拝謁の時
EPISODE 7


 名古屋駅の構内は平日の中途半端な時間にもかかわらず大勢の人間が行ったり来たりしている。クリスマスが近いためかあちこちにツリーやリースが飾られて いつにも増して華やかだ。ハーデスは勿論、双子神も名古屋訪問は初めてなので、興味を惹かれるものがあれば立ち止まったり、目的地の方向を見失って案内図 を確認したり、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしながらもそれなりに迷子を楽しんでいる。
 三巨頭はそんな神々の姿を微笑ましく眺めながら彼らの少し後ろに付き従っていたが。
 …ラダマンティスは視線をちらりと背後に投げて、傍らの二人にだけ聞こえる小声で口を開いた。

「二人とも、気付いているか?」
「当たり前でしょう。尾行にしては拙すぎます」
「小宇宙も抑えてないから何か忘れ物でも届けに来たのかと思ったんだが、ずっとついてくるだけだな。…一体何なんだ?」

 ミーノスが薄く笑んだままさらりと答え、アイアコスは困惑交じりの顔で答えた。
 …先程から、アテナの聖闘士らしき男が一行の後をついてきている。小宇宙からして先程彼らを出迎えた黄金聖闘士の誰かで間違いないだろう。気配に気付い た時は忘れ物でも届けに来たのかと思ったが、彼は一行に声をかけて来る訳でもなく、かと言って気配を消して尾行するでもなく、付かず離れずついてくるだけなの だ。
 神々が何も言わないから三巨頭も彼らに倣って無視を続けていたのだが、どうにも気になって仕方がない。意を決したラダマンティスがさりげなく歩調を速めてタナトスに追いつくとそっと耳打ちした。

「タナトス様。先ほどから我々を尾けている人間がいますが…」
「捨ておけ」

 即座に短い言葉が返ってきた。
 普段ならそこで黙るのだが、尾けて来る奴が尾けてくる奴だし、ハーデスと自分達は和平成立後初の地上訪問だし、しかもここは神々も自分達も不案内な場所である。愚直なラダマンティスも今回ばかりはすんなりと引きさがる事は出来なかった。
 そんな諸々の感情を凝縮して、ですが…と言葉を返すと、銀色の眼が翼竜に向いた。

「我々は否応なく人目を引く。それに先ほども言ったが俺は半端に顔が売れているしな、人間がついてくるなどよくあることだ。話しかけてきたら対処すればよい。付いてくるだけなら気にするな」
「…畏まりました」

  しかし付いてきているのはアテナの黄金聖闘士です…と言う言葉が喉まで出かかったが、ぐっと飲み込んだ。その程度の事はタナトスも気付いているはず、その上で放っ ておけと言うのなら背く事は出来ない。納得できないままラダマンティスが浅く顎を引いてタナトスから離れた時、ふとハーデスが足を止めた。その視線の先に は長い行列があり、行列の先頭はどうやらデパートの中にあるドーナツ店のようだ。
 …行列に数時間並んでも食べたい!と噂になるほどの有名なドーナツらしい。しかし実際に食べてみたがそこまでする価値がある味とは思えなかった…と三巨 頭と双子神が話していると、話を聞いていたハーデスは『行列に並んでも食べたいドーナツ』を食べたくてたまらなくなってきたらしい。かと いって、行列に並んでまでドーナツを欲しいというのも…と躊躇っている主君の姿を見て、タナトスが柔らかく微笑んだ。

「まぁ、今なら並んでも待ち時間は二十分くらいのようですし、噂の行列ドーナツを召し上がってみますか?」
「え!良いのか、タナトス?」
「そのくらい良いでしょう。此度の地上訪問の目的は観光ですから」
「でしたら、俺らが代わりに並んで買ってきましょうか?その間ハーデス様達はその辺ぶらぶらしてて下されば」
「それは構わぬが…携帯が無いのにこの人込みの中で合流できるか?」
「その点はご心配には及びません。我々は冥闘士、主君の神々の小宇宙などいくら抑えていても追跡できます」
「…なら任せるとするか」

