双子神2012・霊界

EPISODE 4




 …サミット終了後は酒宴が開かれ、各国の神々は供された山海の美味、珍味を堪能し酒を酌み交わして親交を深め合った。
 そして、一通りの食事が終った頃にはサミット参加者達は三つのグループに自然に分かれていた。
 一番盛り上がっているのは、タナトス、アヌビス、オーディーン、ミクトランテクートリ、イザナミ、リューク、そしてぼたんの死神達のグループ。ぼたんとイザナミはせっせと林檎の皮を剥き、男神達は林檎をつまみに互いに酒を酌して、お国自慢で盛り上がっている。
 宴会場の一角で書類を広げて何やら真剣な顔を突き合わせているのは、L、龍神秋乃、夜神月、弥海沙の人間達。Lが今請け負っている事件に関して意見交換 をしているらしい。彼らはサミットが終わり次第さっさと帰還する予定だったらしいが、リュークが宴会に参加したいと主張したので一緒に残ることになったの だ。
 そして、死神でも人間でもないヒュプノスとコエンマは、自然にどちらのグループからも外れて差し向かいで酒を飲み交わしていた。
 コエンマは『ワシはまだ一千歳にもなっとらんヒヨッコ』と控えめに自身を評価していたが、老獪を自負するヒュプノスの話し相手も十分に務まるなかなかの男だった。
 霊界も色々あってのう…と前置きして彼が語る話は面白い。
 霊界が把握していた異世界…『魔界』と、そこに棲む妖怪と呼ばれる者達の存在、『妖怪は人間を害する存在、人間を守るのは霊界の義務』と主張し、結界を 張って魔界と人間界を隔てていた過去、コエンマが育てた『霊界探偵』と呼ばれる人間、人間界と魔界を繋ごうとした人間の存在と彼が起こした一連の事件。そ の事件が後味悪く解決した後に明るみになった霊界上層部…即ち閻魔大王の欺瞞と不正、原則自由な行き来が可能になった魔界と人間界、そして今のコエンマが 懸念している問題…。
 興味深い話に時間を忘れるほど夢中になっていると、不意に頭に酒瓶を乗せられた。
 …犯人など見なくても分かるが、ムッとした顔を見せるために視線を上げると。
 片手に酒瓶、片手で馴れ馴れしくぼたんの腰を抱いた兄がいかにも機嫌が麗しそうな顔で見下ろしていた。ちなみに酒瓶には『神殺し』と書かれている。

「…何だ?」
「何だとはご挨拶だな」
「お前は死神の皆と楽しくやっていたのではないのか」
「ああ、やっていたぞ」
「それなら何故、貴重な女性成分の半分を連れてまで私のところに来るのだ」
「ヒュプノスよ、俺は楽しく『やっていた』と言ったであろう」
「だから何だと聞いている」
「『やっていた』は過去形だぞ」
「………」

 タナトスが視線で指す先を見れば、見事に酔い潰れた死神達が死屍累々の姿を晒していた。無論タナトス自身も潰れてはいないが酔っているのは間違いない。

「この程度で潰れるとは…諸外国の死神、恐るるに足らずだな」
 
 一升瓶に直接口をつけて『神殺し』を飲む兄神の姿にぼたんが感心したように言った。

「いやぁタナトス様、気持ちいいほど豪快な飲みっぷりだよ〜。神殺しで殺せないなんて、さすが本職の死神様は違うねぇ」
「フ…他の連中が酒に弱すぎるのだ」
「お前がザルなのであろう。…死神の皆が酔い潰れたのなら、ぼたんとふたりで仲良く飲んでいればよいではないか」
「普段なら女性とふたりで飲んでいたらあれやこれやと文句を言うくせにそんなことを言うとは…コエンマの話とはそんなに面白いのか」

 やたらと変な勘が良い兄は頼んでもいないのにヒュプノスとコエンマの間に腰を下ろした。ぼたんまで腰を下ろしてお酌モードに入ったので、ヒュプノスはコエンマとのサシの話し合いを諦めざるを得なかった。

「妖怪が棲む魔界という異世界に関する話を聞いていた。我々と聖域の聖戦に近しい対立が霊界と魔界にもあったそうでな、とても興味深いと思ったのだ」
「妖怪?」
「非常に高い知能と戦闘力を持つ魔物、あるいは怪物のようなものと私は解釈した」
「まぁその解釈で間違いないじゃろう」
「『対立があった』と言うことは、今は友好関係にあるということか?」
「それが一概にそうとも言い切れんでな。ワシの目下の懸念材料であり、死神サミットを開催した理由の一つでもある」

