖闘士達は港町で一番高級なホテルに宿を取ることになっ た。その際にシラーから『この港町は香港マフィアの縄張りだ、とても危険だから決して宿の外には出ないでくれ。何があるか分からないから』と指示が出され た。その 奇妙な指示を怪訝に思いながらも、聖闘士達はありがたく依頼主の好意に甘えることにしたのだが…。
 月明かりに照らされる船をぼんやりと眺めながら玄武は今日の任務を思い返していた。

(一体何者だったんだ、あいつらは)

 ヘキサクスからウォンズ・コーポレーションに『国家機密レベルの代物』を運搬する海上で、飛行機もグラインダーも使わずに、武器の一つも持たずに空から 運搬船を急襲してきた奇妙な連中。中でもリーダー格の水を操る男とその相棒らしき炎を操る女は手強かった。『テロ組織の幹部の戦闘力は黄金聖闘士にも匹敵 する』と言う前情報に違わぬ強さで、部下の聖闘士にも深手を負わされた者がいる。
 そう、奴らは強かった。黄金聖闘士である玄武を苦戦させるほどに強く、異常なほどの執拗さで船の荷物を奪おうとした。
 連れてきた部下を全て殺されて撤退を余儀なくされた時、炎使いの女が玄武には理解できない言葉で捨て台詞を吐いた。激しい怒りと悲しみと悔恨がないまぜになった、恐ろしいほど鬼気迫る表情で。
 彼女が何を言ったのかシラーに尋ねたら、彼は肩を竦めて『この軍の犬め、恥を知れ!だってさ。ひどい誤解だねぇ』などと言っていたが。
 玄武はごろりと寝返りをうった。

(軍の犬と言う罵り文句も意味不明だが、何故奴らはあんなにも必死になって積荷を奪おうとしていたんだ?まるで誘拐された家族を奪い返そうとしているのかと思うほどの執念と必死さだったが…)
(…まさか、あの荷物の中身は人間…か?)
(…………)
(まさか、な。ヘキサクスやグリーンXが人体実験を行っているという噂はあるが、いくらシラーでも人身売買の片棒なんて担がないだろう。想像が飛躍しすぎだな)

 玄武は苦笑しながら部屋のカーテンを閉めてふかふかのベッドに体を横たえた。
 …その数分後。
 部下の聖闘士達が玄武が泊まっている部屋の窓の下を走り抜けて行った。彼らもまた玄武と同じ懸念を持ち、積荷の中身を確認するために『決して宿の外に出てはいけない』という指示を破って宿を抜け出していたのである。



 …………
 船の見張りを難なく昏倒させて貨物室に入った聖闘士達は、厳重に施錠された棺桶がずらりと並ぶ光景に顔を強張らせた。不吉な予感が的中した確信で震える 手で鍵を壊して棺桶を開けると、中には年端も行かない少年が寝かされていた。体は拘束され猿轡を噛まされ、薬品で眠らされているのか目を閉じたままピクリ とも動かない。だが、確かに少年は生きていた。
 早くこの事実を報告しなければ。
 急ぎ足に船を下りた一行は、桟橋にシラーが立っていることに気付いてほっと表情を和らげた。きっと彼も、積荷に不審を持って中身を調べにきたのだろう…。

「シラー様、ちょうどいいところに!」
「こんなところで何をしているの?とても危険だから決して宿の外には出ないでくれ、って厳命したはずだけど」
「命令違反をしたことは申し訳ありません。テロリストが異常にこの船の荷物に執着していたので、どうしても気になって調べに来ていたんです」
「ソレよりもシラー様、大変です。この船の積荷は物ではありません、人間です!」
「違うよ。積荷は人間じゃない」
「それは依頼主が言っていただけでしょう?実際に見てください、貨物室にいるのは人間です!」
「だーかーらー、僕は依頼主から話を聞いて、荷物を実際に見た上で『積荷は人間じゃない』って言ってるんだよ。どうして分からないかなぁ」
「え?」
「君達が見たアレはね、ヘキサクスとグリーンXとウォンズ・コーポレーションが某国と協力して共同開発した生物兵器。人間に良く似た姿かたちをしていても人間じゃないんだよ」

