| 今日は体調が良いらしく、ハーデスは寝台に体を起こして読書中だった。 ちょっと目を離した隙にいなくなってしまう悪戯っ子とその親のような格好で現れた双子の神に主君は相好を崩した。 「捕まってしまったか、タナトスよ」 「ええ、不覚にも」 「ご機嫌麗しゅうございます、ハーデス様。早速ですがタナトスに目印留を剥がさせる条件を教えて頂きたいのですが」 「本当に早速だな」 じっくり周到にコトを進めるヒュプノスらしからぬせっかちな態度にハーデスは意外そうな顔をしたが、にこりと笑って読みかけの本を卓に置いた。 「その条件なら既に満たしておるぞ」 「?」 「目印留を剥がす条件はお前が『タナトス』を捕まえることだ。捕まった『タナトス』はシールを剥がすか、剥がせずに偽者と判明するまで逃げてはならない…これが新規追加されたルールの一つ目だ」 「一つ目?と言うことは、二つ目の追加ルールもあるのですか?」 「その前にお前が捕まえた『タナトス』が偽物か否か確認するが良い。二つ目のルールは偽物を捕まえた時のものだからな」 「…分かりました」 頷いて目線を向けると、『タナトス』は観念した様子で袖に貼られた目印留を剥がそうとした。 …シールは剥がれなかった。 つまりこの『タナトス』は偽物だったということになるが。 ヒュプノスが説明を求めるように目を向けると、ハーデスはにこりと笑った。 「捕まえた『タナトス』が偽物と判明した時は、その時点から偽物はお前の味方になる…つまり裏切りだな。これが新規ルールの二つ目だ」 「偽物がタナトスを裏切って私の味方に?」 「言うより見せた方が早いであろう」 ハーデスの言葉に頷いた『タナトス』の髪と目の色が金色に染まり、額の五芒星が六芒星に変わった。本物のヒュプノスと外見的に違うのは袖に貼られた目印留だけだ。 「お前に捕まった偽の『タナトス』はそなたに姿を変えて共に『タナトス』を追う。オネイロイ版『ヒュプノス』が『タナトス』を捕まえた場合、捕まえた相手 が偽物だった場合は今のケースと同様に捕まったオネイロイが新たな『ヒュプノス』となる。オネイロイ版『ヒュプノス』が本物を捕まえても勝利にはならぬ が、本物が来るまで捕まえておくことは可能だ。つまりそなたが偽物を捕まえればその分だけ有利になるというわけだな」 「なるほど…」 「更に裏切ったオネイロイも『タナトス』側の連絡網から外れないから、あちらの情報はお前に筒抜けになるというわけだ」 「ほう…」 最初はなんて無茶なゲームだと思ったが、新規ルールのおかげでかなり状況はマシになった。 ほっとしたことで本来の冷静さを取り戻したヒュプノスは、じっくりと今後の作戦を考え始めた。 …エリシオンの花畑の中を、『タナトス』が全力で走っていた。それを追うのはふたりのヒュプノス。 足の速さではタナトスに劣るヒュプノスだが、ふたりがかりなら話は別だ。エンカウンターアナザーフィールドで『タナトス』の逃げる先に池や山を出現させつつ巧みに追い詰め、オネイロイが変身した『ヒュプノス』と挟み撃ちにする形で『タナトス』を捕まえた。 「さぁ捕まえたぞ『タナトス』よ。シールを剥がしてもらおうか」 「………」 ふたりのヒュプノスに挟まれた『タナトス』は何とも言えない微妙な顔で目印留に指をかけ、ゆっくりと…剥がした。 つまりこの『タナトス』は本物かパンタソスかの二択になるわけだ。 ヒュプノスの顔が緊張し、『タナトス』はニヤリと笑った。 「さあどうするヒュプノスよ。一か八かで手錠をかけてみるか?手錠をかければ『俺』が本物か偽物か答えてやるぞ。偽物だった場合はランダムで選ばれた誰かにお前の恋文が送られることになるが」 「そんなリスクを冒す気はない」 「ほう?ならばどうやって俺が本物か否か見極めるつもりだ?」 「連絡網で通達があったはずであろう?目印留なしでお前が本物か偽物か見抜けるお方がいることを」 「………」 ヒュプノスの言葉に『タナトス』は明らかにギクリとして、その反応を見たヒュプノスは彼が偽物であることを確信した。 