双子神2012・ 林檎
EPISODE 1


 …頭が重い。
 自身の神殿で目覚めたヒュプノスが最初に思ったのがそれだった。
 頭の芯に鈍い違和感を覚え、喉に異物が絡む感覚があり、自分の身体の重みを感じる。
 横たわったままヒュプノスは目にかかった髪を払った。
 今日は重要な会議がある。そのために地上で暮らすエリスまで呼んだのに冥王の片腕である自分が遅刻するわけにはいかない。もう起きなくては。
 のろのろと寝台に身体を起こすと、絶妙のタイミングで部屋を仕切る薄絹を開けて兄神が姿を見せた。
 やたらと勘のいいタナトスは開口一番こう言った。

「ヒュプノス、調子はどうだ?」
「…………。挨拶も無しにいきなり何だ」

 質問に答えた声は、寝起きと言う事を差し置いても掠れていた。
 喉の違和感が鬱陶しくて咳をすると、タナトスは大股に近づいてきてヒュプノスの顔をひょいと覗き込んだ。

「数日前に地上に行った後からお前の体調が芳しくないように見えてな。少々気になったので様子を見に来たのだ」
「確かに少しばかりの頭痛と倦怠感はあるが、仕事に差し支えるほどでは…ゲホッ」
「…………」

 タナトスは身を屈めて弟神の首筋に触れ、頬に唇を付け、『ん?』という顔をして額に口付け、やおらヒュプノスの鼻を摘まむと無理矢理口を開かせ喉を覗きこんだ。
 前半はともかく後半の行為に驚いたヒュプノスは兄神の手を叩き落とす勢いで引き剥がした。
 
「な…いきなり何、へくしゅっ!」
「ヒュプノス、お前…」

 手を叩き落とされた事は全く気にしていないらしいタナトスが眉根を寄せた。

「地上で風邪をうつされたな?」
「風邪?」
「クシャミ、咳、頭痛、倦怠感、熱もあるし喉や扁桃腺も腫れている。典型的な風邪の症状ではないか」
「…ああ、言われてみれば」
「今日の会議は欠席してゆっくり休め、ヒュプノス。皆には俺から話をしておく」
「え?何を言っているのだタナトス、たかが風邪程度で会議を休むなど大袈裟…」
「いや、ひょっとしたら風邪ではなくインフルエンザかもしれぬ。地上で流行っているらしいからな…。だったらなおのこと、皆にうつさぬためにも休んでいた方が良い。どちらにせよ栄養を取らねば身体も回復しまい。何か食べたいものはあるか?」

 ヒュプノスの言葉など碌に聞いていないタナトスは弟を寝台に押し戻し羽布団をしっかりと被せた。

「アイスクリームか?プリンか?果物か?ただ寝ているのは退屈だろう、暇つぶしに映画でも見るか?それとも緩い日常系アニメが良いか?」
「いや、タナトス…」
「む、もうこんな時間か。会議が始まるな、そろそろ行かねば」
「だから、」
「会議が終わったら医者を連れてくるから、それまで大人しく寝ているのだぞ。ついでにそれまでに食べたいものを決めておけ。いいな、ヒュプノス!」

 弟の言葉など右から左に受け流したタナトスは、一方的に言い残してヒュプノスの寝室を出て行った。
 …はぁ……。
 ヒュプノスが盛大に溜息をつくと、風邪を匂わせる空気が鼻腔を通り抜けた。
 ここでタナトスの言いつけに逆らって強引に会議に出席しても、あの兄は弟の言い分など何も聞かずに怒涛のごとく文句を言いながら無理矢理ヒュプノスを寝 台まで引きずってきて寝かしつけるだろう。それに、タナトスの言う通りこの症状がインフルエンザだったら、却って皆に迷惑をかけてしまう。冥界の神々が揃ってインフルエンザで寝込むなどと笑い話にもならない。
 タナトスが事情を説明すれば皆は苦笑してヒュプノスの会議欠席を納得してくれるだろう。
 ならばお言葉に甘えて休ませてもらうとするか。
 色々な諸々を諦めたヒュプノスはそっと目を閉じた。