 意外すぎる言葉に絶句している聖闘士達に凍りつくような視線を向けて、シラーは薄く笑んだまま尋ねた。

「ところで君達。僕がどうしてこんな重要な秘密を話したか…その理由、分かる?」
「え?…」
「あの生物兵器は某国の国家機密。機密を知ってしまった部外者は生かして帰すな…それが彼らのルール。ルールを破れば彼らのやり方で報復を受けることになる」
「彼らのやり方で?」
「報復?」
「即ち、機密を知った者の親類縁者、果ては飼い犬に至るまで皆殺し」
「な…」
「そんな事態は避けなくてはならないよね。だから僕は、君達の家族や仲間を守るためにルールを守る。機密を知ってしまった部外者の口を封じる。…だから君達」

 シラーは唇の端を持ち上げて甘く囁くように言った。

「…さぁ、死んで?」

 冗談でしょう?と笑い飛ばすにはシラーの蒼い目は冷静で態度は落ち着いていて、命令違反をした部下を情け容赦なく切り捨ててきたシラーの過去は現実味がありすぎた。
 あまりの恐怖と絶望で蒼白になったまま立ち尽くす聖闘士達を見つめたまま、シラーはゆっくりと右手を掲げて小宇宙を集めた。

「――積尸気冥界波!」




 …激しい小宇宙の揺らぎを感じて、半ばうとうとしていた玄武は弾かれたようにベッドに起き上がった。
 昼間のテロリストがまた襲ってきたか?とカーテンを開けて外を見たがどこにも人の姿は無い。小宇宙の揺らぎも消えている。が、先程感じた激しい小宇宙が気のせいだとは思えず、玄武は上着を羽織って部屋を出た。
 部下の小宇宙が感じられないことに気付き、怪訝に思って部下の部屋を訪ねたが鍵が掛かっていてノックをしても返事がない。その隣の部屋も同様だ。不安と 焦りを感じながらもうひとつ隣の部屋をノックすると、テロリストに深手を負わされて休んでいた部下が青ざめた顔でドアを開けた。

「玄武様!よかった、シラー様にも玄武様にも電話をかけたのですが繋がらなくて、部屋を訪ねようと思っていたんです」
「何かあったのか?」
「皆が、あの積荷の中身がどうしても気になるから調べに行くといって出て行ったきり戻ってこないんです。シラー様から『絶対に外に出るな』と命令されていたのでもう少し待ってみようかと思ったんですが、皆の小宇宙が急に消えたので心配になって…」
「昼間の連中がまた襲ってきたのかも知れん。俺が様子を見てくるからお前はここで待機していろ」
「分かりました」

 宿の階段を駆け下りて玄関に向かうと、従業員らしい男がさっと玄武の前に立ちはだかった。急いでいるんだ退いてくれ、と玄武が言うより先に男は慇懃に口を開いた。

「玄武様ですね?シラー様から伝言をお預かりいたしております。『外に出る前に最上階のスイートルームを訪ねて欲しい』と」
「スイートルーム?奴の部屋はそこではなかったはずだが」
「ご案内いたします。こちらへどうぞ」
「…………、…………」

 そう言って先に立たれては無視するわけにはいかない。
 はやる気持ちを抑えて、玄武は仕方なく男の後を付いて行った。
 …玄武や部下達にあてがわれていた一般客室とはレベルが違うフロアに彼を案内してきた男は、フロアに一つしかないドアを指して『あちらでございます』とだけ言って去っていった。
 男の背中に一瞥を投げて玄武は扉をノックした。

