| 表からはこじんまりした店構えに見えた洋菓子店エルミタージュは、意外に内装は広く喫茶スペースも完備していた。 店長の秋乃いわく『特別なお客様用』の個室には素人目にも高級と分かる椅子やテーブルや調度品が置かれ、飲み物のカップ一つとっても並大抵の代物ではない。 そして何よりも。 沙織が太鼓判を押すだけあって、供されたケーキやデザートはコース料理を食べてきた胃袋にも無制限に入りそうなほど美味だった。 神々は積もる話もあるだろうし…と、星矢達は余計な口を利かずにデザートを堪能する事に専念していたが、沙織と秋乃は当たり障りのない世間話をするばかり、双子神は核心に触れる話に入るタイミングを計りかねている様子で言葉少なにデザートを口に運んでいる。 じれったくなってきた星矢は一つ目のケーキを食べ終わったタイミングで話を切り出した。 「ところで秋乃さん、沙織さんから『実はあなたは冥王ハーデスの妃ベルセフォネーなの』って言われた時、すんなり信じたんですか?何を変なこと言ってるんだろうこの人とか、思わなかったんですか?」 「そう…ですね…。驚きはしたけど、疑いはしなかった気がします。そのお話が出る頃には沙織さんとは仲良くなっていて、彼女がおかしなことを言う方じゃな いと分かっていましたし、初めてお会いした時にも何だか懐かしい友人に会ったような感覚がしてましたし。ちょうど身の回りで信じられないような出来事が起 きていた時期でしたから、案外すんなりと受け入れちゃいました」 「あっさりと『そうなんですか』って納得されて私も意外でしたわ。その後に『じゃあ、ハーデスはどこでどうしてるんですか?ひょっとして私の近くにいたりするんですか?』って聞かれて返答に困りましたけど」 「………」 双子神の手が一瞬ビクッと止まり、過去の悪戯を母親にほじくり返された子供のような顔で唇を開き、言いかけた言葉を押し込むようにデザートを口に運んだ。 この神様達にとっちゃ今の状況は針のむしろかもなぁ、と星矢が冥王の保護者に同情していると、沙織が明るく話を続けた。 「続けて『ひょっとして私の知らないところでハデスとオリンポスの神が地上の覇権を巡って争ってたりするんですか?』って聞かれて、その時はびっくりしま した。秋乃さんにベルセフォネーの記憶は全くないと思っていたのに、まるで聖戦の事を知っているような質問でしたから…思わず『どうしてそう思うんです か?』って逆に質問しちゃいましたわ」 「沙織さんが凄く真剣な顔で聞いたから、理由を言うのがめちゃくちゃ心苦しかったというか、恥ずかしかったですよ」 「どんな理由だったんです?」 瞬の質問に美貌の女神達は顔を見合わせ、同時に答えた。 「「昔好きだった少女漫画にそういう話があったから」」 「少女漫画っすか…」 「ギリシア神話の神様達が現代の人間に転生して、地上の覇権を巡って戦うって話だったんです。正確には、世界征服の野望を持ったゼウス一派と、結果的に彼らの野望を阻止する事になったハデス達ってお話」 「大神ゼウスが悪役か…人間の不敬もそこまで行くと呆れるのを通り越して感心するな」 「興味深いですね、その作品ではハーデス様やベルセフォネー様はどのような立ち位置なんですか?」 ヒュプノスの質問は本題に入るきっかけを造りたいがためのものだったが、秋乃は真面目に考える風で口を開いた。 「ええと…ベルセフォネーは世界の覇権を握るために必要なキーパーソンで、世界を完全に支配したいゼウスは彼女を手に入れようとするんです。でも、事情を 知らないヘラは『ゼウスの正妻の地位をこいつに取られるんじゃないか』って心配になってベルセフォネーを殺しちゃって…世界征服の鍵が消滅したことで神の 時代は終わって、ギリシア神話の神々は人間として現代に転生して、ベルセフォネーを巡って戦いが始まる。ハデスは世界征服なんて興味なくて恋人と一緒に暮 らしたいだけなんだけど、ゼウスがベルセフォネーを狙ってくるから彼女を守るために戦う…と。かなり乱暴に纏めるとこんな感じです」 「はぁ…」 双子神は分かったような分からないような曖昧な表情をしている。そもそも地上の漫画の内容に本気で興味があった訳ではないので無理もないのだが。 彼らが聞きたい事が何なのか大体察しがついていた沙織は、質問がしやすいように話を誘導することにした。 