双子神2012・怪盗
EPISODE 3



「………」

 ヒュプノスは目を開けた。
 頭の芯に微かに残る眠りの残滓を感じつつ、パソコンデスクに突っ伏す形になっていた頭を上げると、力を放出した芥子の一枝が何かの名残のようにモニタの前に置いてある。
 時計を見るとヒュプノスが眠っていたのはほんの数分間だったらしい。
 意識がなくなる直前に見えたタナトスの悪戯っ子のような笑顔を思い出し、一体あいつは何をしたかったのかと首をひねった。妻への恋文添削をしてやろうと いう申し出を突っぱね続けてきたから、推敲途中の恋文を盗み見るためにこんな面倒なことをしたのだろうか。…あいつならやりかねないが。
 しばらく操作をしなかったせいでパソコンのモニタは暗くなっている。マウスを動かして画面を出したヒュプノスは軽く小首を傾げた。
 起動した覚えのない動画ソフトが立ち上げられて、純粋そうな眼の娘と辛子色のコートの中年男が一緒にいるシーンで一時停止されている。名作と名高いこの アニメは数日前にタナトスと一緒に鑑賞したな…とヒュプノスは思った。何でも、辛子色のコートの刑事が最後にヒロインに告げた言葉は名言として語り継がれ ているとか。
 この動画を準備していったのはタナトスで間違いない。何の意図があるのかと怪訝に思いながら再生ボタンを押した。
 辛子色のコートの刑事が言う。

『ルパンめ、まんまと盗んで行きおった』

 少女は真摯な表情で答える。

『あの方は何も盗んでおられませんわ』
『いや、奴はとんでもないものを盗んでいきました』
『?』

 不思議そうな顔の少女に刑事は真面目な顔で言う、あの語り継がれる名言を。

『あなたの心です』
『……はい!』

 少女の輝かんばかりの笑顔を優しい顔で見遣った刑事はこれまたお約束のセリフで一連の名場面をしめる。

『むわぁ〜てぇ〜、ルゥ〜パァ〜〜ン』

 動画はそこで止まった。
 ヒュプノスは首を捻った。これが一体何なのか、タナトスの意図がさっぱりわからない。動画にはまだ続きがあるので一体何だと思って見ていると、場面が少しばかり巻き戻った。
 辛子色のコートの刑事が言う。

『奴はとんでもないものを盗んでいきました』
『?』
『あなたの恋文です』

 はぁ〜〜〜〜。
 ヒュプノスは地の底から出るような深い深いため息をついた。
 あの馬鹿兄貴は一体何がしたいのだ。恐らくモルペウスあたりを捕まえて刑事の声真似をさせたのだろう、ご丁寧にセリフを吹き替えた動画を作って、わざわざヒュプノスを眠らせるなどと手の込んだことまでしてこんなものを見せて。
 まぁ確かに、昔から変な方向に凝り性と言うか下らない事に妙に張り切る癖はあったが。
 後で理由を聞いてやるかと思いつつ、妻に宛てた恋文のテキストファイルを開いたヒュプノスは目をぱちくりさせた。
 …ない。
 数日間、頭を捻って書き綴った妻へのメッセージが、一文字もない。開くファイルを間違えたかと思って確認したが間違っていない。
 何か手順を間違えて内容を消してしまっただろうかと思ったその瞬間、ヒュプノスはタナトスが作った動画の刑事の言葉の意味を理解した。

『奴はとんでもないものを盗んでいきました。あなたの恋文です』

 奴はあなたの恋文を盗んでいきました。
 あなたの恋文を盗んでいきました。

「………!!!」

 あの馬鹿兄貴!!
 ヒュプノスが蒼白になって椅子を蹴立てて立ち上がった、その時。
 部屋の窓にこつんと小石が当たった。
 嫌な予感をビシビシ感じて窓に駆け寄り見下ろすと、実に愉快そうな笑みを浮かべたタナトスと、何とも複雑な面持ちの夢の四神がヒュプノスを見上げていた。

「タナトス、お、お前、一体、どういう……」

 怒りと焦りで舌が回らない弟神に、兄は溢れんばかりの微笑みを浮かべて片手に持った何かを掲げて見せた。
 指先ほどのサイズの小さな道具…名前は確か、USBメモリとか言ったか。あんなに小さいのに、膨大なパソコンのデータを保存できるとか…。パソコンのデータ……。

「!!!!」

 消えてしまった妻への恋文の行く先が分かったヒュプノスは、顔を引きつらせ全速力で部屋を飛び出し、階段を駆け下り、神殿を出てタナトスのいる中庭に走った。
 ひょっとしたら逃げてしまっているかもしれないと危惧していた兄神はまだ中庭で待っていた。忌々しいほど楽しげな笑みを浮かべて。