 うとうとしていたヒュプノスは、寝室にひとの気配が近づいてくることに気付いて目を開けた。
 タナトスは医者を連れてくると言っていたが、それにしても妙に賑やかだな…。
 そんな事を考えていると、やけに嬉しそうな顔をしたタナトスが寝室の薄絹を開けて姿を見せた。

「ん。ちゃんと俺の言いつけを守って大人しく寝ていたな。よしよし」
「大丈夫だと言って私が会議に出ようとしたら、どうせ全力で阻止するのだろう?」
「当たり前だ。風邪かインフルエンザに感染した弟を会議に出して、皆にうつったらどうする!」
「…だったら何故、皆を連れてくるのだ」

 ヒュプノスは兄神の後ろに呆れた目を向けた。
 タナトスの後ろには冥界の名医ドリュアスのルコ、その後ろにはルコの助手であるハヌマーンのトクサ、更にその後ろにはハーデスとヘカーテ、エリス、そし て夢の四神がついてきていた。医者と助手はともかく、『風邪かインフルエンザをうつして迷惑をかけてはいけない皆』まで連れて来たのでは、会議を欠席した 意味がないではないか。
 弟神の尤もな問いに兄神はケロリと答えた。

「連れて来たのではない、ついて来たのだ」
「……………」

 浅くまどろんだ程度では喉の違和感が消えることはなく、むしろ不快な煩わしさが増している気がして、ヒュプノスは兄神に突っ込む事は早々に諦めて羽根枕に頭を埋めた。つまりはスルーを決め込んだわけである。
 タナトスに促されたルコが寝台の傍らに歩み寄って丁寧に会釈すると、往診鞄を開けて診察の道具を取り出した。
 …ヒュプノスの診察を終えたルコは道具を片づけて穏やかに微笑んだ。

「典型的な風邪です。インフルエンザではありませんのでその点は心配いりませんが、数日は安静にして横になっている事をお勧めします」
「ルコよ、薬の処方はしてくれぬのか?」
「残念ながらタナトス様、風邪薬とは風邪の諸症状を軽減して誤魔化しつつゆっくりと治癒させるもの。風邪と言う病気を根本的に治療する事は出来ぬのです。短期決戦で風邪を撃退したいなら、薬を使わずおやすみになるのが最善でございます」
「そうなのか…」
「頭痛や喉の痛みが酷いようでしたら、その症状だけを緩和する薬を処方しますが…如何いたしましょう?」

 ルコの申し出にヒュプノスは首を横に振った。

「それには及ばぬ。頭は重いし喉も煩わしいが、薬に頼るほどではない」
「分かりました。少々お熱があるようですので氷枕などをお使いになるとよろしいでしょう。あとは栄養のある物を召し上がっておやすみになられますよう」
「ふむ、氷枕か。確か俺の神殿にアイスノンがあったな、取って来てやろう。食べたいものがあるならついでに持ってきてやるが、何が良い?」
「…特に無い」
「無い?俺が戻るまでに食べたいものを決めておけと言ったのに…。まぁ良い、適当に見繕って持って来てやろう。それから皆も、風邪がうつっ たら困るから見舞いはそこそこにするのだぞ。ああ、ヘカーテ様は別室でお待ちいただけますか。アイスノンを凍らせて欲しいので」

 妙に楽しそうに言うだけ言うと、皆の返事も待たずにタナトスはヒュプノスの寝室を飛び出して言った。
 そんな兄神の姿を見送ってエリスは呆れたように呟いた。

「タナ兄、何がそんなに嬉しいのってくらいはしゃいでるね」
「タナトス様は面倒見がいい方ですから…ヒュプノス様の面倒を見れる!と喜んでいるのでしょう」
「フフッ…兄上があんなに喜んでくれるなら余も風邪をひきたいと思ってしまうな」
「きっと大はしゃぎで『風邪をひいた弟の面倒を見てるなう!』とかってツイッターで呟くぞ、あいつ」

 苦笑しながらタナトスを見送った神々を遠慮がちに見まわして、トクサはそっとルコに尋ねた。

「あの…先生。どうして薬を処方されなかったのです?先生は風邪を根本的に治療できる薬をお持ちではないですか。あの風邪薬は神には効果が無いのですか?」
「いや、そんなことはない。あの薬をヒュプノス様がお飲みになればすぐに風邪は治るだろう」
「え?じゃあどうしてあんな嘘を?」