「私も秋乃さんに話を聞いてその漫画を読んでみたんです。ヒロインが世界征服の鍵とか、彼女だけ前世の記憶が無くていつも訳も分からず事件に巻き込まれるとか…ある意味お約束ですけど、ベルセフォネーの記憶はいつ戻るのかしらってもどかしくて仕方なかったわ」 「ですよねー。オルフェウスとエウリュディケの話を聞いた時にも『前世からの運命の恋ってロマンチックね』とか言って、『あなたの前世からの運命の恋人が今すぐ隣にいるでしょー!』って、もう歯痒いったら」 「…と、記憶の戻ってないベルセフォネー様が仰せでございます」 絶妙のタイミングで絶妙に的確な突っ込みを星矢が入れた。 双子神が僅かに眼を見開き、沙織は微かに笑い、龍神秋乃は一瞬きょとんとしてから唇を尖らせた。 「…だって、ハデス…ハーデス?は私の近くにはいないんでしょう?漫画のハデスは『私達は必ずもう一度出会うわ、その時は誰よりも早くに私を見つけて』っていう前世の約束を守ってちゃんとベルセフォネーを見つけてましたもん。私に文句言われても困りますっ」 「「…返す言葉もございません」」 「あ…あなた方が謝る必要なんてないですよ?悪いのは私を見つけられないハーデスですから!」 「………」 「その話題は触れないであげよーぜ、冥王サマの保護者の心の傷をガリガリ抉るみたいだし」 「…しかし、我々に会ってもベルセフォネー様の記憶は戻らないとなると…やはりハーデス様ご本人にお会いして頂くしかないのでしょうか」 悪気のない秋乃の言葉に実は結構傷つきながらもヒュプノスは漸く本題に入った。 抹茶パフェの白玉を飲み下して気休め程度に喉と頭を冷やしたタナトスが口を開いた。 「しかしどうやってだ?阿頼耶識どころか小宇宙にも目覚めていないベル…秋乃様をエリシオンに連れて行くのは危険すぎる。魂は女神であっても肉体は人間で あろう?仮に神の血を浴びたとしても神の道を無事に通れる保証はどこにもないぞ。かと言ってハーデス様も今は寝台に起き上がるのがやっとの状態だ、とても 地上まで出向く事は出来ぬ」 「うむ…漸くベルセフォネー様を見つける事が出来たのだ、一刻も早く会わせて差し上げたいが…」 「……?あんたら、何を悩んでるんだ?ハーデスが動けるようになってから地上に来ればいいじゃないか。そんなに焦る必要ないだろ?」 「…天馬星座よ。お前は、ハーデス様が動けるようになるのが百年後であっても焦る必要は無いと思うのか?」 「ひゃ…百年!?」 素っ頓狂な声を出した星矢に銀と金の神は呆れたように眼を眇めて細く息を吐いた。 「神は人間とは比べ物にならぬ長い時を生きる。その神が体や魂に傷を負えば、傷を癒すのに必要な時間もまた人間とは比べ物にならぬほど長い」 「人間に傷つけられた我々ですら、普通に動けるまで二十年かかった。アテナの小宇宙を纏った人間の武器で魂に傷を負わされた私の息子達は傷を癒すのに二百 年かかった。ではアテナの小宇宙で直接肉体と魂を傷つけられたハーデス様が動けるようになるには、一体どれだけの時が必要だと思う?」 「う、うーん…。愛しの奥さんに会わせてあげたいのは山々だけど、一か八かで神の道に飛び込むのはリスクが高すぎるなぁ…」 「じゃあアレはどうだ?あんたらがパンドラに与えた、神の道も通れる通行許可証」 「あれは小宇宙に目覚めていなければ効果は発揮されぬ」 「えっと…じゃあ秋乃さんを一時的に冥闘士にしたら?冥闘士になれば修行なしで小宇宙を体得できるんでしょう?」 「冥闘士になるには魔星に選ばれる必要がある。しかし魔星が選ぶ魂を我々が決める事は出来ぬのだ」 「うがー!あんたら、どうしてそんな融通の利かないモン作るんだよ!そーゆー中途半端なものばっか作ってるから聖戦負けっぱなしだったんじゃねーの!?」 「う…うるさい!大きな世話だ!大体我々の目的は聖戦に勝利する事ではない!」 「と、手段と目的を取り違えた死神様が仰せでございます」 「この…!」 「ちょ…星矢もタナトス殿も落ち着いて!当事者のベルセフォネーを置いてけぼりで話が暴走してますよ!ここは彼女の意思を確認するのが先でしょう?」 沙織が慌てて双方をなだめると、半ば立ち上がりかけていた星矢もタナトスもハッとした顔で口を噤んで椅子に座り直した。 