死刑執行人の悪夢

 ――何でこんなことになったんだ?
 鼻孔をくすぐる甘苦い香の匂いが立ち込める仄暗い部屋の中、酔いが回って満足に動かない脳味噌でマニゴルドはぼんやりと思った。
 死刑執行人の視線の先では、底知れぬ闇を吞み込んだ銀の眼が冷ややかに光を放っている。
 美しい唇が動く。

「何の真似だ?」

 そんなん、俺が聞きてーよ。
 銀の死神…タナトスをベッドに組み敷くように押さえつけた体勢でマニゴルドは独り言のように呟いた。



 …事の発端は女だった気がする。
 友人が主催した飲み会で意気投合し、酒の勢いも借りて告白したら軽い調子で了解されて。素面に戻った途端に真面目にお断りされるかと思ったがそんな事も 無く、清く正しいオツキアイがしばらく続き。彼女が外国旅行から帰ってきたのを良い機会に、家に連れ込んでやろうかなと誘った時に返ってきた言葉がこれ だ。

『ごめんね、やっぱり貴方とはいいお友達でいたいの』

 はいこれ、お土産。
 そう言って手切れ金代わりに渡されたのがエキゾチックな匂いの漂う香だった。
 何だよ畜生。今夜は寝かさねーぜ!なんて思ったりしてヤル気満々だったてーのに。こうなったら浴びるほど呑んでやる、ダチを相手に愚痴をゲロゲロ吐きな がら、前後不覚になるまで酒に溺れてやるからな!…などと悪態をつきながら、マニゴルドは女に貢いでやる予定だった金で高級な酒を買い込み、友人知人に 片っ端から電話をかけた。が、友人達は『失恋の愚痴をつまみに高級な酒を飲む』という酒宴の趣旨を聞くなり二つ返事で拒否の言葉を返し、唯一参加を了承し てくれたのが最後に電話をかけたタナトスだったのだ。
 今夜は彼女を連れ込んで一晩中キャッキャウフフするつもりだったのに、何で俺は死神様とサシで呑んでんだろうなぁ。
 狭い部屋の中でテーブルに頬杖をつき、ベッドに腰を降ろして酒を啜っているタナトスに愚痴を零していたことは辛うじて記憶にある。しかし、そこから一体 何がどうなって自分が死の神をベッドに押し倒す展開になったのか、肝心な所が全く思い出せない。『女に振られたのは運命の女神が与えた運命のせいではな く、お前自身の甲斐性が無かったからだ』とか何とか言われたような気がしなくも無いのだが…。
 マニゴルドに押し倒されたタナトスは微塵も動じる様子を見せず淡々と口を開いた。

「さっさと退け。お前の人生が女に縁の無いものになった事は多少なりとも俺にも原因がある故な、この無礼は酒の仕業ということで赦してやろう」
「……………」

 死神様の寛大なお言葉はマニゴルドの意識の外を通り過ぎて行った。
 人形のように完璧に整ったタナトスの白い貌、人間の女よりも美しいそれを見つめてマニゴルドはぼんやりと思った。

(ま、こいつでもいいか。神様なんだから性別なんてあってないようなもんだし、男同士でヤるのも特別おかしなことじゃないだろうし。俺の女運が最悪なのはこいつにも原因があるし、ちょっとくらい付き合って貰っても構わないよな)

 行き場を失くした熱が体の中で燻り、怪しげな香と酒で鈍った思考回路をますます鈍らせていた。
 無反応のマニゴルドにタナトスが怪訝そうな表情を浮かべた時、マニゴルドはひょいと体を屈めてタナトスの唇に口付けた。ごく自然な仕草で、当たり前のように。
 ――途端。
 ガリッ!!
 唇に鋭い痛みが走り、反射的に痛みが走った場所を舌で舐めると口の中に血の味が広がった。
 ベッドの脇に置いた淡い明かりの下で、死神は銀の目を怒りの色に染めてマニゴルドを睨んでいる。その唇が紅を塗ったように染まっているのを見て、マニゴルドはタナトスに噛み付かれた事に気が付いた。

(…ッ――この野郎!!)