「開いてるよ、どうぞ入って」

 シラーの声が返ってきて、言われた通りに扉を開けると奇妙な香の匂いがふわりと漂ってきた。
 …控えめな照明だけが灯った豪華な部屋だ。床から天井まで届くガラス窓が一面に並んで月明かりが差し込んでいるせいで中は十分に明るい。
 その部屋の窓際に置かれたテーブルの上にはチェス盤があり、テーブルを挟んで二人の男が座っていた。一人は煙管を銜えたシラーで、もう一人は玄武が知ら ない東洋人の男だった。オールバックにした長い黒髪を首の後ろで一つにまとめ、素通しの丸眼鏡の奥には切れ長の眼があり、金の龍が刺繍された白いスーツ と、普通の人間とは思えない強力な小宇宙を纏っている。
 何者だ、この男は。ついでにシラー、お前が吸ってるソレは何だ。
 玄武の視線の意味を察したのか、銜えていた煙管を唇から離してシラーが男に眼を向けた。

「これは何の変哲も無いハーブだよ。麻薬なんかじゃないから安心して。それから、君にも紹介しておこう。この方がウォンズ・コーポレーションの社長だ」
「リチャード・ウォンです。よろしく」
「天秤座の玄武です。…ところでシラー、部下の件だが」
「知ってるよ」
「知っている?じゃあ何故、こんなところで呑気にしているんだ。そのウォン氏がお前にとって重要な人物だというのは聞いているが、部下が…」
「だーかーらー」

 シラーは面倒くさそうに煙管にハーブを詰め直し、視線はチェス盤に向けたままで口を開いた。

「『知ってる』って言っただろう?僕は、知ってて、ここにいるんだよ。君も部下も、どうして一から十まで話さないと理解できないのかなぁ」
「知ってる…?シラーお前、部下が船の荷物を見に行って小宇宙ごと消えて帰ってこないのを知ってて、その上でここで煙草を吸いながらチェスをしてるって言うのか!?」
「あのさぁ、玄武」

 煙管を一度ゆっくり吸ってから、シラーははっきりと不快感を露わにして玄武に視線を向けた。

「僕、言ったよね?『この港町は香港マフィアの縄張りだ、とても危険だから決して宿の外には出ないでくれ。何があるか分からないから』って。なのに彼らは 命令に違反して外に出た。だから、僕は今、部下の失態の後始末をどうするかウォンさんと相談してたんだよ。何故それが分からないかなぁ」
「分かるはずが無いだろう!もういい、俺は一人で皆を探しに行く!」
「…それはいけませんねぇ」

 チャキ…
 どこか面白がっているような口調で言って、ウォンはテーブルに置いてあった銃を手に取って玄武に向けた。無論、黄金聖闘士が銃くらいで怯むはずも無い。苛立つ玄武が真っ向からウォンを睨み返すと、シラーは煙と一緒に溜息を吐き出して玄武を見遣った。

「やめなよ、玄武。外に出ようとしたら殺されるよ」
「誰にだ?お前にか?それともその社長様にか?出来るものなら」

 やってみろ、と言いかけると同時に頬に熱が走って、玄武の真後ろにあるドアに銃弾の穴が開いた。

「!?」

 玄武は驚愕で眼を見開いて思わず頬に触れた。
 …傷がある。浅くだが傷があり、血も出ている。
 玄武に向けられた銃口からは薄く煙が出ていて、ウォンの足元には薬莢も落ちている。
 銃で撃たれた。それは間違いない。だが、いつ?撃たれた弾を避けられなかったわけではない。引き金を引くのに気付かなかったわけでもない。気が付いたら既に頬を撃たれていたのだ。まるで、ウォンが引き金を引く時間が存在しなかったかのように。

(どういう、ことだ…)

 呆然と立ち尽くす玄武に改めて銃口を向けて、ウォンはクク…と笑った。

「今のは警告です。次は本番ですよ。いくら黄金聖闘士と言えども、頭を撃ち抜かれた後では対処は出来ないでしょう?」
「…………」
「…ねぇウォンさん。彼には僕からよく言って聞かせるから、同郷のよしみってことで今回は大目に見てあげてくれないかな」
「そ れは無理な相談です…と、普段ならお断りするのですがねぇ。今回は私が無理を言いましたし、あなたの部下の件もあなた自身が即座に対処しました し、これ以上こちらの主張を押し通すのも申し訳ない。仕方ありません、今回は目を瞑りましょう」
「ありがとうウォンさん」

