双子神2012・兄弟
EPISODE 1


 そこは冥界の極楽浄土、神の御所エリシオン。
 冥王ハーデスの神殿から見て西にそびえるタナトス神殿に、神殿の主タナトスが帰ってきた。なりゆきで『タナトスの彼女役』を頼むことになった美貌の女神 ヘカーテにせがまれて、冥妃の転生体の機嫌伺いを兼ねて地上に遊びに行っていたのだ。ちなみにヘカーテは、エリシオンに帰還した後きちんと彼女の神殿まで 送って来た。
 カチャリ、と私室の扉を開けた途端。

「キキーッ!」

 叫び声と共に小さな猿がタナトスに飛びついてきて、腕から首筋の周りを走り回るようにじゃれてからちょこんと肩に乗った。この猿は、しばらく前に地上を 訪ねた折に立ち寄ったペットショップで買ったのだ。特に興味を惹かれた訳ではなく、『なかなか飼い主が見つからなくて…』という店員の言葉とその場の雰囲 気に流されて何となくだったのだが、懐かれてみればこれがすこぶる可愛らしい。
 タナトスは思わず相好を崩して猿に声をかけた。

「今帰ったぞ、ジャック。良い子で留守番をしていたか?」

 タナトスの肩に乗った猿は、一声キャッと鳴いてじっと彼を見つめた。
 きっとイエスと言ったのだろう。
 銀色の眼を細めて猿の喉を撫でてやりつつ、地上で買って来た菓子や土産やペット用のおもちゃの荷解きをしようと荷物を長椅子に置いた時、タナトスは卓の上に置かれたメモに気付いた。

「………?」

 タナトスが手を出すより先に猿が肩から飛び降りて卓の上のメモを掴むと、またぴょんと肩に飛び乗って死神の目の前にメモを差し出した。
 明らかに苛立ち交じりの筆跡で、『戻ったらすぐ連絡を寄越せ!』と殴り書きされている。記名は無くとも誰が書いたものか考えるまでもない。ついでに連絡した後に何を言ってくるかも察しがつく。
 タナトスはゲンナリした顔で溜息をついた。




 
「エリシオンを開ける時は私に一言声をかけろと言っただろう!どうしていつもいつも黙って出かけるのだ!しかもまたヘカーテ様と一緒に!!」

 帰還連絡を入れるなり神殿にやってきた弟神は開口一番こう言い放った。
 一方のタナトスは、親が一方的に決めた門限を破ったせいで説教を食らっている子供のような顔でそっぽを向いている。その態度にヒュプノスはますます眉間のしわを深くして金色の眼差しをきつくした。

「どうして黙って出かけるのか、と聞いている!」
「何故お前に一々そんな事を言わねばならん?子供でもあるまいし、俺が誰と出かけようとお前に何も関係なかろうが。大体、外出する事はオルフェウスや ジャックにはきちんと言付けているし、仕事に支障が出るわけでも無し。緊急の用件があれば連絡を取る手段はいくらでもあるだろう」
「オルフェウスならともかくジャックに言付けてどうする!猿に何を聞けと言うのだ!」
「ウキャーッ!!」
「『御主人が出かけた事くらいちゃんと伝えられる』と言っているぞ」
「………」

 脱力して嘆息するか、切れ味鋭く突っ込みを入れるか…と思っていたが、タナトスの予想に反してヒュプノスはますます眉を吊り上げ怒りのオーラを増幅させている。
 先日の恋文絡みのドタバタで『大好きな兄と一緒にいられる時間が減った』という弟の欲求不満は解消されたかと思っていたが、ほとぼりが冷めたらまた不満がたまって来たのだろう。
 目の前に仁王立ちしたまま適切な文句を探しているらしい弟神を見遣り、組んだ膝の上にちょこんと乗っている猿のジャックを撫でながらタナトスは目を瞬いた。
 ヒュプノスは母の腹の中にいた頃から一緒の双子の弟、己の半身、自身の片割れだ。弟が機嫌を損ねている理由など聞かずとも分かるし、彼の機嫌を直す方法も心得ている。事実、今までタナトスは乞われずとも弟の気持ちを理解して、無言の要求に応えてやって来たのだが…。
 銀の神は微かに嘆息して、卓を挟んで反対側の椅子を指した。

「ちょっとそこに座れ、ヒュプノス」
「何故」
「…ヒュプノス」
「何だ」
「めんどくさい」
「は?」
「今のお前は乙女モードに突入したヘカーテ様よりめんどくさい。どこかのお笑い芸人風に言うなら『MAXメンドクセェ!!』と言う奴だ」
「………」
 
 こんな言葉が返ってくるとは予想外だったのだろう。乙女モードのヘカーテより面倒くさいなどと…理解できるようなできないような、しかし言わんとする事はしっかり伝わった発言にヒュプノスが怯むと、タナトスは畳みかけるように言葉を続けた。