 トクサの質問に神々もルコに怪訝そうな目を向けると、『タナトス親衛隊』に所属する医師はにこりと笑った。

「ヒュプノス様の風邪がすぐに治ってしまったら、弟君の看病ができる!と張り切っているタナトス様をがっかりさせてしまうではないか」
「…あ。ああ!」

 ルコの言葉にトクサと神々は得心がいったように笑顔で頷き、ヒュプノスだけが嬉しさを顔に出さないように無理しているような複雑な顔で黙り込んだ。
 そんなヒュプノスを見遣って、皆は口々に『風邪がうつってはいけないから』と言いながらヒュプノスの寝室を出て行った。





「皆は早々に帰ってしまったようだな」

 アイスノンやらノートパソコンやらランチボックスやら色々な物を抱えてウキウキと戻ってきたタナトスは、誰もいない寝室を見回して少々意外そうな顔をした。
 …風邪がうつっては困るから早く引き揚げろと言ったのはお前ではないか。
 ヒュプノスが内心で突っ込むと、その心の声が聞こえたかのようにタナトスは口を開いた。

「まぁ確かに、風邪がうつっては困るから早く引き揚げろと俺は言ったが…皆、素直すぎるな。お前と違って」
「最後の一言は余計だ」
「ヒュプノス、大きめのタオルはあるか?持ってくるのを忘れてしまってな」

 素で弟の突っ込みをスルーしたタナトスが尋ねると、ヒュプノスは無言で隣の部屋を指した。喉が腫れていて声を出すのも煩わしい状況では、兄神の行動に突っ込むのも億劫だった。
 タナトスは特に何かを気にするでもなく、勝手知ったる様子で洗面台からタオルを持ってきてアイスノンを包んだ。

「ヘカーテ様に頼んで程良く冷やしてもらったのだ。神の小宇宙で冷やしている故、ぬるくなることもないから安心しろ。ついでに額に乗せるタオルも用意して頂いた。後で礼を言っておくのだぞ」

 一方的に喋りながら、タナトスは断りもなくヒュプノスの体を起こして羽根枕とアイスノンを入れ替え、寝かしつけた弟の額に冷たいタオルを乗せた。
 熱があるのだから羽根枕よりアイスノンと冷やしタオルが心地良いに決まっていると信じて疑わないのだ。
 …事実その通りではあるのだが。
 弟の沈黙を『文句はない』の意思表示だと解釈した兄は、いそいそと寝台の脇に椅子を引っ張ってきて、サイドテーブルにノートパソコンをセットして電源を入れた。
 何をしているのだ。
 目線で尋ねると、タナトスは得意気な笑みを浮かべて見せた。

「せっかくだからツイッターで実況でもしようかと思ってな」
「…………」
「そうだ、『TheWorld』で遂行途中で止まっていたクエストがあったな。同時進行で進めておくか」
「…………」
「『弟が風邪をひいたので看病してるなう。同時進行でTheWorldのクエストを遂行するのでPTメンバー募集するぞ』…。ついでに風邪の治療に効果的な食べ物があるようなら教えてくれ、とツイートしておくか」
「…………」
「む、TheWorldは定期メンテナンス中か。終わるまで少し時間があるな。ああそうだヒュプノス、林檎を持って来たぞ、食べるか?」

 …煩い。
 と言うか、どうしてわざわざ風邪で寝込んだ弟の寝室にパソコンを持ち込んでツイッターとネットゲームを始めるのだ?そもそもタナトス、自分の仕事はどうした。
 などと内心で愚痴りつつ、ヒュプノスは『出て行け』とは決して言わない。どうのこうの言って兄をひとり占めできるのは嬉しいのだ。

「ん、さっきツイートしたばかりなのにもう反応があったぞ。『お大事に』と言うのが多いな。あとは…風邪の時にお勧めの食べ物・飲み物は…卵酒、果物、粥、アイス、鍋焼きうどん…ナベヤキウドン?鍋で作る焼うどんのことであろうか…」

 …煩い事に変わりはないが。
 おちおち眠る事も出来ないからちょっと黙れ、の意思表示でわざと口を噤んでいると、タナトスは興味津々と言う顔でレシピ検索サイトを立ち上げた。

