邂 逅の時
EPISODE 5

西暦2011年2月10日
 ハービンジャーは鼻歌を歌いながらお手製のシチューを皿によそってスープスプーンを無造作に突っ込んだ。袋入りのロールパンを掴んだ片手で器用に皿を二枚持ち、もう片方の手でコーヒーカップを二つ掴んでリビングに戻った。
 散らかり放題のリビングでは、蟹座のシラーがテーブルに任務の資料を広げてノートパソコンと向き合っていた。

「おーいシラー。そろそろメシにしようぜ!」
「…ああ、もうそんな時間か。すぐ片付けるよ」
「メシが済んだら任務の打ち合わせなんだ、端っこに寄せときゃいいだろ」

 言われた通りざっと資料をまとめてテーブルの端に寄せたシラーは、シチューの皿を受け取りながら怪訝そうに小首を傾げた。

「何か良いことでもあったのかい、ハービンジャー?随分とご機嫌のようだけど」
「良いことならあったぜ。お前が俺と一緒にメシを食うことをOKした!」
「それがそんなに喜ばしいこと?」
「ったりめーだろ!今まではお茶しかしてなかったんだからよー。なんつーの?こう、俺達の友情が一段階深まったみたいな感じ?」
「…大袈裟だね、君は」
「そっかー?俺にとっては結構重要なことなんだけどな」

 蒼い目に戸惑いの色を浮かべるシラーにはお構いなしでハービンジャーはロールパンの袋を開けた。小皿に乗せてバターやジャムを沿える、などと洒落たことは性に合わないので袋のままだ。

「お坊ちゃまのお前から見たら色々と雑だろうけど勘弁な。その代わりといっちゃナンだが、台所にある調味料とかは好きに使っていいぜ。口に合わなかったら適当に味変してくれや」
「僕も元々は戦災孤児だったし、堅苦しいのは得意じゃないから気にしなくていいよ。ご馳走された食事にどうこう言う趣味もないしね。…いただきます」

 略式の食前の祈りをしてシチューを一口食べたシラーは、何とも微妙な顔になってスプーンをテーブルに置いた。
 その反応を見たハービンジャーは、あれっ?と首を傾げた。

「ん?不味かったか?」
「いや、そんなことは。ただちょっと、今までに食べたことの無い味だったから戸惑っただけさ」
「そうかー。同じシチューでも国によって味付けは全然違うんだな」
「…………。お言葉に甘えて、ちょっと調味料を借りるよ。あ、あとチーズとミルクがあったら少し貰っていいかな」
「おう、好きに味変してくれや!」

 皿を持って台所に入ったシラーは、シチューを小鍋に移してミルクとチーズを足して温め、塩と胡椒とカレー粉を一振りして味見した。チーズとカレー粉のおかげでどうにか食べられる味になっている。
 …一体どの調味料で味付けをしたらあんなひどい味になるんだろう。
 そんなことを思いながらシラーはリメイクしたシチューを持ってリビングに戻った。




 …どうにかシチューを胃袋に収めたシラーが食後のコーヒーで口直ししていると、向かいに座っていたハービンジャーが楽しげに身を乗り出した。

「なーなー、今回の任務は結構てこずりそうなんだろ?」
「そうだね。複数の国が所有権を主張して揉めに揉めている海域の孤島に敵の本拠地があるから…。現地の下調べをするだけでも各国政府に根回しは必要になるだろうね。…で、これがその揉めてる国のリスト」
「ふーん。正面から話をするより裏から手ェ回した方が話が早そうなところばっかだな」
「この国とこの国の政府には僕の人脈が使えるんだけど、こっちは難しいかな」
「あ、この国なら俺のコネで何とかなるかも知れねぇ。俺が裏社会の闘技場で喧嘩に明け暮れてた頃、俺を気に入って後ろ盾になってたオッサンがこの国でデケー会社を経営してて国のお偉いさんが自分のご機嫌取りに来るんだとか自慢してたんだよ。ちょっと連絡してみるぜ」
「じゃあお願いするよ」
「オッサンから返事が来たら呼ぶからよ、また一緒にメシ食いながら作戦会議しようぜ!」
「…………」

