双子神2012・思慕
EPISODE 1


 賑やかな大通りから道を一本裏に入った通りに、『隠れ家』と言う名の洋菓子店がひっそりと佇んでいる。知る人ぞ知る名店の入り口には、実に控えめに『CLOSED』の札が掛けられていた。
 イートインスペースにひとり座った異世界のヒュプノスは、この店の店長である龍神秋乃に改めて会釈をした。

「連絡もなく急に押しかけて、しかも貸切にさせて申し訳ありません」
「お気になさらずお客様。当店では良くあることですから」

 にこりと笑って秋乃は厨房に戻った。
 この世界のヒュプノスと親密な仲になっている(筋金入りの方向音痴の)ヒュプノスが一人で地上に来たこと、タナトス達がこっそりと『異世界のヒュプノス がひとりで冥界を抜け出したので保護をお願いします』と秋乃に連絡を入れてきたことで、冥界で何があったのかは薄々察しがつく。この世界のヒュプノスが無 意識に彼の地雷を踏んだのだろう。
 そんなことを思いながらヤカンを火にかけて、彼女はレジに向かった。

(こっちの世界のヒュプノスさんは肝心なところでビックリするくらい鈍いし、あっちの世界のヒュプノスさんは子供なのに素直じゃないからなー。すれ違っちゃうことも、あるわよね)

 レジ台の引き出しを開けて中をごそごそしてから、秋乃はティーセットとヒュプノス好みのケーキをトレイに乗せて客席に足を向けた。



 …テーブルの上で指を組んで難しい顔をしていたヒュプノスは、ケーキと紅茶に続いてレターセットとペンを差し出されて怪訝そうな顔になった。

「秋乃、これは?」
「悩みって、言葉にすると急に解決策が見えてくるんですって。一度自分の気持ちを紙に吐き出してみたらどうですか?」
「…私が悩んでいるように見えましたか」
「顔に大きく『悩み中』って書いてありますよ」
「え、そんなに?」
「これでも私、冥妃ですよ?タナトスさんやヒュプノスさんが悩んでいたら、ハーデスやヘカーテさんの次くらいに早く気がつく自信があります」
「流石ですね」

 ヒュプノスが苦笑すると、秋乃は微かに微笑んで斜め向かいの席に腰を降ろした。
 …香りの良い紅茶を口に含み、最高のケーキを一口食べて、ホッと息を吐いてヒュプノスはペンを握った。何から書こう、としばし思案し、思いつくまま書けばよいのだと便箋にペンを走らせた。

『ヒュプノスがまたパシテアパシテアと言っていた。異世界から私が来ているのに。以前も、私がいるのに嬉々としてパシテアの名を出していたから、思い切り 腹を立てて見せたのに、またパシテアパシテアだ。パシテアはヒュプノスの妻だし、ヒュプノスがパシテアを気にかけるのは当たり前だ。私だってそれはちゃん と分かっている。しかし』

 ペンを持つ手がそこで止まった。
 ヒュプノスは深刻な顔で『しかし』の文字を二重線で消し、『だから』と続けた。
 分かっている。だから。
 ヒュプノスは冥妃に目を向けた。彼女はスケッチブックを広げて新作ケーキのデザインを描いている。声を掛けて良いものかしばらく悩み、一呼吸置いて口を開いた。

「あの、秋乃」
「…はい?」
「この世界のパシテアが冥界に戻ってきたら、私は、こちらの世界に来るのをやめようと思っています」
「…………」
 
 突然の告白に驚いた様子も見せず、秋乃は薄く青みがかった目を瞬いてゆるりと首を傾げた。

「やめちゃうんですか」
「はい。その方がいいと思うんです」
「そっか」

 色鉛筆をスケッチブックの上に転がして、秋乃は頬杖をついた。

「寂しくなりますね」
「寂しい?」
「はい。ヒュプノスさんがこの世界に来るのをやめちゃったら、私、すごく寂しいです。タナトスさんもヒュプノスさんもハーデスもヘカーテさんも、きっと沙織さんや聖闘士の皆さんも寂しがると思うな」
「…パシテアが戻ってくれば寂しくなんて」
「ありますってば。パシテアさんはパシテアさん、ヒュプノスさんはヒュプノスさんでしょ。新しく友達が出来たから今までの友達がひとり減っても寂しくない でしょとか、そんなこと絶対無いです。新作ドーナツが発売されたから今までの定番ドーナツひとつカットします、って言われたら、ヒュプノスさんだって『や めてー!』と思いませんか?」
「私はドーナツですか」