「タナトス、お前…!!」
「ヒュプノス様、お待ちください!」
「落ち着いて!それ以上タナトス様に近づいてはいけません!!」

 勢いに任せてタナトスに掴みかかろうとした瞬間、オネイロスとモルペウスが全力でヒュプノスを押し留めた。
 息子達の必死の表情に僅かばかりの冷静さを取り戻したヒュプノスは、足元にライン替わりらしい布が置いてあることに気が付いた。
 不吉な予感をひしひしと感じながらタナトスを見遣ると、銀の神は水戸黄門の印籠のごとく携帯を差し出して見せた。

「ヒュプノスよ。今からゲームの説明をする故、その線の内側でちゃんと聞いていろ。途中でラインを越えたら、お前が妻に宛てた熱烈で恥ずかしい恋文が俺の 友人知人全員…具体的にはアテナとその聖闘士、秋乃様とL、ぼたんとコエンマ、魔界の要職に就いている妖怪達、各国の死神、あとは天界の神々だな…に、送 信されるぞ。もちろんお前の息子達やハーデス様やヘカーテ様にもな」
「…………」
「そういうわけですのでヒュプノス様、今は落ち着いて説明を聞いてください」
「ヒュプノス様がゲームに勝てば、奥方への恋文はきちんと返ってきますから。まずはルールを聞いてください」

 いいですね、絶対に線を越えてはダメですよともう一度念押しして、オネイロスとモルペウスはじりじりと後ずさりしてタナトスの横に並んだ。
 …先程の夢は何かの予兆だったのだろうかと、ヒュプノスはちらりと思った。
 タナトスはうきうきと楽しそうな笑みを浮かべ、オネイロスとモルペウスは同情気味かつ気の毒そうな顔をしていて、パンタソスとイケロスは口をへの字にしているが、それは爆笑したいのを必死に堪えるあまりしかめっ面になっているだけだろう。
 ヒュプノスは不機嫌オーラを惜しみなく発散しながら腕を組んだ。タナトスは変なところで律儀だから、とりあえずルールさえ守っていればいきなり恋文がばらまかれることは無い…はずだ。まずは話を聞いて作戦を立てなくては。
 タナトスはヒュプノスが話を聞く態度を見せたので鷹揚に頷き、オネイロスを見遣った。

「よし。ではオネイロスよ、ゲームの説明をしてやれ」
「…畏まりました」

 浅くため息をついてオネイロスは一歩前に出た。懐を探り、書類と玩具の手錠と携帯を取り出した。

「では、ルール説明の前に簡単な配役を発表致します。まず、ヒュプノス様の恋文を盗んだタナトス様は怪盗ルパンです。アルセーヌではなく三世の方の」
「その補足は余計だ、言われなくとも分かる」
「失礼しました。ヒュプノス様は銭形警部、ヘカーテ様は峰不二子。私達は次元とか五右衛門とか、その辺です。ハーデス様はゲスト的に銭形に協力するキャラだそうです」
「…私が銭形と言うのは分からなくもないが、ヘカーテ様が不二子?今回のゲームにどういう関係が?」
「見た目的に適役だと思ったのでな、場を華やかにする意味でお願いした。ゲームとの関係や深い意味は特にない」
「………」

 タナトスは胸を張ってドヤ顔で答えた。
 ヒュプノスとオネイロスとモルペウスは最早突っ込む気力もなく、パンタソスとイケロスはひたすら笑いをこらえて肩を震わせている。
 気を取り直してオネイロスが説明を続けた。

「ゲーム終了時間は午後3時。それまでにヒュプノス様が本物のタナトス様を捕まえて、『逮捕だ』というセリフと共に手錠をかければヒュプノス様の勝利とな り、奥様への恋文は誰にも渡らずに返されます。捕まえられなかった場合はゲームオーバー、恋文のデータはタナトス様の友人知人に送信された後に返されま す」
「『本物の』タナトスとは何のことだ?」

 勝利条件云々には最早あれこれ言う気もなかったが、『本物のタナトス』と言う単語には引っかかるものを感じた。よくよく考えれば、タナトスがオネイロス達夢の四神を仲間に引き込む理由も分からない。
 ヒュプノスの質問にオネイロスはますます気の毒そうな顔になって答えた。

「ルパンは変装の天才と言う設定に則りまして、私達夢の四神がタナトス様に姿を変えて一緒に逃げます」
「………」
「ですので、私達が変身した『偽のタナトス様』を捕まえるとお手付きとなり、ランダムに選ばれた誰かに恋文のデータが送られます。尚、私達がタナトス様の 真似を手抜きしたり、ヒュプノス様に味方して『自分は偽物だ』と告白するような行為があった場合もお手付きと見做されます…」
「ちょ…何だそのハイリスクなペナルティは!」

 それまで我慢してゲームのルール説明を聞いていたヒュプノスは思わず叫んだ。
 データが送信された相手が息子達やコエンマなら中身を見ずに処分してくれるだろうが、天馬星座やアレスに行ったらと考えると想像するだに恐ろしい。
 ヒュプノスは真顔でタナトスに抗議した。