 芝居がかった困り顔のウォンと飄々とした笑顔のシラーは緊張感のかけらも無い態度で物騒な会話を交わし、玄武を蚊帳の外にしたまま彼に関する結論を出し終えた。
 ウォンは銃を持ったまま椅子から立ち上がり、部屋の入り口で突っ立っている玄武の手にポンと銃を渡すと、胡散臭い笑みを口元に浮かべて見せた。

「『好奇心は猫をも殺す』…用心深い猫でも好奇心から要らぬことに首を突っ込むと命を落としますよ、という有難い教えです。長生きをしたいなら覚えておくといいでしょう。ついでに『郷に入っては郷に従え』という言葉もね」
「…………」

 睨み付ける玄武の視線をそよ風のように受け流して、ウォンは大胆に彼に背中を向けたまま悠々と廊下を歩いて行った。
 忌々しい舌打ちをして玄武はずかずかとシラーに歩み寄り、テーブルに銃を叩きつけるように置いた。

「あいつは何者だ」
「君も知っての通りさ。世界屈指の巨大貿易会社の社長で、取り扱う品物は雑貨や食品から麻薬・武器・臓器まで多岐に渡る。各国政府やマフィアと強いコネクション を持つ経済界の超大物。ネット上では『ウォンは愛妾の子』『親族を殺して社長の椅子を手に入れた』と噂が流れているが、本人は『概ね事実ですから』と言っ て特に否定はしていない…」
「とぼけるな。俺が聞いているのはそんなことじゃない!」
「…『好奇心は猫をも殺す』『郷に入っては郷に従え』って忠告されたろ?余計な詮索をしたり、漏らしてはいけない秘密を喋ったりするとマフィア流のやり方 で報復されるよ。ここは何も聞かず、何も見ず、何も喋らないのが正解さ。君は表社会の人間なんだから、裏社会の事情は知らない方がいいと思うけどね」
「ならお前が話せることだけで構わん。訳もわからず『いいから黙って見て見ぬ振りをしてろ』と言われても納得できないからな」
「…………」
「お前の話で納得できたら俺は口を噤む。部下が何か聞いてきた時も適当にごまかそう」

 シラーは無言で煙管をふかして、玄武が仁王立ちしたまま梃子でも動かない顔で睨みつけているのを見て、大きな溜息をついてウォンが座っていた椅子を顎でしゃくった。
 玄武が乱暴に椅子に腰を降ろすと、シラーはチェスの駒を摘まんで弄びながら面倒くさそうに尋ねた。

「で?君が聞きたいことって何」
「あの男は一体どうやって、『引き金を引く瞬間』を俺に見せずに銃弾を俺に当てたんだ?あれは『目にもとまらぬ速さ』で銃を撃ったんじゃない…うまく言えないが、銃を撃った瞬間がすっぽり抜け落ちているような…そうだ、時貞の時間拳を食らった時の感覚…あれに近い」
「…………。ヒトならざる不思議な能力を持つ者は聖闘士や海闘士や冥闘士だけじゃないってことさ」
「昼間、船を襲ってきた奴らもウォンの同類か?あいつらは何者だ?」
「人類滅亡を画策するテロリスト集団『ノア』の構成員。『自分達はヒトを超越した選ばれた民だ』と信じているイカレた連中だよ」
「その、『ノア』の女が俺達を『軍の犬め』と言ったのは何故だ?」
「テロリストに対抗するのは…少なくとも建前上は、各国政府と国軍だ。連中は、自分達の邪魔をする者は誰も彼も軍人か軍の傭兵だと思い込んでいるんだってさ」
「迷惑極まりない連中だな。…ん?じゃあ何故そいつらは積荷を奪いに来たんだ?そもそも積荷の中身は何なんだ」
「『ノア』に対抗するための生体兵器。『ノア』の連中はその生体兵器を自分達の同類だと思っているらしくてね、奪って自分達の仲間兼戦力にしようと画策しているらしいよ」
「生体兵器…?何だ、それは」
「生体兵器は生体兵器。それ以上でも以下でもないよ」
「まさか、人間か?」
「生体兵器だって言ってるだろ。それで納得しなよ」
「人間なんだな!?」
「君もいい加減しつこいね」