 双子神はすんなりと頷き、少年の姿をしたハーデスと手を繋いで駅構内の見物に向かった。
 …主君の姿を見送った三巨頭が後ろを振り向くと、一行の後をついてきていたアテナの黄金聖闘士らしき赤毛の男が神々の姿を目で追っている姿が見えた。視線を交わすだけで無言のまま意思疎通した三人は、男が神々の後を追いかけようと足を踏み出した瞬間に動いた。
 男の前に立ちはだかったアイアコスはとりあえず口元に笑みを浮かべて簡潔に尋ねた。

「ちょっと待った、お兄さん。ウチの神様に何の御用かな?」
「…………!」

 明らかにギクリとして足を止めた男にラダマンティスとミーノスが声をかけた。

「タナトス様は『話し掛けて来なければ捨ておけ』と仰せだったが、神々を護衛する役目の我々が尾行者を放置する事はできんのでな」
「そういう訳で、ちょっとお話を伺えますか?アテナの黄金聖闘士さん」

 三巨頭に囲まれた黄金聖闘士は一度唇を噛み、人ごみに紛れて見えなくなる神々を見遣り、諦めたように溜息をついた。

「尾行なんてしてたつもりはなかったんだけど…まぁいいや。誤解されるのも嫌だし、どうぞ、何でも聞いて?僕にやましいことはないからね、正直に答えるよ」

 男は蒼い目にかかった赤毛をしなやかな指で払って、その手をひらりと振って腰に当てた。
 妙に芝居がかった一連の仕草にも、投げやりで飄々とした口調にも、そして落胆を隠しもしない甘く整った顔にも、『面倒なことになってしまった』という不快感が滲んでいる。
 そんな男の態度に神経を逆撫でられて口を噤んだラダマンティスとアイアコスをちらりと見やり、ミーノスが薄く笑んだまま口を開いた。

「では、お言葉に甘えて色々とお伺いしたいのですが…生憎と我々は、神々から『あの行列のできるドーナツ店のドーナツを買って来るように』と命じられてい るのです。ここでゆっくり立ち話をしている時間はありませんので、お手数ですがあなたも我々と一緒に来て頂けますか。行列に並んでいる間にお話を伺って、 必要ならば私達が神々に取り次ぎましょう」
「…………。わざわざ四人で行列に並ぶ必要、ある?」
「逆にお尋ねしますが、あなたが我々三人と話すのは何か不都合がありますか?でしたら、申し訳ありませんが神々にお会いするのは機会を改めて頂きたいのですが」

 ひとりで冥界三巨頭を相手にするのが怖いなら尻尾を巻いて逃げてもいいのですよ。
 唇の端に笑みを浮かべたミーノスが慇懃無礼な態度で言外に本心を伝えると、男はぐっと詰まってから挑戦的な眼で見返して来た。

「…いや、別に不都合はないよ」
「ありがとうございます。では」

 人にぶつからないようゆったりと歩きながら、ミーノスは半歩後ろを歩いている黄金聖闘士に目を向けた。
 …何となくこの男には会った事があるような気がする。ついさっき地上に到着した時に見たとかそんな直近の話ではなく、もっと以前に会った事があるような既視感を覚えるのだが…。
 無遠慮なミーノスの視線が我慢できなくなったのか、赤毛の男が視線を合わせて口を開いた。

「何か?」
「ああ失礼。何となくあなたには以前どこかでお会いしたことがあるような気がしたもので。でも我々が地上を訪れるのは二十数年ぶりですしね…ひょっとして、先の聖戦に参加されていましたか?」
「それはないよ。僕が聖闘士になってからまだ五年も経ってないし、そもそも聖戦の時は生まれていたかどうかも怪しいしね」
「ふむ…では一体どこでお会いしたんでしょうね。あなたほどお綺麗な方とお会いしたら、きちんと覚えている自信があるのですが」
「君に『綺麗』と言われてもねぇ…。一応、褒め言葉として受け取っておくけど」

 表面上は無難に言葉を交わすミーノスと黄金聖闘士、沈黙を守るラダマンティスとアイアコスの四人はドーナツ屋の行列の最後尾に並んだ。
 黒髪のアイアコスと金髪のラダマンティスだけならまだしも、銀髪ロングのミーノスに赤毛ロングの男が一緒なので、並んでいる客だけでなく店員まで彼らにチラチラと視線を向ける気配があった。
 そんな視線は意に介さず、ミーノスは穏やかに笑みを浮かべたまま口を開いた。