ギクリとしたということは即ち、ヘカーテを相手に本物のタナトスを演じきる自信がないということだ。 眠りの神は唇に淡い笑みを浮かべた。 「なるほど、お前はパンタソスか。タナトスのふりはなかなかうまかったが、カマかけに引っかかるようではまだ甘いな」 「………」 「で、お前が偽物と断定された時はどうするルールになっているのだ?」 「………」 パンタソスは変身も解かずに複雑な顔で口を噤んでいる。自分が偽物判定を出された時はどうするのか何も聞かされていないから何も言えないのだろう。 ゲームマスターの職務怠慢にため息をつきつつ、ヒュプノスは『タナトス』の襟に目印留を貼った。 怪訝そうな顔の彼にシールの意味を教えてやる。 「いわばそれは偽物の印だ。仮にお前以外の『タナトス』が襟にシールを貼っていたとしても、私がそのシールを剥がせるかどうかで本物と偽物の区別がつけられる故な。後はゲームマスターの指示に従って動くと良い」 ゲームに勝利する手応えを掴んだヒュプノスは余裕の笑顔で『タナトス』の頭を撫でた。 …ヒュプノスの懐で携帯が鳴りだした。着信画面には『オネイロイ』の文字が表示されている。 そろそろ本物タナトスが連絡を入れてくるかと思ったが…と考えながらヒュプノスは通話ボタンを押した。 「どうした?」 『タナトス様を見かけました。私の姿を見た途端、即座に逃げて行かれました』 「ふむ…」 ヒュプノスはニヤリと笑った。 それだけの情報では本物か偽物か分からないが、精神的な意味でもタナトス側が追いつめられているのは間違いない。 ヒュプノスと、最初に偽物と見抜かれたオネイロイはふたり一緒に行動していて、その情報はタナトス側にも流れている(連絡網の情報で確認済みだ)。 つまり、単独行動しているヒュプノスは偽物と見抜かれたオネイロイの誰かと言うことになり、少なくともふたりの『タナトス』がヒュプノス側に寝返ってい ることになる。目印留を剥がせる『タナトス』…即ちパンタソスが偽物と見抜かれ偽物の印まで貼られたことは、タナトス側の連絡網を利用して敵方にも教えて ある。 即ち。 追うヒュプノス側は最低でも三人、パンタソスは事実上脱落したので、タナトス側に残っているのは『本物だけ』か『本物と偽物一人の合計ふたり』のどちらかだ…と、本物のタナトスは考えて多少なりとも焦っているだろう。 その焦りに付け込めば…。 ヒュプノスは着信履歴から『タナトス(本物)』を選んで発信ボタンを押した。 …流石に電話を受けるところを見つかってはまずいと思ったのか、相手は出ないまま留守番電話に繋がった。 「タナトスよ、既にオネイロイはふたりが私に寝返り、パンタソスは事実上脱落した。自分の状況が芳しくないことは分かっているであろう?そこで提案があ る。私は今からヘカーテ様の神殿へ向かう。立場的に公平な見届け人のいる場所で、正々堂々と一対一で闘って決着をつけようではないか。お前を待ち伏せてオ ネイロイと一緒に捕まえるなどと卑怯な手は使わぬと約束しよう。まさかとは思うが、弟銭形の申し出にビビッて時間まで逃げるなどと姑息な手段は使わぬよ な、ルパン兄上?」 留守番電話にメッセージを吹き込んでヒュプノスは通話を切った。 タナトスは必ずこの挑発に乗ってくる。弟神にここまで言われて、時間までコソコソ逃げるなど兄神の性格とプライドが絶対に許すまい。 ヘカーテの神殿におびき寄せたその後は、彼女を味方につけた方がゲームを制するだろう。 勝算は、ある。 ヒュプノスは傍らのオネイロイを見遣った。 「オネイロイよ、『タナトス』の連絡網で私がヘカーテ様の神殿に向かったと伝えておけ。それから私側に寝返ったオネイロイにヘカーテ神殿を見張るように伝えろ。タナトスがやってきたらすぐに私に伝えるようにと」 「畏まりました」 頷いたオネイロイはゲームの連絡用の携帯をとり、指定された番号に電話をかけた。 