 シラーが微妙な表情で沈黙して、ハービンジャーがきょとんと目を瞬いた。

「メシと作戦会議がセットは嫌だったか?」
「いや、そうじゃなく」

 シラーは資料に視線を落としたまま数瞬沈黙し、意を決したように目をあげて口を開いた。

「いつも君の宮に招かれてご馳走されてるんじゃ僕も心苦しいんだよね。次は僕がお茶か食事をご馳走するから僕の宮で作戦会議はどうかな」
「へ?…」
「君が気乗りしないからいつも通りここで作戦会議で構わないけど」
「いやいやいや、んなことない、んなことねーぞ!OKOK、オッサンから返事が来たらお前の宮に訪問するぜ!」
「お待ちしてるよ」
 
 いかにも社交辞令と言いたげなシラーの言葉に安堵の色が混じっていることを、生憎とハービンジャーは気付くことができなかった。

西暦2011年2月17日
 ゴンゴン、とドアがノックされた。
 部屋に飾った花を何となく手入れしていたシラーは一瞬ビクリとして、気持ちを落ち着けるように浅く呼吸して宮のドアを開けた。

「うぃーっす」
「いらっしゃい。…あれ、パラドクスも一緒?」
「うふふ、こんにちわ」
「念のため言っておくけどよシラー、俺はパラドクスを誘ったりなんてしてないからな。お前に呼ばれた事も言ってない!ただよ、俺の宮から巨蟹宮に行こうと思ったらどー しても双児宮を通らないといけないだろ?俺は普通に通ったつもりだったんだが、急にコイツが出てきて『そんなウキウキした足取りでどこへ行くのハービンジャーさん?私も一緒に 行きたいわ』なんて言い出してよー。シラーの宮で作戦会議するだけだ、お呼びじゃねーよって言ったんだが、『シラーに帰れって言われたら諦める』とか言って強引についてきてよぉ…」

 何とも困った顔でパラドクスを横目で見ながら言い訳がましく説明するハービンジャーと、彼の隣でニコニコしているパラドクスを交互に見て、シラーは大きく扉を開けた。

「…どうぞ、二人とも入って」
「いいのかよ?」
「訪問を拒否する真っ当な理由も無いのに女性を追い返すのは失礼だろう。彼女に聞かれて困る話をするわけでもないんだし」
「まぁそうなんだけどよー」
「うふふっ、ありがと。お邪魔するわね」

 二人を宮に招き入れたシラーは元通り扉を閉めてふと思った。
 友人を『自分の家』に招き入れたのは随分と久しぶりのような気がする。最後に友人を家に招いたのはいつだったろう…
 遠く幼い日の記憶が不意に甦りかけて、シラーは慌てて思考を止めた。
 平凡でありふれた幸福を享受していた過去に帰ることなど出来ない。生きる為に自ら望んで人の道を外れた自分があたたかなあの場所に戻ることなど出来ないことくらい、きちんと理解している。

(全く…この二人といると、僕は調子を狂わされてばかりだな)

 優しく柔らかな思い出の蓋をそっと閉めてしっかりと鍵をかけ、シラーはリビングに二人を案内した。

西暦2012年6月16日
「牡羊座の貴鬼、只今帰還いたしました」

 アテナと教皇に一礼した貴鬼がハービンジャーとアモールの間に立つと同時に黄金色に輝く十二の聖衣が共鳴し始めた。
 共鳴の音色は黄金聖衣が一堂に会した歓びではなく、強敵を警戒するそれだと気付いている教皇シオンは厳しい表情で口を開いた。