 タナトスが興味深そうに身を乗り出したので、コエンマはさっきヒュプノスに話した魔界と霊界のしがらみや現在の関係をもう一度説明した。

「…と言うわけで、現在の魔界は三年に一回開催される魔界統一トーナメントの優勝者が大統領として君臨するシステムになっておる。力こそ正義、という考えが大抵の妖怪達に共通する価値観なのでな、今のところ問題ないようじゃ」
「大統領の命令には絶対服従か?」
「政策に不服申し立ては出来るが、それをどう判断するかは大統領次第じゃな」
「…では、『霊界なんて大嫌いだ、滅ぼしてやる!』と考える妖怪が大統領になったら、魔界総出で霊界に攻め込んでくる可能性もある訳か」
「結論を先に言われてしまったのう」

 コエンマは多少驚いたようにタナトスを見た。
 論理的思考は不得手と自称していたが、冥王の片腕と言うだけあってやはり侮れない神のようだ。
 彼は軽く頷いて説明を続けた。

「魔界も霊界も現在のトップは『穏健派』じゃ。積極的に仲良くする訳ではないが、必要以上の干渉はせず、喧嘩はしないで波風立てずやっていきましょうと… 細かい考え方の違いはあるが概ねそんな感じじゃな。しかしそれを良く思わぬ勢力は存在する。魔界にも、霊界にも、人間界にもな」
「………」
「一部の過激派がクーデターやテロを起こしたことも何度かある。今まではオオゴトになる前に対処してきたが、今後もそうだとは限らん」
 
 コエンマは一度言葉を切って林檎を一切れ口に入れた。
 タナトスとヒュプノスは真剣な顔で視線を合わせた。かつて対立していた二大勢力が表面上和解したが、双方の組織内にそれをよしと思わぬ者がいて改革を起こそうと動く…それは、冥界と聖域にも起こりうる事態だ。コエンマの話には真剣に耳を傾ける価値がある。

「ちょいと話が前後するがな、かつて魔界の三大妖怪と呼ばれた奴がこう言っておったそうじゃ。『いつか人間も海外旅行感覚で魔界を旅する日が来る。その時 に俺のような人間しか食えない妖怪は邪魔なのさ。今は妖怪達の過渡期なんだろう』と。人間しか食えない妖怪は、いずれ…人間界と魔界を自由に行き来できる 頃にはいなくなると考えていたらしい」
「…実に興味深いな。新しい環境に適応できる種が生き残り、適応できない種はどんなに強大な力を持っていても消えていく…」
「ワシもその妖怪の予感は当たると思っとる。いつか、人間界も魔界も、ひょっとしたら霊界も、混じり合い一つの世界になるのかもしれん、とな。だが、すん なりとはいかんじゃろうとも思う。良い方にばかり針は進まん。時には悪い方に進むこともあるだろう。そうやって良い方悪い方に触れながら、少しずつ少しず つ良い方に向かって変わっていくのだろうと」
「三歩進んで二歩下がるって感じですか?」

 ぼたんが酒を酌しながら尋ねると、コエンマは線目になって腕を組み、うーんと唸った。

「そんなちっさい振れ幅ならいいんじゃがのう…」
「一定の方向に引っ張られ続けた物が何かのはずみで一気に反対側に向かった時の反動は大きいだろうな」
「そう、ワシが危惧しているのが正にそれじゃ。こっち側に100まで引っ張られた物が一気に反対側に振れたら、ゼロどころかマイナス100を通り越してマイナス200あたりまで行くかもしれん」
「妖怪滅ぶべし!って信念で霊界探偵やってた仙水が、例の事件をきっかけに人間滅ぶべし!って信念になっちゃった、あんな感じですか」
「そうじゃ。人間の仙水ひとりの暴走すら、霊界だけの力では止められなかった。万が一、魔界の国王レベルの大妖怪が霊界や人間界に攻め込んで来たら、正直言って今のワシらには打つ手がない。お手上げじゃ」

 コエンマはケロリとした顔で両手を上げて見せた。
 あっけらかんと話すということは、現時点では『万が一』は起こりえないと思っているということだろうが…。
 コエンマの意図を薄々察しながら、ヒュプノスはもう少し話を聞き出すことにした。