「何だ、ナベヤキウドンとは土鍋で煮込んだうどんの事ではないか。焼いても炒めてもいないのになぜ『鍋焼き』なのだ。日本語は良く分からんな。…で、食べたいか、ヒュプノス?確かに温かくて美味そうではあるが」
「…………」
「そもそもそんな食欲もないか。しかし栄養を取らねば体調は回復せぬぞ。果物なら食べられるか?」

 話しながらタナトスはランチボックスから林檎とナイフを取り出して、ヒュプノスの返事も待たずにショリショリと皮を剥き始めた。
 手際良く芯と種を取り、四つ割にした林檎を更に切り分けて、タナトスは林檎の一切れを自分の口に入れつつヒュプノスの口元にも差し出した。

「なかなか美味いぞ!」

 …食べないと言う選択肢はないのか、と抗議しようと開けた口に林檎を押しこまれた。
 仕方なく果実を噛み砕くと、ひんやりと甘酸っぱい果汁が口の中に広がって、熱っぽい喉を心地よく通って行った。
 意外な美味さにあっという間に一切れを食べ終えると、美味いだろう?と言う得意気な声と共に食べやすく切り分けた林檎の皿が差し出された。
 有難く一切れ摘まむと、タナトスは何がそんなに嬉しいのかと思うような顔で笑った。

「ヒュプノスよ、今日の夕食はこの『ナベヤキウドン』にするか。粥では少々あっさりすぎるが、これなら皆の腹も膨れるであろう。エビテンでも入れてやれば エリスも文句は言うまい。レシピを見る限り、特別変わった食材も必要ないようだしな…ネギや卵も入れれば完璧であろう。問題は作り方だが…。………」

 …ヒュプノスは四切れ目の林檎を食べ終えてから、漸く兄神に声をかけた。

「ところでタナトスよ。TheWorldはどうなったのだ」
「……!」

 熱心に鍋焼きうどんのレシピを調べていたタナトスがハッとした。
 慌ててネットゲームの画面を確認し、しまったと呟きながらゲームにログインして慌しくカタカタとキーを叩いている。
 …タナトスはネットゲーム『TheWorld』を遊ぶ時も『タナトス』と言う名のキャラクターで遊んでいて、『タナトス』のプレイヤーが城戸財閥ブラン ドのモデルタナトスと同一であることも隠していない。故に、ネットゲーム内でタナトスと一緒に遊びたいと思うタナトスファンの人間は多く、彼がパーティー の募集を始めるのを待っていたプレイヤーがそれなりの数いたのだろう。
 寝台に横になったままゲームの画面に目をやると、あっという間にメンバーの枠が埋まったらしく、『待っていたのにPTに参加できなかった皆、すまない。俺宛てにメッセージを送っておいてくれ、次の機会に優先して誘うから』とゲーム内のタナトスが発言しているのが見えた。
 あのタナトスが、ゲームの中とは言え人間を相手にこんなことを言うようになったとはな。
 ヒュプノスが微かに口元を綻ばせると、タナトスが片手でマウスを動かしながらもう片方の手でランチボックスからアイスクリームを取り出した。

「すまんがヒュプノス、俺はしばらくゲームに専念する。これでも食べて待っていろ」

 相変わらず、兄の脳内には『食べない』という選択肢は存在しないらしい。
 渡されたアイスはひんやりと冷たいままで、恐らくヘカーテの小宇宙で凍らせてあるのだろう。
 ならば放っておいても溶けてしまう事はなかろう。漸くタナトスが静かになったことだし、少し眠らせてもらうとしよう。
 ヒュプノスはアイスをサイドテーブルの片隅に置いてそっと目を閉じた。






 ヒュプノスは夢を見ていた。
 寝台に横たわる兄と、寝台の傍らに置いた椅子に座って、兄の手をきつく握っている自分。
 …それは、遠い日の記憶。
 兄が目を開けてくれることを、ただそれだけを願っていた子供の頃の記憶だ…。
 ……………。
 目を開けると、視界の端に兄神の銀色が見えた。

