| …数日後。 すっかり体調が回復したヒュプノスは急ぎ足にハーデス神殿の会議室に向かっていた。 兄神タナトスはどうしても外せない仕事の時以外はヒュプノスと一緒に過ごしていたが、結局兄にうつすことなくヒュプノスの風邪は治ったらしい。 ほれ見た事か、お前の軟弱なウイルスなど俺には通じぬ、いや、馬鹿は風邪をひかぬと言う都市伝説は事実だと証明しただけであろう…そんな会話を交わしつ つ、タナトスが自身の寝具をタナトス神殿に持ち帰ったのは昨日のことだ。 兄弟交代で風邪をひいても皆の迷惑になるから、タナトスに風邪がうつらなかったのは良い事に違いないのだが…。 何となく釈然としない敗北感のようなものを感じつつヒュプノスが会議室の扉を開けると、地上から呼ばれたエリスも含め冥界の神々全員が既に卓についてい た。 「溜まっていた仕事を片づけていたら遅くなってしまいました…申し訳ありません」 「気にするな、皆が揃ったのもついさっきだ」 ヒュプノスはハーデスの言葉に一礼してタナトスの隣に腰を降ろした。 兄神はじろりと弟神を睨んだだけで無言のままだ。時間にうるさい兄の事、病み上がりとは言え会議に遅刻したことに何か文句を言ってくると思ったが…。 らしくない反応が気になってヒュプノスはタナトスに声をかけた。 「珍しいな、お前が遅刻に対して文句を言わぬとは。どういう風の吹きまわしだ、タナトス?」 「…俺も時間ギリギリに来たのでな。ついでに喉の不快感が無視できぬ程度には煩わしい故、あまり無駄な事は喋りたくないのだ…ゲホッ」 「喉の不快感?」 「ははぁーん。さてはタナ兄、例の戦隊モノのテーマソングを練習しすぎたんでしょ?デビュー曲の時も練習しすぎて喉を痛めてたよね、いい加減学習しなよ」 「馬鹿を言え。練習以前にテーマソングはまだできておらぬわ」 「え、そなの?」 喉の不快感煩わしいのか、顔をしかめてタナトスが返した言葉にエリスは怪訝そうな顔になった。 城戸財閥がどこぞのスタジオと提携して戦隊モノのテレビシリーズを作成するとかで、そのテーマソングを歌ってくれないかとタナトスに打診があったのは二 カ月ほど前の事だ。当初こそタナトスは気乗りしない様子だったが、秋乃や星矢から『信仰集めに一役買うのでは』と勧められて話を引き受ける方に気持ちが傾 いたらしい。 断片的な話しか聞いていないエリスは、沙織が兄神を説得してテーマソングを歌う事を了承させたのだと思ったのだが…。 タナトスは妹の問いに頷いて、『無駄な事は喋りたくない』はずなのに事情を説明した。 「戦隊モノのテーマにする歌の候補がいくつかあって、最終的に絞り込むために意見を聞かせてくれと頼まれていてな。この会議が終わったらその打ち合わせの 為に地上に行く…へぷしっ!!」 「へー、そうなんだ。何か気になるし私も一緒に行っていい?はいティッシュ。兄貴もクシャミするほど噂される有名神になったんだねー」 エリスは興味津々の顔で、くしゃみをした兄神にティッシュの箱を差し出した。 すまんな、と言いながらティッシュを受け取ったタナトスが鼻をかんでゴミ箱に入れると、一連の流れを無言で見ていたヘカーテがつかつかと近づいてきてタナトスの額と喉に手を当て、『ん?』と言う顔で彼の頬を両手で挟んだ。 ヘカーテの両手が纏った冷気が頬に心地よく感じられてタナトスがきょとんとしていると、エリスがニヤニヤ笑いながら言った。 「兄貴ったら、なーに赤くなってんの?ヘカーテさんに間近から見つめられたくらいで照れるなんて兄貴らしくないよっ」 「は?何の事だ?」 「やだやだ、とぼけちゃってさぁ」 「タナトス、お前…」 タナトスの頬から手を離したヘカーテが至って真顔で言った。 「ヒュプノスに風邪をうつされたな?」 「え?」 「くしゃみ、咳、喉の痛み、扁桃腺の腫れ、ついでに熱もある。典型的な風邪の症状ではないか」 「っはぁ!?嘘でしょ、兄貴が風邪なんて!馬鹿は風邪引かないんだよ!?」 「何だとエリズ…へくしっ!!」 「ほら、風邪だ」 「…………」 どこか釈然としない顔をしているタナトスを見ながら、皆は意外そうな顔を見合わせた。 