「その、仙水と言う人間が暴走した時はどのように阻止したのだ?」
「ワシの息のかかった妖怪達に力を借りて力づくで奴を止めた」
「その妖怪とはお前の部下なのか?」
「んー…形式上は部下の奴もおれば、契約で手を組んだ奴もおる。ワシは彼らを友人だと思っとるし、奴らもそうだろうと勝手に思っとる。それぞれに事情があってその時手を借りた妖怪三人のうち二人は人間界で人間として暮らしとるよ。いつまで人間界におるかは分からんがな」
「魔界の大妖怪とやらが攻め込んできたと仮定したら、その妖怪達は霊界と魔界どちらにつく?」
「攻め込んできた妖怪が誰かにもよるが、現時点では霊界についてくれるのではないかと思う。思うが…」
「思うが?」
「彼らでは、国王クラスの大妖怪には歯が立たん。ぶっちゃけ戦力として期待は出来ん」
「………。それでこのサミットか」

 ヒュプノスがおちょこに酒を注ぐと、酌された酒を一口で飲み込んでコエンマは頷いた。

「そうじゃ。不測の事態が起きた時に霊界だけで対処できないのなら、困った時に助けてくれる友達を増やしておこう…というのがワシの結論じゃ」
「つまりコエンマ、あなたは冥界同盟のようなシステムを考えているということだろうか?」

 ヒュプノスの言葉にコエンマはうんうんと何度も頷いた。
 その姿を見ながらタナトスとぼたんは微妙な顔を見合わせた。

「あなた方も実感しておられるじゃろうが、世界はかつてないスピードで変化しておる。自分達だけ、身内だけ、仲間だけで不測の事態に対処するのは遅かれ早 かれ限界が来よう。人間達は国境を超えて交流し協力し困った時は助け合うシステムをとっくに作っておる。連盟とか、連合とかな。ここはひとつワシら霊界も その助け合いシステムを導入してみようかと思ったんじゃ」
「なるほど。諸外国の冥王や死神と交流するきっかけを作ることも、この死神サミットの開催目的だったというわけか」
「うむ。全く畑違いの誰かと協力するより、似た者同士の方が何かと話も早いしのう。…と、こういう話はもちっと交流を深めてから切り出すつもりだったんじゃが…」

 眉間にしわを寄せるコエンマの姿に、ぼたんが言いにくそうに口を開いた。 

「あのう…コエンマ様。長々と演説された後にこーゆーこと言うのも心苦しいんですけどね。『困った時は助け合おう』という話は死神様達の間で既に出ちゃってますよ」
「何じゃっとう!?」
「うむ。我々冥界の神々が聖戦において人間ごときに不覚を取ったという話をしたらな、『次にそんなことがあった時は手を貸すから気軽に呼んでくれ』と言われたぞ。まぁあくまで酒の席での口約束で、正式な同盟や契約ではないが…」
「………」

 そういうことはもっと早く言ってやれ、と言いかけたヒュプノスは、兄が申し訳なさそうにしているのを見てその言葉を飲み込んだ。
 死神達の約束はあくまで酒席での雑談で出た話だ。コエンマが正式にその話をまとめれば彼のメンツもそれなりに立つだろう。そんな弟神の心情を察したのか、タナトスはいくらか真面目な顔で口を開いた。

「コエンマよ、俺から提案なのだが…試験的に我が冥界と仮同盟を結んでみぬか?」
「ん?」
「『冥界と霊界』と言う関係が大袈裟なら、お前個人と俺達兄弟でも良い」
「なっ…タナトス、ハーデス様の了解も得ずにそれは…いくら何でも先走りすぎではないか?」
「ヒュプノスよ。慎重さはお前の長所だが、必要以上に慎重過ぎるのは短所だぞ」

 弟神の肩を抱いて強引に引き寄せ、神殺しを注いだおちょこを押し付けつつ、それにな…とタナトスはヒュプノスの耳に囁いた。

「モタモタしているうちに『地上の人間を守る』という大義で一致する聖域が霊界と正式に手を組んだらそっちの方が面倒であろう?何事も先手必勝だ」
「!………」

 酔ってはいるが頭はきちんと回っているらしい兄神の言葉に、深謀深慮な神もなるほど一理あると思い直した。
 線目になって腕組みをして真剣に悩んでいるコエンマと、上司の反応に気を取られたぼたんにはその囁きは聞こえなかったらしい。