「ハーデス様やヘカーテ様なら、『ちょっとそこに座って下さい』と言えば素直に座るぞ。座れと言われて『何故』などと口答えするお前より、おふたりの方がずっとずーっと可愛いわ」
「………」

 予想外の展開に明らかに気勢を削がれたらしいヒュプノスが複雑な顔で椅子に腰を降ろした。
 死と眠りの神は卓を挟んで合わせ鏡のように向かい合っていた。
 銀の神を見つめる金の神はいつもと同じ無表情のようでいて、兄神の真意を察せずに戸惑っているのが分かる。
 タナトスは一度深く息を吐いて静かに口を開いた。

「ヒュプノス、もう一度言うぞ。一々口答えして素直でないお前は可愛くない。素直なハーデス様やヘカーテ様の方がお前より数倍、ずっと可愛い」
「だから何だ」
「分からんのかこの馬鹿。ベルセフォネー様も仰せだったがお前は頭が良いのに肝心な時に馬鹿なのだな」
「お前の言葉が短すぎ不適切すぎて意味を理解できぬのだ。自分の頭の悪さを私の理解力不足にすり替えるな」

 ぷち。
 弟神の物言いに、短気なタナトスの堪忍袋の緒はあっけなく切れた。
 タナトスは拳で卓を叩いて怒鳴った。

「ハーデス様やヘカーテ様は面倒臭くなくて素直で可愛いから俺はおふたりと一緒に過ごすのだ、と言っているのだ!そんなことも分からんのか、この石頭!!」
「先ほどの言葉からそんな結論が導ける訳なかろう!」

 ヒュプノスは平手で卓を叩いて怒鳴り返した。

「大体お前は今まで、面倒臭くなくて素直で可愛いハーデス様やヘカーテ様よりも、面倒臭くて素直でなくて可愛くない私と一緒にいることが多かったではない か!それを何故、今になって『ハーデス様やヘカーテ様は面倒臭くなくて素直で可愛いから』という理由で一緒に過ごすのだ!?私と過ごす時間を削ってま で!!」
「面倒臭くなくて素直で可愛いハーデス様やヘカーテ様に『一緒に過ごしてくれ』と誘われたからだ!特に断る理由が無ければ一緒に過ごす、結果的にお前とつるむ時間が減っただけ、簡単な話であろうが!何故そんな簡単な事が分からぬのだ!!」
「え?では、お前からハーデス様やヘカーテ様を誘って一緒にいるわけではないのか?」

 急速に怒りと苛立ちの色が引いて行く金色の目を見遣って、タナトスはフンと鼻を鳴らした。

「俺から声をかける事もなくは無いが、大概はあちらから誘って来られる。お前曰く単純馬鹿な俺は、可愛い弟や可愛い女性に『TheWorldの転職クエス トで行き詰った、助けてくれないか』とか『地上で行ってみたい場所があるのだがひとりでは心細いから一緒に来てくれ』と頼まれればホイホイと引き受けてし まうのでな」
「誘われた、から?」

 独り言のように呟いてヒュプノスは目を瞬いた。
 …そう言えば、幻想郷から戻って事の次第を報告した時にハーデスは暗に言っていたではないか、『ヒュプノスは思った事を正直に言わないし、やって欲しい事を素直に頼まないからタナトスを動かすのが下手なのだ』と。
 それはつまり。
 妙な照れくささを感じて微かに頬を染め、ヒュプノスはモゴモゴと尋ねた。

「え…では、もしも、私がお前を誘ったら、特に断る理由が無ければ私と一緒に過ごすと、そういう事か?」
「そういう事になるな」
「で…では、ハーデス様やヘカーテ様のお誘いと私の誘いが重なった時はどうするのだ?」
「仕事ならハーデス様が最優先だが、プライベートの誘いなら先約優先だ。日時を動かせぬ事情があれば臨機応変、だな」
「………」

 ヒュプノスは何か言おうと口を開いて、適切な言葉が見つからずぎこちなく口を閉じた。
 改めて思い返せば、タナトスと過ごした気が遠くなるような長い時の中で、自分から兄を遊びに誘った事など無かった気がする。タナトスはヒュプノスが乞う 前に手を差し伸べ半ば強引に手を取りいつも先に立って走っていた。傍にいて欲しいと思えばいつのまにか傍にいてくれた。言葉に出来ない想いもすぐに気付い て頼む前に動いてくれていた。
 ヒュプノスは兄神に改まって何かを頼むという経験がほとんど無かった。だから、今の自分の感情をどういう言葉で伝えれば良いのか分からなかったのだ。
 何かを悩んだ様子で口籠った弟神に、タナトスは悪戯っ子のような笑みを見せた。

