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体の中心から甘い快感が溢れ出す。 は…と短く吐息を漏らしたアテナは手枷を嵌められた手で敷き布を掴んだ。弓なりにしなった足が宙に浮き、寝台に落ち、またしなる。 意図的に水音を立てて乙女の花弁に唇と舌を這わせていたタナトスは、そこからとめどなく溢れ出る蜜で唇を塗らしたままアテナを組み敷くように口付けた。背けた顔を押さえつけられ、唇を奪われて、舌が割り込んでくる。 十分にアテナの口腔をかき混ぜた死の神はサイドテーブルに置いてあった小瓶の蓋を取った。エリシオンの花から採った蜜を指に絡めて再びアテナの口に指を突っ込み、彼女の舌を追い掛け回す。空いた方の手は濡れそぼる秘部を愛撫しながら時折アテナの中に滑り込んでいる。 …快楽に身を委ね切ったアテナがくたりと脱力すると、タナトスは低く笑いながら小瓶の蜜を指で掬ってぺろりと舐めた。 「全く…一体いつになったら貴女は『我々と話したかった事』とやらを思い出すのだ、アテナよ?こんなことを続けていては、蜜の味を忘れられぬどころか病み付きになってしまうぞ」 「…………」 「蜜が要らぬなら遠慮なく言うが良い。ままごとの夜伽など、俺も好き好んでやっているわけではないからな」 どこまでも透明な銀色の目を意地悪く眇めて、タナトスは寝所を出て行った。 残されたアテナは唇を噛んで掛け布を肩まで引っ張り上げた。…今夜もひとりで、ひとりだけで眠るんだと思いながら。 アテナが双子神に『拘束』されて、ベルセフォネーやヘカーテどころかヒュプノスの顔も見なくなってどれほどの時が流れたのだろう。 短気なタナトスが痺れを切らさずにいるからまだ一ヶ月も経っていないのか、それとも既に数ヶ月経っているのか。エリシオンの時の流れはあやふやで、時間の感覚はあっという間になくなってしまう。 タナトスは時折アテナの元を訪れて、『我々と話したいことが何なのか思い出したか』と尋ねては他愛もない話をしていく。茶菓子や花を持ってくることもあ れば、食事をしていくこともある。ふたりだけの茶会や食事が済んだ後にアテナを寝室に連れて行って夜伽の真似事をすることもある。処女神の誓いを立てた アテナにとっては真似事の夜伽すら禁忌かもしれなかったが、彼女は一度もタナトスを拒むことはなかった。 そんな日々を過ごすうち、タナトスの目的が何なのか察しがついてきた。 タナトスは…冥王軍は、冥妃ベルセフォネーを探している。そしてタナトスは、アテナの神話時代の記憶に冥妃を探し出す手掛かりがあると考えている。何故 冥王軍が冥妃を探しているのか、その理由をタナトスは決して口にしない。『冥王軍は冥妃を探している』、『アテナの記憶に手掛かりがある』ということを言 外に匂わせるだけだ。 ――アテナは分かっている。 死の神が自分の元を訪れてお喋りをしたり一緒に食事をするのは、彼女に神話時代の記憶を思い出させるため、引いては冥妃を探し出す目的のためだ。事実、タナトスとの会話がきっかけで埋もれていた記憶を取り戻したことが何度もある。 死の神が夜伽の真似事をしてアテナに快楽を与えるのは『重要な記憶を思い出したことへの褒美』だということもきちんと分かっている。褒美に蜜を与え、蜜 の味を覚えさせ、蜜欲しさに重要な記憶を思い出すように仕向けようとしているのだということも。 頭では十分に理解している。 処女神の自分はその甘い誘惑に負けてはいけない、毅然とし た態度で拒否しなくてはならないということも。 …でも。 それでも。 頭では偽りだと分かっていても、理性では真似事だと理解はしていても、感情は冷静な判断力を鈍らせていた。 親友ベルセフォネーと過ごした日々より先にアテナが思い出したもの、それは。 死の神タナトスへの淡い想いだった。 …私室に戻ったタナトスは、長椅子に腰を降ろした眠り神の姿に目を眇めて薄く笑みを浮かべた。 表情に乏しい弟だが、双子の兄であるタナトスはその無表情から容易に彼の感情を読み取ることができた。 「説教か、ヒュプノスよ?だったら聞く耳持たぬぞ」 「…………」 金の神は少しだけ眉を寄せ、兄が対面の椅子に腰を降ろすのを待って口を開いた。 「伝えたいことがあってきた」 「禁忌は犯しておらぬし、これからも犯すつもりはない」 「私が疑っているのはお前ではない。アテナだ。そしてオリンポスの神々だ」 弟神の質問を見越したタナトスが先回りした言葉にヒュプノスは静かに言葉を返した。