「どうやらお会いするのは初めてのようですから、まずは自己紹介させて頂きますね。私は冥界三巨頭の一角、天貴星グリフォンのミーノス」
「俺は天猛星ワイバーンのラダマンティス」
「天雄星ガルーダのアイアコスだ」
「僕は蟹座のシラー」
「………蟹座?」

 シラーと名乗った男の肩書きを聞いたミーノスが彼をまじまじと見て、得心が行ったように唇の端を皮肉っぽく持ちあげた。
 怪訝そうな目を向けて来る同僚に淡い笑みを見せて、ミーノスは指を口元に当ててクスクスと笑った。

「思い出しましたよ、あなたにどこで会ったのか」
「ん?」
「この男に会った事があるのか、ミーノス?」
「ええ。『会った』と言う言葉が適切かどうかは分かりませんが…あなた、黄泉比良坂で冥界の住人になりかけていたところをタナトス様に救われた黄金聖闘士ですね?」
「!…………」

 男の頬がピクリと引き攣るのを見ながら、ミーノスは冷ややかな笑みを浮かべたまま話を続けた。

「死にかけているあなたを担いだタナトス様が私の館にお出ましになった時は、何故タナトス様がアテナの黄金聖闘士をここに連れて来られたのかという疑問と 驚きで頭が混乱していて、あなたの顔まで記憶する余裕がなかったのですよ。まぁ、顔の判別も出来ないほどひどい火傷を負っていましたから覚えていてもあま り意味はなかったでしょうが…。治療が終わった後、あなたを聖域にお返しする時に私もタナトス様に同行したので、印象的だった褐色の肌と長い赤毛はうっす らと覚えていたのでしょうね」
「…ふぅん。じゃあ君も僕の命の恩人と言う訳だ。お礼を言わなきゃね?」

 たっぷりと毒を含んだミーノスの言葉を、蟹座の聖闘士は淡い笑みを浮かべてさらりと受け流した。しかし、ミーノスを見据える蒼い眼には不快感が見え隠れしているし、言葉こそ殊勝だがその口調にはあからさまに棘がある。

(…我々がアテナの聖闘士に対して迂闊な手出しは出来ないだろうと踏んでいるにしても、冥界三巨頭を相手に一歩も引かずこの私と互角にやり合うと は。黄泉比良坂で死にかけるくらいだからどんな愚鈍な男かと思いきや、黄金聖闘士の肩書きは伊達ではないという事ですか。アテナの聖闘士に頭脳派はいない という考えも改めなくてはいけませんね)

 そんな事を考えながら、ミーノスは片眉をそびやかして言葉を返した。

「礼には及びませんよ。私はタナトス様に預けられたあなたを医者の所まで運んだだけですから」
「そういう訳には」
「…ミーノス。思い出話も結構だが、思ったより早く行列が消化されているからそろそろ本題に戻ってくれないか。このままでは肝心なことを聞きそびれてしまう」
「ああ、それもそうですね」
「改めて聞くが、一体どんな理由があって俺達を追いかけて来たんだ?」
「それは…。あ、ちょっとごめん」

 アイアコスの質問にシラーは口を開きかけて言葉を切り、形ばかり断りを入れてポケットに手を入れた。どうやら電話がかかって来たらしい。携帯の着信画面を見た彼は、あからさまに眉根を寄せて顔を上げた。

「面倒くさい奴から電話だ。無視したら僕を追いかけて来て話をややこしくしかねないから出ていいかな」
「…どうぞ」
「本当、悪いね。すぐに終わらせるから」

 全く悪びれない表情で言って、シラーは携帯を耳に当てた。

「何?」
『シラー!良かった、なかなか繋がらねぇからどうしたのかと思ったぜ!』

 駅構内の騒がしさなどものともしない大声が飛び出してきて、シラーは顔をしかめて携帯を耳から離した。

「そんな大声出さなくても聞こえてるよ。で、何?」
『あ、いや、戻るのが遅いからよ、迷子にでもなってねーかなーと思って…』
「冥界三巨頭に掴まって取り込み中なんだよ。とにかく、後で折り返すよ」
『え!?ちょ…』