ゲーム終了までの残り時間があと15分ほどになった時、タナトスがヘカーテ神殿に入って行ったという連絡がヒュプノスに入ってきた。 やはり挑発に乗ってきたか。 ヒュプノスは約束通りひとりでヘカーテ神殿に向かった。 …ヘカーテの私室の扉を叩いて来訪を告げると、楽しそうな声が返ってきた。 「開いているぞ、入るが良い」 「失礼します」 扉を開けると、色気たっぷりのしぐさで足を組み長椅子に腰かけたヘカーテと、仏頂面で独り掛けの椅子に座った兄神の姿があった。 「待ちくたびれたぞヒュプノス。呼び出しておいて遅れてくるとは何事だ」 「私は『ヘカーテ神殿に向かう』とは言ったが『先に行って待っている』とは言っておらぬぞ」 「屁理屈を」 「タナトスよ、そんな些細なことはどうでも良いではないか。で?この大して広くない部屋の中で、一体どのように正々堂々と一対一で決着をつけるのだ?」 最終決戦の場に立ち会えた喜びでわくわくと目を輝かせるヘカーテに、ヒュプノスは極上の笑顔で答えた。 「それはもちろん、当初の約束通り追いかけっこですよ。勿論、私は神の力など使わずにこの身一つでタナトスを捕まえます。…銭形のようにね。なので少々騒がしくしますがご容赦ください」 「ほう…エンカウンターアナザーフィールドをフル活用するのかと思ったらど真ん中の正攻法か。これは面白そうだな」 「………」 タナトスは一瞬意外そうな顔をしたが、もともと小細工が嫌いな彼にとって真っ向勝負は望むところだったのだろう。ニッと笑って椅子から立ち上がり、ヘカーテを挟んでヒュプノスの正面になる位置に移動した。 「お前の事だからどんな小細工を弄してくるかと思ったが」 「私があれこれ策を練ってもすべて無視して突き進むのがお前だからな。正攻法が一番手っ取り早い」 「なるほど。…で、どうやって俺を捕まえるつもりだ?」 タナトスはまだ余裕の笑みを浮かべている。 …ヒュプノスはヘカーテの私室の扉の前に立っているが、タナトスを捕まえようとここを動けば、タナトスはこの扉から外に逃げることができる。かといって扉の前から動かなければヒュプノスはタナトスを捕まえられない。 兄神が考えているのはそんなところだろう。 ヒュプノスはフッと笑った。 「相変わらずお前は考えが浅いな、タナトスよ」 「何?」 「私が何故ヘカーテ様の私室を最終決戦の場に指定したか、そして何故お前より後に来たか、その理由を考えなかったのか?」 「………」 「それからもう一つ。このゲームが始まった時に私は言ったな、『ヘカーテ様が不二子と言う設定を最大限活用させてもらうぞ』と」 タナトスの顔から余裕の笑みが消えて、彼はヘカーテとヒュプノスを交互に見た。自分の知らぬところでヒュプノスとヘカーテが取引をしたのかと疑っているのだろう。 活躍の場面が来る期待に目を輝かせるヘカーテに、柔らかな笑みを浮かべたままヒュプノスは言葉をかけた。 「報酬次第でルパンも敵に売る女、不二子役のヘカーテ様。タナトスをおちょくるネタになる暴露話をティータイム5回分と言う報酬で、私の背後にある扉を封じて頂けませぬか」 「………!!」 「…いいだろう」 タナトスが顔を引きつらせると同時に、ヘカーテは輝くばかりの笑顔で私室の部屋を氷漬けにした。 双子神より格上の神であるヘカーテがその小宇宙をもって凍らせたということはつまり、タナトスの力では簡単には破れないということだ。扉を開けようと足掻く間にヒュプノスに捕まるのは目に見えている。 タナトスはちらりと部屋の時計を確認した。 ゲーム終了まであと10分ほど。あと10分、この狭い部屋の中で逃げ切れるだろうか。 冷や汗をかく死神にヘカーテはにっこりと微笑んで見せた。 「タナトスよ。私はお前が好きだからいいことを教えてやろう」 「…何です」 「報酬を用意すればヒュプノスの足を引っ張ってやるぞ」 「………」 そういえば不二子はそういうキャラだった。報酬は何がいいだろうかと一瞬考えた途端、ヒュプノスに腕を掴まれてタナトスはぎょっとした。 