| 胡坐をかいて壁に向かった杳馬は思いっきり肩身を狭くして煙草に火をつけた。肺に吸い込んだ紫煙をこれでもかと遠慮しながら口の端からそろそろと漏らす。 ああ、居心地悪ィったらありゃしねェ。 煙草の端をギリギリと噛みながら視線だけを動かすと、銀と金の幼い神様ふたりと白黒ツートンの動物が二匹視界に入った。銀と金はいわずと知れた異 世界の双子神。白黒の片方は蟹座の飼い犬イギーで、もう片方は双子神が異世界から連れてきた牛っぽい動物の『イギュー』だ。二神と二匹は杳馬に好感を持っ ていないので、とどのつまり今の杳馬は思いっきりアウェーの状態なのだった。 ちなみに彼らがいるのは、アテナこと城戸沙織がスポンサーとして作成している『アテナ戦隊ゴレンジャー』撮影スタジオの控え室である。異世界の双子神は グッ ズのCM撮影のため(なので半分着ぐるみのようなパーカーを着ている)、杳馬は本編の撮影のために呼ばれてスタンバイしている…のだが、いつまでたっても スタッフが呼びに来ないので、何とも微妙な空気が部屋に充満していた。ちなみに大人の双子神とシラーも一緒に控え室にスタンバイしていたのだが、彼らはそ れぞれの撮 影のために呼ばれて部屋を出て行ってしまったので居残り組の気まずさは倍率更にドン状態だった。 …かすかな煙草の匂いにムズムズする鼻を感じながら、タナトス少年は膝に乗ってくるボストンテリアを抱き上げて傍らの弟を見遣った。 「今日は随分待たされるな、ヒュプノス」 「そうだな。普段ならとっくに撮影が始まっているであろうに。何かトラブルでもあったのだろうか」 「むう」 タナトスは僅かに鼻の頭に皺を寄せた。 長時間待たされたせいで小腹が空いてきた。撮影が終わったら皆で食べようと思っていたうまい棒が鞄に入っているから、つまみ食いしてしまおうか。でも、 タナトスが菓子を食べていたらイギーが欲しがるだろう。飼い主に断りもなく犬に菓子を食べさせるのはダメだが、だからと言って菓子を欲しがる犬を無視して 自分だけ食べると言うのも気が進まない。 そんなことを考えていると控え室のドアがノックされてスタッフが顔をのぞかせた。杳馬も双子神も、自分達のどちらかが呼ばれて気まずい空気から抜け出せるかと期待したが。 スタッフはそんな彼らの反応にすごーくすまなそうな顔をしながら口を開いた。 「あの、お待たせしているのに申し訳ないのですが、機材のトラブルが発生しまして…今しばらくお待ち頂きたく」 「む…」 「…………」 「しばらくって、具体的にどのくらいか分かりませんかねェ?」 「ううーん…。今、トラブルの原因を探しているので、その原因次第なので何とも…」 「じゃ、ちょっと外の空気吸いに行ってもいいかなァ?」 「案外すぐに修理が終わるかもしれないので、できればこの部屋でお待ち頂きたいのですが…」 フーッ。 スタッフの困った顔を見た杳馬は思いっきり煙草の煙を吐き出した。 機材がトラブったということはスケジュールに乱れが起きたと言うことで、それはつまり、修理が終わったら一分一秒でも早く撮影を始めたいということだ。修理が終わった 時に役者が控え室にいないので探して呼び戻さなくちゃいけませーん、なんて事態になったら、上から叱責されるのはこのスタッフだと言うことくらい杳馬も分 かっていた。 分かる、分かるよ。下っ端はつれーよなァ。 杳馬はシルクハットをちょいと直して肩を竦めて見せた。 「りょーかい。ここでスタンバイしてますよ。部屋から出なきゃいいんでしょ?」 「申し訳ありません」 本当に申し訳なさそうに頭を下げたスタッフが出て行くと、杳馬は煙草を灰皿に押し付けて双子神に目を向けた。…途端、威嚇の唸り声を上げる犬と牛(っぽい動物)に情けない顔になりつつ口を開いた。 「あのですね、双子神様。物は相談なんスけど」 「「何だ」」 「この狭い部屋の中で俺っちと一緒に缶詰はおふたりも息苦しいっしょ?ちょいとお出かけしません?」 「そうしたいのは山々だが、この部屋から出てはいけないのだろう?