 ピッ、ピーッ。
 通話だけでなく電源まで切って携帯をポケットに突っ込むと、シラーは大きく溜息をついて三巨頭に視線を戻した。

「失礼したね」
「いえいえ、お気になさらず」
「…で、僕が君達を追いかけて来た理由だけど、タナトス様に命を救ってもらったお礼を言いたかったんだよ。こう言う事は手紙や電話じゃなくて、きちんとお会いして言うべきだと思ったからね」
「それは分かるが、だったら神々が地上に来た時に声をかければ良かったのではないか?」
「全くもっておっしゃる通りだよ、僕もそう思う」
「ならば何故、あの場でタナトス様に声をかけずに後から追いかけて来たのです?しかも私達に尾行者かと怪しまれるような不自然な行動を取って」
「ご本人を目の前にしたらその神々しさに見惚れて頭が真っ白になっちゃってさ。思考回路が完全に止まっちゃって、足も 竦んで動かないしでお礼を言うどころじゃなかったんだよ。で、神様達をお見送りしてしばらくしてからようやく我に返って慌てて追いかけて来たんだけど、神 様オーラに圧倒されるし畏れ多いしで、声をかけるタイミングがなかなか掴めなくて。我ながら、全くもってお恥ずかしい話さ」
「……………」

 シラーの言葉に三巨頭は押し黙った。
 タナトスに礼を言いたいと思ったが神々に圧倒されて声をかけられなかった…という彼の説明に不自然な点はなく十分に納得できる。出来るのだが、この 男の不遜な態度はどうにも好感を持てない。小宇宙を抑えた神に圧倒されるなど黄金聖闘士の癖に情けないのではないか?という突っ込みも、彼自身が口にした『お恥 ずかしい話』という言葉で先回りされ封じられた形になっていて、その抜け目の無さが余計に三巨頭の不快感を募らせていた。
 そんな三巨頭の苛立ちに気付いてないはずはないだろうに、シラーは淡く笑んだまま小首を傾げた。憎たらしいほど優雅に、可愛気すら漂わせて。

「さ、僕は正直に君達の質問に答えたよ。次は君達が僕の質問に答える番だ。タナトス様には取り次いで頂けるのかな?」
「…………」

 三巨頭は無言で視線を交わした。
 シラーの説明は理屈では納得できるものだったが、彼をタナトスに会わせるのはどうにも気が進まなかった。謁見を求める理由がどうであれ、蟹座の 黄金聖闘士に悪印象を持っているタナトスにこんな態度で接したら、死神様のご機嫌が一気に斜めになる事は容易に察しがつく。無論タナトスとて不機嫌を表に 出すような真似はしないだろうが、その後が面倒なことになるのは間違いない。地上に不慣れなハーデスと三巨頭が同行している今、頼みの綱であるタナトスが機嫌を損ねる事態はどうしても避けたい。
 つまりはシラーの頼みを断りたいのだが、下手な断り方をしては冥界と聖域の間に不必要な波風が立ってしまう。角を立てずに穏やかにお断りするなど、そん な面倒で繊細なことはラダマンティスやアイアコスには無理だ。さてどんな言葉で断ったものか…とミーノスが素早く頭を巡らせた時、ドーナツ屋の店員がドーナ ツを配りにやって来た。

「お待たせして大変申し訳ありません、ドーナツのご試食をどうぞ」
「試食?」
「ああ、そうだそうだ。この店は行列に並んでる客にドーナツの無料サービスをするので有名なんだよ。…ありがとう」
「へぇ、こんな短い行列でもサービスしてくれるんだ。ありがとう、頂くよ」
「せっかくですから温かいうちに頂きましょうか」

 アイアコスとシラーが日本語で礼を言うと、店員はパッと顔を輝かせ頬を染めながら店内に戻って行った。
 物言いたげなシラーの視線にはわざと気付かぬ振りをして、ミーノスは貰ったドーナツを一口食べるとシラーを見遣った。

「おや、食べないのですか?とても美味しいですよ」
「…………」

 不自然に返事を保留されたことで自分の頼みは拒否されると薄々察したのか、シラーは半ば諦めたような顔で試食のドーナツを口に入れた。
 …………
 ドーナツを齧りながら適切な断り文句を考えていたミーノスは、シラーがドーナツを食べ終わって唇に付いた糖蜜を舐め取るのを見ながらゆっくりと口を開いた。