「馬鹿は風邪をひかない、と言うのはやはり都市伝説だったのであろうか」 「それは人間にだけ当てはまる法則だったのかもしれませんね」 「そもそも馬鹿の定義とは何なのかが問題です」 「え、そこから?」 「まぁ待て、皆。その議論をするのは今日でなくともよかろう。…タナトス」 「何だ、ヒュプノズ」 「お前の症状が風邪かインフルエンザかそれ以外か、現時点では判別がつかぬ。しかし体調が優れぬのは事実のようだ。ここは今すぐ自室に戻って医者の診察を受けるべきだろう。皆にうつってしまってからでは遅いからな」 「……………」 「さぁタナトス、神殿に戻るぞ。オネイロス、会議が終わったらドリュアスのルコを呼んでくれ」 「畏まりました」 何だか釈然としない仏頂面で黙り込むタナトスの腕を掴んで、ヒュプノスは兄神を引きずるようにしてタナトス神殿に向かった。 「本当にお前は馬鹿だな、タナトスよ」 「…………」 「風邪がうつるぞ、と私は忠告したのに…馬鹿を言えあり得ぬわと言いながら風邪を引いていれば世話はないな」 「…………」 「お前が風邪でダウンしたことはサガに知らせておいた。後は奴とマニゴルドで適切に仕事のスケジュールを処理するそうだ」 「…………」 「何か食べたいものはあるか?アイスクリームとプリンとゼリーと、後は林檎も持ってきているが。…ん、アイスか」 豪華な羽根枕にアイスノンを置き、額には冷たいタオルを乗せ、顔にでかでかと『不機嫌』と書いたタナトスが無言でカップのアイスを指差した。ヒュプノス はパソコンを操作する手を止めてアイスの蓋を開け、一口掬って差し出した。タナトスは素直に口を開けてアイスを飲み込むと、僅かに不機嫌の 色を薄くして手を伸ばして弟が持っていたアイスとスプーンを取って自分で食べ始めた。 …タナトス神殿に呼び出されたドリュアスのルコは、半ば無理矢理寝台に寝かしつけられて仏頂面になっているタナトスを手際よく診察すると、穏やかに微笑ん で『典型的な風邪ですね。弟君の風邪がうつったのでしょう。栄養を取ってゆっくりお休みになる事をお勧めします』と言った。 そこから先の展開は言わずもがな、である。 冥界の神々は『ほーら言わんこっちゃない』と面白そうに笑い、ヒュプノスは『皆、風邪がうつったら困るから見舞いはそこそこにお願いします。 ああ、ヘカーテ様は別室でお待ちいただけますか。アイスノンを凍らせて欲しいので』とどこかで聞いたことのある言葉をクスクス笑いながら言い、タナトスは むくれにむくれながらも、『症状を誤魔化しつつのろのろ風邪を治すなど俺の性に合わぬ!』と言って大人しく休むことにした。 かくしてヒュプノスは『うつした私に風邪が戻ってくることはないだろうから』とそれっぽい事を言いながら兄の看病を買って出たのだ。 「林檎も食べるか?…ところで、例の戦隊モノのテーマソングはどうするつもりだ?先ほど皆で賭けをしたのだが、皆が皆『分かったような分からないような理 屈で押しつけられてウヤムヤと引き受ける羽目になる』方に賭けてな…これでは賭けにならぬではないか。そうだろう、タナトス?」 「…………」 普段なら一々可愛くない言葉を返してくる兄神が黙っているのが妙に楽しくて、兄をひとり占め出来ている嬉しさもあってヒュプノスはいつになく饒舌だった。鼻歌も出てきそうな上機嫌で林檎の皮をむき、兎の形に切りながらヒュプノスは言葉を続けた。 「ところで、テーマソングの件だが。お前のことだ、どうせアテナや秋乃様に言いくるめられて『こんなはずでは…』と言いながら仕事を引き受けるのだろう?そんな醜態を晒すくらいならお前から先に条件を出してさっさと引き受けた方が良いと私は思うぞ」 「いい加減黙れ、ヒュプノス」 まだ兎になりかけの林檎のひと切れを弟の手から奪い取り、乱暴な所作で噛み砕きながらタナトスが苛々と言った。 「お前は言っても仕方のない事を長々と…。大人しくその口を閉じろ、さもないと…ゲホ、ゴホッ!!」 「さもないと…何なのだ、タナトス」 咳をした拍子に額から滑り落ちたタオルを兄神の額に戻してやりながらヒュプノスが尋ねると、タナトスはじろりと弟神を見て言い放った。 「ヘカーテ様を呼んで『裸ワイシャツにオプションで猫耳とシマシマ柄パンツを付けて添い寝して下さい』と頼むぞ!」 「………………」 なんだその脅し文句は。 