「タナトス…?」

 顔を動かすと、額に乗せてあった布が滑り落ちた。
 拾おうとして初めて、ヒュプノスは自分の右手をタナトスの両手が包み込んでいることに気付いた。
 …その手はあたたかい。
 タナトスの手に初めて触れた者はほぼ例外なく驚く。『冷ややかな銀の姿をした、冷たい死を司る神なのに、命を摘み取るその手はあたたかいのか』と。
 まだ違和感の残る喉でヒュプノスは尋ねた。

「…何故、私の手を握っている?」
「俺の小宇宙を分ければ早く治るかと思ってな」
「怪我ならともかく、病気にも効果があるのか?」
「それは分からんが…。まぁ、変な言い方ではあるが良い機会だから昔の礼をしておこうと思ってな」
「礼?」

 怪訝そうな顔をする弟神に、兄神は柔らかく銀の眼を細めた。

「子供の頃にワイバーンを狩りに行って失敗して俺が大怪我を負った時、お前はずっと俺の横にいて手を握っていてくれただろう?あの時の礼をまだしていなかった事を思い出してな」
「あれは…」

 風邪が理由ではなく、ヒュプノスは声を詰まらせた。
 あれは。
 お前が大怪我を負ったのは、私が余計な事をしたからだ。私がお前の手を握って小宇宙を分け続けたのは、少しでも罪滅ぼしをして償いたかったからだ。
 なのに、だから、礼など…。
 タナトスは目を見開き絶句するヒュプノスの額に冷たい布を戻した。

「俺は嬉しかったぞ、お前が俺につきっきりで手を握っていてくれたことが」

 そう言って笑ったタナトスは、『だからヒュプノスも俺が付きっきりで手を握っていたことが嬉しいはずだ』という自分の考えに露ほどの疑いも持っていない。
 全くお前は…本当に、仕方のない奴だな。
 心地よいぬくもりにヒュプノスが目を閉じると、『俺が付きっきりで手を握って小宇宙を分けていたのだからある程度は回復しているはずだ』と信じて疑わないタナトスは弟の病状など意に介さない様子で話を続けた。

「それでヒュプノス、ナベヤキウドンに入れるのはエビテンとカキアゲとどっちが良い?それから餅は入れるか?」
「…は?ナベヤキウドン?」

 ヒュプノスは思い切り眉根を寄せた。
 何だかいい雰囲気だったのが急にブチ壊された気分になった。
 子供の頃の思い出を懐かしく語っていたのに、いきなり鍋焼きうどんの話題??
 弟の機嫌が急降下した理由など気にする様子もない兄は、ケロリとした顔で頷いた。

「お前が寝る前に言ったであろう、『今日の夕食はナベヤキウドンにするか』と。もう忘れたのか?風邪で頭がぼけているのか?」
「いや、覚えてはいるが…。あれは相談ではなく決定事項だったのか?」
「あの時点では相談だったが、お前は結論が出る前に寝てしまったではないか。仕方ないから皆に相談した結果、今日の夕食はナベヤキウドンと決まったのだ。…で、エビテンか?カキアゲか?餅は?今すぐ決めろ、皆が腹を空かせて待っているのだからな」
「……………」

 この馬鹿兄貴。
 良い雰囲気をぶち壊し、風邪をひいた弟の腹具合も食欲も無視し、挙句うどんに天ぷらを入れるのは決定事項か。しかも何故海老とかき揚げの二択なのだ、白身魚とか野菜とかの選択肢が無いのはどうしてだ。
 何だか色々とムカついたヒュプノスは無愛想に一言だけ返した。

「磯辺揚げ」
「イソベアゲ?…ああ、あの青海苔の衣がついた竹輪の天ぷらか。分かった、お前はイソベアゲだな。で、餅は?」
「…どうでもいい」

 選択肢にない答えを言うなとか真っ当な突っ込みをしてくるかと思ったらナチュラルに了承され、ヒュプノスはぐったりと脱力して投げやりに呟いた。
 やたらと直感が鋭い癖に変な時に鈍い兄は、弟が疲れた顔をしている原因は風邪だと思ったらしい。
 小宇宙を分けても風邪には効果が無いか…と首をひねりながら部屋を出て行った。
 そんなタナトスの後姿を見送ってヒュプノスは盛大に溜息をついた。
 …全く、愛すべき馬鹿兄貴が。