 ヒュプノスが先程よりは緊張のほぐれた苦笑を浮かべると、秋乃は柔らかく笑んで『だから』と話を続けた。

「ヒュプノスさんが来なくなってしまったら皆寂しいしがっかりするし、『何か悪いことをしただろうか』ってすごく気にします。だから、どうしてこの世界に 来るのをやめようと思ったのか、考えや気持ちを言葉にして皆に伝えてください。黙っていなくなっちゃったら、遅かれ早かれ冥界の皆が理由を聞きにそちらの 世界に押しかけますよ」
「…………、…………」
「逆に言えば、私にも言えない理由でこちらの世界に来るのをやめるなんて、ダメよ〜ダメダメ、ってことです」
「…………」
「勿論、今ここで理由を言えなんて言いません。その時が来るまでに考えをまとめておいて下さい」
「…はい」
「ところで話は変わるんですけど。こちらの世界のヒュプノスさんって本当〜〜にニブチンですよね」

 ゴフッ。
 気を抜きかけたところに鋭い一撃が来て、ヒュプノスは飲みかけた紅茶で盛大にむせた。ナプキンで口を押さえてひとしきり咳き込んでから真っ赤な顔で秋乃を睨んだ。

「秋乃…分かってて言いましたね?」
「はい?」

 憎ったらしいほど素敵な笑顔でとぼけて見せて、彼女は紅茶を注ぎながら話を続けた。

「とにかくヒュプノスさんはニブイんですよ!この間、タナトスさんヒュプノスさんとマニゴルドさんとシラーさんの5人でクリスマスパーティーの準備をして いる時に荷物が届いたんです。お菓子の材料とか、パーティーグッズとか。そしたら、シラーさんとマニゴルドさんと、タナトスさんまで私が何も言わなくても 荷物の片付けを手伝ってくれてるのに、ヒュプノスさんだけクリスマスパーティーのインテリア雑誌を眺めてるんですよ。優雅にお茶を飲みながら。ありえない でしょ!?」
「それは…ありえませんね」
「タナトスさんが『秋乃様まで働いているのに何故臣下のお前がボサッとしてるんだ!手伝え!』って怒鳴って初めて慌てて手伝いに来るんですよ?マニゴルド さんは『あれでよく嫁さんゲットできたな』って感心して、シラーさんは『奥方様が戻っても、あれじゃすぐ実家に帰っちゃうんじゃないかなぁ』って呆れ返っ ちゃって。それでヒュプノスさんは何て言ったと思います?『手伝いが必要なことなど言われなくては分からぬ!』って逆切れですよ!ソッコーで『言われなく ても気づけ!!』って言われてましたけど」
「あー…」
「だからヒュプノスさんも、こっちの世界のヒュプノスさんに分かってほしい事があったらド直球で言わないとダメですよ。『荷物がたくさんで重たいなー』って言っても気付かない、『荷物が重たいから代わりに持って』と言わないと分からない人なんですから!」
「あ、あはは…」

 思い出し怒りでぷんすかしている秋乃にスプーンを突きつけられて、ヒュプノスは笑い出してしまった。自分の気持ちを何も察してくれないヒュプノスに腹を立てていたのが何だか馬鹿馬鹿しく思えてくる。
 …淹れ直してもらった紅茶にミルクを入れてかき混ぜながら、ヒュプノスは口を開いた。