「数ヶ月前から正体の分からぬ何者かが地上に侵攻の手を伸ばしていた事は既に承知のことと思う。我々は侵略者の尖兵を全て退けてきたが、このたび黒幕が聖域に宣戦 布告をしてきた。敵は『軍神マルス』を名乗り、『今まで世界各地に刺客を送っていたのは自分である。我が軍はこれより十二宮をのぼる。我々が十二人の黄金聖闘士を破りアテナを倒したその 時は我に地上を明け渡せ、拒否すれば手段を選ばず地上を攻撃する』と言っている。我々は、敵の要求を呑むことが地上の被害を最小限に留める方法だと 判断しマルスの要求を受け入れた。間もなくマルスは自軍を率いて聖域を攻めてくる」

 シオンは一度言葉を切って緊張が色濃く浮かぶ顔で黄金聖闘士達を見回した。

「我々に敗北は赦されん。引き分けという選択肢も無い。あるのは聖域の完全勝利のみ。皆、五体満足で生きて勝利しろ。私からの唯一つの命令だ。良いな?では、自宮の守護に向かえ。アテナの聖闘士として地上を守るのだ!」




 …獅子宮を通り過ぎて巨蟹宮に向かう途中。
 軍神を名乗る者が聖域を攻めてくると聞いたばかりなのに、ハービンジャーは全く緊張感が無いどころか楽しそうに見える顔で傍らのパラドクスとシラーを見遣った。

「ポセイドンやハーデスを倒したアテナに喧嘩売って来るなんてどんなスゲー奴かと思ったら、微妙なところから来たな。アレスならともかくマルスかよ」
「神話的な実力で言えばマルスの方がアレスより上だよ。軍神を名乗るからにはその名に見合った実力があるって自負してるんだろうし、舐めてかかるのは危険だと思うけどね」
「それにしても教皇様、何だか様子が変だったわね。完全勝利しか赦さない!なんて命令を聞いたのは初めてよ」
「しかも『黄金聖闘士全員が五体満足で』だろ?ヘンテコな命令だよなー」
「そうだね。まるで、マルスを退けた後に別の敵が地上を攻めてくるのを懸念しているような、そんな不自然な雰囲気だった」
「別の敵ねぇ。ポセイドンは封印されて向こうン百年は壷の中、ハーデスは冥界ごと消えた、ゼウスとオリンポスの神々は天界に引っ込んだまま地上のことはアテナに丸投げなんだろ?一体誰が攻めて来るんだよ?マルスみたいな『自称・どっかの軍神』かぁ?」
「…冥界の消滅は噂であって確定事項ではないけど」
「仮に冥王ハーデスが消滅していなかったとしても彼が戦を起こすのは二百年以上先の話でしょ?今の私達が考えるべきは目の前の敵を倒すことよ」
「違いねーや」
「そうだね」

 パラドクスの言葉にハービンジャーはニヤリと笑って、シラーは無表情のまま頷いた。
 …巨蟹宮の入り口で、ハービンジャーとパラドクスは常と何も変わらぬ表情と仕草で手を振った。

「じゃあシラー、俺が取りこぼした敵のフォローよろしくなー!」
「間違っても死んじゃダメよぉ、シラー」
「言われなくても分かってるよ」
 
 シラーが苦笑しつつ肩を竦めると、ふたりは『また後で』と笑顔で言って自宮の守護に向かった。
 …また後で。
 その『後』がいつになるのか、この時は誰も知らなかった。




 …ただ敵を迎え撃つのも面白くないだろう、撹乱を兼ねて少しばかり趣向を凝らすのも悪くない。
 そんな思い付きから巨蟹宮を海岸を模した風景に変えて待機することしばし。金牛宮、双児宮での激しい小宇宙の揺らぎを感じた数分後、巨蟹宮の入り口に未知の小宇宙を感じてシラーはゆるりと顔を上げた。
 貴鬼が対応し切れなかった敵の大半を始末したハービンジャーは意図的に敵を数人通過させたようだが、どうやらパラドクスは相打ちに近い辛勝だったようだ。