「ふぅむ、仮同盟か…。為すべきことが大きいなら確かにお試し期間は必要じゃな。個人同士の約束にしておけば融通も利きやすく軌道修正もしやすい…よし!その話、乗ったぞ!」
「清々しい即断だな。俺はお前が気に入ったぞ、コエンマよ」
「タナトス殿もスパッと気持ちのいい性格のお方じゃな。仲良くやっていけそうな気がするぞ」
「うんうんうん、仲良くやっていきましょーね!」

 差し出されたコエンマとぼたんの手を双子神はにこやかに握り返した。
 日本酒のおちょこで軽く乾杯した後は具体的な契約内容の相談が始まった。本来ならこの手の交渉はヒュプノスの得意分野なのだが、本音でズケズケものを言うコエンマが相手なので交渉はタナトスに任せることにした。

「酒の席でもあるし正直に言うが、ワシらがあなた方に求めるのは神の威光じゃ。『虎の威を借る狐』の、狐の後ろにいる虎になって欲しいのじゃ。狐が強い獣に襲われてピンチになった時は助けてくれるともっとありがたいのう」
「助けるのはやぶさかではない、それが同盟と言うものだからな。だが…」

 タナトスはコエンマの酌を受けながら小首を傾げた。

「異国の神である我々の存在が、日本の霊界と敵対する勢力への抑止力となりうるのか?」
「なるなる。妖怪は神を畏れ敬う心を人間以上に持っとるからな、ワシらのバックに異国の神様がいると聞いただけで霊界への手出しを考え直すじゃろう。霊界 内の『神の使い』を自称する過激派に対しても、本物の神様がついていれば強気に出られるしの。仮に仙水レベルの人間が出てきたところで、お二方の力なら難 なく対処できよう」
「…既にヒュプノスから聞いたと思うが、俺もこいつも先の聖戦で人間に敗れたのだ。その仙水と言う人間の強さがいかほどのものかは知らぬが、我々が力づくで抑えられる保証はないぞ」

 天馬星座に倒されたことが相当こたえているらしいタナトスが彼らしくもない弱気な発言をしたが、ぼたんはそれを謙遜と受け取ったらしい。三途の川の案内人は、銀色の死神の言葉を全く真に受けていない様子でクスクスと笑った。

「あらら、ご謙遜も過ぎると嫌味ですよ〜タナトス様っ。国王レベルの大妖怪の妖気が可愛く思えるような聖光気を出しながらそんなこと言われても…ねぇ?コエンマ様」
「うむ。ワシは魔界の国王や大統領を経験した大妖怪と何度か会ったことがあるが、その妖怪達よりあなた方の放つ気…そちらでは小宇宙というのじゃったか な…の方が遥かに強い。気の強さと戦闘力は必ずしもイコールではないが、魔界最強の妖怪でもあなた方には勝てんじゃろう。そしてワシらが手に負えんかった 仙水の力はその大妖怪の足元にも及ばん」
「………」
「先ほどヒュプノス殿から、あなた達が人間に倒されたというお話を伺ったがな」

 アテナの聖闘士に神である自分が倒された事実と、霊界が手に負えない国王レベルの妖怪ですら自分達より弱いという話をどう解釈すべきか決めあぐねているタナトスに、コエンマは自分の見解を話した。

「タナトス殿もヒュプノス殿も全力を出していなかったのではないかと、ワシは思う。もう少し正確に言うなら全力を出す前に倒されてしまったのではないかと」
「………」
「失礼を承知で言うが、タナトス殿は敵をナメとったじゃろう?神である自分が本気の全力など出すまでもなく倒せる相手だ、と」
「………」
「本気で闘ってないということは、防御もイイカゲンになっとるちゅーことじゃな。いかなプロの格闘家でも、気を抜いて適当に構えてるところに子供の死に物狂いの全力パンチを食らえば、そりゃ泣くほど痛いわな」
「………」
「ま、結論を言うとじゃな。タナトス殿は油断していた心の隙を突かれたのであって、実力で負けたのではないと言うのがワシの見解じゃ」

 タナトスは複雑な顔で林檎を噛み砕き、神殺しで流し込んだ。
 人間に負けたのは実力ではないと断言されたことで傷ついた矜持はいくらか回復した。が、実力で勝っていようが心の隙を突かれたのであろうが、人間にして やられた事実が消えるわけではない。そしてその原因が己の学習能力の無さと慢心にあったということも、タナトスは身に染みて痛感していた。
 そんな兄の考えを察しているのか、ヒュプノスは何も言わず酒に口をつけている。