予想もしなかったタナトスの言葉にヒュプノスはしばらく唖然として、眉間に皺を寄せ、不満タラタラの顔で渋々口を閉じた。 自分がここで黙らなければ、タナトスは本当にヘカーテを呼んでこのふざけた依頼をするだろう。それを受けたヘカーテは大喜びでリクエスト通りのコスプレをして兄の寝台に潜り込むに違いない。彼女のことだ、弟のヒュプノスが同席していてもお構いなしだろう。 そうしたらほぼ間違いなくタナトスの風邪がヘカーテにうつり、彼女が風邪で寝込んだら、ヒュプノスと一緒に過ごす時間を削ってタナトスは彼女の看病に時間を割くだろう。 …冗談ではない。 ヒュプノスが唇をへの字に引き結んで林檎を兎にする作業に戻ると、タナトスはしてやったりと言う顔でフフンと笑うと残りの林檎を口に入れた。一切れ目の林檎を食べ終わったタナトスが二切れ目を口に入れた時。 ぽこん、ぽこん。 妙に間の抜けた音で寝室の扉がノックされた。 「見舞いに来たぞ、タナトス!喜べ、特別サービスでナースコスをしてやったぞ!」 「……………」 扉の外から聞こえた余りにもナイスタイミングすぎるヘカーテの声に、タナトスは肩を震わせて笑いだし、ヒュプノスは微妙極まりない顔になった。 正直門前払いしたいのだが、ヘカーテ相手にそれをやっては余計に揉めて面倒なことになるのが目に見えている。『風邪がうつってはいけないから』と言う口 実で早々にお引き取り願おう…そんな事を思いながら寝室の扉を開けたヒュプノスは、ひょいと扉から顔を覗かせたヘカーテの姿ににあんぐりと口を開けた。 美貌の女神はトナカイの着ぐるみを着てノーパソとランチボックスを持ち、ついでに着ぐるみの頭部にピンクのナース帽をくっつけている。 激しく咳き込みながら爆笑している兄神にジト目を向け、ヒュプノスはそのジト目のままヘカーテを見た。 「…一応お尋ねしますがヘカーテ様、一体どこがナースコスなのです?」 「お前の眼は節穴か、ヒュプノス。ちゃんとナース帽をかぶっているではないか!」 「そのお姿はナースコスと言うよりトナカイの着ぐるみのように見えますが」 「普通のナースコスで見舞いに来ても、お前に『風邪がうつるから早く帰れ』と言われるだろうしな。着ぐるみの頭部がマスク代わりになるし、タナトスの受けも取れ るし、この格好ならお前も『帰れ』とは言いにくいだろうし、色々と都合が良いかと思って。…まぁ、兄弟水入らずの時間を邪魔するな、と言うなら見舞いの品だけ置い て帰るが」 「………………」 ぴょこんと着ぐるみの頭を傾げてそう言われては、お引き取り下さいとは言いにくい。 …ここで追い返して、自分がいない時にタナトスが冗談半分に言ったようなとんでもない格好で訪問されるよりはましだ。 自分にそう言い聞かせながら、ヒュプノスは頭部にナース帽をくっつけたトナカイを部屋に招き入れた。 ひょこひょこと部屋に入って来たヘカーテは着ぐるみの手の部分だけを外し、ランチボックスからアイスクリームと瓶を取り出した。瓶の中にはカラメルソース色のジャムのような物が入っている。 「ヘカーテ様、ケホッ、その茶色いコンポートのようなものは何ですか?」 「酷い風邪声だな、タナトス。…これは林檎のキャラメリゼだ。林檎をバターで焼いて、カラメルソースで味をつけてある。バニラアイスと一緒に食べると美味だぞ!…と言いたいのだが、林檎もアイスも被ってしまったようだな」 「ぞうですね…では、夕食後に頂くとしまず」 「ところでヘカーテ様、そのパソコンは何のために持って来たのです?」 「ん、お前達と一緒にTheWorldの気楽なクエストでも攻略しようかと思ってな。タナトスのことだ、弟に風邪をうつされたことにムカついて大人しく 眠っている気などさらさらないだろうし…ネトゲのチャットなら声を出さずに会話が出来るから良い退屈しのぎになるだろう?」 「…ああ、なるほど」 ヒュプノスがちらりとタナトスを見ると、兄神は楽しげに笑いながら寝室の片隅に置いてある簡易な卓と椅子を指差した。ヘカーテの為に用意してやれ、と言いたい のだろう。今日は兄をひとり占めするのは無理だ、と早々に諦めたヒュプノスは卓と椅子を兄の寝台の横に移動させた。ついでに兄神の寝台の上にテーブルをセットしてタナトスのパソコンも用意してやる。 