「先程のお尋ねの件ですが」
「ん」
「大変申し訳ありませんが今回は遠慮して頂きたいですね」
「…………。理由、聞いてもいいかな」
「お気を悪くしないで聞いて欲しいのですが、実はタナトス様は蟹座の黄金聖闘士にあまり好感をお持ちではないのですよ。念の為申し上げますが、あなたに好感を持っていないのではなく、『蟹座の黄金聖闘士と言う肩書』に好意的ではないのです」
「ああ…」

 ミーノスの言葉に、シラーは何かを思い出し、同時に納得したような溜息を吐いた。
 どこか気まずそうに視線を逸らして、彼はひとりごとのように呟いた。

「そう言えば教皇が言ってたよ。『歴代の蟹座の聖闘士達に煮え湯を飲まされたタナトス神は蟹座の聖闘士がお嫌いだ』とか」
「御存知でしたか、それならば話が早い。重ねて申し上げますが、タナトス様が蟹座の黄金聖闘士に好感をお持ちでなかったのはあくまでも和平が成立するかし ないかと言う時期までの話です。今のタナトス様は地上の人間にもアテナの聖闘士にも非常に好意的でいらっしゃるし、直接対決した天馬星座の聖闘士とも親交 を深めておられる。ですから、蟹座の黄金聖闘士に好意的でなかったというのも恐らく過去の話になっているでしょう。ですが、万が一と言う事もある」
「…………」
「今のタナトス様の頭の中はクリスマスイベントをいかに盛り上げ成功させるかと言う事で一杯です。これは内密にお願いしたいのですが、冥王ハーデス様も今 回のイベントには非常に興味をお持ちで楽しみにしておいでなのですよ。ヒュプノス様や我々を伴ってイベントの下見をするほどタナトス様が張り切っておられるのもそのため」
「そんな回りくどい言い方しなくていいよ。要するに、『タナトス様が嫌っている蟹座の黄金聖闘士』の僕が余計なことをしたせいで、せっかくいい感じに盛り上がってるイベントやタナトス様のテンションに悪影響を及ぼすような事態は避けたい、って事だろう?」
「…話が早くて助かりますよ」

 ミーノスはにこりと笑って、残念そうな顔をしているシラーに言葉を続けた。

「クリスマスイベントが無事終了したら、出来るだけ早く私達からタナトス様にお話を通しておきます。お礼を言うために追いかけて来たあなたを私達の独断で追い返したことも、ね」
「感謝するよ。そこまでしてくれるなら僕も文句はないからね、君に言われた事も含めて今日の事は教皇に報告しておこう。改めて教皇かアテナから正式な場を設けてお礼を言いたいって打診が行くと思うから、その時はよろしく頼むよ」

 要するに、『タナトスに話を通す』と言う発言をリップサービスで終わらせるなよと遠回しに釘を刺して来た訳だ。粗忽な若造かと思えばなかなか食えない曲者ではないか…そんな事を考えながら、ミーノスは淡く微笑んで頷いた。
 …そうこうしている間に行列が進み、注文カウンターの前に来たミーノスは財布を開きつつシラーを振り返った。

「あなたも何か買いますか?」
「出来ればそうしたいんだけどねぇ…こんなことになるとは思ってなかったから日本円なんて持ってなくてさ。残念だけど機会を改めるよ」
「ふむ…。では、『オリジナル・グレーズド』を六個と、それとは別に『オリジナル・グレーズドダズン』を一箱下さい」

 …ドーナツを買った三巨頭とシラーは、店に並ぶ客の邪魔にならないところまで離れたところで足を止めた。
 赤毛の男は相変わらず芝居がかった飄々とした態度で目にかかった髪をさらりと流した。

「じゃあ、僕はこれで。タナトス様によろしくね」
「ええ。それから、お詫びと言っては何ですがこのドーナツ、聖闘士の皆さんへのお土産にどうぞ」
「え?」
「ご心配なく、たかがドーナツであなた方黄金聖闘士を懐柔できるなんて思っていませんから。『お土産にどうぞ』と言ってもその資金を出してくれたのはアテナですからね、話のネタにでもして下さい」
「…そう。じゃあ有難く頂こうかな」
「お、いたいた!おーい!!」