 
 …タナトスが張りきって用意した天ぷらと卵と野菜と伊達巻入りの鍋焼きうどんは予想以上に美味だった。風邪で食欲が落ちているヒュプノスも綺麗に平らげ、エリスとイケロスはお代りまで要求するほどだった。
 夕食が済むと、ヒュプノスを寝室まで送ったタナトスは一旦自分の神殿に戻り、枕や寝間着を抱えて戻ってきた。
 当たり前のような顔をして弟神の氷枕の隣に自分の枕を置く兄神の姿に、ヒュプノスは驚いて金色の睫毛を瞬いた。
 まさか一緒に寝るつもりか?
 一心同体の双子神がひとつの寝台で兄弟一緒に眠る事など、普段なら珍しくも何ともないが、今のヒュプノスは風邪をひいている。
 弟の複雑な顔に気付いたのか、タナトスが怪訝そうな顔になった。

「何だ?」
「タナトス、ひょっとして私と一緒に寝るつもりか?」
「何か問題でも?」
「風邪がうつったらどうする」
「フフッ…うつるだと?お前の風邪が、俺に?馬鹿を言え、あり得ぬわ。軟弱者のお前と違って、俺は風邪のウイルスに負けたりはせぬ故な」

 弟神の尤もな質問を、兄神は鼻で笑い飛ばした。
 真面目に兄を心配したのに笑われたヒュプノスは冷ややかに言い返した。

「そう言えばタナトスよ、馬鹿は風邪をひかないと言う都市伝説があるそうだな」
「……………」

 金の神の皮肉に銀の神はムッとなって片眉を吊り上げた。

「風邪は他者にうつすと早く治ると言う都市伝説もあるぞ、ヒュプノスよ」
「ああ、それは私も聞いたことがある。…それが?」
「分からぬか、馬鹿が」

 タナトスは雑な所作でヒュプノスの隣にもぐりこむとニヤリと笑った。

「俺にうつして風邪を治してみるがいい。出来るものならな」
「…受けてやろうではないか、馬鹿兄貴。全力でうつしてやるから私の手を握っていろ。まさか嫌だとは言うまいな?」
「望むところだ、この愚弟」

 ヒュプノスが挑戦的な笑みを浮かべて差し出したその手を、タナトスは面白そうに笑いながら握り返して。
 …ふたりは寄り添うようにして眠りについた。子供の頃と同じように手を繋いだまま。



NEXT      


星矢部屋
総合目次
SS・2012時代
SS・神話時代
SS・蟹座達


  ツイッターで何気なく「タナトスと林檎と風邪」のネタを呟いたら反応を頂けて、そこから話が膨らんでできたSSです。
 当サイトタナトスは面倒見のいいお兄ちゃんキャラなので、ヒュプが風邪なんてひいた日には大はしゃぎ+大張りきり+大喜びで看病をしそうだなぁ…と思い まして、こんな感じに。全体的な雰囲気としてはSS「兄弟」みたいな、タナヒュプタナで普段よりちょっと糖分多め、な展開にするつもりです。
 さりげなーく何の説明もなくルコとトクサが出ています。ふたりが21世紀の時間軸にいることは軽くスルーして頂いて(………)、何故このふたりがタナト スとそれなりに親しくしているのか?と言いますと。彼らは、以前ブログでネタにした『タナトス親衛隊』の試験にパスしたからです(タナトス親衛隊ネタは解 説の最後に記載)。薬草作りが得意なルコは魔術の神でもあるヘカーテ直属の部下みたいな立場で、かつ冥界の主治医の立場にいるかなと。で、これと言った立 ち位置の無いトクサはルコの助手と言うポジションに仮置きしました。ルコはペコフ(ペフコ?)を可愛がる感覚でトクサに接してるんじゃないかな。
 ちなみにルコがヒュプノスに言っている、「早く風邪を治したいなら薬に頼らず寝ていた方が良い」と言うのはTVの健康番組か何かの受け売りです。信憑性は定かではありません。
 そしてまたさらっと名前が出ているネットゲーム『TheWorld』ですが、何だったっけ?と言う方はSS「世界」をお読みください。
 豆知識ですが…。ネットゲームは定期的にメンテナンスが行われ、メンテナンスの最中はゲームを遊ぶことが出来ません。タナトスがツイッターで『ネトゲを やるからパーティーメンバーを募集する』と発言したので、彼とパーティーを組みたいプレイヤーがメンテナンス終了と同時にゲームを開始して、タナトスが パーティーメンバー募集を始めるのを今か今かと待っていたんだと思います。
 ヒュプがちょっと触れていたワイバーン云々の話はまた別のSSで。
 そして、今後の展開はバレバレだと思いますが続きます。