 カッと頭に血が昇り、マニゴルドは手加減無しの一撃をタナトスの下腹に叩き込んだ。驚きか、それとも苦痛か…眼を見開き息を詰まらせるタナトスにはお構 いしでギリギリと拳をねじ込んだ。自身を組み敷くマニゴルドを押し返そうとタナトスがもがいたが、手首を掴んで押し付けると呆気ないほど簡単に抵抗を封じ ることが出来た。地上に来る時は神の力を封じているとは言え、元黄金聖闘士ごときに押さえ込まれるほどタナトスは弱くは無いはずだが…酒か、あるいは香が 神の力を殺いでいるのだろうか。
 ま、神様が弱体化してる理由なんざどうでもいいけどな。
 抗議の言葉を吐き出そうとした神の唇を乱暴な口付けで封じて、マニゴルドはタナトスのシャツのボタンに手をかけた。




 …銀色の睫毛が震える。色素の薄い頬に赤みが差し、整った唇から苦しげな吐息が漏れる。
 ――あぁ、綺麗だなァ。
 タナトスの貌をぼんやりと見つめていたマニゴルドは、死神という肩書きには似つかわしくない暖かい手で手首を掴まれて漸く、自分が渾身の力でタナトスの頸を絞めていることに気付いた。

(あれ?何で俺、タナトス様を絞殺しようとしてんだ?)
(…………)
(ああ、そうだ。ちゃんと前準備をしてやったのに挿れようとしたらまた暴れやがったから、少しおとなしくさせようと思って…)
(ん、おとなしくなってんな。神様だから死ぬことは無いだろうが、後遺症とか残っても面倒だし、この辺でいいだろ)

 マニゴルドは片手を形ばかりタナトスの頸にかけたまま、片手でもう一度場所を確認してゆっくりと自身をタナトスの中に埋めていった。
 …たちまちタナトスの貌が苦痛と屈辱で歪む。

「貴様、何を…」
「一々言わなくなって分かるだろ。挿れてんだよ」
「馬鹿を、言え…はな、れろ」
「はいはい。一回終わったら離れてやるから無駄な抵抗すんじゃねーぞ。余計長引くからな」

 実に思いやり溢れる言葉をかけてやり、マニゴルドはゆるゆると動き始めた。




 …………
 テーブルに置いてあった煙草を一本取って火をつける。たっぷりと肺に吸い込んだ毒の煙を吐き出すと部屋に立ち込めた香と混ざって奇妙な匂いが漂った。

「貴様…自分が何をしたか分かっているのか」
「…………」

 低く押し殺した声がする方に目をやると、激しい怒りに揺らめく銀色の眼が見えた。
 燃えるような銀色か。これはこれで綺麗なもんだな…などと考えながらマニゴルドは緩慢な仕草で首を傾げた。
 
「分かってるつもりだけど。カミサマへのボートクって奴じゃねーの?」
「我が神罰を恐れぬとでも言うつもりか」
「…あのさぁ、タナトス様」

 マニゴルドはフーッと煙を吐き出して淡々と続けた。

「俺はアンタに片脚吹っ飛ばされた挙句に神の道で木っ端微塵に消し飛んでおまけにコキュートスに落とされてたんだぜ?今更『神罰を与えるぞ』なーんて言葉 でビビると思ってんの?この世に未練が無い訳じゃねーけど、みっともなくしがみつく気もねーし、殺したいなら好きにしろよ。理由を聞けばアテナだって何も 言わないだろうしさ」
「…………」

 …アテナの名を出した瞬間、タナトスがハッとした顔で視線を逸らすのをマニゴルドは見逃さなかった。相手が怯んだ仕草を見逃さないのは追い剥ぎをやっていた頃に身に付けた生きる為のスキルだった。
 マニゴルドは煙草を口から離してタナトスの顔を覗き込んだ。

「え?何?ひょっとしてアンタ、アテナに言えないのか?今日、ここで、俺に何をされたのかを?」
「…………」
「あーそうか、そうだよなー。カミサマともあろうお方が人間に押し倒されて襲われました、なんて、お高すぎるプライドが邪魔して言えねーよなぁ。冥闘士達からの畏怖とか信仰心とかもガタ落ちそうだし」
「…………」
「心配すんなよ、タナトス様。彼女がいない間、たまにこうして俺の相手をしてくれれば死ぬまで…ああいや、死んでも口にチャックをしといてやるからさ」
「な…。貴様、何をふざけたことを…」

 ギリ…と歯軋りするタナトスの姿にマニゴルドは唇の端を持ち上げた。一本どうだ?と煙草の箱を差し出して何でもないことのように言葉を吐き出す。

「あのさぁタナトス様。俺には家族も恋人もいない。お師匠や昔の戦友の魂はとっくに新しい魂になってアンタが干渉出来ない場所に行っちまった。俺自身はもう、失う物なんて何も無いんだぜ。失う物が何も無い人間っつーのは厄介だぞ?脅しも人質も通用しねーからな」
「…………」
「念のために言っておくがこの時代の聖闘士を脅しに使おうとしても無駄だぜ?アンタが聖闘士や聖闘士の魂に妙な事をしたら必ずアテナが不審を抱くからな」
「…………」
「ま、俺だって聖域と冥界の間に要らねぇ揉め事を起こす気はねーよ。せっかく和解が成立したんだ、波風立てずに仲良くやっていこうじゃねーか。なぁ?」
「…………」