「私の…兄の、タナトスなんですが。最近はこちらの世界に来ても地上に遊びに来る時間が少なくなったでしょう?」
「そうですね。私のお店には顔を出してくれるけど、皆に顔を見せたらそのまま冥界に帰ってるみたいです。前はもっと、街に出てタナトスさんのファンに会ったりしてたのに」
「タナトスが不満を訴えたそうです。『せっかく俺が遊びに来ているのに、タナトスはニンフやファンに会いすぎだ!俺はタナトスとふたりでもっと遊びたいの だ!』と。こちらのタナトスは、私の兄を連れてファンに会えば私達も人々の信仰心を集められる、そうすれば神の力を取り戻す手助けになると考えていたよう で、とても驚いていたそうですが」
「そっか。こちらのタナトスさんが良かれと思っていたことが、そちらのタナトスさんにとってはそうじゃなかったんですね」
「言いたい事はズケズケ言い合うタナトス同士でも、言葉にしないと分からないことがあるのかと思ったものです。…だから、」

 ぐるぐると渦を巻いてベージュに染まっていく紅茶に視線を落としたままヒュプノスは言葉を押し出した。
 だから。

「私も、自分の気持ちを、はっきり言葉にして、伝えないと。と、思うの、ですが…」
「そんなに肩に力を入れなくても大丈夫ですよ、ヒュプノスさん。マニゴルドさんに突っ込みいれる時と同じノリで言えばいいんです」
「そ、そうか。あの蟹座に突っ込む時と同じで良いのか。う、うん、少し分かった気がします」

 分かった気がすると言いながら、まだ目が渦巻いているヒュプノスを見て秋乃はテーブルに身を乗り出した。

「…ねぇヒュプノスさん。肩の力を抜くのを兼ねて買い物に行きませんか?気分転換、しましょ」
「買い物?」
「そう。実は私、新作ケーキのデザインで煮詰まってて…。こういう時は買い物に行って気分転換するといいアイデアが浮かぶってジンクスがあるんです」
「ナイスアイデアですね。では冥妃様、私は荷物持ちをさせていただきましょう」
「うふふ、ありがとうございます。ヒュプノスさんが荷物を持ってくれるなら、久しぶりに業務用スーパーに行こうかな」
「業務用スーパー?」
「そう。会社とかお店とかで使う、大容量パックの商品がいっぱい置いてあるスーパーです。2リットルのペットボトルに入ったドレッシングとか、まな板みたいな大きさのカレールーとかあって、見てるだけでも楽しいんですよ」
「それは是非見てみたいです」
「じゃ、決まり!業務用スーパーにレッツゴー!です!」

 にこりと笑った秋乃は、スケッチブックに描いたデザインのいくつかに丸をつけて色鉛筆を置いた。


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星矢部屋
総合目次
SS・2012 時代
SS・神話時代
SS・蟹座達



  コラボでお世話になっている蝶様に向けて作った完全ネタSSです。蝶様から頂いたリクは「蝶様ヒュプと龍神秋乃のデート」でした。あまりSSでは出てきま せんが、当双子神と蝶様双子神は「そういう仲」になっていて、彼らの関係者(主に女性)の間ではそれは公然の秘密になっています。つまりタナタナやタナ ヒュプタナの仲はヘカーテ様公認(笑)。別居中のパシテア(ヒュプノスの妻)は流石に彼らの関係は知りません。
 で。例に拠ってツイッターで色々お話している時に、「蝶様ヒュプがこちらの世界に来ているのに無神経にパシテアの話をするヒュプと、それに腹を立てつつ パシテアに気を使って身を引くことを考える蝶様ヒュプ」という話から発展してこうなりました。私個人としては、「パシテアが戻ってきた時にひと悶着あるか もしれないけど、何だかんだで丸く収まって双子神達の関係は続行する」と思っています。
 後編は、蝶様ヒュプと秋乃が業務用スーパーでデートして、皆でカレーパーティー開催してワイワイやる話になる予定です。