 ガン!
 しつこく食い下がる玄武に、シラーは苛立ちを露わにして煙管を乱暴に灰皿に叩きつけて灰を捨てた。

「だったら何なのさ?積荷の生体兵器が人間の姿かたちをしている、だったら何?」
「な…」
「あの船の積荷は、各国政府が自国民をテロリストから守るために苦労して手に入れた貴重な戦力だ。ヒトのかたちをしているものを兵器と呼ぶのに抵抗がある なら、兵士、あるいは軍人と言い換えてもいい。敵の目を欺く為に軍人を『積荷』と偽ることが問題かい?広い意味で言えば僕達アテナの聖闘士だってヒトの姿 をした生体兵器じゃないのか?もう一度聞くよ。積荷は生体兵器だ。それが人間と同じ姿かたちをしていたら何だって言うのさ?さぁ、答えなよ玄武」
「…………」

 シラーの思わぬ激昂と反撃に玄武は言葉に詰まった。
 …短くない沈黙の後、シラーは玄武から視線を逸らして吐き捨てた。

「これだから嫌なんだ、立派な大人の愛情を受け続けて生きるための苦労もせずに陽の当たる道だけを歩いてきた奴は。薄汚くて情け容赦の無い現実を見たこと もない癖に、甘ったるいロマンチックな夢を実現できると信じて綺麗事の正義と理想論を振りかざして押し付けて来る。何も…何も知らないくせに!」
「…確かに俺は何も知らないかもしれない」

 玄武はじっとシラーを見据えたまま低い声で言った。

「だが、『甘ったるいロマンチックな夢』を実現する為に、地上の愛と正義の為に戦うのがアテナの聖闘士じゃないのか。太陽の元で堂々と胸を張って戦うのが 聖闘士じゃないのか。お前だって黄金聖闘士だろう、陽の当たらない場所で碌でもないことをしている連中に手を貸すなど恥ずかしいと思わないのか!」
「…歴史の裏で暗躍してきたアテナの聖闘士は星座の戦士。星座は夜しか見えないんだよ」
「見えないだけで昼間も星座は存在している!」
「…………。君を相手に価値観の相違を議論しても時間の無駄だったね。失敬、頭に血が上ったせいで失念していたよ。ちょっと風に当たって頭を冷やしてくる」
「逃げる気か?」
「そう思いたいならご自由に」

 素っ気なく言い残してシラーは振り向きもせずさっさと部屋を出て行った。
 燻る気持ちの持って行き場を失った玄武は、ギリッと歯軋りして苛々と拳を椅子に叩きつけた。
 どこまでいけ好かない野郎なんだ、あいつは…!


NEXT


星矢部屋
総合目次
SS・2012時代
SS・神話時代
SS・蟹座達


 本当は前回で書きたかったエピです。段々仲良くなっていくハビパラシラートリオと、相変わらず相容れない玄武君とシラーさん。例によって書いている途中で 方向転換がありまして。秘密裏に聖域に依頼をしてきた人物がサイキのウォンなのは当初の予定通りですが、聖闘士達が守る船を襲ってくる敵は香港マフィアか らテロリスト集団『ノア』のサイキッカー達に変更しました。ついでに船の『積荷』も、人身売買される人間から生体兵器に変更。ゲストのキャラや組織のモデ ルが明確だと話を組み立てやすくて良いですね(笑)。膨大な裏設定は後ほど。
 今回心がけていたのは、『何かのきっかけがあれば一気に仲良くなれそうな玄武&シラー』と、『若さ故の好奇心旺盛さが危うい玄武』と、『何だかんだ言い ながら後輩の玄武をフォローするシラーと、何だかんだ言いながらシラーを意識している玄武』です。SS『拝謁』4話で玄武君が好奇心からシラーさんのプラ イベートを尋ねていたので、そこに繋がることを意識しました。
 ちなみに玄武君は、この時点ではシラーさんの過去(戦災孤児時代)を知りません。イイトコのお坊ちゃまだと思っています。『薄汚くて情け容赦の無い現 実』をシラーさんが知っているのは、裏社会に通じる組織や人物と交流があるからその人達を通して見たことがあるんだろう程度に考えています。