白い貌から笑みを消した兄を見据えたヒュプノスは、金色の眼差しを僅かにきつくした。 「アテナはお前に特別な感情を抱いている。…気付いていないとは言わさぬ」 「だったら何だと言うのだ。我々が冥妃様を探し続けて一体どれだけの時が流れた?手段を選り好みしている時期はとっくに過ぎたと俺は思うぞ」 「今のお前のやり方で冥妃様を見つけ出せたとして、果たしてそれでハーデス様はお喜びになるか?『よく私を見つけ出してくれました』と冥妃様は喜んで下さるか?」 「!…………」 「誰も喜ばぬ手段で目的を達成して誰が幸せになれるのだ。『騙し討ちのような手段で成立させた結婚で誰が幸せになれようか』と言ったのは他ならぬタナトス、お前だったはずだぞ」 「…………」 「目的を見失うな。我々の望みは主君ハーデス様の幸せだ。皆で穏やかに暮らすことだ。極論を言えば冥妃様を見つけ出すのは手段であって目的ではない。冥妃様を見つけ出せてもハーデス様の幸せに翳りが付いて回っては意味がない。そうであろう、兄上」 真摯な表情で想いを告げて、ヒュプノスは長椅子から立ち上がり静かに部屋を辞した。 …タナトスは悪戯を咎められた子供のような顔で唇を曲げた。 (冥妃様を探し出しハーデス様の幸せな日々を取り戻す為には手段は選ばぬ。どんな犠牲を払っても構わぬ。そう、思っていた) (ベルセフォネー様さえお帰りになってくれれば、その幸せの前では多少の禁忌など問題にならぬと) (……………) (誰も喜ばぬ手段で目的を達成して誰が幸せになれるのだ、か…) タナトスは銀色の目を微かに眇めた。 弟神の懸念は理解できる。冥王臣下とは言え男神が処女神を自身の神殿に長期間滞在させていたと知れれば、あることないこと疑う者がいるだろう。夜伽の真似事を餌にアテナから情報を聞き出していた事を冥王夫妻が知ったら決して喜ぶまい。 だが。 為された事実を知る者が未来永劫口を噤んだら。為された事柄が真実だと誰も信じなかったら。それは、何も為されなかったも同然ではないのか。 しかし、とタナトスは思う。 禁忌を犯すような手段を使ったという事実もまた、振り払えない影のように付き纏うだろう。付き纏う影は次第に大きくなり、最後には全てを呑み込んでしまうのではないか。 全くもってらしくないことだが、選び取る道を決めかねたタナトスは思考の迷路に入り込んでしまった。予言の神に勝るとも劣らぬ精度を誇る直感もこんな時に限って何の答えも与えてくれない。 本来なら一番の相談相手であるヒュプノスとの会話で迷いが生じてしまった今、こんな重大な相談を持ちかけられる相手はひとりしかいなかった。 …その『たったひとり』に遣いを出す為、タナトスはニンフを呼ぶ鈴に手を伸ばした。 ………… 浅くまどろんでいたアテナは、ぴりりと神経に触れるものを感じて目を開けた。 神の力を封じる手枷を填められていても感じ取れるだけの強大な小宇宙を持ち、夜も更けてからタナトス神殿を訪れる者など限られている。 アテナはゆるりと寝台に上体を起こした。 (冥王ハーデスは眠りにつき、冥妃ベルセフォネーは行方不明だとタナトス神は言っていた。そうなると、『訪問者』はヒュプノス神か夢の四神かヘカーテの誰か…) (こんな時間になってタナトス神を訪ねて来るなんて…何かあったのかしら) なけなしの眠気もいつの間にか胡散霧消している。 アテナはケープを羽織って寝台を降りると、静かに寝室の扉を開けてそっと廊下に足を踏み出した。 神殿の廊下は静かでニンフの姿ひとつ見えない。夜だからと言うより、ここを訪れているであろう神に遠慮して神殿を辞したような雰囲気を感じる。 アテナは音を立てないように注意を払いながら重厚な扉を開けてタナトス神殿の中庭に出た。彼女の意識を覚醒させた小宇宙の持ち主は、中庭を抜けた場所にある離宮にいるらしい。 清廉な夜の空気を吸いながら中庭を見回して離宮を見遣り、アテナはそっと息を吐いた。 (私は、ここに来たことがある。ベルセフォネーに誘われて、アルテミスやヘカーテと一緒に、タナトス神殿の離宮に、軽い悪戯心で入り込んで、そして) (…そして) (双子神が眠っているのを見つけたんだわ) (その後、きつく怒られて随分と落ち込んだけど…でも、楽しかったし、嬉しかった) (嬉しかった…) 急ぎ足に離宮に向かったアテナは、そっと扉に手をかけた。 …鍵は、かかっていない。 扉の隙間からするりと部屋に入り込んだアテナは、手枷の鎖が音を立てないようにしっかりと握ってそろそろと奥に向かった。