(自称とは言え軍神の名は伊達ではないという事かな。まあいい、どんな敵だろうと僕の積尸気冥界波で全て片付けてやるさ)

 …巨蟹宮に入ってきた敵が目前の光景に戸惑い周囲を見回している。
 パチパチパチ。
 シラーは芝居がかった仕草で拍手して敵を挑発した。宮の守護者に気付いて不快感も露わに睨みつけてくる敵を見下ろして唇の端を持ち上げる。

「ブラボー!良くここまで辿りつけたねぇ」

 青臭い正義感に燃える顔といい幼さが残る容姿といい拍子抜けするほど貧相な小宇宙といい、実力で黄金聖闘士を破ってここまで登って来たとは到底思えなかった。無傷で三つの宮を突破できた幸運だけは褒めてやらないこともないが。
 シラーはくつろいだ姿勢で座ったまま言葉を続けた。

「失敬、自己紹介がまだだったね。僕の名はシラー。巨蟹宮を守る黄金聖闘士…死と創造を司る、蟹座ことキャンサーのシラー。どうやってここまでたどり着いたのかは知らないけど、君の命、ここで潰える。それが…さだめ」

 喉の奥でクックッと嗤う。
 他人の死は自分が生きたいと言う証、弱き者の命は強い自分の礎となる。今までがそうだったように、これからも。そして、お前も。
 …お前らまとめて、僕の生の証となれ!


NEXT


星矢部屋
総合目次
SS・2012時代
SS・神話時代
SS・蟹座達


 本当はこの5話目で完結予定だったのですが、書きたい話を詰め込んでいったらまた長くなってしまったので分割しました。なので今回はちょっと短めです。
 2月のエピは、シラーさんが黄金就任してぼちぼち一年経って漸くご飯を一緒に食べる程度に仲良くなったハビシラコンビ+パラさんの姿を書きたくて入れま した。「ハビさんお手製のシチューがとんでもなく不味くて、一口食べた途端にスプーンを置くシラーさん」ネタは例によって蝶様とツイッターでお話してる時 に出てきました。きっと味付きプロテインとか入ってるんだ(笑)。
 そしてシラーさんもハビさんに絡まれ始めて一年近く経って漸く自宮にハビさん(と、パラさん)を招待しています。これは別にシラーさんがハビパラさんの 訪問を拒否してたわけではなく、シラーさん就任初日にお宅訪問して断られたハビさんが「シラーは自分のテリトリーに他人を入れるのが嫌いみたいだし、しつ こくお宅訪問するのも悪いよな」程度に考えて「お前のとこに遊びに行きたい」と言ってなかっただけです。なんですが、シラーさんは「ハービンジャーは僕の 宮を訪問するのが嫌なのかな」と要らない心配とかして誘ってなかったというすれ違い。今回、ハビさんを招待したシラーさんがちょっと挙動不審だったのは 「誘って断られたらどうしよう」と内心ドキドキしてたからです。友達と普通に遊ぶ経験なんて十年以上やってないから勝手が分からなくてドキドキしてる…と いうのを作中で説明しようかと思ったのですが、「このSSではシラーさん視点では書かない・シラーさんの心情はなるべく描写しない」をコンセプトにしてい たのでここで解説。
 んで一気に日付は飛んで2012年初夏になりました。この辺はSS「拝謁」で書こうかなと思ってカットしたエピです。当サイト設定では、マルスの宣戦布 告数日前にアテナと冥界の間に和解が成立していますが、この時間軸時点で冥界の復活と和解成立の事実を知っているのはアテナ・シオン・童虎の三人だけで す。薄々気付いてる奴もいますが…。
 そんなこんなで次の6話目で完結です。次はシラーさんの出番はほとんど無くて、マルス撃退後にシラーさんがいないことに気付いた皆が色々話し合ったりタナトスがミーノス同伴で聖域に来たりする話です。