「どうしたヒュプノス?何か言いたい事があったのではないのか。さっきまでの勢いはどうした?」
「…分かってて言っているだろう、タナトス」
「分からぬから聞いているのだ。お前は俺に何をして欲しいのだ?どうして欲しいのか素直に言ったらどうだ」
「何だその、妙な誤解を招きそうな物言いは。前々から思っていたが、お前はエリスから悪影響を受けすぎだぞ、タナトス」
「お前が言いたい事はそれか?」
「………」

 兄神のニヤニヤ笑いが憎ったらしい。分かっていて弟をからかっているのだ、この馬鹿兄貴は。
 せめてもの抵抗でヒュプノスは口を噤んで目を逸らした。
 兄と一緒に過ごしたい、ただそれだけを告げるのに、何故パシテアに想いを告げた時より照れ臭いのか。タナトスは何の衒いもなく『だってお前は俺を大好きだろう?』と言い放ったと言うのに。
 だってお前は俺を大好きだろう?
 …ああ、そうだ。悔しいがその通りだ。愛すべき馬鹿で愚かな兄上、私はお前が大好きだ。そんなこと、最初から分かっている。お前も、私も。
 しばしの逡巡の後、ヒュプノスはそっと口を開いた。

「…タナトス。地上は面白いか?」
「ああ、面白いぞ。行くたび行くたび新たな発見があって飽きると言う事が無い。儚き時を生きる人間は実に貪欲だ、次から次に新しいものを生み出していくのだからな」
「ならば私もその面白い地上を見てみたい。…一緒に連れて行ってくれるか」
「………」
「最近、お前と一緒に過ごす時間が少なくてつまらなく感じていたのだ。お前に手を引かれて一緒に過ごす時間が妙に恋しくなってきた」

 話し始めれば素直な想いが呆気ないほど簡単に唇から零れて来た。
 ヒュプノスは微かに笑みを浮かべて兄を見遣った。

「タナトスよ。昔のように兄弟ふたりで過ごさぬか」
「奇遇だな。俺も昔が恋しくなってきたところだぞ、ヒュプノス」

 銀と金の兄弟は目を合わせて微笑んで、手を伸ばして指を絡めると互いの額を触れ合わせた。
 それは、幼い子供の頃に繰り返した仕草だった。
 額の徴と身を彩る色以外に違いの無いふたりは、指を絡ませ、額を触れあわせ、時には唇を重ねて、目の前にいる自分と同じ姿をした兄弟が鏡像でない事を確かめ合っていたのだ。
 己の半身がここに確かに存在している、と。




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星矢部屋
総合目次
SS・2012時代
SS・神話時代
SS・蟹座達


 双子神萌えサイトと謳っているのにきちんと双子神の話を書いた事が無かったので、タナヒュプタナを意識して書いたSSです。
 冒頭に出て来た猿ですが、某ネズミー海賊映画でバルボッサ一等航海士が飼ってた猿をイメージしました。多分大きさ的にはリスくらい、タナトスの神様パ ワーの影響を多少受けていてかなり賢いです。けど、流石に言葉は喋れません。タナトスがこの猿を買ったエピソードは「対価」後編で詳しく書くつもりです が、星矢の姉の星華に会いに行った時、彼女に勧められて買ったと言う設定があります(当サイトでは、星華さんはペットショップ店員です)。猿の名前は ジャックにするかセイヤにするかかなり悩んで、無難にジャックにしました。
 んで、タナトスの「MAXメンドクセェ!」から始まるやり取りはものすごく悩みました…。頭の中の漠然とした設定を文章にするのは難しいですね(= =;)。つまり何だ、タナトスは行動的過ぎ、ヒュプノスはおとなしすぎで、ヒュプノスが自分の意思で何かをしたいと思う前にタナトスがヒュプノスの手を掴 んで連れまわしていたんじゃないかなと。無意識にタナトスはヒュプノスの気持ちに先回りする形で行動していたから、ヒュプノスは改めて兄に何かを頼んだ り、ねだったりと言う事が無かった。で、聖戦が終わって一息ついてハーデスやヘカーテと遊ぶ余裕が出来たタナトスは、今更ながら「あれ?俺、ヒュプノスに 何か頼まれて動いたことないんじゃないか?いつもいつも俺から誘ってばかりじゃなかったか?」と気付いて、敢えてヒュプノスが何か頼んでくるまで突き離し てみたわけです。
 最後は、ちょっとくらいは甘くしてみようかと。ちゅーまでしてくれないかと思ったのですが無理でしたorz あのふたりは当たり前のように一緒にいて指 を絡めて手を繋いでそうな、そんなイメージがあります。大人になった今では流石に手を繋ぐ事は無いけど、小さな子供の時はいつも手を繋いであちこち遊びに 行ってそうな、そんな感じ。ちなみにおでここっつんの元ネタはくるねこ大和さんの凡阿仁ぃとトメちゃんだったり(笑)。