出かけようがないぞ」 「そこなんスけどね。『部屋から出るな』とは言われましたが『出かけるな』とは言われてないっしょ?」 「?」 「何が言いたい」 「俺の力でタイムトラベルとかどうでしょ?部屋から出ないでお出かけできますよ。勿論、俺が責任持って安全なところにお連れします。スタッフが呼びに来たら、俺がちょいと時空を越えてお迎えに行きますんで。行くのも一瞬、戻るのも一瞬。悪くねェと思いますけどね」 「「…………」」 双子神は顔を見合わせた。 現在の肩書きはいち冥闘士の杳馬だが、時の神カイロスの力も多少は使えるらしい。彼が双子神に危害を加える理由は無いし、ふたりに万一があったらこの世 界の双子神やハーデスから叱責されるでは済まない事も良く分かっているだろうし、『待っている時間だけ安全なところにタイムトラベル』を勧める言葉に裏は 無さそうだった。 なら、彼の申し出を受けて良いのではないか。 無言で意思疎通したふたりは頷いて杳馬を見遣った。 「いいだろう。お前の提案に乗るぞ」 「私もだ」 「そうこなくっちゃ!では早速、善は急げってことで」 杳馬はいそいそと立ち上がって掲げた右手の人差し指に小宇宙を集めた。集まった小宇宙はマーブル模様を描いてグルグルと回りだす。 「ではお二方、この渦の中に入ってくんな」 「うむ」 「分かった」 「…では行きますぜ…リアルマーベラス!」 杳馬を中心に渦巻いたマーブル模様は彼と双子神を包んでぐにゃりと歪み、部屋から消えた。 薄く曇った世界に不意に渦が生まれ、マーブル模様が流れ、杳馬と幼い双子神が姿を現した…瞬間。 どさっ!ごち!! 「「あべしっ!!」」 オデコから地面に落下した双子神が同時に同じ悲鳴を上げた。 ふわりと地面に降り立った杳馬が呆れた顔で呟いた。 「あらー、こっちの双子神様は空を飛べなかったんですかい。こりゃまた存じませんで、失礼しました。断じてわざとじゃねェっすよ」 「うー…。…ところでメフィストよ、ここはどこだ」 「それを聞くなら『いつの時代だ』であろう、タナトスよ。私達はタイムトラベルしたのだから」 「それもそうか。メフィストよ、今はいつだ」 「過去ッす」 「過去?それだけでは分からぬぞ」 「具体的にいつの時代なのだ」 「具体的にと言われましても、暦ッつーものが存在して無い時代なので説明のしようが…」 「「へ?」」 「おっといけねぇ、『現在』に残してきた犬と牛が騒いでるっぽいから俺は失礼しますよ!スタッフが呼びに来たらすぐにお迎えに上がりますからね、じゃ!」 「「ちょ」」 双子神が止める間もなく、杳馬はマーブルの渦の中に消えてしまった。 はぁ…と溜息をついてふたりは辺りを見回した。薄闇の霧の向こうに大きな屋敷が見える。初めて見る屋敷ではあったが、流れる風の匂いとその屋敷から感じる小宇宙で、ふたりはここがどこなのか用意に察することが出来た。 …冥界の最深部タルタロスに住まう夜の女神ニュクス…つまり双子神の母神…の館である。 「まさかこの世界のタルタロスに連れてこられるとはな。…で、結局いつの時代なのだ」 「暦が存在しない時代、と杳馬は言っていた。恐らく神話の時代であろう」 「また随分と昔に連れてこられたものだな。母様の神殿があるからこの世界のタナトスとヒュプノスもいるだろうが…」 「私達のことは知らぬだろうし、説明が面倒だな」 異世界に放り込まれるのはこれで二度目なのでふたりは落ち着いたものだった。手を繋いでニュクスの館に向かうと、神殿の門前で漆黒の女神とバッタリ出くわした。 漆黒の髪、漆黒の瞳、漆黒の翼、そしてタナトスにとても近しい小宇宙を纏った女神。異世界の双子神が知っている彼女とは少々容姿が違うが、誰なのか分からなくて困ると言うことはなかった。 タナトスが声を掛けようとした時、女神の方が先に声を掛けてきた。 「あれ?タナトスにヒュプノスじゃない。さっき出かけたと思ったらもう帰ってきたの?って言うか、何?そのヘンテコな服は。…ん?あれ?あんた達、タナトスとヒュプノス…よね?」 