燭台やカンテラが置いてあるの で足元が見えずに困ると言うことはない。淡い明かりに照らされた見覚えのある品々に思わず微笑みつつ、最奥の間の手前に幾重にも重なっている薄絹を慎重に 開けた。 数枚の薄絹を潜った時、不意に冷たい空気を感じてアテナは足を止めた。氷の小宇宙で結界が張られているらしい…と気付き、気付いた瞬間アテナの心臓は不穏に動き始めた。 結界に触れないよう気をつけながら目を凝らすと、明かりが灯った部屋の中の様子が見えた。 「――!」 寝台の上にいるのは死の神タナトスと、月と氷の女神ヘカーテだった。ふたりは何も身に付けておらず、半ば体を重ねるようにして寝台に横たわっている。肌を露わにした美貌の女神の髪を梳きながらタナトスが話す声が聞こえる。 「…………、ヘカーテ様はどう思われますか?」 「ふふ。普段なら即断即決即実行のお前が迷っている時点で答えは出ていると思うがな」 「貴女までこの期に及んで手段を選り好みしろとおっしゃるのですか」 「神の時間は永遠だ。使うかどうか迷っている手段なら無理に今すぐ使うこともなかろう?…それよりも」 ヘカーテは両腕を伸ばしてタナトスを抱き寄せるとその唇に口付けた。 「久しぶりに会ったこの状況で他の女の名を口にすることの方がよほど問題だと私は思うが」 「…確かにおっしゃる通りです。失礼しました」 クスリ、とタナトスが笑う。 柔らかく、自然に、唇と銀色の目を綻ばせて、笑う。 女神の肌に落とす口付けも、愛撫する手も優しい想いと愛おしさを感じさせる。アテナにそうする時よりもずっと、心がこもっている。 …自身に重なるタナトスの背に指を這わせながらヘカーテが尋ねた。 「つかぬ事を聞くがな、タナトス」 「はい?」 「お前が私をここに呼んだのは、アテナを相手にした真似事で欲求不満が募ったからか?」 「何をおっしゃるかと思えば…そんな事ですか」 タナトスは呆れた顔になって大きく息を吐いた。 どんな言葉よりも雄弁に心情を語るその仕草に、ヘカーテは美しい瞳を細めて笑った。 「本当につかぬ事を聞いてしまったな。すまない」 「この状況で他の女性の名を口にすることの方がよほど問題だと俺は思いますが」 「ふふ、確かにそうだな。侘びと言っては何だが、今日は私がしてやろう」 寝台から体を起こしたヘカーテはタナトスと体勢を入れ替えた。唇を重ね、首から腹に、下半身に口付けを落としていく。男性自身に唇を這わせてふくよかな胸で包み込み愛撫すると、タナトスが切なげに眉を寄せた。 …十重二十重にかけられた薄絹の向こうに見えるその光景に、アテナの胸は不穏にざわめいた。 私の時は帯のひとつも解かないのに。 私の時はあんな笑顔なんて見せてくれないのに。 私の時はもっとずっと事務的で機械的なのに。 私の時は私を欲しがる様子なんて微塵も見せてくれないのに。 私の時は快楽を覚えている表情なんて浮かべないのに。 私の時は… 血が滲むほど唇を噛み、爪が白くなるほど薄絹を握り締めていたアテナは、大きな手に口を塞がれ、体を押さえられるまで背後に近づく気配に気付かなかった。 「――!?」 どくん、と心臓が跳ねる。 反射的に体を硬くして見開いた目を背後に動かすと、淡く光る金色の髪が視界に入った。 「……………」 騒ぐ意思はないことを伝える為に体の緊張を解くと、アテナを押さえていた腕が僅かに緩んだ。 …アテナはヒュプノスに押さえられたまま離宮を出た。 扉が軋む音も立てないように慎重に離宮の扉を閉めたヒュプノスは、アテナを押さえていた腕を離すと無言のまま本殿に向かって歩き始めた。アテナがついて来る確信があるのか、振り向く気配すらない。 広大な中庭を歩きながら、アテナは半歩先を行く金色の背中に声をかけた。 「…何も言わないのですね」 「貴女は何もかも分かっているであろう。改めて私が何か言うこともあるまい」 「ヘカーテはタナトス殿と恋仲になったのですか。一体いつからです?神話時代は『タナトスの奴、私が口説いても口説いても首を縦に振らない』と愚痴っていたのに」 「タナトスが誰を愛そうと、処女神である貴女には何の関係のないことだ」 ヒュプノスの声は低く静かで取り付く島もない。 何も言い返す言葉が見つからないアテナは、唇を結んだまま無言で眠りの神の後ろを付いていくしかなかった。 |
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