話を読む分には特に必要ない設定紹介とか裏設定とか。
ゲストは90年代後半に世に出た格ゲー『サイキックフォース』『サイキックフォース2012』のキャラをモデルにしています。サイキックフォース(無印)の簡潔な紹介はこちら。続編サイキックフォース2012の紹介はこちら、公式サイトはこちら
LC作者の手代木女史もドハマリしていた、格闘ゲームらしからぬしっかりしたストーリーと暗く重い世界観で(一部の人に)熱烈な支持を受け、今でも根強いファンがいる名作です。ニコニコなどでストーリーモードや実際のプレイ画面を見れるので、興味を持った方は是非どうぞ。

リチャード・ウォン
 ゲームの事実上のラスボスで全ての黒幕。玄武と同じ中国人(正確には香港人)。時間と空間を操る超能力者で、数秒だが時を止める事ができる。無印サイキ ではテロリスト集団『ノア』の幹部として登場するが、最後にリーダーを裏切り反逆。実はウォンは某国軍と手を組んでおり、彼のノア加入から裏切りまでの全 ては、ノアを軍に売り渡し国軍内に相応の地位を築く為の計画だったことが後に明かされた。続編のサイキ2012では少佐の地位を得ており、自分専用の部隊 を持つに至っている。ちなみにCVはエーギル役の真殿さん。

サイキの世界における『サイキッカー』
 普通の人間が持ちえない強力で特殊な能力を持つ超能力者達。長らくその存在は国家により秘匿され、人々からは迫害され続けていた。一口に超能力者と言っ てもその力はピンキリ。組織の幹部クラスになると町ひとつ消し飛ばすことも可能。個人的な印象だが、組織の幹部クラスのサイキッカーの強さは黄金聖闘士に 匹敵すると思われる。

テロリスト集団『ノア』
 本来は、非人道的な扱いを受けている超能力者(サイキッカー)を保護する為の組織だった。が、次第に『自分達はヒトを超越した選ばれし民。愚かな人類を 滅ぼして自分達が世界を支配する』という危険な思想に染まり暴走を始める。ウォンと、彼と手を組んだ国軍により一度は壊滅的な被害を受けるが、危機を逃れ た構成員達は世界中に散らばる能力者をスカウトし『新生ノア』を組織する。しかし彼らの『スカウト』とは、『我々の仲間になれ、拒否すれば敵と見做して殺 す』という無茶なものである。

船を襲ってきたテロリスト達
 サイキ2012で登場した、新生ノアの幹部、カルロ・レジーナのベルフロンド兄妹がモデル。ノアの危険思想に骨の髄まで染まっていて、自分達の行き過ぎた選民思想に何の疑問も持っていない。

積荷の中身『生体兵器』とは
 ノアが崩壊した際に軍によって拘束されたサイキッカー達。ウォンの指揮するサイキッカー部隊に入隊する予定。ヘキサクスで諸々の調査・及び洗脳をした後 にウォンの私設研究所に送られている。聖闘士達が見た少年はエミリオ(*)であり、ベルフロンド兄妹はそれを知っていたからこそ何としても彼を奪い返そう と躍起になっていた。
*エミリオ
 サイキックフォースシリーズに登場する中性的な外見の美少年。戦いを好まず、自身の異能力を恐れているが(2012では何かがブチ切れたらしく快楽殺人鬼になっている)潜在能力はトップクラス。キャラ設定は星矢で言うところの瞬に似ている。

時代や依頼の背景
 初代ノアが崩壊したのは西暦2010年の12月(と、ドラマCDで言っていた気がする)。なので玄武&シラーが任務に当たったのはノアが崩壊した数日 後。サイキッカー部隊もまだ満足に組織されておらず、人工生命体ソニアはノア崩壊の際に失ったので、ウォンが自由に使える戦力は無い状況。普通の軍人では ベルフロンド兄妹相手に戦うのは不可能だが自分ひとりで彼らを相手にするのも厄介なので、仕事上のつてを辿ってシラーに仕事を依頼した。