「……耳が痛い言葉もフォローも有難く拝聴しておこう」
「ん?その反応はちょいと予想外じゃったな。馬鹿にするなうっさいわボケと突っ込まれるつもりでおったのだが」
「ちょいとコエンマ様、お客様は神様ですよ?しょっぱなからそんなツッコミ入れられる訳ないじゃないですか」
「確かにそうじゃな。ぼたんの盛大なスベりもスマートにフォローされたタナトス殿じゃ、紳士的に対応されて当たり前じゃな。いやいやこれは失敬」
「………」

 ぼたんの物言いたげな視線をわざとらしく無視して、コエンマは双子神に向き直った。

「そうそう、実はもうすぐ魔界で大統領選抜トーナメントが開催されるのじゃ。ワシもご招待に預かっておるのじゃが、お二方も特別ゲストとして観戦など如何かのう?勿論、都合が合えばの話じゃが」
「ほう…魔界統一トーナメントか。なかなか面白そうではないか、ヒュプノスよ。敵情視察も兼ねて行ってみるか?」
「そうだな。万が一の時を考えれば、国王クラスの大妖怪の実力がいかほどか知っておくのも悪くあるまい」
「何ならシード枠で参戦とかしちゃったらどうです?お二方の実力なら大統領の座も余裕で狙えますよ!」
「………」

 ぼたんが冗談で言っただろう言葉に、タナトスはふと真顔になって何事か考え込んだ。
 酒の勢いで兄神が爆弾発言しかねないと感じたヒュプノスは、即座に先回りして釘を刺した。 

「念のため言っておくがタナトスよ、お前の第一の立場は冥王ハーデス様の側近なのだぞ。死者の魂を冥界に導ける神はお前だけと言うこと、決して忘れるな?それから大統領の仕事は片手間でできるものでは決してないからな」
「なっ…そ、そのようなことお前にわざわざ言われなくとも分かっているさ。ただ、トーナメントに飛び入り参加も面白そうだなと、少し思っただけだ」
「………」

 明らかにギクリとしてぎこちなく視線を外した兄の態度に、コイツ本気で魔界の大統領を狙っていたなとヒュプノスは確信した。お祭り騒ぎが好きで親分肌の タナトスらしいと言えばらしいのだが…魔界統一トーナメントの観戦と飛び入り参加なら異世界交流の一環としてハーデスも快く了解してくれようが、大統領就 任は流石にまずかろう。
 …などと真剣に考えている自分に気付き、ヒュプノスはふと唇に笑みを浮かべた。こんな馬鹿げたことを大真面目に考える精神的な余裕が出来たことが嬉しかった。聖戦は集結し、冥妃の帰還を待つばかりとなったからだろうか。
 
「お二人ともトーナメントの観戦には乗り気でおいでのようじゃな。ぼたん、大統領にトーナメント観戦ゲストが二人増えるかもしれんと伝えておいてくれ。ひょっとしたら親善試合のような形で飛び入り参加されるかもしれん、とな」
「はいな」
「さて…お二方がここまでワシらに協力していただけるとなると、ワシからも相応の協力をせねばならんのだが…何が出来るかのう?ここまでトントン拍子に話がまとまるとは思っとらんかったからの、なーんも考えてないのじゃが…」
「気にするな。魔界統一トーナメントなどと面白いものが見られるだけで俺は十分…」
「ならばこちらから要望を出しても良いだろうか?」

 兄神の言葉に割り込んでヒュプノスは尋ねた。

「何じゃろうな?」
「我らが冥界の女王ベルセフォネー様も、今生のアテナも、神殺しの聖闘士達も日本にいる。万一に備えて、冥妃様の護衛とアテナ達の監視をお願いできぬだろうか」
「冥妃様というと…龍神秋乃さんか」
「そうだ。Lの腹心として相応の人間の護衛はついているようだが、あなたの息のかかった人間なり妖怪なりがついていてくれれば我々としても心強い。和解が 成立したアテナのことも疑っているというわけではないが、神である我々も流石に日本までは目が届かぬ故…まぁ念のためだ」
「なるほど、そういう事情ならあまり表立って動かない方が良いな。承知した、人間界のパトロール担当者や三途の川の案内人達にその人達を気にかけるよう頼んでおこう」
「よろしく頼む」
「よし!具体的な協力内容も決まったことじゃしこれにて同盟成立じゃな。正式な署名などは後からで良いじゃろ」