流石に冥妃の前で事を荒立てる気はないのだろう、タナトスが引いた事に沙織はほっと安堵の息をもらして傍らの秋乃に尋ねた。 「あなたが望むのなら私も出来る限り協力しますわ。冥妃ベルセフォネーの転生体龍神秋乃さん。あなたは、ハーデスに会いたいですか?」 「私は…」 秋乃は言いかけて一度言葉を切った。 それは迷っていると言うより、双子神への気遣いが発言を躊躇わせたように星矢達には見えた。 冥妃は一度眼を伏せて、顔を上げ、臣下達を真っ直ぐに見てはっきりと言った。 「私は、ハーデスに会いたくありません」 「!?」 「な……」 「理由は二つあります。一つ目はハーデスに会っても記憶が戻らない事が怖いから。二つ目はハーデスに会って記憶が戻るのが怖いから」 「………、………」 「……。一つ目の理由は、分かりますが、二つ目は、どういう…」 タナトスは眼を見開いたまま口を開き、何も言えずに口を噤み、ヒュプノスは掠れかけた声をどうにか押し出した。 龍神秋乃は双子神から目を逸らさず真剣な顔をしていた。 「私は産まれてから今までずっと、自分は『龍神秋乃』という人間だと認識して生きてきました。幸運に恵まれた事もあるでしょうけど、子供の頃からの夢を叶 えてパティシエになってお店を持てましたし、素敵な友達もたくさん出来ましたし、貴重な経験もしましたし、毎日がとても充実していますし、それに…ずっと 一緒に生きて行こうと思える大切な人も…恋人ではないけど…今の私には、います」 「………」 双子神の手がビクリと震え、微かに表情が強張った。 …何も言わず話を聞く姿勢を見せる臣下達に秋乃は真摯な顔で話を続けた。 「ハーデスに会ってベルセフォネーの記憶が戻ってしまったら、きっと私は、ハーデスと一緒に暮らしたくなる。でも、ハーデスと共に生きようと思ったら、私 は『龍神秋乃』をやめなくちゃいけない。龍神秋乃をやめると言う事は、パティシエの私も、お店も、友達も、家族も…そして大切なあの人も捨ててしまう事と 同じ…そんな気がするんです」 「………」 「私は、『龍神秋乃』をやめられない。ううん、やめたくない。だから今はハーデスには会いたくない。会えばきっと思い出してしまう。思い出せば、私は『冥 妃ベルセフォネーとしての自分』か『人間龍神秋乃としての自分』のどちらかを選ばなくちゃいけなくなる…でも、きっと、選べないと思うの。だから。だか ら、……」 「承知いたしました、我らが冥妃ベルセフォネー様」 深刻すぎて涙をこらえるような顔になっていた秋乃に、死の神は聖闘士達が初めて見るような柔らかで穏やかな笑みを見せた。 「『今はハーデスに会いたくない』と言うお言葉は、『次に転生した時なら会ってもいい』と解釈して宜しいですね?次に貴女が転生した時は我々が舞台を整えさせて頂きます故、ハーデス様は真っ先にあなたを見つける事は俺が保証致します」 「………」 龍神秋乃の顔から苦悩の色が消えて驚きが広がり、穏やかな微笑が浮かんだ。 その反応にタナトスは満足げに微笑んで隣の弟神を見遣った。 「ヒュプノスよ、我々は冥妃様にお会いできたことに舞い上がって冷静な思考が出来なくなっていたようだな。ハーデス様の養生にあと百年かかるのなら、百年 経ってから転生したベルセフォネー様に会いに行けば済む話ではないか。今まで冥妃様をお探ししていた数千年に比べれば、百年など大した時間では なかろう?」 「…ああ、そうだな。考えてみれば冥界は未だ半壊状態、あんなところに冥妃様をお迎えするなどとんでもない話であった。ベルセフォネー様が次に転生する時までにきちんと再建せねばならぬな」 「冥府の女王をお迎えする準備となれば冥闘士達も復興作業に張り合いが出るし、遠からず愛する妃に会えるとなればハーデス様の回復も上向くであろう。我々も冥妃様を再度お迎えする準備をじっくりできるし、良いことづくめではないか」 双子神は一つ一つの言葉を噛み締めるように紡いで、今生は人として生きてゆく冥妃に真摯な眼を向けた。 彼らの眼差しが悲しみの色を孕んでいるように見えた理由は星矢達には分からなかったけれど、秋乃は神の眼をまっすぐに見つめ返して、タナトスが『春の花が綻ぶような』と表現したあたたかな笑顔を見せた。 「私の我儘を聞いてくれてありがとう。