「ええと…ケール、姉上」 「何でそんな自信なさげに言うのよ。つーか、私の質問に答えなさい。あんた達、タナトスとヒュプノスよね?」 漆黒の女神…死の運命を司る神ケールは両手を腰に当ててふんぞり返った。 「確かに俺はタナトスで、こちらはヒュプノスですが」 「私達はこの世界のタナトスとヒュプノスではありません。別の世界から来たのです」 「…はぁ?」 ケールは漆黒の睫毛に縁取られた漆黒の瞳をぱちぱちと瞬いた。 「なーるほどねぇ。時の神カイロスの悪戯かぁ。ま、確かにあいつだったらやりそうよね、そういうこと」 卓に肩肘をついたケールがウンウンと頷いた。 一から十まで事細かに話していたら時間がいくらあっても足りないので、双子神は『自分達は時の神カイロスの悪戯で世界の境界を越え、この世界の双子神と 仲良くなり、今日またカイロスの悪戯で過去に飛ばされた。神の小宇宙がなくなっているのは時空を越えたため』とだけ話したのだ。ケールはカイロスの噂は 知っていたので話は早かった。 「で、しばらくしたらカイロスが迎えに来るのね。いいわよ、それまでここで遊んでればいいわ。私もひとりで留守番してて暇だったのよね」 「ひとり?他の兄弟姉妹はいないのですか?」 「先程の話だと、タナトスとヒュプノスはいるようですが」 「タナトスとヒュプノスはケルベロスの散歩に行ってるわ。母上は地上に夜を与えに行ってるし、弟や妹はいるけどまだ赤ちゃんだから。あ、お菓子食べる?」 「頂きます」 異世界の双子神は差し出された菓子を口に入れた。 ケールは少女のような姿をしているし、彼女がふたりをこの世界の双子神と見間違えたと言うことはこの世界の双子神もまだ子供と言うことで、他の兄弟姉妹 が赤ちゃんと言うことを鑑みると、この時代は神話の時代でも相当古い時代と考えてよさそうだ。農耕神クロノスどころかヘカトンケイルやキュクロプスも生ま れていないかもしれない。迂闊に未来の話は出来ぬな…と、言葉少なにふたりが菓子を齧っていると。 「ただいま帰ったぞ、姉上!」 「姉上、ただいま」 聞き覚えのある声がして、背中に光り輝く翼を持った少年神がふたり姿を見せた。 半ば小走りに部屋に入ってきた銀色の少年は卓に置いてあったジュースを断りもなく一気飲みして姉に話しかけた。 「姉上。俺は、ついにワイバーンを見つけたのだ」 「…ちょっと待て、タナトス」 「以前ヒュプノスに負わされた傷がまだ完全には癒えていないようだから今戦いを仕掛けるのは少々卑怯な気もするが、これ以上リベンジの時を待ってはいられぬ」 「タナトス、あのさ」 「逃げられる前に決着をつけようと思ってな、グリフォンとガルーダを連れて出直そうと思って戻ってきたのだ。ついでに腹ごしらえもしようと…ん?」 金色の少年神やケールの言葉を無視して一方的にまくし立てつつ菓子に手を伸ばした銀色の少年神がそこで初めて異世界の双子神に気付いた。無遠慮にふたり をジロジロと見て、怪訝そうに首を傾げ、冷ややかな目で立っている金色の神を見、あきれ返っているケールを見、笑いを堪えている異世界の双子神を見、手を 伸ばした菓子を口に放り込んで噛み砕きながら再度ケールを見た。 その視線の意味を理解したケールが頬杖をついたまま言った。 「別の世界の未来から来たあんた達よ」 「別の世界の未来から?一体何故…」 「俺の子分になりに来たのか!」 「んなわけないでしょ。カイロスの悪戯でここに飛ばされたんだって。ついでにそのせいで神の小宇宙までなくなってるんだって」 「カイロス?…ああ、あのふざけた時の神か。兄のクロノスにやたら対抗心を燃やしているとか言う」 「あの胡散臭い神ならやりかねぬな。私達にこんなふざけた服を着せているし」 「あ、いや、この服はカイロスに着せられたわけではないのだが…」 「面白そうだからいろいろ聞きたいのは山々なのだが、生憎と俺は忙しいのだ。詳しいことは帰ってから聞こう」 異世界の未来から来た自分達、と言う言葉も事実もケロリとした顔で受け流した銀の少年…タナトスが菓子を口に頬張った。