 差し出されたコエンマの手を、双子神は笑顔で固く握り返した。
 …タナトスがちびちび飲んでいた銘酒『神殺し』は、スティクスの水代わりに誓いの儀式に使われてちょうど無くなった。
 流石に飲み食いは十分だが用意された部屋に引き上げるにはまだ早い、中途半端な時間が出来た。
 霊界の内部などを視察されるか?と尋ねられたタナトスは目を輝かせて身を乗り出した。

「俺は噂の魔界とやらを見てみたいのだが」
「申し訳ないがそれは無理な相談じゃ。タナトス殿のような凄まじい霊光気の持ち主が事前連絡無しで魔界に入ろうものなら大混乱必至じゃからな」
「そうか…仕方ない、トーナメントの時まで楽しみは取っておくか」
「すまんな。霊界のテリトリー内で見たい場所とかないかのう?」
「ならば、霊界の歴史の記録など拝見できぬだろうか」
「資料室でよければご案内しようかの」

 コエンマの提案にヒュプノスは笑顔で頷いたが、魔界行きを却下されたタナトスはあからさまにつまらなそうな顔でそっぽを向いた。

「俺はそんなもの興味ない。書物を漁るくらいなら、潰れた死神達を叩き起こして飲み直した方がマシだ」
「タナトス…」
「んじゃータナトス様は日本版死神のオシゴトを視察なんてどうでしょ?」
「ん?」
「三途の川の水先案内人がどうやって死者を霊界に連れてくるか、ご覧になりません?冥王ハーデス様へのいいお土産話になるんじゃないかなー思いますけど」
「それは面白そうだな」

 ぼたんの提案にタナトスが口元を綻ばせて頷いた。
 うきうきと立ち上がりながら兄神は弟神に声をかけた。

「ヒュプノス、俺は日本の死神の仕事を見物してくるが、お前はどうする?」
「私はコエンマに資料を見せてもらうと先ほど言ったはずだが…」
「一緒には来ないのか。…それは別に構わぬが、『女性とふたりきりで出かけて…』などと後から文句を言うなよ」
「仕事の見学なら文句は言わぬ故、安心して行ってくるが良い」
「引っかかる物言いだが…文句が無いならまぁ良いわ。では行くとするか、ぼたん」
「はいな」

 結果的にタナトスとふたりきりと言う状況にぼたんも嬉しそうに立ち上がった。
 ヒュプノスを資料室に案内するために立ち上がったコエンマがふとぼたんを振り返った。

「そうじゃぼたん、ワシの執務机にハンディカメラがあるから持って行ったらどうじゃ。せっかくの視察だし色々撮影するのも面白かろう」
「ああ、それもそっか。じゃあお言葉に甘えてお借りしますねー。じゃ、行きましょうかタナトス様っ」

 まるで初めてのデートに行くかのような足取りで銀色の死神を案内する部下の姿に、コエンマは優しい苦笑を浮かべた。

「全く…ぼたんの奴、タナトス殿が親しくしてくれるのをいいことにすっかり熱を上げて舞い上がりおって…。ヒュプノス殿、兄上が迷惑がっておられるなら遠慮なく教えてくれ。ワシからぼたんにガツンと言うのでな」
「要らぬ心配だ、コエンマよ。タナトスは良くも悪くも自分の感情に正直だからな、迷惑だと思っていたら一緒に視察など行かぬ。兄はああ見えて寂しがりの一 面もある故、新たな友人が出来ることは私も大歓迎だ。…ただ、友人以上の親密な仲になるとしたら、機嫌を損ねそうな女神がいるが…」

 ヒュプノスは複雑な顔で曖昧に呟いた。
 ぼたんはタナトスに恋心に近い感情を抱きつつあるようだが、もし彼女が本気でアプローチしてきたら、タナトスを気に入っている氷女神ヘカーテが割り込んで来そうな気がする。
 ヒュプノスの微妙な表情と発言にコエンマは少しばかり線目になってうーんと唸ったが。

「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえという格言もあることじゃし、ワシらは見守るだけで良いのではないかの。外野が気を揉んだところでなるようにしかならんじゃろ」
「それもそうだな」

 コエンマの言葉に妙に納得したヒュプノスは、タナトスがはしゃぎすぎて羽目を外さないことだけを願うことにした。





 …翌日。
 サミットに参加した死神達はまた会おうと口々に言いながら自国に帰って行った。最後に残った双子神はコエンマと正式に同盟の約束を交わし、互いの連絡先を交換した(霊界でも携帯やパソコンで連絡が取れるらしい)。
 ぼたんとタナトスはすっかり打ち解けて親しげに雑談を交わしていた。
 冥界でハーデスがふたりの帰りを今か今かと待っているだろうし、名残は惜しいが流石に暇しなければ…とヒュプノスが言うと、ぼたんは両手をぐっと握って真剣な目でタナトスを見上げた。