…お義兄さん」 「……!」 「色々と忙しいでしょうけど、気が向いた時にはまた会いに来て下さいね」 「え…」 「会いに来て、よろしいのですか?」 「あたりまえじゃないですか。むしろ会いに来てはいけない理由が何かあります?」 秋乃の言葉の後半はアテナに向けられていた。 アテナはにこりと笑って首を横に振った。 「聖域と冥界には和解が成立しましたもの、訪問をお断りする理由など有りませんわ。むしろ親交を深めるためにもぜひ地上に遊びに来て下さいな。心を込めておもてなしさせて頂きますわ」 「…感謝する、アテナ」 「そうなると俺達もアテナや天馬星座を冥界に招待せねばならんな…」 腕を組んで呟いたタナトスの眼に悪戯っぽい光が浮かんだ。その唇も良からぬ企み事を孕んで淡く笑んでいる。 星矢はわざとらしく眉根を寄せて疑わしげに死の神を睨んだ。 「タナトスサマ、念のために言っておくけどよ。招待って名目で俺達に冥界復興のボランティアさせんのはやめてくれよ」 「安心しろ、相応の報酬は出す故な、ボランティアではない」 「結局労働させんのかよ!」 「コキュートスの再建はどうだ?再建に協力すれば特典として真っ先にお前達を放り込んで…あ、いや、住まわせてやるぞ」 「いらねぇ!そんな有難くない特典いらねぇぇぇ!!」 大真面目に叫んだ星矢に、皆が声を出して笑った。 それはまるで、気の置けない友人と語らっている時のような、自然で穏やかな光景だった。 社交辞令ではない再会の約束をして冥界と聖域の和平交渉は無事に終わった、その後。 車に乗ってしばらくすると、やおらタナトスは携帯を取り出して(いざという時便利だから持っておけとエリスに押しつけられたのだ)真剣な顔でボタン操作を始めた。 ヒュプノスは心底不思議そうな顔で口を開いた。 「タナトスよ、その…何を、しているのだ?」 「天馬星座達と交換した携帯番号とメアドを登録しているのだ」 「…そんな人間の道具など使わずとも、彼らが相手なら小宇宙を使ったテレパシーでいくらでも連絡はとれるだろう」 「何を間抜けな事を言っているのだヒュプノスよ。アテナも天馬星座も地上で暮らす者、我々が地上で彼らと連絡を取り合うのなら地上のやり方に合わせるのが適切であろう。そもそも小宇宙では秋乃様と連絡が取れぬではないか。…それに」 ぎこちない指の動きでボタンを押していたタナトスが、信号待ちで携帯を触っている子供をじろりと睨んだ。 「人間の子供が難なく使いこなせている道具を俺が使えぬようでは神の威厳に関わる!」 「…それが一番の理由か」 ヒュプノスはあからさまに呆れた顔をして嘆息し、窓の外に目を向けた。 …ニュクスやエリスの言った通り、地上も、人間も、神と人のあり方も大きく変わった。それは実際に地上を目の当たりにして否応なく気付かされた事実だった。 そして自分は、変化を認識し、頭で考え、理解し、動かぬ事実をどのように受け入れて関わっていくべきか、理論や理屈で考えていた。 しかしタナトスは違う。 彼は、大きく変化した諸々を肌で感じ取り、無意識に、自覚もないまま、迷いも躊躇いもなく、眼も心も開いてありのままを受け入れ、新たな世界にすんなりと順応している。 忌々しいほどあっさりと、簡単に。 そしてきっと、己の心の赴くまま意気揚々と先頭を往くタナトスの後ろを、わざと苦い顔をしたヒュプノスと嬉しそうに微笑むハーデスが追いかけてゆくのだろう。今までもそうしてきたように、これからも、ずっと。 (全く…お前は本当に、短慮で、考え無しで、愚かで…尊敬に値する、私の自慢の兄だよ、タナトス) 登録作業を終えて満足げな顔になった兄神に柔らかな眼を向けて、弟神はそっと唇に笑みを乗せた。 |
| 星矢部屋 |
総合目次 | SS・2012時代 |
SS・神話時代 |
SS・蟹座達 |
| 長かった双子神2012も、ようやく次のエピローグで一応完結となります。最後はタナトスとヒュプノスの性格の違いなどを表現してみました。ヒュプノスは色々と考えて逆に融通が利かなかったり肝心な部分を見落としたりするんです が、タナトスはあれこれ考えずに自分の感情や感覚で物事を判断して受け入れると…つまりヒュプノスよりタナトスの方が実は大物なんだよという、そんな感じ で。 |