 以下、『タナトス親衛隊(の、入隊試験)』についてブログで描いたネタ小話。

 一体ナニかと申しますと「タナトスと絡む要素があり、タナトスの事が好きそうなのに、当サイトのSSにはチラとも顔を出さないキャラ達」が、当サイトのSSに出て来てタナトスサマと絡む権利をゲットする試験、というネタです(長いよ)。
 具体的なメンバーは、既に顔出しして立ち位置が確立されていますがオルフェウス、マニさん、トクサ、ルコ、ベロニカ、サガの六人です。
 で、入隊試験の試験官はタナトスを守る鉄の双璧ヒュプノスとヘカーテです。人間の皆さん、既に勝てる気がしない。なのにいきなりヘカーテ様が爆弾投下。

ヘカーテ 「タナトスに絡みたければ私達を倒して行け!」

 無理です。
 …という訳で(何が)、ヒュプかヘカーテ様のどちらかに認められれば親衛隊入隊を許可され隊員番号を渡され、一番から五番までがSSに参加してタナトス と絡めると言うルールに変更。オルフェウスはもう登場してるので、残り四枠を五人で争うと言う訳か。勝率は高いぞ!と皆が思ったところにヘカーテ様二個目 の爆弾投下。

ヘカーテ 「ちなみに隊員番号だが。一にヒュプノス二に私、三・四がなくて五にオルフェウスだ!」

 一同突っ込みます。全力で突っ込みます。それ試験の意味ない。
 すったもんだで、隊員番号六番以降は補欠扱いという落とし所が決まって試験開始。ヒュプが出した条件は「入隊希望の男は、タナトス以外に愛する者がいる 事」。ベロニカ以外は胸を張って言います。エウリュディケです。ペフコです。ユズ姉さんです。カノンです。お師匠です。ベロニカさんだけ困った顔。

ベロニカ 「私、身体は男でも心は女よン」

 ヒュプの判断は…

ヒュプ 「ベロニカとオルフェウスは一次試験合格。他は失格」

 なんでやねん。
 ヒュプは条件を後出しします。「愛する者は四親等以上離れた異性でなければならない。故に仕切り直し」。
 …ルコとトクサ、脱落。マニさんとサガはアテナの名を挙げて判断保留。
 ここからフリーPRタイム。
 ルコさんはしたり顔で言います。

ルコ 「私のタナトス様への気持ちは、弟子を救って頂いたことに対する純粋な信仰心。他の皆の様な不純物は混じっておりません」

 嘘付け、いや自分だって純粋だと他のメンバーが突っ込んでヒュプとヘカーテが判断に迷う中、ルコさんは言います。

ルコ 「親衛隊に加われた暁には、第二獄で薬草を育ててヘカーテ様の惚れ薬製作に貢献いたします」
ヘカーテ 「ルコ、合格」

 ルコさんガッツポーズ。
 そこから各自色々PRしたり、トクサがオルフェウスと立ち位置かぶったり、マニさんとサガがちょっと口論したり、ゴレンジャーネタになってマニさんだけノリに付いていけなかったり、そんなユルい展開を考えています。
 タナトス様の親衛隊入隊試験も、試験をやってると聞いたらタナトスは最初は文句言いそうです。『俺を慕って集まった奴なら拒まんぞ。信仰も集まる し!!』とか誰でもウェルカムみたいなことを言うんですけど、これ以上タナトスに近づいてくる人間を増やしたくないヒュプとヘカーテは『親衛隊を名乗らせ るからにはそれなりの奴を選ばないとお前の格が下がる』とか何とか言いくるめて納得させたんだと思います。で、試験はふたりに一任すると言いながら気に なってタナトスがちょっかいかけに来てますます話がややこしくなりそうな…(笑)。