「タナトス様、また霊界に来てくださいね。お待ちしてますよ」
「無論だ。魔界統一トーナメントという面白い見世物もあるし、冥妃様のご機嫌伺いもあるし、今の地上は興味深いし、お前にもまた会いたいしな」
「ほほほ本当ですか!?絶対、絶対また会いに来てくださいね、約束ですよ?」
「ああ、約束しよう」

 屈託のない笑みを浮かべるタナトスに、ぼたんはぽうっと頬を紅潮させて右手の小指を差し出した。
 怪訝そうな顔をする銀の死神に、青白い髪の死神はそのしぐさの意味を説明した。

「日本では、小指同士を絡めて約束事をするんですよ。『指切りげんまん』って言うんです」
「ほう…」

 言われるままに小指を絡めると、軽く上下に振られて名残惜しげにぼたんの指が離れた。
 …タナトスは曖昧に宙に残った手をぼたんの頬に伸ばした。きょとんとする彼女の顎を少し上向かせて、当たり前のようにそっと口付けた。

「………」
「またな、ぼたん」

 顔を真っ赤にして言葉を失う彼女を面白そうに眺めて、タナトスは踵を返した。
 コエンマが表情を変えないまま何も言わないので、ヒュプノスも兄の行動に苦言を呈するのは自粛することにした。





 …夢見る瞳で双子神を見送ったぼたんは、口づけされた唇にそっと指を触れて、ぱぁっと顔を輝かせてコエンマを見遣った。

「ねぇねぇコエンマ様!また会おうって約束してキスもされたってことは、脈ありですよね!?」
「どうじゃろうなぁ…あちらの国ではちゅーなんぞ単なる挨拶じゃろうし」
「あーもう!何を根拠にそういう夢の無いこと言うんですかっ!」
「タナトス殿には恋人がいるようなことをヒュプノス殿が言っておったからじゃ」
「へ?」
「そういうわけじゃからあんまり期待はしすぎん方がいいと思うぞ。ま、まずはお友達から始めたらどうじゃ」
「…お優しいアドバイス、どーも」

 早くも失恋の予感をひしひしと感じつつ、ぼたんは唇を尖らせて見せた。





 …冥界に戻る道中、タナトスは機嫌良く昨夜の『日本の死神の仕事視察』の話をしていた。

「ぼたんが担当したのは『ギャル系』とかいう小娘と、『ジュケン』とやらに失敗したこましゃくれた小僧と、無駄に色気を振りまく女の三人だった。どいつもこいつも個性的で面白かったぞ。俺が死の神と知っても全く怖がらなかったしな」
「異国の神だからではないか?」
「それもあるかもしれぬが…小娘は『本物の死神だ、スゲー!!』とはしゃいで、小僧は冷静に『ギリシアの死神が何故日本にいるんですか?』と質問して、女は『どうせあの世に行くならいい男にエスコートされたいわぁ』と俺にすり寄ってぼたんに怒られていたぞ」

 楽しそうに笑みを浮かべる兄を見て、ヒュプノスは気になっていたことにそっと探りを入れてみることにした。

「ずいぶんとぼたんが気に入ったようだな、タナトスよ」
「ああ、あいつは好ましい」

 さらりと言ってタナトスは目を眇めた。

「気立てが良くて仕事は優秀で仲間思いで、本当にいい奴だ。近頃、友人達が立て続けに結婚したり恋人が出来たりで遊ぶ機会が減ってつまらないのだと言っていた」
「ほう…」
「サミット会場で言っていた『彼氏募集中』も本気だったらしいぞ。お前に妻がいなければ仲を取り持つことを本気で考えたのだがな…」
「………」

 自分がぼたんの恋人に立候補する気はないのだな。
 内心で突っ込んだヒュプノスは、その事実に安心すべきなのか、タナトスが立候補しなかったのはやはりヘカーテが理由なのかと疑うべきなのか、自分の感情を決めかねていた。
 そんな弟神の複雑な沈黙を気にする様子はなく、タナトスは機嫌よく話を続けた。