 差し出されたドーナツの袋をシラーが受け取った時、駅の騒々しさをものともしない大声がした。
 声の主を見たシラーはあからさまに嫌そうな顔になり、三巨頭は不思議そうな顔で声をかけて来た男を見遣った。
 放つ小宇宙と見覚えのある容姿からして先程冥界一行を出迎えたアテナの黄金聖闘士…シラーいわく『無視したら僕を追いかけて来て話をややこしくしかねな い面倒くさい奴』で間違いないだろうが、一体何の理由があってここに来たのか。いや、理由なら察しがつかないこともないが…。
 三巨頭の纏う空気が不穏になったのを察したのか、シラーは露骨に嫌そうな顔をしたまま近づいて来た聖闘士ふたりに声をかけた。

「取り込み中だから後で電話を掛け直すって言っただろう、ハービンジャー?わざわざ玄武まで連れて何の用?そんなに僕のこと信用できなかった?確かに僕は世間知らずの自覚はあるよ、でも、冥界の神々や三巨頭を相手に失礼をするほど馬鹿じゃない自負はあったんだけどな」
「あ、いや、そんなんじゃねーけどさ。お前の声がよく聞き取れないまま電話が切れちまって、そのぉ、気になってよ…」
「…………」

 ハービンジャーと呼ばれた片目の大男は、シラーにきつい眼で睨まれて気まずそうに冷や汗をかきながらチラッと三巨頭を見た。
 つまりは三巨頭に掴まったシラーが心配で様子を見に来たのだが、正直にそれを言ってはマズイだろうし何と言い訳すべきかねぇ…と思っているのが手に取る ように分かる。分かるのだが、黄金聖闘士が二人『加勢』に来たこの状況で、理由も聞かずに『では、さよなら』と立ち去るのは冥界三巨頭という立場上出来ない。建 前の理由でもいいから聞かせてもらわなくては困るのだ。
 せっかくシラーが助け船を出したのにうっかりそれを蹴飛ばしてしまった事に気付いた大男がますます冷や汗を流していると、警戒心を隠しもしない眼を三巨頭に向けていた若い男が口を開いた。

「ひょっとしたら本人から聞いたかもしれないんだが、コイツが仮死状態から眼を覚ましたのはほんの二日前でな。しかもタナトス神の注ぎこんだ小宇宙がま だ抜け切っていなくて、病人一歩手前の状況なんだ。聖域の医者も無理せず大人しく寝ていろと言ったのに『どうしてもタナトス神に礼を言わねばなりません、 礼を言いに行くのに仲間の同伴なんていりません』と頑強に言い張ったから仕方なく好きにさせたんだが、戻るのが遅いうえに電話も繋がらなくて流石に心配に なってな」
「そそ、そうなんだよ。テンションあがってるせいで元気そうだから礼を言いに行くくらいは大丈夫かなーと一度は思ったんだけどよ、タナトス神に礼を言って気が抜けた途端に貧血で倒れたりしたら迷惑かけるどころの話じゃねーよなーと思って、回収しに来たんだよ!」
「そうですか。そのような事情があったとは存じ上げず、私達のお使いに付き合わせてしまって申し訳ありませんでしたね。おかげで有意義なお話が出来ました が。では、これ以上お引き留めしても悪いですから、私達はここで失礼します。また近いうちにお会いしましょう、アテナの黄金聖闘士さん」
「…ああ、また」

 これ以上アテナの黄金聖闘士を相手に話を続ける理由はない。
 ミーノスが話を切り上げる別れの挨拶をして、ラダマンティスとアイアコスもそれなりに礼に叶った会釈をすると三人はさっさと踵を返した。
 黄金聖闘士三人の小宇宙も駅の雑踏にまぎれてあっという間に遠くなる。
 神々の小宇宙を追って歩きながらミーノスは傍らの同僚を見遣った。