そんな兄神を呆れた顔で一瞥して、ヒュプノスが金色の目を異世界の双子神に向けた。 「一応の事情は分かったが、大丈夫なのか?その…ふたりは元の世界に戻れるのか?」 「それは心配ないぞ!」 「しばらくしたら迎えに来るとカイロスは言っているし、その言葉を信用できるだけの理由もある。いつ迎えに来るのかは分からぬが、逆を言えばそれだけだ」 「そうか。ならば良いのだが」 「…ふむ」 口いっぱいに頬張った菓子をジュースで流し込んだタナトスがくるりと銀色の目を回して、最高のアイデアを思いついたと言う顔で異世界の双子神をじっと見つめた。 「ではお前達、俺達と一緒にワイバーンを倒しに行かぬか?どうせ、カイロスが迎えに来るまですることもなくて暇なのだろう?」 「「え?」」 「タナトス、何を馬鹿なことを」 「こっちのあんた達は神の小宇宙を無くしてるのよ。ワイバーン相手に戦える力なんてないでしょ」 「別に戦わなくとも良い。ワイバーンを倒すのは俺だからな、グリフォンやガルーダに乗って敵の霍乱を手伝う程度で構わぬ。どうだ?」 「うーん…」 一緒に行きたいには行きたいが、小宇宙が使えず戦力外の自分達が同行したら逆に足手まといではないだろうか。異世界のタナトスは少し迷って、隣にいる弟にコソリと囁いた。 「どう思う、ヒュプノス?俺達が一緒でも大丈夫だろうか。邪魔にならぬだろうか」 「邪魔になるならぬ以前に、私達が関わることで歴史が変わってしまう心配をしたらどうなのだ」 「その程度で歴史が変わるなら、そもそも杳馬は俺達をこの時代に連れて来たりはせぬ。邪魔になるかならぬか、それだけ考えろ」 「私達が関わっても歴史が変わらぬなら、私達が邪魔になろうとなるまいと、タナトス達がワイバーンにリベンジするという結果は変わらぬぞ、タナトス」 「そうか。俺達が一緒であろうとなかろうとタナトスはワイバーンを倒すのは決まっているのだな。ならば答えはひとつだ!」 弟の言葉にパッと顔を輝かせたタナトスは、にこりと笑って宣言した。 「分かった。一緒に行くぞ、タナトス!」 ――四人の少年神を乗せたケルベロスが奈落の空を飛ぶ。 その後ろにはガルーダとグリフォンが付き従っている。魔犬の背に無造作に腰掛けたこの世界のタナトスは、鼻の穴を膨らませて異世界の自分を相手に話をし ていた。ちなみに異世界の双子神は、『そのヘンテコな服は目立ちすぎて危ない』と言われて、この世界の双子神と同じキトンに着替えて同行している。 「…と言うわけで、ワイバーンにやられた俺は生死の間を彷徨っていたのだ。ようやっと意識が戻って、さぁリベンジに行くぞと思ったのだが、母上もヒュプノ スも『体調が万全になるまでは挑んではならん』と口やかましくてな。時間を与えれば与えるほど奴は回復してしまうのに…じれったくてたまらなかったぞ」 「そうか。では今日は、満を持してリベンジと言うことだな!」 「うむ。異世界とは言えお前も俺ならば、俺とヒュプノスだけでワイバーンを倒すと言う言葉に嘘はないゆえな!」 「…ケルベロス達が一緒の時点で私とお前『だけ』ではないのだが…」 「そんな正論など言うだけ無駄だぞ、異世界の私よ。タナトスには通じぬ」 「うむ、良く分かっている」 「そうか…」 「そうだ…」 お前も、理屈の通じぬ兄神に苦労しているのか。 幼い眠りの神は短い言葉で意思疎通し、ハーッと溜息をついた。それが、兄神の耳に入らないことは百も承知だったが。 奈落の空を駆けていたケルベロスが足を止めた。濃密な霧の向こうで赤く光る眼を見つけて、この世界のタナトスが己の小宇宙を具現化させた大鎌を構えた。 「俺が最初に行く。お前とお前の弟はケルベロスに乗って奴の注意を逸らせ。ヒュプノスは俺を援護しろ。いいな!」 返事も待たずにタナトスはケルベロスの背から飛び立った。 ――ゴォォォォォオオオ!! 霧を裂くように響いた翼竜の咆哮が奈落の空気を震わせた。 |
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