 完璧に整った顔を嫌悪と屈辱に染めながら、それでもタナトスは怒りで震える指で煙草を取った。それはつまり、マニゴルドの要求を呑んだということだ。
 恭しく火を差し出すマニゴルドに凄まじい一瞥を投げてそっぽを向き、銀の死神は苛々と紫煙を吐き出した。塵芥よ蛆虫よと蔑んできた人間にしてやられた神様の姿を見遣って、マニゴルドは短くなった煙草を灰皿に押し付けた。
 ベッドで胡坐をかいたまま噛み潰さんばかりに煙草を銜えているタナトスににじり寄って彼の手から煙草を取りあげる。

「じゃ、さっきの続きをやろうか?タナトス様」
「…何だと?」
「だってよー、今日は彼女を連れ込んで朝までベッドから出ないつもりでいたんだぜ?一回だけじゃ全然足りねーっての」
「…………」
「まぁでも、アンタもしんどいだろうから無理強いするつもりはねーよ。口でやってくれても一向に構わないぜ」
「貴様…!」

 怒りのあまり低く掠れた声で睨み付けてくる死神様に、死刑執行人は勝ち誇った笑みを浮かべて見せた。




 ………
 ……………
 意識がどろりと濁っている。
 自分を呼ぶ声が聞こえるがひどく遠い。頬を叩かれる感覚も曖昧だ。そんなに揺さぶるな、気分が悪い…
 
「タナトス様!おーい、タナトス様ってばよ!いい加減に眼ェ覚ませよ、このクソ神!!」
「…………、…………」

 聞き覚えのある罵倒に苛立ちを感じた時、何かに引き戻されるように意識が覚醒した。
 ずっしりと重たい目蓋をこじ開ける。数回瞬きをすると焦点が合って、心配そうな顔をした若い男の顔が見えた。
 満足に動かない舌でその人間の名前を呟く。

「マニ、ゴルド…?」
「やっと起きたか。怒鳴っても揺すってもほっぺた叩いても眼を覚まさないし、本気でヒュプノス様を呼ぼうかと思ったぜ。大丈夫か?随分とうなされてたが、悪い夢でも見てたのか?」
「夢…」

 鸚鵡返しに呟いてタナトスは額に張り付いた銀糸の髪を払った。
 頭の芯に鈍い痛みを感じる。額にも背中にもぐっしょりと嫌な汗をかいていてシャツが肌に張り付く感触がひどく不快だ。口の中は不自然に乾いて粘つき気持ちが悪い。
 のろのろと視線を動かすと、空の酒瓶と妖しい匂いを漂わせる香炉が眼に入った。悪夢の原因はあれだろうか。
 そんなことを思っていると水の入ったグラスが差し出された。グラスを差し出したマニゴルドは正しく心配そうな表情を浮かべている。

「景気良く呑んでたと思ったら『少し気分が悪くなった』って言って俺のベッドで寝ちまってさ。気持ちよく寝てるならほっとくつもりだったんだが、悪霊にでも取り付かれたのかと思うようなうなされ方してたからよ…」
「…ああ、悪夢を見ていた」
「へー。眠りの神様の兄上でも悪夢を見るのか。何か面白いな。…あ、うなされたのに面白いって言っちゃ悪いか」
「別に構わん」

 あれが夢だったのなら。
 唇の動きだけで呟いてタナトスは差し出されたグラスを受け取り水を飲んだ。口腔の不愉快な粘つきは無くなったが汗で濡れた服は不快でたまらなかった。そんなタナトスの気持ちを察したのか、マニゴルドが部屋の一角を指差した。

「汗もかいてるみたいだし、シャワー浴びてきたらどうだ?ああ、着替えなら心配すんな。俺が着てたのを使えなんて言わねーから。未使用のを出してくるからとりあえずはそれで凌げば良いだろ」
「…ああ、そうだな」

 とにかく一刻も早くこの不快感を消してしまいたい。
 タナトスはマニゴルドに勧められるままベッドから立ち上がって風呂場に向かった。汗で濡れた服を脱いで脱衣所の籠に放り込み、風呂場の扉を開けたタナトスは何気なく洗面台の鏡に目をやった。

「…………!!」

 彼は驚愕で息を呑んだ。
 鏡に映る自分の姿。白い頸にくっきりと残る赤黒い痣、指の跡。
 眼を見開き呆然と立ち尽くすタナトスの脚の内側を、汗とは違う液体が伝い落ちていった。


END

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