「新たな時代の黄金聖闘士…あなた達はどう思いました?」
「正直ウゼェ。一体何なんだあのチャラい外見とチャラいキャラは。ツラだけはやたらハイレベルだからギャグにもならなくて笑えないところが逆にムカつく!アテナの聖闘士って言ったらもっとこう、熱血で硬派じゃないのか」
「タナトス様の言葉を借りれば『ゆとり世代』という奴かもしれんな。聖闘士の養成も今は学校でやっているというし…。しかしあの男、外見と態度はともかく、中身はなかなか食えない奴のようだ」
「私もラダマンティスに同意ですよ。のらりくらり飄々としながら我々冥界三巨頭を一人で相手取り一歩も引かず、自分の非を認めるような発言をしつつその話 に綻びはなく付け入る隙は与えず、表面上は取り立てて問題になる言動行動は起こさず、ある程度自分の要求は通した上で適切な落とし所で潔く引き下がる…。 タナトス様の眼に留まっただけの事はあります。『ゆとり世代の聖闘士』などと侮っていては手痛いしっぺ返しを食らうかもしれませんね。十分に気をつけま しょう」
「…やけに長々とコメントするな、ミーノス」

 ドーナツの袋に手を突っ込んでごそごそやりながらアイアコスが軽い気持ちで尋ねると、ミーノスは紫紺の眼に危険な色を孕ませて唇の端に歪んだ笑みを浮かべた。

「おや、御存知ありませんでしたかアイアコス?私はね、ああいう手折り甲斐のある美しい薔薇が大好きなんですよ。棘や毒があって迂闊に触れないと更に好ましい」
「相変わらず良い趣味してんな」
「お褒めにあずかりまして光栄。…ところで蟹座の彼、何と言う名前でしたっけ」
「おいおい、気に入ったんなら覚えといてやれよ。ちゃんと名乗ってただろ?蟹座の…蟹座の、ええと…何だったっけ?」
「蟹座の…シャリア?シャイナ?…ではないな、何と言ったか…」
「しまったなー、あの厭味ったらしい話し方とボクっ子の印象ばっかり強くて名前が印象に残っていないぞ」
「…と言うかアイアコス、さっきドーナツを試食したのにまた食べているんですか。しかも神々に献上する前に」
「この程度のことでギャーギャー言うなよ、ミーノス。神様達だってそんな些細なこと気にしないって。…あ、いたいた。お待たせしました!オリジナル・グレーズドって看板商品を買ってきましたよ!」
 
 ラダマンティスとミーノスの刺さるような視線を全く気にせずドーナツを齧ったアイアコスは、微妙な顔をしているヒュプノスとハーデス、そして電話を終えたタナトスに声をかけた。

NEXT


星矢部屋
総合目次
SS・2012時代
SS・神話時代
SS・蟹座達



星矢部屋
総合目次

 予想外に伸びに伸びたこのSSもとうとう7話目…ですが、何とか次の8話で完結出来そうな気がしてきました。ええと、これはSS「聖夜」の第三話、神々 と別行動を取っていた三巨頭視点のエピという形になりました。あの話を書いた当時は深いことは考えず神様達と三巨頭に別行動を取らせたのですが、その思い 付きがいい感じに使い回せて非常に満足です。そしてシラーさん視点にすると話が作りにくいので、この話のみ三巨頭(ミーノス)視点で書いています。SS 「祭典」後編でミノさんとシラーさんが微妙にギスギスしていたのはこういう経緯があったからなのか―、と思って頂ければ。
 特に解説すべき事はないかな…という気もしますが、三巨頭が固まって行動してる(シラーさんと話をしてる)のは、間違いや誤解や言った言わないのトラブ ルを防ぐため+別行動を取っても結局話の内容を全部説明しなくちゃいけないので二度手間、という理由があります。あとはクリスピー・クリーム・ドーナツの 「行列に並んでるお客さんへのドーナツサービス」は、ドーナツを買うまで数時間待ちだった時限定らしいのですが、三巨頭+シラーさんを間近で見たかった店 員さんがドーナツサービスを口実にした…という事情を考えています。勿論これはフィクションですのでその辺の事情はナァナァでお願いします(笑)。
 ミノさんのシラーさんへのコメントはアルバさんに対するミノさんの台詞を意識してみました。厳密にはLCミノさんと無印ミノさんは別人でしょうが、基本 的な性格や趣味嗜好は同じかなと。で、『手折ってやる』とか言いながらもう名前を忘れてる時点で大して本気で言ってないので、SS「輪廻」の時点ではミノ さんとシラーさんは割と仲良くなっています。
 そして「ビビりのシラーさんが堂々としすぎてない?」と突っ込みが入りそうな気がしますが、それについては次回8話で。