慌てて弟神の手を振り払い、ついでに足払いもかけて怯ませて一気に距離を取った。 ゲームの小道具の手錠を握りしめたヒュプノスがジリジリと距離を詰めてくるが、タナトスも慎重に距離を離そうと後ずさりした。 …ヒュプノスが右に動いた途端、タナトスは左に逃げた。すかさず左に回り込めば即座に右に逃げる。 二柱の神はヘカーテを支点にして右に行ったり左に行ったり、そうかと思えば部屋の中を全力で走ったり…いい年をした見目麗しい大人が真剣この上ない顔で追いかけっこをしている貴重な光景を、ヘカーテは実に楽しそうに眺めている。 …ヘカーテは手元のデジタル時計を確認した。 ゲーム終了まであと3分ほどだが、双子神はまだ追いかけっこをしていた。狭い部屋の中に閉じ込められたこの状況では追われる方のタナトスが圧倒的に不 利かと思ったが、彼は感心するほどの粘りと言うか往生際の悪さを見せている。更に『タナトスに手錠をかける』という勝利条件がヒュプノスに予想外の苦戦を 強いていた。 当たり前と言えば当たり前なのだが、手錠をかけるためには片手で手錠を持つのでタナトスを片手で捕まえねばならず、うまくタナトスを捕まえても手錠をか けるまでの間に振り払われ逃げられてしまうのだ。足払いをかけて転ばせるか、飛び掛かって押さえつけるかすれば手錠をかけられるだろうが…すばしこいタナ トスを転ばせたり押さえつけたりなど、戦闘センスで明らかにタナトスに劣るヒュプノスには無理だろう。 余裕をなくして必死のヒュプノスと言うのも滅多に見られない光景だが、ただ眺めるだけと言うのも飽きてきた。 「おいヒュプノス、ゲーム終了まであと3分を切ったぞ。今のままではお前に勝ち目はない、素直に私に助けを求めたらどうだ」 「そうしたいのはやまやまですが、報酬を思いつかぬのです!」 「ちょ、ヘカーテ様!俺ではなくヒュプノスの肩を持つとおっしゃるのですか!」 「このままいけばタナトス、お前が勝つであろう?ここしばらく私をほったらかしで弟べったりだったお前がすんなり勝利するというのも何だか面白くないと思ってな。無論、出してくる報酬次第ではお前に味方してやるが」 「え…ええ?」 報酬を出せと言われても、全神経を集中して追いかけっこをしているのでそこまで考えを回す余裕はどちらにもない。 痺れを切らしたヘカーテは腕を組んで立ち上がった。 「よし、お前達!役になりきって一発芸をやってみろ、私は面白い方に味方してやるぞ!」 「一発芸?」 「役になりきって、ですか??」 「残り1分!」 一発芸のネタを一瞬考えたらしいタナトスの腕を掴もうとしたヒュプノスの指は空しく空を切った。 …このままでは負ける。 追いつめられた弟神はプライドを捨てて自棄気味に叫んだ。 「むわぁ〜てぇ〜、ルゥ〜パァ〜〜ン!」 ヘカーテがぷっと吹き出して、彼女の目の前を走り抜けようとしたタナトスの襟を捕まえた。 襟を掴んだ手を反射的に払いのけようとしたタナトスが、相手がヘカーテだと気付いて戸惑ったその一瞬の隙に美貌の女神は死神の手首を捕まえた。 ヘカーテは溢れんばかりの良い笑顔をタナトスに見せた。 「こういう時は『ごめんねぇ〜、ルパァ〜ン』と言うのだったかな。合ってるか、タナトス?」 「合ってます、合ってますからヘカーテ様、ちょっとその手を離して…」 「逮捕だ、タナトス」 「え?……」 ヘカーテに掴まれたタナトスの腕を形ばかり掴んで、ヒュプノスが手錠をその手首にガチャリとかけた。 |
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少々ダイジェストな流れになりましたが、双子神の追いかけっこは散々悩んでここで決着です。「最後はヘカーテがヒュプノスに味方してヒュプノス勝利」は当
初の予定通りです。偽物と見抜かれたオネイロイがヒュプノスに化けてヒュプノス側の駒になる、と言う展開は成り行きでできました(笑)。 それにしても当サイトのハーデス様は出番が少ないな…。 |