パソコンの電源を入れると、タナトスは携帯を取ってトナカイに向けた。 「ヘガーデ様」 「ん?」 カメラを向けられたことに気付いたヘカーテはご丁寧にミトンの手をはめ直してポーズをとった。 パシャリ。 ナーストナカイの写真を撮ったタナトスは『彼女がナースコスで見舞いに来てくれたぞ(笑)』というコメント共にツイッターに写真を投稿した。 …TheWorldにログインした神々がクエストを始める準備をしていると、タナトスの携帯が鳴りだした。着信画面の『マニゴルド』の文字に、タナトスは怪訝そうにしながら通話ボタンを押した。 「俺だ」 『おー、こちらマニゴルド。サガから話は聞いたけど、予想以上の風邪声だなタナトス様』 「何かあったか?」 『何かあったかじゃねーだろ。風邪でダウンしたのはどこのどいつ様だよ?おかげで今日明日の仕事の打ち合わせ全部キャンセルしなくちゃいけねーし、それに関して相談したかったんだけど、その声じゃ無理そーだな。ツイッターが出来るならツイッターで打ち合わせすっか?』 「いや、ツイッターは第三者にも見えるがら…へくちっ!…コホッ、まずいだろう。TheWorldに来れぬか?」 『ああ、その手があったか。了解、今からゲームに繋ぐから、俺がログインしたらそっちからパーティー誘ってくれや』 「分かった」 …マニゴルドとは仕事の打ち合わせだけをするはずだったのに、星矢達も一緒にログインして来たせいであれよあれよと言う間に本格的なボス攻略をする事に なってしまった。風邪のタナトスは最初こそリーダーをヒュプノスに任せていたが、手際の悪さを見ていられず途中でリーダーを交代し、張り切ってボス討伐クエストの陣頭指揮を 執った。 そのせいで風邪が悪化して一週間寝込む羽目になり、その一週間で彼の預かり知らぬところで戦隊モノの話が進んでしまうなど思いもせずに。 |
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| 第一話の終わり方で天界はバレバレだったと思うのですが、今度はタナトスが風邪ひきです(笑)。「馬鹿は風邪引かないんだよ!」と叫ぶエリス、「ヘカー
テ様に裸ワイシャツry」とイミフな脅し文句を言うタナトス、トナカイの頭にナース帽をくっつけて登場するヘカーテ様…と小ネタは前々から決まっていたの
でそれを繋いでいく感じで話を造りました。戦隊モノの話はコラボの第8話で出て来たネタを流用しました。戦隊モノネタも妄想はしてるので、いつか…書けた
らいいなぁ…と思っています。第二期(二クール目)のEDテーマは当サイトタナ+蝶様タナ様(ちみっこ)のデュエットで『タラシーズのマヨネーズ』と言う
タイトルになる、というどうでもいいことが決まってたりします(笑)。 細かい解説ですが…ヒュプが連絡を入れたのがマニさんでなくサガの理由など。一応サガの方が年上で礼儀正しいと言うのもありますが(マニさんは神とか人 とか気にせずざっくばらんだけど、サガは敬意を払いそうだし)、蝶様世界のマニさんがタナトスを大好きだったと言うのを気にしてるから、ヒュプの好感度は 「サガ>マニさん」なのです。「あの世界の蟹座とこの世界の蟹座は別人だが、同じ蟹座故、この世界の奴がタナトスに良からぬ感情を持つ可能性も無くはな い…」と疑ってる感じでしょうか。 次の3話目で完結させたい。次は聖域メンバーの様子をメインにオチまでのエピになる予定です。 ちなみにヘカーテ様が持って来た林檎のキャラメリゼの作り方。 材料→林檎1個、バター大匙1、砂糖大匙1、水大匙1。 作り方→林檎の皮をむいて(好みで剥かなくてもOK)8〜16等分に切る。フライパンか鍋に砂糖と水を入れ、ゆすりながら(←重要。ゆすらないとまだら に焦げます)砂糖が茶色く色づいてブクブクしてくるまで加熱。焦げ茶くらいになったらバター投入。バターが溶けたら林檎投入。両面こんがりと、林檎がしっ とりするまで焼いて下さい。林檎から結構水分が出ます。熱いままでも、冷たくしても美味しいです。日持ちはしないので早めに食べましょう。バニラアイスに も合いますし、クレープやトーストにも合います。お好みでシナモンを振ってどうぞ。 |