「機会があれば弟の誰かでも紹介してやろうかと思っているのだが。お前は誰がいいと思う?」
「………」

 そんなことを気にする暇があるなら自分のことを考えろ、と言いかけてヒュプノスは言葉を飲み込み、別の言葉を口にした。

「お前の弟思いは長所だと思うが、張り切りすぎて墓穴を掘らぬようにな」
「墓穴?」
「弟達にぼたんを恋人候補として紹介すれば、姉上や妹達は『弟達の恋人の面倒を見る前に自分のことを考えろ』と言ってこよう。いや、何もしなくとも言って くるやも知れぬ。聖戦は終結したしハーデス様の元に妃が戻られるのも時間の問題、そろそろお前も妻を娶れ、とな。死神に妻子など冗談にしかならぬとか、面 倒くさいとか、そういう言い訳は通じなくなるかもしれぬぞ」
「うー……」
 
 たちまち眉間に皺を寄せて苦い顔になったタナトスを見て、ヒュプノスは心のどこかで安堵している自分に気付いた。
 己の半身、自身の片割れ、大勢の兄弟姉妹達の中でたったひとりの双子の兄。
 タナトスが妻を娶ることに消極的なら今後も自分が兄を独占できるということで、大好きな兄を独り占めするためなら姉妹達の『結婚しろ攻撃』からいくらでも守ってやろう。
 言い訳を考えているらしいタナトスの横顔にヒュプノスは優しく声をかけた。

「天邪鬼のお前にゴリ押ししては逆効果になると分かっているから、皆もそうそう口うるさくは言わぬと思うが…もし姉妹達が煩く言ってくるなら私はお前の味 方になってやろう。日本の閻魔も『外野は見守るだけで良いのではないか。外野が気を揉んだところでなるようにしかならん』と言っていたぞ、とな」
「ほう…なかなかの名言だな」
「そうであろう?」

 ほっと笑顔を見せたタナトスににこりと微笑み返したヒュプノスは、肝心な部分が自分の記憶から抜け落ちていることに気付いていなかった。
 コエンマの名言の前半には『人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえという格言もある』という一文があったことを。



END
      



星矢部屋
総合目次
SS・2012時代
SS・神話時代
SS・蟹座達



  コエンマが死神サミットを主催した裏の目的など明かしてみました。仙水の事件とか魔界統一トーナメントの経緯については幽遊白書のコミックスをお読みくだ さい(笑)。歴代の大統領ですが、煙鬼、狐光、躯、黄泉あたりを想定しています。煙鬼夫妻とその友人達は穏健派だろうし、黄泉も現時点では霊界や人間界を 支配する野望はなく、躯はお互い干渉は出来るだけしない方針みたいな感じ。幽助達も強くはなってるけど流石に大統領を狙えるレベルではないかなと。
 そしてタナトスが星矢に負けた原因も個人的趣味によりフォロー。個人的に考えている戦闘の強さ順位ですが、ハーデス≧アテナ≧ヘカーテ>>双子神>神聖衣聖闘士>夢の四神>魔界の大妖怪>冥界三巨頭≧黄金聖闘士=強くなった幽助達>白銀聖闘士、こんな感じ。
 ヒュプが負けた理由は作品内で書けなかったのですが、「大神ゼウスも眠らせたエターナルドラウジネスが人間に通じないという可能性を考慮しておらず、EDを破られた時の事を想定していなかったから」と設定しています。
 何だかぶった切りみたいな終わり方になってしまいました…時間軸的に「霊界」の続きになるSSネタを練りながら書いていたせいでしょうか。
 双子神が魔界統一トーナメント観戦に行く話も、タナトスの「ぼたんのお仕事拝見」もアイデアはあるのですが、そこまで入れると話が長くなりすぎるのでまた別の機会に。
 この話は割と早い時期にアイデアがまとまっていて、その当時は(話に絡む絡まないは別にして)タナトスと親密な仲になる女性キャラはぼたんを想定してい ました。別れ際のちゅーはその時の名残です。自分の中で色々と路線変更があったのでお別れのキスもカットしようかと思ったんですが、没にするのは惜しい なぁと思って残しました。某ファンサイト様の「タナトス=無意識タラシ」という設定が印象に残っていたせいかもしれません(笑)。
 当初はヒュプノスもこんな重度のブラコンではなく、「どうせ自分は忌み嫌われる死神だから」と意識的無意識的に他人を拒絶するタナトスに、「ぼたんは日本の死神だから死神同士で仲良くしてはどうだ?」と勧めたりするキャラの予定でした。どうしてこうなった。