「タナトス、そのお手付きルールは厳しすぎる。いくら私でも、お前本人とお前に変身した息子達の違いは簡単には分からぬ、もう少し緩和してくれ」
「………。オネイロスやモルペウスもお手付きに関するルールは厳しいと言っていたな。…ならば2回目からペナルティとか…」
「そういう方向性ではなく、もっとこう、私が本物と偽物を見分けやすくする要素を入れてくれぬか」
「例えば?」
「例えば……」

 ゲームの勝敗に大きく関わるポイントだけに確実性の高い要素を入れたい。
 何かなかったか、本物と精巧な偽物を確実に区別できる何かが…。
 真剣に考え込んだ時、そもそもの事の発端になった日の記憶が不意に蘇った。

(これを貼った者の小宇宙を記憶して、シールを貼った本人か、その小宇宙をコピーした者にしか剥がせないという道具らしいぞ。つまりオネイロス達が誰かに姿を変えてもこのシールをうまく使えば変身を見抜けるというわけだな)

 霊界の土産だと言ってタナトスが分けてくれた霊界探偵七つ道具の一つ…。
 
「目印留!目印留はどうだ?」
「ん?」
「以前、お前が霊界土産に持ってきただろう。貼った者の小宇宙を記憶して、シールを貼った本人か、その小宇宙をコピーした者にしか剥がせないという…」
「ああ、あれか。確かに面白そうだ」

 …タナトスが取り出した目印留をオネイロス達は怪訝そうな目で見つめた。
 貼った者の小宇宙を記憶して、シールを貼った本人か、その小宇宙をコピーした者にしか剥がせないという道具だと言われても今一つピンとこない。
 百聞は一見にしかずだ、と言ってタナトスがオネイロスの胸元に目印留を一枚貼った。

「さぁオネイロス、そのシールを剥がしてみろ」
「……?はい」

 言われるままシールを剥がそうとしたオネイロスは、あれ?と呟いた。
 パッと見何の変哲もないシールなのに、どうやっても剥がせない。何やってるんだよと他の兄弟達が剥がそうとしたが、服と一体化したかのようにしっかりと貼り付いている。

「ではオネイロス、俺に変身しろ。変身すれば剥がせてしまうのでは意味がないからな」
「はい」

 オネイロスは言われるままタナトスに姿を変えた。外見も小宇宙も、双子の弟ヒュプノスですら簡単に区別がつかないほどの完璧さだ。
 銀の神に姿を変えたオネイロスはさっきと同様にシールを剥がそうとしたが、やはり剥がれなかった。

「…無理です」
「ふむ」

 頷いたタナトスがシールに手を伸ばすと、オネイロス達の苦戦が嘘のように簡単に剥がれた。
 皆からほうっと感嘆のため息が漏れて、タナトスは自分の手柄のように得意げな顔で満足そうに頷いた。

「よし、ではお前達四人のうち三人に俺がシールを貼ろう。全員に貼ってしまってはお手付きのリスクがなくなってしまって面白くない故な。異存はないな、ヒュプノス?」
「…大いにあるが、言ったところでお前は聞かぬだろう。リスクが四分の一になるなら妥協するしかあるまい」

 渋々ヒュプノスが頷くと、タナトスはこの上なく嬉しそうに微笑んで、オネイロス、モルペウス、イケロスと自分のローブの袖口に目印留を貼り、パンタソスには自分で貼るよう命じた。
 逃げる『タナトス』は五人。うち三人は目印留を剥がせなければ偽物と判断できるから、偽物を捕まえる確率は単純計算で二分の一。目印留を剥がせる『タナトス』を見つけてからが勝負だな、とヒュプノスは思った。

「ルールの確認は以上で良いな?ではヒュプノス、ゲームの小道具を受け取れ。受け取ったら神殿に戻って、10分してから探し始めろ」
「…分かった」

 ヒュプノスはあからさまにため息をついて、オネイロスから携帯と玩具の手錠を受け取って神殿に戻った。
 どうしてこんなことになったのか、眠りの神の明晰な頭脳をもってしても答えは出なかった。





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SS・2012時代
SS・神話時代
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 ある意味ここでやりきった感すらある第三話です。「怪盗」シリーズにかける力の半分はここに入れたと言っても過言ではないでしょう(笑)。
 カリオストロの最後のセリフは結構うろ覚えです。間違ってたらサーセン。
 それにしてもタナトス様が楽しそうで書いててすっごい楽しかった!うろたえてパニック状態のヒュプも書いてて楽しかったです。夢の四神も久々の登場です ね。タナトスの作戦を聞かされた彼らは、オネイロスとモルペウスは「ちょ、おま、それは…」な反応で、イケロスとパンタソスは「わー、楽しそう!」な反応 だったんじゃないかな。
 そして当サイトのタナトスは、(当サイトの)刹那とネウロとハルヒを足して2で割ったようなキャラです。ええ、3人足して2で割ったキャラです。基本単 純馬鹿で、変な方向に凝り性で、下らないことに全力投球。傍から見てる分には楽しくて面白いけど、本格的に巻き込まれるともう大変、そんなキャラ。